15 / 17
第14話 はじめてキスした夜
しおりを挟む
休日の夕方、キッチンの窓から差し込む光が、淡いオレンジ色に変わり始めていた。
今日は珍しく二人とも休み。
近くのスーパーで食材を買い、のんびりと夕飯を作っていた。
「このピーマン、細く切る派ですか?」
「ざっくりでいい。食感残したほうがうまいだろ」
「なるほど」
包丁を持つ蒼の指先が器用に動く。
まっすぐな姿勢で、黙々と作業しているその横顔を見ていると、何度でも目が吸い寄せられた。
「……見てないで、手伝ってください」
「見てない」
「見てるじゃないですか」
「見てない」
「今、目が合いました」
笑いながら突っ込まれて、聡は思わず目を逸らした。
それでも頬がわずかに熱い。
「お前さ、そうやって喋るの、反則だろ」
「え?」
「……声が可愛すぎる」
思わず口から出た本音。
蒼は一瞬固まり、それから恥ずかしそうに笑った。
「……聡さん、そういうこと言うのずるいです」
「お前が先に挑発してんだろ」
「してません!」
小さな言い合いが、いつの間にか心地よくて、
笑いながら作った料理はいつもより美味しく感じた。
***
夜、皿を片づけたあと、二人でリビングに座っていた。
テレビの音はほとんど耳に入らない。
蒼が隣で、スリーブの袖をくるくるといじっている。
それが気になって、聡は自然に手を伸ばした。
「糸、出てる」
「え?」
袖の端に引っかかっていた小さなほつれを、指先でそっと押さえて引く。
近い。
気づいた瞬間、呼吸が浅くなった。
「……あ、ありがとうございます」
「あぁ」
そのまま手を離せばよかった。
けれど、指先が止まらなかった。
布の感触を追うように、手が蒼の手の甲をかすめる。
柔らかくて、あたたかい。
触れた途端、心臓の鼓動がはっきりと自分の耳に届いた。
蒼が小さく息を呑む。
それで我に返るはずだった。
なのに――手が動かない。
「……聡さん?」
「……悪い。……いや、悪くないかもしれない」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
ただ、その手を離したくなかった。
「お前と暮らし始めてから、ずっと我慢してた」
「……何を、ですか?」
「お前に、触れるのを」
その言葉と同時に、聡はそっと蒼の頬に指を伸ばした。
驚いたように目を瞬かせる蒼。
その頬を、指先でゆっくりなぞる。
「……思ってたより、柔らかいな」
「そ、そんな……こと言わないでください」
「言う。もう言わないほうが無理だ」
低い声が胸の奥に落ちて、蒼は息を詰めた。
「俺、自分がこんなふうになると思ってなかった」
「……こんな?」
「一度触れたら、止まれないとか、
……だから、お前を可愛いって思うたびに、怖くなる」
「怖い?」
「ああ。好きになるのが、怖かった」
その言葉を聞いた瞬間、蒼の目から涙がこぼれた。
「……俺は怖くないです」
「蒼」
「だって、聡さんがいるなら」
その言葉に、聡の手が無意識に蒼を引き寄せた。
胸のあたりに頬を預ける蒼。
その頭に手を置き、静かに撫でる。
「……もう、離さない」
「はい」
短く答えた声が、シャツの胸元に吸い込まれて消えた。
触れることを恐れていたはずなのに、触れた瞬間から愛しさが溢れ出した。
夜のリビングは、明かりを落とすと途端に静かになった。
外から聞こえるのは、遠くの車の音と、冷蔵庫の低い唸りだけ。
意識のほとんどが、隣にいる人の呼吸に奪われていた。
ほんの少し触れている肩。
その温度を意識しすぎて、まともに前を見ていられなかった。
「……眠いのか?」
隣から低い声が落ちた。
蒼は小さく首を振った。
「いえ、平気です」
「目、半分閉じてるぞ」
「だって……」
言いかけて、言葉が途切れた。
「……」
「……」
沈黙が落ちる。
でも、不思議と息苦しくはなかった。
画面の光がゆらゆら揺れて、その淡い明かりの中で、聡さんの横顔が浮かび上がる。
指先が無意識に動いて、シャツの袖をそっと掴んだ。
その小さな仕草に、聡さんの目がこちらを向いた。
「……どうした」
「なんでも……ないです」
そう言いながらも、離せなかった。
聡さんが少しだけ動いて、距離が縮まった。
息をするたび、相手の熱が届く。
「蒼」
「はい……」
「震えてる」
「……わかりません、なんか」
言葉にならない言葉。
聡さんが、そっと頬に触れた。
親指の腹で、震える肌をなぞる。
優しいのに、全身がしびれるようだった。
「……嫌じゃないか」
「嫌じゃ、ないです」
「ほんとに?」
「はい」
それだけで、聡さんの顔がゆっくりと近づいた。
目を閉じるタイミングもわからないほど、その距離は自然だった。
唇が触れた瞬間、世界が一瞬、音を失った。
柔らかくて、温かくて、でも嬉しさに頭が真っ白になりそうだった。
息を吸うたびに、心臓が跳ねる。
痛いくらいに鼓動が早くなって、胸の奥がいっぱいになる。
聡さんが一度唇を離して、小さく笑った。
「……これが、俺たちの“はじめて”だな」
「……はい」
蒼は顔を上げることができなかった。
目の奥が熱くて、視界がにじむ。
「泣いてるのか」
「はい……だって、嬉しくて」
その言葉に、聡さんの手がもう一度伸びてきた。
今度は、ゆっくり頭を撫でる。
「そうか」
「……聡さんは?」
「俺も、嬉しいよ」
もう一度、唇が重なった。
今度は少しだけ深く。
だけど、優しさは変わらない。
息を交わすたびに、
胸の奥に小さな火が灯るようで、
蒼はその光に包まれながら、
ただ静かに、目を閉じた。
今日は珍しく二人とも休み。
近くのスーパーで食材を買い、のんびりと夕飯を作っていた。
「このピーマン、細く切る派ですか?」
「ざっくりでいい。食感残したほうがうまいだろ」
「なるほど」
包丁を持つ蒼の指先が器用に動く。
まっすぐな姿勢で、黙々と作業しているその横顔を見ていると、何度でも目が吸い寄せられた。
「……見てないで、手伝ってください」
「見てない」
「見てるじゃないですか」
「見てない」
「今、目が合いました」
笑いながら突っ込まれて、聡は思わず目を逸らした。
それでも頬がわずかに熱い。
「お前さ、そうやって喋るの、反則だろ」
「え?」
「……声が可愛すぎる」
思わず口から出た本音。
蒼は一瞬固まり、それから恥ずかしそうに笑った。
「……聡さん、そういうこと言うのずるいです」
「お前が先に挑発してんだろ」
「してません!」
小さな言い合いが、いつの間にか心地よくて、
笑いながら作った料理はいつもより美味しく感じた。
***
夜、皿を片づけたあと、二人でリビングに座っていた。
テレビの音はほとんど耳に入らない。
蒼が隣で、スリーブの袖をくるくるといじっている。
それが気になって、聡は自然に手を伸ばした。
「糸、出てる」
「え?」
袖の端に引っかかっていた小さなほつれを、指先でそっと押さえて引く。
近い。
気づいた瞬間、呼吸が浅くなった。
「……あ、ありがとうございます」
「あぁ」
そのまま手を離せばよかった。
けれど、指先が止まらなかった。
布の感触を追うように、手が蒼の手の甲をかすめる。
柔らかくて、あたたかい。
触れた途端、心臓の鼓動がはっきりと自分の耳に届いた。
蒼が小さく息を呑む。
それで我に返るはずだった。
なのに――手が動かない。
「……聡さん?」
「……悪い。……いや、悪くないかもしれない」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
ただ、その手を離したくなかった。
「お前と暮らし始めてから、ずっと我慢してた」
「……何を、ですか?」
「お前に、触れるのを」
その言葉と同時に、聡はそっと蒼の頬に指を伸ばした。
驚いたように目を瞬かせる蒼。
その頬を、指先でゆっくりなぞる。
「……思ってたより、柔らかいな」
「そ、そんな……こと言わないでください」
「言う。もう言わないほうが無理だ」
低い声が胸の奥に落ちて、蒼は息を詰めた。
「俺、自分がこんなふうになると思ってなかった」
「……こんな?」
「一度触れたら、止まれないとか、
……だから、お前を可愛いって思うたびに、怖くなる」
「怖い?」
「ああ。好きになるのが、怖かった」
その言葉を聞いた瞬間、蒼の目から涙がこぼれた。
「……俺は怖くないです」
「蒼」
「だって、聡さんがいるなら」
その言葉に、聡の手が無意識に蒼を引き寄せた。
胸のあたりに頬を預ける蒼。
その頭に手を置き、静かに撫でる。
「……もう、離さない」
「はい」
短く答えた声が、シャツの胸元に吸い込まれて消えた。
触れることを恐れていたはずなのに、触れた瞬間から愛しさが溢れ出した。
夜のリビングは、明かりを落とすと途端に静かになった。
外から聞こえるのは、遠くの車の音と、冷蔵庫の低い唸りだけ。
意識のほとんどが、隣にいる人の呼吸に奪われていた。
ほんの少し触れている肩。
その温度を意識しすぎて、まともに前を見ていられなかった。
「……眠いのか?」
隣から低い声が落ちた。
蒼は小さく首を振った。
「いえ、平気です」
「目、半分閉じてるぞ」
「だって……」
言いかけて、言葉が途切れた。
「……」
「……」
沈黙が落ちる。
でも、不思議と息苦しくはなかった。
画面の光がゆらゆら揺れて、その淡い明かりの中で、聡さんの横顔が浮かび上がる。
指先が無意識に動いて、シャツの袖をそっと掴んだ。
その小さな仕草に、聡さんの目がこちらを向いた。
「……どうした」
「なんでも……ないです」
そう言いながらも、離せなかった。
聡さんが少しだけ動いて、距離が縮まった。
息をするたび、相手の熱が届く。
「蒼」
「はい……」
「震えてる」
「……わかりません、なんか」
言葉にならない言葉。
聡さんが、そっと頬に触れた。
親指の腹で、震える肌をなぞる。
優しいのに、全身がしびれるようだった。
「……嫌じゃないか」
「嫌じゃ、ないです」
「ほんとに?」
「はい」
それだけで、聡さんの顔がゆっくりと近づいた。
目を閉じるタイミングもわからないほど、その距離は自然だった。
唇が触れた瞬間、世界が一瞬、音を失った。
柔らかくて、温かくて、でも嬉しさに頭が真っ白になりそうだった。
息を吸うたびに、心臓が跳ねる。
痛いくらいに鼓動が早くなって、胸の奥がいっぱいになる。
聡さんが一度唇を離して、小さく笑った。
「……これが、俺たちの“はじめて”だな」
「……はい」
蒼は顔を上げることができなかった。
目の奥が熱くて、視界がにじむ。
「泣いてるのか」
「はい……だって、嬉しくて」
その言葉に、聡さんの手がもう一度伸びてきた。
今度は、ゆっくり頭を撫でる。
「そうか」
「……聡さんは?」
「俺も、嬉しいよ」
もう一度、唇が重なった。
今度は少しだけ深く。
だけど、優しさは変わらない。
息を交わすたびに、
胸の奥に小さな火が灯るようで、
蒼はその光に包まれながら、
ただ静かに、目を閉じた。
10
あなたにおすすめの小説
透きとおる泉
小貝川リン子
BL
生まれる前に父を亡くした泉。母の再婚により、透という弟ができる。同い年ながらも、透の兄として振る舞う泉。二人は仲の良い兄弟だった。
ある年の夏、家族でキャンプに出かける。そこで起きたとある事故により、泉と透は心身に深い傷を負う。互いに相手に対して責任を感じる二人。そのことが原因の一端となり、大喧嘩をしてしまう。それ以降、まともに口も利いていない。
高校生になった今でも、兄弟仲は冷え切ったままだ。
愛と猛毒(仮)
万里
BL
オフィスビルの非常階段。冷え切った踊り場で煙草をくゆらせる水原七瀬(みずはらななせ)は、部下たちのやり取りを静かに見守っていた。 そこでは村上和弥(むらかみかずや)が、長年想い続けてきた和泉に別れを告げられていた。和泉は「ありがとう」と優しく微笑みながらも、決意をもって彼を突き放す。和弥は矜持を守ろうと、営業スマイルを貼り付けて必死に言葉を紡ぐが、その姿は痛々しいほどに惨めだった。
和泉が去った後、七瀬は姿を現し、冷徹な言葉で和弥を追い詰める。 「お前はただの予備だった」「純愛なんて綺麗な言葉で誤魔化してるだけだ」――七瀬の毒舌は、和弥の心を抉り、憎悪を引き出す。和弥は「嫌いだ」と叫び、七瀬を突き放して階段を駆け下りていく。
「……本当、バカだよな。お前も、俺も」
七瀬は独り言を漏らすと、和弥が触れた手首を愛おしそうに、そして自嘲気味に強く握りしめた。
その指先に残る熱は、嫌悪という仮面の下で燃え盛る執着の証だった。 毒を吐き続けることでしか伝えられない――「好きだ」という言葉を、七瀬は永遠に飲み込んだまま、胸の奥で腐らせていた。
【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
【完結】君の穿ったインソムニア
古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。
純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。
「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」
陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。
思い出して欲しい二人
春色悠
BL
喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。
そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。
一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。
そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。
青龍将軍の新婚生活
蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。
武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。
そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。
「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」
幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。
中華風政略結婚ラブコメ。
※他のサイトにも投稿しています。
僕を守るのは、イケメン先輩!?
八乙女 忍
BL
僕は、なぜか男からモテる。僕は嫌なのに、しつこい男たちから、守ってくれるのは一つ上の先輩。最初怖いと思っていたが、守られているうち先輩に、惹かれていってしまう。僕は、いったいどうしちゃったんだろう?
あなたのいちばんすきなひと
名衛 澄
BL
亜食有誠(あじきゆうせい)は幼なじみの与木実晴(よぎみはる)に好意を寄せている。
ある日、有誠が冗談のつもりで実晴に付き合おうかと提案したところ、まさかのOKをもらってしまった。
有誠が混乱している間にお付き合いが始まってしまうが、実晴の態度はいつもと変わらない。
俺のことを好きでもないくせに、なぜ付き合う気になったんだ。
実晴の考えていることがわからず、不安に苛まれる有誠。
そんなとき、実晴の元カノから実晴との復縁に協力してほしいと相談を受ける。
また友人に、幼なじみに戻ったとしても、実晴のとなりにいたい。
自分の気持ちを隠して実晴との"恋人ごっこ"の関係を続ける有誠は――
隠れ執着攻め×不器用一生懸命受けの、学園青春ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる