孤独な王子は影に恋をする

結衣可

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第7話 襲撃

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その夜、王子は珍しく外出していた。
政務の合間に、古くからつき合いのある教会へ赴くことを決めたのだ。
王族としての務め、そして民への示し。
護衛の騎士団を従えて歩む王子の姿は、月明かりの下でも端然としていた。

だが、道すがらに潜む、不自然な気配を影は感じ取っていた。

草の揺れが重すぎる。
風の流れが妙に滞る。
闇に紛れて潜む殺意。

(……待ち伏せか)

気配を濃くし、影は王子の背に寄り添う。
姿を見せることはないが、その目は、すでに闇の奥の刃を捉えていた。



突如、夜気を裂いて矢が放たれた。
鋭い風切り音。
騎士たちが咄嗟に剣を抜き、盾を構える。

「敵襲――!」

叫びが響くより早く、王子の目の前に光の幕が走った。
見えぬはずの力が、矢を逸らし、地に落とす。

「……っ!」

王子は息を呑んだ。
誰もいないはずの空間から、確かに自分を守る力が伸びたのを感じたからだ。

次の瞬間、闇から無数の影が飛び出す。
剣を振り上げ、王子へと迫る刺客たち。
騎士団が応戦するが、数が多い。
混乱の只中で、王子に向けられた短剣がひとつ、静かに閃いた。

「――殿下!」

騎士の叫び。
振り返るより早く、王子の目の前に刃が迫る。

だが、その刃は王子に届かなかった。

影が割って入ったのだ。そして、次の瞬間、血が闇に散った。

「……っ」

王子は確かに感じた。
背に寄り添う、あの気配が大きく揺らぎ、痛みに震えたことを。

「影……!」

声を上げたが、振り返っても姿は見えない。
ただ、地に落ちる鮮やかな紅だけが、現実を告げていた。

影は声を発さない。
姿を現さない。
ただ沈黙のまま、王子を押し出すように気配を走らせた。

「……殿下! お下がりください!」
「早くお連れしろ!」

騎士たちが王子を囲い、退路を作る。
王子は振り返った。
そこに確かにいたはずの存在を、もう一度探そうとした。

しかし、夜風に揺れるのは血の滴る跡だけ。
守るために流された命の証。

影の姿は、どこにもなかった。



「……なぜ……!」

馬車に押し込まれ、王子は声を震わせた。
影は自分の前に立ち、身を盾にした。

姿を残さぬまま、血だけを遺し、消えたのだ。

胸の奥で、強く鼓動が鳴る。
痛みと恐怖と、そして耐えがたい喪失感。

「……今どこに……」

声にならぬ願いが、闇に溶けて消えた。

城に戻ると、王宮の廊下は普段と変わらぬ静けさに包まれていた。

しかし第一王子の胸の内は、荒れ狂う嵐そのものだった。
全身がこわばり、震えが止まらない。
理性では務めを果たそうとするのに、心は影を求めて叫んでいた。

「……影……」

耳を澄ませば、確かにいる。
いつも通り、背後に寄り添う気配。
だがその輪郭は、今までになく淡く揺れている。

散った血の跡は自分を庇い刃を受け止めた証。
忘れようにも忘れられない紅の色が、瞼の裏にこびりついて離れなかった。

「影……無事なのか」

声をかけても返事はない。
それが掟であることは理解している。
だが、今日はどうしても耐えられなかった。

「……頼む。姿を……姿を見せてくれ!」

ほとんど叫びに近い声が、石壁に反響する。
王子の心から溢れ出た必死の願い。
その瞬間、空気の密度が変わった。

沈黙の闇がふっと揺れ、ひとつの影が輪郭を結び始める。
人の形を取り、王子の目の前に現れた。



「……っ……」

王子の息が詰まる。
そこに立つのは、初めて見る「影」の素顔だった。

黒衣に身を包み、仮面を外した顔は血に濡れている。
鋭い輪郭の片側、左眼を覆う布が赤く染まり、そこから伝う血が頬を濡らしていた。
その眼は、もう二度と開くことはないのだと一目でわかった。

「……お前……」

言葉が続かない。
胸を貫くのは衝撃と安堵と、どうしようもない悲しみだった。
王子は顔を歪め、涙を溢れさせる。

「なぜ……なぜ……!」

震える手が伸びる。
影はわずかに身を退こうとしたが、王子の手が先に頬に触れた。
冷たく、硬質な肌の感触。
その下で確かに脈打つ命の温かさ。

「お前が生きていて……よかった……」

その言葉に、影の唇がほんのわずかに震えた。
しかし口にしたのは、いつもと同じ低く静かな声。

「殿下。私は王家に仕える影です。
 左眼を、たとえ命を失おうとも、
 殿下をお守りするために私は在ります」

王子は首を振った。
涙で濡れた睫毛が震える。

「……そんなことは許さない。お前が生きていることが、私の、唯一の救いなんだ」

片目を失った顔を何度も確かめるように撫でる。手が血に染まっていく。
目の前にいる影に触れ、胸が焼けつくように熱く、喉が塞がりそうになる。

(…あぁ、こんなにも私は……お前を失いたくないのだ……)

王子はその存在を胸に刻むように、そっと囁いた。

「お前がいてくれるから……お前がいつもそばにあると感じられるから、私は立っていられるんだ」

影は言葉を発さず、王子を見つめていた目を細める。
夜風が吹き抜け、二人の間の血の匂いを運んでいった。
その刹那、王子は「影」を一人の人間として触れていたいと心から願った。
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