孤独な王子は影に恋をする

結衣可

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第9話 誓い

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その朝、王子は奇妙な静けさに目を覚ました。

「……え……影?」

呼びかけても、答えはない。
いつもなら、気配が確かにそこにある。
姿は見えずとも、守られている安堵があった。
だが今日は、空気の奥にあるはずの揺らぎさえなかった。

「……いない……?」

胸がざわめく。
初めて味わう「不在」。
これほどまでに心を乱されるとは、王子自身が驚いていた。

(おかしい……影は常に私の傍にあったはずだ……
 私の吐息ひとつすら、見逃さぬように……)

だが、どこにもいない。
昨夜の告白のせいだろうかと、愚かな想像が胸を刺す。
言ってしまった。愛していると。
これが拒絶の結果なのかもしれない。

王子は胸を押さえた。
心臓の鼓動が、いつもの何倍も速い。
冷たいはずの朝が、やけに息苦しく、背筋に汗が伝う。

(これほどに……影に囚われていたのか……私は)

理性は「王子としての務めを果たせ」と叫ぶ。
だが、心はただ「傍にいてくれ」と泣き叫んでいた。

その日、政務も稽古も、すべては虚ろだった。
臣下たちの言葉が耳に入らず、民の笑顔を前にしても、胸の奥は空洞のまま。
王子の視線は無意識に、柱の影、天井の梁、廊下の奥を探してしまう。
だが、そこに求める気配はなかった。

(……どうして……なぜ姿を消した……?)

昼が過ぎ、夕刻になっても答えはなく、夜が来ても影は戻らなかった。
王子は初めて、孤独という闇に呑まれそうになった。



翌朝、王から呼び出しがあった。
謁見の間に急いだ王子の胸は、不安と恐怖で押し潰されそうだった。

そこに立っていたのは――黒衣ではなく、軍装に身を包んだ一人の青年だった。
左眼を覆う布はまだ痛々しく、その白布には血の痕が滲んでいる。
だが、その姿は確かにあの影として傍にいた彼だった。

「父上……これは……」

声は掠れ、喉が震えていた。

王は厳かに答えた。

「この者は長くお前の影として務めを果たしてきた。
 だが、片目を失った今、影としては役不足となるだろう。
 しかし――この命を賭してお前を守った功績は大きい。
 ゆえに、この者を新たにお前の直属護衛騎士とすることを許す」

ざわめく廷臣たちの中で、青年は深く膝を折った。

「殿下……私はヴァレン公爵家が長子、アルディス・ヴァレン。
 かつて陛下より命を受け、名を伏せ、影として殿下を護ってまいりました。
 これよりは――殿下の側近として、その命を懸ける所存です」

「アルディス……」

王子は呆然とその名を口にした。
影ではなく、一人の人間としての名。
耳にした瞬間、胸が灼けるように熱くなり、足元が揺らぐ。

(お前の名を……私は何年も知らなかった……
 それなのに……ずっと、お前は私を守ってくれていた……)

王は続けた。

「お前が生まれたとき、公爵家の名を捨てお前の影になることを望んだのは、アルディス本人だ。
 幼子ながらに強く願うのでな。懐かしい話よ」

(……そんな前から……私を……?)

胸の奥に熱と痛みが混ざり、呼吸が苦しくなる。
無意識に視線がアルディスを追い、その片目を覆う布に釘付けになった。



青年――いや、かつての影は深く頭を垂れる。

「殿下。私はこれからも変わりなく、命を賭して殿下をお守りします。
 影としてではなく、殿下の隣に立つことを……どうかお許しください」

王子は一歩、彼に近づいた。
震える手を伸ばし、その右肩に触れる。

「許すも何も……それは、私がずっと望んでいたことだ」

左眼を失った彼の横顔に、光が射し込む。
影ではなく、ひとりの男として――王子の隣に立つ姿。

胸に押し寄せるのは安堵と歓喜、そして恐怖だった。
ようやく手に入った「特別」が、また奪われるのではないかと怯える自分がいた。

(欲してはいけない……王子としての理性はそう告げる……
 だが、もう……私はお前なしでは生きられない……!)

「……アルディス」

名を呼ぶ声は、涙を孕んで震えていた。
彼は深く頷き、その心に誓いを刻む。

──私はこの人を、命尽きるまで守る。

こうして二人の物語は、新たな誓いのもとに結ばれた。
王子の胸の奥では、理性と欲望の激しいせめぎ合いが続いていた。
「守られる王子」としてではなく、「愛される人間」として彼を欲する渇望が、もう止められそうになかった。
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