『偽聖女』として追放された薬草師、辺境の森で神薬を作ります ~魔力過多で苦しむ氷の辺境伯様を癒していたら、なぜか溺愛されています~

とびぃ

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第8章:王都の枯渇

8-4:王太子の絶望と致命的な失策

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その日の夕刻。
ヴェルナー宰相は、ジェラルド王太子の執務室に、ほとんど押し入るような形で入室した。
彼の顔は、土気色になっていた。その手には、先ほど老薬師から受け取った、最後の『神聖原液』の小瓶が握られている。
「殿下! 一刻を争う事態です! 国が、滅びますぞ!」
宰相は、普段の威厳をかなぐり捨て、悲鳴に近い声で叫んだ。彼の緊迫した声は、執務室の豪華な調度品に反響し、不吉な響きとなってジェラルドの神経を逆撫でる。
「黙れ、ヴェルナー!」
ジェラルドは、苛立ちの頂点にあった。アデリーナが報告に来たばかりだ。「ルシルの呪い」が強大すぎるせいで、騎士団長は目覚めない。そして、ポーションの不足も、ルシルの陰謀に違いないと。彼は、ルシルの悪意という仮想敵に責任を押し付け、自らの不安から逃れようと必死だった。
「貴様の無能のせいで備蓄が尽きたのだろう! アデリーナの光の癒しが、すべてを解決する!」
「光の癒しなど、幻です! 殿下、どうか目を覚ましてください!」
宰相は、王太子の机の上に、その最後の原液の小瓶を、乱暴に叩きつけた。小瓶は、衝撃で机の上をガラガラと転がり、その微かな音が、ジェラルドの心をさらに乱す。
「これが、王国に残された、最後の神聖原液です! これ以上の精製は不可能! アデリーナ様の光は、兵士の傷を治すことも、魔獣の毒を浄化することもできません! このままでは、辺境伯領からの騎士団へのポーション供給も止まり、国境が崩壊します!」
ジェラルドは、その言葉に、ようやく現実の重圧を感じた。
王国の生命線であるポーションの備蓄が、本当に尽きた。
それは、戦場での負傷者が「回復しない」ことを意味する。魔獣の毒を受けた者が「死ぬ」ことを意味する。そして、騎士団全体の士気と戦闘力が、急速に失われることを意味する。この事実が、アデリーナの光の幻影を、冷酷なまでに打ち砕いた。
「まさか、そんな、ポーションなど、ただの薬草だろう」
ジェラルドは、震える声で呟いた。彼の瞳は、机の上の小瓶に釘付けになっていた。彼にとって、ルシルの仕事は、いつも「地味」で「どうでもいい」ものだったが、今、その地味な液体が、自分の運命を握っているという、恐ろしい事実を突きつけられたのだ。
「ただの薬草ではありません!」
宰相は、ジェラルドの襟元を掴みかかる勢いで、机に身を乗り出した。彼の顔は、ジェラルドの無知と傲慢に対する、純粋な怒りで赤く染まっていた。
「『神聖原液』は、純度百分の一でなければ、高魔力の兵士には毒となる! それを精製できたのは、ルシル嬢ただ一人です! 彼女の技術は、アデリーナ様の光など比べ物にならない、国家の最高機密だったのです!」
ジェラルドの顔から、一瞬で血の気が引いた。
(最高機密? 生命線?)
彼が追放したあの、地味で陰気な女が。
自分が愛するアデリーナの、神々しい光よりも、遥かに重要な存在だった。
ルシルが、毎夜、孤独に王宮の地下で、この国の運命を支えていたという、残酷な真実が、今、彼の脳裏を雷のように貫いた。その衝撃は、彼自身の存在意義を根底から揺るがすものだった。
「わ、わたくしが、何を」
ジェラルドの唇が震える。声は、もはや蚊の鳴くようなか細さだった。
(ルシルを毒婦と断じ、追放した。彼女の知識と技術が、この国のすべてだった)
彼の心臓が、恐怖で激しく鼓動する。冷たい汗が、王太子の豪華な軍服の下を流れ落ちた。彼は、自らの傲慢と愚かさによって、国を滅亡の危機に追いやった「国家反逆者」が、自分自身であるという事実に直面した。ルシルを「偽聖女」にしたのは、他ならぬ自分自身だったのだ。
「殿下、もう時間はありません」
宰相ヴェルナーは、ジェラルドの顔に、最後の絶望を突きつけた。
「陛下は病床。頼れるのは、辺境伯カイラス閣下の防衛力だけ。しかし、そのカイラス閣下も、ルシル嬢の薬で命を救われたという噂です。彼の命綱を握っているのは、王都ではありません。追放した、ルシル嬢ですぞ!」
王太子ジェラルドは、玉座の権威も、傲慢なプライドも、すべてを打ち砕かれ、その場に崩れ落ちた。豪華な椅子に座ったまま、彼は小さな子供のように、ただ震えていた。
彼の心を満たしたのは、アデリーナへの寵愛でも、ルシルへの憎しみでもない。
ただ、自らが犯した「致命的な失策」と、その結果として王国に訪れる「滅亡」への、根源的な恐怖と絶望だった。
「ルシル、ルシル」
彼は、失われたルシルの名を、喉の奥から絞り出すように呟いた。その声には、かつての婚約者への愛情ではなく、溺れる者が掴む最後の藁のような、切実な依存と後悔だけが込められていた。
彼女が、この国の唯一の希望であり、自分がその希望を、自らの手で投げ捨てた。
(どうすれば、あの女を連れ戻せる。彼女の薬がなければ、国は持たない!)
王都の華やかな光は、今、確実に色褪せ、深い闇に飲まれようとしていた。
そして、その闇は、遠く離れた辺境の森で、静かに、そして満たされてスローライフを送る、元『偽聖女』の存在によって、のみ晴らされるのだった。
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