王弟の恋

結衣可

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第3話 使者の帰還

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 リアンが監視を始めて5日経った。
 その夜、雲は薄く裂け、冷たい月が庭を照らしていた。
 北棟の廊下を抜け、外に出ると、雪は昼の名残をわずかに地面へ残している。
 灯籠の火が一つ、2つ。風に揺れて、氷の息のように瞬いた。

 レイヴィスは外套の襟を指で整え、足を止めた。
 先にいたのはリアンだった。黒衣の背が、月光を受けて輪郭だけを際立たせている。
 彼は音に気づくと振り返り、常のとおり丁寧に頭を垂れた。

「殿下」

「今夜、王都に戻るのだろう?」

「夜明けとともに」

 短い言葉が、白い息になって空へ消えた。
 庭の中央、冬薔薇の低い垣根のそばまで歩く。
 雪解けの水が石畳に細い線を作り、月の色を曳いている。

「報告はすべて確認した。……そのまま報告してくれてかまわない」

 レイヴィスが言うと、リアンはわずかに目を伏せた。

「殿下」

 リアンは呼び、そして言い直す。

「いえ……レイヴィス様」

 名が、呼ばれる。
 それだけで胸が満たされ、呼吸が熱を帯びた。
 レイヴィスはその熱を深く仕舞い込む。

「もう行きなさい、リアン」

 風が二人の間を抜け、黒衣と外套の裾がかすかに触れ合う。
 リアンの喉仏が上下し、膝がわずかに折れかける。
 彼はこらえ、深く礼をとった。騎士の礼ではなく……。

「王命を背負う君を、私は誇りに思う。……道中、気をつけて」

「はい。――また必ずここに」

 リアンは踵を返し、廊下の闇に姿を溶かしていった。
 残された風が、わずかに黒衣の匂いを連れてくる。

 レイヴィスはしばらく立ち尽くし、息を整えた。
 彼の後ろ姿に仕舞い込んだはず熱が再び身体を支配する。
 心は行くなと叫んでいるようだった。

 ――リアン。私はどうしたら……。

 そう思いながら、彼は館へ戻った。

***

 朝の執務室は、いつものように整然としていた。
 補佐官ユリスが笑顔で紅茶を運び込み、隣には獣人の護衛ガルドが控えている。
 穏やかな日常――それは、ルーヴェンが誇るべき平和の象徴でもあった。

「領主様、こちらは港の交易記録です」

「ありがとう、ユリス。……ずいぶん賑わってきたね」

「はい。連邦の商人たちが冬支度の品を求めて、多く訪れています。あ、この書類、もう終わった分ですか?運んじゃいますね!」

「ユリス、重いから、ガルドに」

「う、わぁ」

 ユリスがレイヴィスの机にある書類の山を抱えた途端、バランスを崩した。
 すかさず横から大きな腕が伸び、彼を支えた。

「ユリス、気を付けろ」

「……ガルドさん!ありがとうございます」

 頬を少し赤らめるユリスを見て、レイヴィスは思わず口元を緩めた。
 若い二人のやり取りは、冬の陽だまりのように柔らかい。

 (あの頃の私たちには、こんな穏やかさはなかったな)

 頭に浮かんだ“私たち”という言葉に、レイヴィスは自ら驚いた。
 慌てて視線を手元の書類に落とす。
 リアンの姿が脳裏から離れない。
 あの静かな声、剣を持つ手、月の下で交わしたあの夜。

「領主様……?」

 ユリスの声で、我に返る。

「いや、何でもないよ。少し考え事をしていただけだ」

 笑みを返しながらも、胸の奥では静かに波が立っていた。

 ***

 昼下がり、レイヴィスは久しぶりに街へ降りた。
 雪がやみ、雲間からわずかに陽が差している。
 市場には果物や香草の香りが漂い、人と獣人が肩を並べて言葉を交わしていた。

 彼の統治の成果。
 確かにここは、“共生”の街として息づいている。
 それでも、どこか一角が空いているような気がしてならなかった。

 ふと、黒い外套を羽織った男が角を曲がる。
 心臓が跳ねた。

 「……リアン?」

 呼び止めかけた声が、白い息に溶ける。
 男は振り返ると、見知らぬ顔――旅の傭兵のようだ。

 レイヴィスの中で何かが静かにしぼむ。
 自分でも気づかないうちに、リアンの影を追っていた。

 「私は……何をしているのだろう」

 呟きながら、雪を踏みしめて歩く。
 風が頬を刺し、目頭が痛むのを冷たさのせいにした。

 ***

 夜、暖炉の火が低く揺れる執務室に、一通の書簡が届いた。
 封蝋には、王家の紋章。

 > 『第一近衛騎士リアン・ヴァルハルト帰還。ルーヴェンの監視報告は済。新たな任務の準備にあたらせる。』

 レイヴィスは文を読み終え、静かに目を閉じた。
 やはり――しばらく戻ることはないのだろう。
 王が彼を手放すはずもない。忠実で、実直な騎士だ。

 手紙を机に置く。
 ランプの灯が、インクの黒にゆらめいた。
 その影が、まるで彼の名の上を撫でているように見える。

「君は、いつも遠いな」

 誰に聞かせるでもなく、つぶやく。
 暖炉の火がぱちりと爆ぜ、返事のように火花を散らした。

 その音に誘われるように、レイヴィスは立ち上がり、窓辺へ歩く。
 薄雲の向こうに、欠け始めた月が浮かんでいる。

 硝子に手を触れた指先が、冷たさで震えた。

「君がいないことはこの3年で慣れたはずなのに」

 火の光がゆらぎ、部屋に淡い金が流れる。
 あの夜から――彼の心の中には、彼が息づいていた。

 そして、レイヴィスは思う。
 次にあの黒衣が戻るとき、自分はどんな顔で迎えられるだろうか。

「……ふ、”また”なんて期待させるようなことを」

 その言葉が夜に溶ける頃、雪は再び静かに降り始めた。
 ランプの灯を落とし、扉へ向かった。
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