元カノの弟と同居を始めます?

結衣可

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第2話 2人分の音

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 翌朝、スマホのアラームが鳴る前に目が覚めた。
 同居初日の緊張ってやつだろう。
 寝返りを打つと、リビングの方から微かな物音がした。
 まだ6時前。誰かが動いてる気配なんて、久しぶりだった。

 ドアを開けると、蒼がキッチンの前に立っていた。
 部屋着のまま、背伸びして棚を覗き込みながら「味噌……どこだろ」と小さくつぶやいている。

「おい、早いな」

「わっ! びっくりした……。
 おはようございます、篠原さん。あの、昨日“味噌汁作る”って言ってたから、先にお湯だけ沸かそうと思って」

 そう言って慌てて頭を下げた。
 肩までの髪が寝ぐせで跳ねていて、タオルで押さえた跡がそのまま残っている。
 なんてことない朝の光景なのに、見慣れていないせいか、妙に胸の奥がざわつく。

「俺がやるよ。朝は慣れてるから」

「でも、せっかく一緒に住んでるし、手伝いたいです」

「そうか……じゃあ、頼む。冷蔵庫の下の段から豆腐取って」

「了解です!」

 おどけた声に思わず笑ってしまう。
 鍋の中で出汁がふつふつと泡を立てる。
 味噌を溶かすときの香りが、静かな部屋に広がった。
 今まで一人で暮らしてきたときには感じなかった温度だ。

「味噌汁、ワカメでいいか?」

「大好きです。姉ちゃんもよく作ってました」

 姉ちゃん、か。
 名前を聞くたび、少しだけ胸の奥が冷える。
 でも蒼の口調は穏やかで、懐かしむような響きしかなかった。

「姉ちゃん、いつも濃い味が好きで。俺はちょっと薄め派なんですよね」

「俺も。塩分控えめ」

「同じですね」

 そんな他愛もないやり取りが、やけに楽しい。
 テーブルに二人分の味噌汁と焼き鮭を並べる。
 「いただきます」と声を合わせたとき、蒼がふっと笑った。

「なんか、変な感じですね。昨日まで他人だったのに、もう朝ごはん一緒に食べてるなんて」

「確かにな。……まぁ、人生ってそんなもんだ」

「篠原さん、そういう言い方、すごく大人っぽいですね」

「歳の差、感じる?」

「はい。でも、そういう考え方に救われたんだと思います。でなければ、きっとこの同居はなかった気がします。……だから、篠原さんのそういうところが好きです」

 そう言われて、箸が一瞬止まった。
 その一言が、変に響く。
 “弟”っていう距離のままにしておかないと、どこかで線がずれそうで怖いのに。

 蒼は食べ終えると、食器を持ってキッチンに立った。
 水道の音、食器を洗う手元。
 洗いながら鼻歌を歌っているのが、思いのほか心地いい。
 小さな音なのに、部屋の空気が柔らかくなっていく。

「俺が洗うよ。学生が気を遣うな」

「いえ、色々お世話になってますし。……こういうの、やってた方が落ち着くんです」

 振り返った横顔は、少し照れくさそうに笑っていた。
 ほんの数秒の間なのに、まるで時間が止まったみたいだった。

「まぁ……頼まれたからにはちゃんと面倒見るし、でも、あまり気を遣うな。疲れちまうぞ」

「はい……篠原さんも、ですよ?」

「そうだな、少しずつ慣れていこう」

 思わず二人で笑う。
 ほんの少し、肩の力が抜けた気がした。

***

 午前中、俺は出勤の準備をして、蒼は大学のオリエンテーションへ行く。
 玄関で靴を履く蒼と、ふと目が合う。

「鍵、ちゃんと閉めとけよ」

「はい。あ……篠原さん」

「ん?」

「朝ごはん、ありがとうございました。すごく美味しかったです」

「それは良かった」

「……明日も、一緒に食べられますか?」

 何気ない質問なのに、喉の奥が少し詰まる。
 笑って「当たり前だ」と返すのに、一拍遅れた。

「おう。起きられたらな」

「じゃあ、頑張って起きます。俺、篠原さんの味噌汁好きです」

「はいはい、学生はさっさと行け」

 蒼が靴ひもを結んで出ていく。
 扉が閉まると、部屋に静けさが戻った。
 それは今までにない、誰かと暮らしているからこそ感じられる心地よい静けさだった。
 キッチンに残った二つの茶碗を見て、苦笑する。

 ――まさか俺が、こんなことで癒される日が来るとはな。

 冷蔵庫を開けると、昨夜の弁当の残りと並んで、蒼が買ってきたと思われるプリンがあった。
 付箋が貼ってある。

 ――「篠原さんへ 甘いの食べてください」。

 思わず吹き出す。
 文字は少し丸くて、性格そのままだ。

「……お前、気が利くな」

 小さく呟いて、冷蔵庫を閉めた。
 スーツの上着を羽織りながら、心の奥で確かに思う。

 この同居、思っていたより厄介だ。
 放っておけないし、何より──

 この生活音のある朝に、もう戻れなくなる気がする。
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