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第13話 終わりの予感
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気づけば、同居を始めてから9か月が経とうとしていた。
最初の数週間は緊張の連続だったのに、今ではこの部屋のすべてが、当たり前の風景になっている。
朝のコーヒー、夜のソファ、食器を片づける音――どれも“聡さんといる音”だ。
でも、あと3か月。
もともと“1年の間だけ”という約束だった。
このまま何も言われなければ、終わってしまうのかな。
そう思うだけで、胸の奥が冷たくなる。
聡さんは優しい。
けれど、優しさの裏に“線”を感じるときがある。
それが“距離”なのか“思いやり”なのか、
俺にはまだ分からなかった。
この間まで聡さんとの距離が近づいたと思ったのに、1年という期限が現実に戻す。
聡さんの腕の中を知ってしまった。
彼の熱のある目を知ってしまった。
もう知らなかった頃には戻れないのに、聡さんがいない生活を送るなんて、自分にできるのだろうか。
少し前までは、いつ“終わりにしよう”と言われても大丈夫なように、大学の友人に頼んで部屋を探していた。
けれど最近は、その検索画面を開くたびに胸が痛くなって、苦しくて、手が止まるようになっていた。
そんなとき、スマホが鳴った。
画面には友人の名前。
慌ててリビングを出て、ベランダに出る。
夜風が冷たい。
「……うん、今ちょっとなら話せるよ」
向こうの声が、明るく響く。
『この前言ってた部屋、まだ空いてたよ!家賃も少し下がった!』
「そうなんだ……」
『見に行ってみる?次の休みとかどう?』
――“見に行く”。
その言葉を口に出そうとして、喉の奥で止まった。
「……ごめん、少し考えたい」
『え、どうしたの?』
「ううん、なんでもない。また連絡するね」
通話を切ると、胸のあたりが妙に痛かった。
ほんの数秒の会話なのに、息が浅くなる。
どうして、こんなに苦しいんだろう。
手すりに寄りかかって、少しだけ夜空を仰いだ。
冬が近いのに、空はやけに澄んでいる。
街の灯りが滲んで、視界がぼやけた。
――そのときだった。
「……部屋、って言ってたな」
背中越しに、低い声。
振り向くと、カーテンの隙間から聡さんが立っていた。
寝間着のまま、眉間に皺を寄せている。
「……起こしちゃいました?」
「いや、寝てなかった」
短い返事。その声の中に、いつもと違う何かが混じっていた。
「大学の友人が……ちょっと」
「手伝ってもらってるのか」
「え?」
「部屋探し。……一緒に住むのか、そいつと」
思わず息が詰まった。
声の温度が、ほんの少しだけ高い。
「違います」
「じゃあ、なんで“部屋探し”なんて」
「だって、1年だけの約束だったので――」
言いかけて、口が止まった。
聡さんの表情を見た瞬間、何かを飲み込むように唇を噛んだ。
「俺は出て行けなんて、言ってない」
「そうです。でも……」
目を伏せると、聡さんの足音が近づいた。
夜風が背中を撫でる。
思ったよりも、強く肩を掴まれた。
「蒼」
「……はい」
「俺が“終わり”なんて言うと思ったのか」
その言葉の重みが、胸に深く落ちた。
「……だって」
「終わりにするつもりなんて、もうとっくになかった」
息を呑む。
視線を上げた先、聡さんの目は少しだけ揺れていた。
「その友達と暮らすとか、
そういう話、聞いてたら――気が気じゃなかった」
「……え」
「勝手に胸がざわついた。
別の誰かとお前が同じ屋根の下にいるなんて、考えたくない」
いつも穏やかな声が、少しだけ震えていた。
心臓が高鳴る。
冷たい夜風の中で、熱を持っているのは自分の頬だけだった。
「……聡さん、それって」
「……嫉妬だ」
静かな告白みたいな言葉。
その一言で、世界が止まった。
「……俺もまだ整理ついてない。
でも、お前を誰かに渡したくないって、それだけは、はっきりしてる」
そう言って、そっと俺の手を握った。
指先が触れた瞬間、息が止まるほどに、優しかった。
「……ごめん、驚かせたな」
「……いいえ」
小さく首を振る。
もう言葉はいらなかった。
握られた手の中で、“1年”という言葉がゆっくりほどけていく。
夜が明けても、心臓の鼓動がまだ残っていた。
“渡したくない”――聡さんのあの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
うれしいはずなのに、どうしてか少し苦しかった。
ベランダで交わした視線の熱を思い出すたび、胸の奥がじんわり疼く。
***
カーテンの隙間から射し込む光。
台所からは、コーヒーの香り。
リビングに出ると、聡さんがマグカップを持って窓際に立っていた。
シャツの袖を少し捲り、ぼんやり外を見ている。
「おはようございます」
声をかけると、ゆっくり振り向いて「おはよう」と返された。
いつもと変わらない声。
でも、その“いつも”の中に、少しぎこちなさが混じっていた。
「昨日……ごめんなさい」
思わずそう口にした。
すると、聡さんは少し眉を寄せて言った。
「なんでお前が謝る」
「だって、俺、勝手に部屋探してて」
「お前の自由だろ」
「でも――」
「……俺のほうが、悪かった」
聡さんが小さく息を吐いて、マグカップをテーブルに置いた。
「変な言い方したな、昨日。
俺、ああいう言葉、あんまり上手くない」
「上手くなくても、伝わりました」
「……そうか」
小さく笑う。その笑顔が少しだけ照れていて、
目を逸らしたいような、でも見ていたいような。
「コーヒー淹れた。飲むか」
「はい」
差し出されたマグカップを受け取ると、指先が軽く触れた。
それだけで、また昨日の夜が蘇る。
“俺もまだ整理ついてない。
でも、お前を誰かに渡したくない。”
あの低い声。
そのときの表情。
全部が頭の中で鮮明に再生されて、胸が痛いほど高鳴った。
「……聡さん」
「ん」
「昨日のこと、嘘じゃないですよね」
「嘘ついてどうすんだ」
「じゃあ……嬉しかったです」
そう言うと、聡さんが少し目を見開いた。
その反応がかわいくて、つい笑ってしまう。
「……笑うな」
「だって、意外で」
「何がだ」
「聡さんが嫉妬するなんて」
「……俺だって人間だ」
「知ってます。……そういうところ、もっと見たいです」
少しだけ、沈黙。
それから、聡さんが息を吐いた。
「……調子に乗るな」
「は~い」
軽く笑いながら返すと、
ほんの一瞬、聡さんの口元も緩んだ。
***
出勤の準備をしている間、部屋の中に、どこか穏やかな空気が戻っていた。
昨日の夜みたいに張り詰めたものはもうない。
だけど、何かが確かに変わっている。
お互いの“存在”を意識してしまう、そんな静かな変化。
玄関で靴を履く聡さんが、ふと立ち止まって振り返った。
「蒼」
「はい」
「昨日の話、忘れなくていい」
「……はい」
「ただ、俺……まだ上手く言葉にできない」
「わかってます」
「だから……そのまま、ここにいろ」
その言葉に、小さく「はい」とだけ答えた。
目の奥が熱くなった。
何かを言おうとしたけれど、声が喉の奥で震えて出てこなかった。
靴音が遠ざかって、ドアが閉まる。
その音がして初めて、頬を伝った涙に気づいた。
泣いているのに、笑っていた。
“ここにいろ”――
それは、ただの言葉じゃなくて、
初めて聡さんからもらった“約束”のような気がした。
最初の数週間は緊張の連続だったのに、今ではこの部屋のすべてが、当たり前の風景になっている。
朝のコーヒー、夜のソファ、食器を片づける音――どれも“聡さんといる音”だ。
でも、あと3か月。
もともと“1年の間だけ”という約束だった。
このまま何も言われなければ、終わってしまうのかな。
そう思うだけで、胸の奥が冷たくなる。
聡さんは優しい。
けれど、優しさの裏に“線”を感じるときがある。
それが“距離”なのか“思いやり”なのか、
俺にはまだ分からなかった。
この間まで聡さんとの距離が近づいたと思ったのに、1年という期限が現実に戻す。
聡さんの腕の中を知ってしまった。
彼の熱のある目を知ってしまった。
もう知らなかった頃には戻れないのに、聡さんがいない生活を送るなんて、自分にできるのだろうか。
少し前までは、いつ“終わりにしよう”と言われても大丈夫なように、大学の友人に頼んで部屋を探していた。
けれど最近は、その検索画面を開くたびに胸が痛くなって、苦しくて、手が止まるようになっていた。
そんなとき、スマホが鳴った。
画面には友人の名前。
慌ててリビングを出て、ベランダに出る。
夜風が冷たい。
「……うん、今ちょっとなら話せるよ」
向こうの声が、明るく響く。
『この前言ってた部屋、まだ空いてたよ!家賃も少し下がった!』
「そうなんだ……」
『見に行ってみる?次の休みとかどう?』
――“見に行く”。
その言葉を口に出そうとして、喉の奥で止まった。
「……ごめん、少し考えたい」
『え、どうしたの?』
「ううん、なんでもない。また連絡するね」
通話を切ると、胸のあたりが妙に痛かった。
ほんの数秒の会話なのに、息が浅くなる。
どうして、こんなに苦しいんだろう。
手すりに寄りかかって、少しだけ夜空を仰いだ。
冬が近いのに、空はやけに澄んでいる。
街の灯りが滲んで、視界がぼやけた。
――そのときだった。
「……部屋、って言ってたな」
背中越しに、低い声。
振り向くと、カーテンの隙間から聡さんが立っていた。
寝間着のまま、眉間に皺を寄せている。
「……起こしちゃいました?」
「いや、寝てなかった」
短い返事。その声の中に、いつもと違う何かが混じっていた。
「大学の友人が……ちょっと」
「手伝ってもらってるのか」
「え?」
「部屋探し。……一緒に住むのか、そいつと」
思わず息が詰まった。
声の温度が、ほんの少しだけ高い。
「違います」
「じゃあ、なんで“部屋探し”なんて」
「だって、1年だけの約束だったので――」
言いかけて、口が止まった。
聡さんの表情を見た瞬間、何かを飲み込むように唇を噛んだ。
「俺は出て行けなんて、言ってない」
「そうです。でも……」
目を伏せると、聡さんの足音が近づいた。
夜風が背中を撫でる。
思ったよりも、強く肩を掴まれた。
「蒼」
「……はい」
「俺が“終わり”なんて言うと思ったのか」
その言葉の重みが、胸に深く落ちた。
「……だって」
「終わりにするつもりなんて、もうとっくになかった」
息を呑む。
視線を上げた先、聡さんの目は少しだけ揺れていた。
「その友達と暮らすとか、
そういう話、聞いてたら――気が気じゃなかった」
「……え」
「勝手に胸がざわついた。
別の誰かとお前が同じ屋根の下にいるなんて、考えたくない」
いつも穏やかな声が、少しだけ震えていた。
心臓が高鳴る。
冷たい夜風の中で、熱を持っているのは自分の頬だけだった。
「……聡さん、それって」
「……嫉妬だ」
静かな告白みたいな言葉。
その一言で、世界が止まった。
「……俺もまだ整理ついてない。
でも、お前を誰かに渡したくないって、それだけは、はっきりしてる」
そう言って、そっと俺の手を握った。
指先が触れた瞬間、息が止まるほどに、優しかった。
「……ごめん、驚かせたな」
「……いいえ」
小さく首を振る。
もう言葉はいらなかった。
握られた手の中で、“1年”という言葉がゆっくりほどけていく。
夜が明けても、心臓の鼓動がまだ残っていた。
“渡したくない”――聡さんのあの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
うれしいはずなのに、どうしてか少し苦しかった。
ベランダで交わした視線の熱を思い出すたび、胸の奥がじんわり疼く。
***
カーテンの隙間から射し込む光。
台所からは、コーヒーの香り。
リビングに出ると、聡さんがマグカップを持って窓際に立っていた。
シャツの袖を少し捲り、ぼんやり外を見ている。
「おはようございます」
声をかけると、ゆっくり振り向いて「おはよう」と返された。
いつもと変わらない声。
でも、その“いつも”の中に、少しぎこちなさが混じっていた。
「昨日……ごめんなさい」
思わずそう口にした。
すると、聡さんは少し眉を寄せて言った。
「なんでお前が謝る」
「だって、俺、勝手に部屋探してて」
「お前の自由だろ」
「でも――」
「……俺のほうが、悪かった」
聡さんが小さく息を吐いて、マグカップをテーブルに置いた。
「変な言い方したな、昨日。
俺、ああいう言葉、あんまり上手くない」
「上手くなくても、伝わりました」
「……そうか」
小さく笑う。その笑顔が少しだけ照れていて、
目を逸らしたいような、でも見ていたいような。
「コーヒー淹れた。飲むか」
「はい」
差し出されたマグカップを受け取ると、指先が軽く触れた。
それだけで、また昨日の夜が蘇る。
“俺もまだ整理ついてない。
でも、お前を誰かに渡したくない。”
あの低い声。
そのときの表情。
全部が頭の中で鮮明に再生されて、胸が痛いほど高鳴った。
「……聡さん」
「ん」
「昨日のこと、嘘じゃないですよね」
「嘘ついてどうすんだ」
「じゃあ……嬉しかったです」
そう言うと、聡さんが少し目を見開いた。
その反応がかわいくて、つい笑ってしまう。
「……笑うな」
「だって、意外で」
「何がだ」
「聡さんが嫉妬するなんて」
「……俺だって人間だ」
「知ってます。……そういうところ、もっと見たいです」
少しだけ、沈黙。
それから、聡さんが息を吐いた。
「……調子に乗るな」
「は~い」
軽く笑いながら返すと、
ほんの一瞬、聡さんの口元も緩んだ。
***
出勤の準備をしている間、部屋の中に、どこか穏やかな空気が戻っていた。
昨日の夜みたいに張り詰めたものはもうない。
だけど、何かが確かに変わっている。
お互いの“存在”を意識してしまう、そんな静かな変化。
玄関で靴を履く聡さんが、ふと立ち止まって振り返った。
「蒼」
「はい」
「昨日の話、忘れなくていい」
「……はい」
「ただ、俺……まだ上手く言葉にできない」
「わかってます」
「だから……そのまま、ここにいろ」
その言葉に、小さく「はい」とだけ答えた。
目の奥が熱くなった。
何かを言おうとしたけれど、声が喉の奥で震えて出てこなかった。
靴音が遠ざかって、ドアが閉まる。
その音がして初めて、頬を伝った涙に気づいた。
泣いているのに、笑っていた。
“ここにいろ”――
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初めて聡さんからもらった“約束”のような気がした。
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