孤独な王子は影に恋をする

結衣可

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第8話 禁忌

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王子の寝室には、まだ鉄の匂いが残っていた。
影が失った血の匂い。
香油や香草では覆い隠せず、胸の奥に痛みのように沈み込んでいる。

「影……」

王子は静かに呼びかけた。
そこに確かに気配はある。
片目を失ってもなお、自分の傍らに在り続ける沈黙。
その沈黙が、今は胸を締め付けてならなかった。

(なぜだ……どうしてこんなにも苦しいのだ)

昨夜の姿が、瞼に焼き付いて離れない。
血に濡れた顔、赤く染まった左眼の布。
それでも揺るがぬ声で「殿下をお守りするために在る」と言い切った影。
その姿は、王子の心を誇らしく震わせると同時に、どうしようもない痛みを与えていた。

王子は椅子から立ち上がり、ふらつく足取りで窓辺へ歩み寄る。
月光が頬を照らし、長い睫毛の影を白い肌に落とした。
震える吐息が、白く淡い光に滲んで消えていく。

「影。……私は、お前に……」

声が震えた。
言ってはならぬ言葉が、胸の奥からこみ上げてくる。
押し殺してきた願いが、熱に変わって零れ落ちようとしていた。

(言うな……王子であれば決して口にしてはならぬ言葉だ)
(だが……どうしても……どうしても……!)

胸が詰まり、呼吸が乱れる。
手がわずかに震え、月光を受けてきらめいた。

「私は……お前にまた、あの日のように抱かれたい」

吐息とともに、禁忌の言葉が溢れた。
熱に浮かされた夜の記憶。
自分を包み込み、火照りを鎮めてくれた感触。
それが夢か現実か、もうどうでもよかった。

「……お前に、ただの人間として見てほしい。
 一人の男として……お前の腕に抱かれたい」

喉が詰まり、声は掠れていた。
心臓は耳の奥で激しく脈打ち、理性をかき消そうとする。
願ってはならぬ。影は掟に縛られている。
だが、欲望はそれを越えて、胸の奥から込み上げてくる。

沈黙。

だが、影の気配がほんのわずかに揺れた。
それは王子の心をさらにかき乱す。

「……叶わぬことだとわかっているよ。
 お前に、そんなことを望むのは愚かだ。
 だが……もう隠し続けることも難しい」

拳を握りしめた手が白くなる。
頬を伝った雫が、衣に落ちて静かに滲んだ。

「私は……お前を、愛している」

最後の言葉はほとんど祈りのように零れた。
その瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなり、全身が痺れる。
言ってしまった――もう後戻りはできない。

王子の背に、冷たくも優しい気配が寄り添った。
言葉はない。沈黙の抱擁。
それは答えではなく、拒絶でもなく──ただ王子を守り続けるという影の誓いなのかもしれない。

「……」

王子は瞼を閉じた。
熱く滲む涙を拭わず、月光の下で呟く。

「……お前を愛し続けることを、どうか許して」

喉の奥から洩れた声は、震えながらも確かだった。
胸は痛みで潰れそうなのに、心の底では不思議な安堵も広がっていた。

月光の下、影は声を発さず、ただ一瞬だけ気配を濃くした。
それは、王子だけが感じ取れるかすかな震え。

掟という壁に遮られながらも、ふたりを結ぶ秘密の合図。
禁忌に触れた夜の告白は、沈黙の中に深く刻まれていった。
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