孤独な王子は影に恋をする

結衣可

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第4話 毒杯の宴

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夜の大広間に、燭台の炎が揺れていた。
貴族たちが集い、音楽が奏でられ、華やかな笑い声が響く。
第一王子の姿がそこにあるだけで、場は一層の輝きを増した。

「殿下、本日も麗しいお姿にございます」
「殿下のご健勝こそ、この国の未来」

賛美の言葉は尽きない。
王子は穏やかな笑みを浮かべ、誰もが期待する“理想の王子”を演じ続けていた。
杯を掲げ、民の安寧を祈る言葉を述べると、広間は拍手と喝采に包まれる。

──しかし、その視線のすべてが祝福ではなかった。

壁際の陰に潜む気配。
影は密やかに目を光らせる。
王子の背に注がれる、あまりに冷ややかな目。
ただの嫉妬ではない。
明確な敵意。



王子は杯を口に運んだ。
琥珀色の液体が揺れ、月光を受けて煌めく。
その瞬間、影は異変を察知する。

──香りが違う。

わずかに甘い、異質な芳香。
影の直感が告げていた。
これは、ただの葡萄酒ではない。

(……盛られたか)

だが、影が動くより早く、王子の唇は杯に触れた。
液体が喉を流れ落ちる。

「……っ……」

舌に広がる妙な甘さ。喉を焼くような熱さ。
すぐに全身に駆け抜ける異常な火照り。
心臓が暴れるように脈打ち、呼吸がうまくできない。

(な……これは……?)

頭がくらみ、視界が揺らぐ。
体の奥がじんじんと熱に溶け、力が抜けていく。
それでも、王子は笑みを崩さぬよう必死に口角を上げた。

「……ご安心を……皆の期待に応えるのが、私の務め……」

声はかすかに震えた。
臣下には気づかれまいと必死に取り繕う。
だが胸の奥では、理性と欲望がせめぎ合っていた。

(違う……これは、ただの毒ではない……)
(熱い……身体が……勝手に……)

吐息が荒くなる。
背筋を這う火照りが、肌の下を焼き尽くすように広がっていく。
衣服の内側、誰にも見せられぬ場所が、あり得ぬほど疼き始める。

「……っ……やめ……」

心の中で必死に抗う。
王子としての理性が叫ぶ。
だが、孤独に飢えていた心が同時に囁く。

(あの夜と同じ……いや、それ以上に……どうして、こんな時に……お前を……)

脳裏に浮かぶのは、影の魔力に包まれた夜。
抱き締められた錯覚。
慰められた幻。

(……ああ……会いたい……この渇きを……お前だけが癒せるのに……)

熱に浮かされるほどに、渇望は強まる。
叶わぬとわかっているのに、欲してしまう。

──媚薬。

影は即座に断定した。
王子を辱め、失脚させるための卑劣な罠。

「……殿下」

声なき声が、影の胸にこだました。
この場で倒れれば、すべては敵の思うつぼ。
王子の威信も、未来も、失われてしまう。

王子は必死に笑顔を保ちながら、内心で縋る。

(……影……私を……助けて……)

王子の手から、杯がわずかに震えた音が響いた。
周囲の貴族たちは気づかない。
笑みを絶やさぬ王子の仮面が、最後の力で微笑みを保っていたからだ。

だが、影は見逃さなかった。
熱に浮かされた瞳、上気した頬、震える指先。
──すでに媚薬が効き始めている。

(……この場で崩れるわけにはいかない)

影は瞬時に考え、行動した。
影の技は「存在を悟らせずに場に紛れる」こと。
魔力をゆらめかせ、人々の視界から意識を逸らす。
わずかな風を立て、侍従の足取りと重ね、誰にも怪しまれないまま王子の傍に近づく。

「……っ……は……」

王子の唇が苦しげに震えた。
微笑を保ちながらも、その瞳は今にも潤みそうで。
その姿に、影の胸奥で何かが微かに揺れる。

(殿下──)

杯を置いた王子の腕に、誰にも気づかれぬほど自然に手を添える。
魔力を纏い、影と王子の存在をふっと薄れさせる。

まるでそこに最初から誰もいなかったかのように。

次の瞬間、王子の姿は宴の喧騒から消え、静かな回廊へと移されていた。



「……あ……はぁ……っ……」

人目から遠ざけられた王子は、壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返す。
胸の奥を焼くような熱。
汗が首筋を伝い、衣服の下で肌が火照りに濡れていた。
媚薬の効果は確実に身体を蝕み、理性を削り取っていく。

(……だめだ……抑えられない……)

紅の瞳が揺らぎ、熱に潤む。
胸が上下し、喉から零れる吐息は震えを帯びていた。
孤独に耐えてきた心が、いまや無防備に影を求めてしまう。

影は王子の背に手を当て、わずかに魔力を流す。
苦痛を和らげる程度の処置にすぎない。
だが、王子の身体は敏感に反応し、肩を震わせて身を仰け反らせた。

「……影……」

掠れた声で、その名を呼ぶ。
実際には名ではなく、ただの呼びかけ。
けれど王子の瞳は、熱に潤みながら必死に影を探していた。

──私を、助けてくれ。
その祈りが痛いほど伝わる。

彼を抱き上げ、私室へ急ぐ。
その間も熱に浮かされる王子に影は逡巡した。
この手で触れることは本来許されない。
だが、このままでは王子が壊れてしまう。
決意を固めると、影は王子をベッドに寝かせ、懐から黒布を取り出した。

「……っ」

布が王子の目元を覆い、視界を閉ざす。
驚きに息を呑んだ王子に、影は低く告げた。

「殿下……見てはなりません」

誰に悟られてもならない。
影が王子に触れるなど、本来あってはならない。
だからこそ、せめて目を閉ざさせる。

「……影……おねがっ……」

震える声に抗えず、影は王子の身体を支えた。
熱に浮かされた肌に触れる指先が、思わず僅かに強まる。
その感触に、王子は小さく声を漏らす。

一線を越えてはならないと知りながら──王子に触れる。

熱に狂う王子を抱きとめ、その身を見られぬよう覆い隠しながら、
密やかな慰めを与えたのだった。
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