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エドガー・フォード
恋ではない──王と騎士
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王配の兄が来ると聞いたのは、執務の合間だった。秋の風が、窓の外の色づいた木の葉を揺らしていた。
「エドガー・フォード卿が、本日王宮に来られるとのことです」
ハイルがそう告げたとき、レオナルトは、薄く眉を動かしたにすぎなかった。
ただ、内心は──やや騒がしかった。
王配の兄。弟と抱き合い、微笑んでいた、あの男。長身で、黒に近い栗色の髪を結い上げた美貌の騎士。そして、表紙の男。
「……兄弟仲が良いのは、結構なことだ」
その言葉の裏にある感情を、ハイルは察していたかもしれないが、何も言わず、一礼して下がった。
──嫉妬? いや、違う。あれは“血縁者”なのだから。
だが、なぜだろう。あの柔らかな笑みを思い出すと、胸の奥がざわつく。
あの男が、シリルを抱きしめる資格を持っていたこと。長い時間、弟を想い続けていたこと。
そのすべてが、微かに……いや、妙に癇に障る。
◆
「陛下。弟が、たいへんお世話になっております」
応接の間で対面したエドガー・フォード卿は、凛とした立ち姿で頭を垂れた。
その姿は、気品に満ちていた。
軍服ではないが、黒に金の縁取りをあしらった正装は、品よく騎士的で──見ていて不快どころか、どこか絵画のようだとすら思わせる。
……美しい。
だが、それが癪に障る。レオナルトは儀礼上の丁重さを保ちつつも、心の動揺に耐えきれず、視線を逸らした。
「王配である以上、丁重に遇するのは当然だ」
「恐縮です。……弟は、以前よりずっと明るくなりました」
ふと、視線が重なった。
その瞳は、琥珀。シリルとよく似ている。だが、形はもう少し涼しげで、まなざしには余裕がある。柔らかく笑うその顔に──どこか、胸の内がかき乱されるのを感じた。
なぜだ。どうして、今になって見惚れている自分に気づいたのだ。
◆夜/執務室にて
その夜、エドガーは用件があって執務室を訪れた。
政治的な報告、貴族間の調整、そして国外の動き──要するに、できる男だった。
何よりも、多くを語らずとも意図が通じるのが心地よかった。その感覚は、滅多にない。
話がひと段落したあと、彼はレオナルトがすすめたワインのグラスを傾けながら、こう言った。
「……本当に、弟を守ってくださっているのですね」
「当然だ。俺の隣に立つ者だ」
エドガーは微笑んだ。その微笑みには、祝福と、弟を手放した寂しさが混ざっているように見えた。
「……貴方のような方で、よかった」
その一言が、思った以上に深く刺さった。心の奥が、妙にくすぐったい。
──この気持ちは、何だ?
エドガーは語った。一杯のワインに心地良く酔っていたのかもしれない。いつになく饒舌だった。それとも、シリルと同じで、普段からこうした率直なものいいをするのか。
「レオナルト・ヴァイス公爵。かつて、うわさに聞いていた彼は“恐怖の象徴”でした。冷たい、紫の瞳。黙っていても場を制する威圧感。だが、今、目の前にいる陛下は、その強さは変わらないのに何かが違う。シリルのせいで、変わられたのでしょうか? 陛下は今、人を想い、人に愛される王となられた。そのことに、胸が熱くなります。王配陛下は、幸せなのだなと思います。それを確認できただけでも、この再会には意味があったと思います」
◆
その晩、眠れぬまま、レオナルトはひとり、書斎にこもり、書類を眺めていた。
ふと、エドガーの言葉が脳裏をよぎる。
──「貴方のような方で、よかった」
その言葉を繰り返すたびに、その滋味が甘い蜜のように胸に広がっていく。
(違う。これは恋ではない)
だが、あの騎士を美しいと思ったのは事実。シリルと共に育った時間を羨ましくも思った。
(エドガーは、美しい男だ……)
その思いを振り払おうとしたとき、扉がノックされた。
「王様、まだ起きてらしたんですか?」
シリルの声だった。あの琥珀色の、真っ直ぐな瞳をした、妻、王配。
「……少し考え事をしていただけだ」
そしてレオナルトは、愛しい王配を抱き寄せながら、心の中でそっと呟いた。
──エドガーへの思いは恋ではない。ただ、少し……眩しかっただけだ。
「エドガー・フォード卿が、本日王宮に来られるとのことです」
ハイルがそう告げたとき、レオナルトは、薄く眉を動かしたにすぎなかった。
ただ、内心は──やや騒がしかった。
王配の兄。弟と抱き合い、微笑んでいた、あの男。長身で、黒に近い栗色の髪を結い上げた美貌の騎士。そして、表紙の男。
「……兄弟仲が良いのは、結構なことだ」
その言葉の裏にある感情を、ハイルは察していたかもしれないが、何も言わず、一礼して下がった。
──嫉妬? いや、違う。あれは“血縁者”なのだから。
だが、なぜだろう。あの柔らかな笑みを思い出すと、胸の奥がざわつく。
あの男が、シリルを抱きしめる資格を持っていたこと。長い時間、弟を想い続けていたこと。
そのすべてが、微かに……いや、妙に癇に障る。
◆
「陛下。弟が、たいへんお世話になっております」
応接の間で対面したエドガー・フォード卿は、凛とした立ち姿で頭を垂れた。
その姿は、気品に満ちていた。
軍服ではないが、黒に金の縁取りをあしらった正装は、品よく騎士的で──見ていて不快どころか、どこか絵画のようだとすら思わせる。
……美しい。
だが、それが癪に障る。レオナルトは儀礼上の丁重さを保ちつつも、心の動揺に耐えきれず、視線を逸らした。
「王配である以上、丁重に遇するのは当然だ」
「恐縮です。……弟は、以前よりずっと明るくなりました」
ふと、視線が重なった。
その瞳は、琥珀。シリルとよく似ている。だが、形はもう少し涼しげで、まなざしには余裕がある。柔らかく笑うその顔に──どこか、胸の内がかき乱されるのを感じた。
なぜだ。どうして、今になって見惚れている自分に気づいたのだ。
◆夜/執務室にて
その夜、エドガーは用件があって執務室を訪れた。
政治的な報告、貴族間の調整、そして国外の動き──要するに、できる男だった。
何よりも、多くを語らずとも意図が通じるのが心地よかった。その感覚は、滅多にない。
話がひと段落したあと、彼はレオナルトがすすめたワインのグラスを傾けながら、こう言った。
「……本当に、弟を守ってくださっているのですね」
「当然だ。俺の隣に立つ者だ」
エドガーは微笑んだ。その微笑みには、祝福と、弟を手放した寂しさが混ざっているように見えた。
「……貴方のような方で、よかった」
その一言が、思った以上に深く刺さった。心の奥が、妙にくすぐったい。
──この気持ちは、何だ?
エドガーは語った。一杯のワインに心地良く酔っていたのかもしれない。いつになく饒舌だった。それとも、シリルと同じで、普段からこうした率直なものいいをするのか。
「レオナルト・ヴァイス公爵。かつて、うわさに聞いていた彼は“恐怖の象徴”でした。冷たい、紫の瞳。黙っていても場を制する威圧感。だが、今、目の前にいる陛下は、その強さは変わらないのに何かが違う。シリルのせいで、変わられたのでしょうか? 陛下は今、人を想い、人に愛される王となられた。そのことに、胸が熱くなります。王配陛下は、幸せなのだなと思います。それを確認できただけでも、この再会には意味があったと思います」
◆
その晩、眠れぬまま、レオナルトはひとり、書斎にこもり、書類を眺めていた。
ふと、エドガーの言葉が脳裏をよぎる。
──「貴方のような方で、よかった」
その言葉を繰り返すたびに、その滋味が甘い蜜のように胸に広がっていく。
(違う。これは恋ではない)
だが、あの騎士を美しいと思ったのは事実。シリルと共に育った時間を羨ましくも思った。
(エドガーは、美しい男だ……)
その思いを振り払おうとしたとき、扉がノックされた。
「王様、まだ起きてらしたんですか?」
シリルの声だった。あの琥珀色の、真っ直ぐな瞳をした、妻、王配。
「……少し考え事をしていただけだ」
そしてレオナルトは、愛しい王配を抱き寄せながら、心の中でそっと呟いた。
──エドガーへの思いは恋ではない。ただ、少し……眩しかっただけだ。
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