8 / 30
第8話 理事会の意向 ①
しおりを挟む
「はい……」
「夜分にすいません……。102号室の滝川ですが」
「何かありましたか?」
「あ、あの……。前の土地に出来るマンション計画について、ご相談があるのですが……」
「ああ……、ちょっとお待ち下さい」
「……、……」
最初に少し警戒したような声を出されたときには、しまったと思った。
しかし、理事長の長谷川氏は、インターフォン越しにも分かるほど口調が突然変わり、優しげな感じになっている。
もう時刻は夜の九時近い。
こんな時刻に他家を訪問することが非常識であるのは分かっているが、小百合に電話してから不安でたまらず、夕食を片付け終わると思い切って理事長宅を尋ねたのだ。
だから、正直、もっと迷惑がられると思っていた。
しかし、それを押してでも、まずはこのマンションの理事会がどういうスタンスなのかを知りたかったのだ。
「前の土地のマンション計画ですか……。ええ、結構、住民の方から意見を寄せられています」
「あの……、どんな感じの意見が多いのでしょうか?」
「一番多いのは、工事の騒音ですね。何でも、工期が一年近くも掛かるらしいので、その間の騒音の被害に関しては敏感な方が多いです」
「騒音ですか……」
「あとは、やはりこれも工事中のことなんですが、土埃なんかの被害に遭わないかと心配なさっている方もおられますね」
「……、……」
長谷川氏は、湯上がりなのか寝間着姿であった。
私は初めて会ったが、なかなか感じの良いご老人である。
小百合は、隠居暮らしが長い……、と言っていたが、なるほど、もうあくせくしたところが何もなく、いかにも年金で悠々と暮らしていると言った感じだ。
「それから、リッチュウキについても、色々と言って来る人がいますね」
「リッチュウキ?」
「ああ、立体駐車場のことですよ。何でも、三階建てのが出来るらしいです」
「……、……」
「御存知かもしれませんが、立体駐車場と言うのは動かすと音がかなりうるさいのですよ。しかも、車に乗る人は朝早かったり夜が遅かったりしますから、その音をどうにかしてくれ……、とね」
「……、……」
立体駐車場かあ……。
そう言えば、図面を見たときに、それらしき物が出来ると書いてあったっけ。
皆、関心があるのか、色々と感じたことを長谷川氏に聞いてくるようだ。
「あと……。ごく少数ですが、ビル風を気にする人もおられますよ」
「ビル風って、もっと高層の建築物でないと起らないイメージがありますけど?」
「それが、そうでもないらしいです。隣の建物とあまり距離がない場合には、マンションとマンションの間にもビル風は吹くようです」
「……、……」
「って、これは、703号室の鈴木さんが教えてくれたのですがね」
「……、……」
長谷川氏はそう言うと、私の後ろ側をのぞき込むような仕草をした。
「お子さん……、おりこうですなあ」
「あ、いえ……」
「起きているみたいなのに、全然むずかりもしない」
「ええ……。あまり外に出ても泣かないので助かっています」
「ふふっ……、もう、おねむかな? 目がトロンとしてますなあ」
「そのまま寝てしまいそうですね。眠くなると、急に動かなくなりますので……」
長谷川氏は、いかにも好々爺と言った体で、裕太に笑って見せる。
しかし、裕太は関心がないのか、ぷいっと顔を背け、私の胸に顔を埋めてしまった。
「こりゃあしまった。嫌われちゃったかな?」
「いえ……、この子、笑いかけられると照れるみたいで、誰にも同じような反応をするんです」
「おおっ、もうそんな気持ちを示すのですか」
「誰に似たのか分かりませんが、かなりシャイみたいなんですよね」
「ふふっ……。じゃあ、早く話を終えてお家でおねむしましょうね」
「すいません……、こちらが押しかけてきたのに」
迷ったが、裕太を抱いてきて良かった。
独りで留守番をさせるのは怖かったし、かと言って、赤ん坊を露骨に嫌がる人も多いから、長谷川氏のような反応をしてくれると心底ほっとする。
「あ、話を戻しますね。そうだなあ、あとはテレビやスマホの電波の入りを気にする人もいましたか」
「……、……」
「電波についてはお互い様ですからねえ。そんな細かいことまでは言えないと私は思っていますけど、一応、要望があると聞かないわけにはいかないのでね」
「あの……、その他にはないのでしょうか?」
「うーん、そうねえ? 大体、そんなところかな、今来ている要望は」
「……、……」
「どうしました? 滝川さんは何か他にご要望がありますかね?」
「それが……、……」
「良いんですよ、何でも仰ってくれて。ただ、ご希望に添えるかどうかは分からないですが……。私共理事会は、相手の業者に要望を伝えるだけです。それを業者がどう扱うかまでは何とも言えませんし」
「……、……」
「ただ、このマンション全体のことに関わることですのでね。何もせず見逃すわけにはいかないのです」
「……、……」
私は、長谷川氏の話を聞いて、やはり理事会に相談しに来たのは正解だと思った。
他の人は、結構自分勝手なことも言っているようだし。
これなら、日照の件を言い出しても理解を示してくれるような気がしていた。
裕太ママ晴美の一言メモ
「他の人は色々と考えているのだなあ……。のほほんと構えていたのは私くらいなのかしら?」
「夜分にすいません……。102号室の滝川ですが」
「何かありましたか?」
「あ、あの……。前の土地に出来るマンション計画について、ご相談があるのですが……」
「ああ……、ちょっとお待ち下さい」
「……、……」
最初に少し警戒したような声を出されたときには、しまったと思った。
しかし、理事長の長谷川氏は、インターフォン越しにも分かるほど口調が突然変わり、優しげな感じになっている。
もう時刻は夜の九時近い。
こんな時刻に他家を訪問することが非常識であるのは分かっているが、小百合に電話してから不安でたまらず、夕食を片付け終わると思い切って理事長宅を尋ねたのだ。
だから、正直、もっと迷惑がられると思っていた。
しかし、それを押してでも、まずはこのマンションの理事会がどういうスタンスなのかを知りたかったのだ。
「前の土地のマンション計画ですか……。ええ、結構、住民の方から意見を寄せられています」
「あの……、どんな感じの意見が多いのでしょうか?」
「一番多いのは、工事の騒音ですね。何でも、工期が一年近くも掛かるらしいので、その間の騒音の被害に関しては敏感な方が多いです」
「騒音ですか……」
「あとは、やはりこれも工事中のことなんですが、土埃なんかの被害に遭わないかと心配なさっている方もおられますね」
「……、……」
長谷川氏は、湯上がりなのか寝間着姿であった。
私は初めて会ったが、なかなか感じの良いご老人である。
小百合は、隠居暮らしが長い……、と言っていたが、なるほど、もうあくせくしたところが何もなく、いかにも年金で悠々と暮らしていると言った感じだ。
「それから、リッチュウキについても、色々と言って来る人がいますね」
「リッチュウキ?」
「ああ、立体駐車場のことですよ。何でも、三階建てのが出来るらしいです」
「……、……」
「御存知かもしれませんが、立体駐車場と言うのは動かすと音がかなりうるさいのですよ。しかも、車に乗る人は朝早かったり夜が遅かったりしますから、その音をどうにかしてくれ……、とね」
「……、……」
立体駐車場かあ……。
そう言えば、図面を見たときに、それらしき物が出来ると書いてあったっけ。
皆、関心があるのか、色々と感じたことを長谷川氏に聞いてくるようだ。
「あと……。ごく少数ですが、ビル風を気にする人もおられますよ」
「ビル風って、もっと高層の建築物でないと起らないイメージがありますけど?」
「それが、そうでもないらしいです。隣の建物とあまり距離がない場合には、マンションとマンションの間にもビル風は吹くようです」
「……、……」
「って、これは、703号室の鈴木さんが教えてくれたのですがね」
「……、……」
長谷川氏はそう言うと、私の後ろ側をのぞき込むような仕草をした。
「お子さん……、おりこうですなあ」
「あ、いえ……」
「起きているみたいなのに、全然むずかりもしない」
「ええ……。あまり外に出ても泣かないので助かっています」
「ふふっ……、もう、おねむかな? 目がトロンとしてますなあ」
「そのまま寝てしまいそうですね。眠くなると、急に動かなくなりますので……」
長谷川氏は、いかにも好々爺と言った体で、裕太に笑って見せる。
しかし、裕太は関心がないのか、ぷいっと顔を背け、私の胸に顔を埋めてしまった。
「こりゃあしまった。嫌われちゃったかな?」
「いえ……、この子、笑いかけられると照れるみたいで、誰にも同じような反応をするんです」
「おおっ、もうそんな気持ちを示すのですか」
「誰に似たのか分かりませんが、かなりシャイみたいなんですよね」
「ふふっ……。じゃあ、早く話を終えてお家でおねむしましょうね」
「すいません……、こちらが押しかけてきたのに」
迷ったが、裕太を抱いてきて良かった。
独りで留守番をさせるのは怖かったし、かと言って、赤ん坊を露骨に嫌がる人も多いから、長谷川氏のような反応をしてくれると心底ほっとする。
「あ、話を戻しますね。そうだなあ、あとはテレビやスマホの電波の入りを気にする人もいましたか」
「……、……」
「電波についてはお互い様ですからねえ。そんな細かいことまでは言えないと私は思っていますけど、一応、要望があると聞かないわけにはいかないのでね」
「あの……、その他にはないのでしょうか?」
「うーん、そうねえ? 大体、そんなところかな、今来ている要望は」
「……、……」
「どうしました? 滝川さんは何か他にご要望がありますかね?」
「それが……、……」
「良いんですよ、何でも仰ってくれて。ただ、ご希望に添えるかどうかは分からないですが……。私共理事会は、相手の業者に要望を伝えるだけです。それを業者がどう扱うかまでは何とも言えませんし」
「……、……」
「ただ、このマンション全体のことに関わることですのでね。何もせず見逃すわけにはいかないのです」
「……、……」
私は、長谷川氏の話を聞いて、やはり理事会に相談しに来たのは正解だと思った。
他の人は、結構自分勝手なことも言っているようだし。
これなら、日照の件を言い出しても理解を示してくれるような気がしていた。
裕太ママ晴美の一言メモ
「他の人は色々と考えているのだなあ……。のほほんと構えていたのは私くらいなのかしら?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
思いを込めてあなたに贈る
あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる