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誰かが誰かを愛している ~蛍視点~
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相手の羽織っていたコートと背広を掴み、背中に被せる。
カサッと音がし、昭弘の背広の内ポケットから何かが落ちた。昭弘を抱え、手を伸ばす。二つ折りにされた長方形の紙は絵画の個展のチケットだった。
「浩平の?」
こんな状態で行ったのか? それとも、こんな状態だから行ったのか?
三田がこちらを応援してくれる側でよかったと、心底、思う。昭弘が彼を特別な地位に置いているのは、確かだからだ。信頼度も、生活力も、包容力も、彼には敵わない。
チケットを昭弘の内ポケットに戻し、腕の中のぬくもりに集中する。誰かが吸った煙草の移り香がした。そのまま、昭弘を抱きしめて目を瞑り、眠ろうとしてできなかった。
どうやら、自分は好きな男が心を許し、身を預けてくれただけでは物足りない人間のようだ。
昭弘を、自分がいなければ生きていけないような体にしたい。
そんな性癖を、本人には怖くて言えない。
午前五時にカラオケボックスを出て、昭弘を送るために駅へと向かった。一睡もせずに浴びる朝日は強烈に眩しかった。昭弘は三時間程度だが、眠れたと思う。その間、蛍は脳裏で憲法の条文を整理し、自分が間違えた過去問を思い出してやり過ごした。大学へ着いたなら、少し休もう。講義に差支えが出ないように。
駅のロータリーで立ちどまる。バスもなく静かだった。
「一人で帰れる?」
「お前は?」
「今日は聞きたい講義があるから、大学へ行く」
「そうか……」
昭弘は視線をそらし、黙った。いっこうに帰ろうとしない相手に、蛍は眉を上げた。
「どうした?」
昭弘は肩の力を抜き、
「だいぶ遅れたが」
と蛍を見つめた。
「大学合格おめでとう」
腹がぐっと縮まり、肺が酸素をたらふくため込む。大学に受かったことを、初めて実感した。大学に受かって嬉しいと、やっと思えた。
「ありがとう」
蛍は口角を上げた。
* * *
昭弘と別れ、喫茶店でモーニング付きのコーヒーを頼んだ。トーストを片手に暗記カードの問題を解いていく。鞄の中から携帯電話のバイブ音が聞こえた。液晶画面を確認する。
父からだった。
「電話をもらったようだが」
安否を心配するメールと電話の着信が、両手では数えきれないほど送られていたことに気づいたのは、昭弘を送ってからだった。すぐに電話をかけたが、繋がらず、連絡が遅くなったことへの謝罪と無事でいること、このまま大学へ出ることを、メールで伝えた。
「悪かった。仕事が立て込んでいてとれなかった。どんな用件だ?」
携帯電話には、メールと電話の着信が両方残る。こちらがメール送信の際、電話をした理由を含んだメッセージにしなかったため、父は別件で電話をかけてきたのだと思ったのだろう。父にそのことを伝え、紛らわしいことをしてしまったことに対して謝った。
「それと、昨日はごめん」
「無事ならいいんだ。だが、帰ったら、母さんにはよく謝っておけ。お前のことを、早朝まで寝ずに待っていた」
じわりと心臓に染みた。
「わかった。母さんにはちゃんと話をする。……父さん」
「なんだ?」
「教えてくれて、ありがとう」
携帯電話の先で、父が笑んだような気がした。
「今、どこにいる?」
「喫茶店にいる」
「大学が始まるまでには、まだ時間がある」
父は店を指定し、そこへ行くように言った。蛍は了承し、電話を切った。父に昭弘のことを言う、またとない機会だと思った。
だが、昔の男と共にいようとする息子に、彼は頷いてくれるだろうか。
喉に通したコーヒーが体の一部に変わっていく。
昭弘と生きると決めた決意が、じわじわと現実の自分に同化していく。
カサッと音がし、昭弘の背広の内ポケットから何かが落ちた。昭弘を抱え、手を伸ばす。二つ折りにされた長方形の紙は絵画の個展のチケットだった。
「浩平の?」
こんな状態で行ったのか? それとも、こんな状態だから行ったのか?
三田がこちらを応援してくれる側でよかったと、心底、思う。昭弘が彼を特別な地位に置いているのは、確かだからだ。信頼度も、生活力も、包容力も、彼には敵わない。
チケットを昭弘の内ポケットに戻し、腕の中のぬくもりに集中する。誰かが吸った煙草の移り香がした。そのまま、昭弘を抱きしめて目を瞑り、眠ろうとしてできなかった。
どうやら、自分は好きな男が心を許し、身を預けてくれただけでは物足りない人間のようだ。
昭弘を、自分がいなければ生きていけないような体にしたい。
そんな性癖を、本人には怖くて言えない。
午前五時にカラオケボックスを出て、昭弘を送るために駅へと向かった。一睡もせずに浴びる朝日は強烈に眩しかった。昭弘は三時間程度だが、眠れたと思う。その間、蛍は脳裏で憲法の条文を整理し、自分が間違えた過去問を思い出してやり過ごした。大学へ着いたなら、少し休もう。講義に差支えが出ないように。
駅のロータリーで立ちどまる。バスもなく静かだった。
「一人で帰れる?」
「お前は?」
「今日は聞きたい講義があるから、大学へ行く」
「そうか……」
昭弘は視線をそらし、黙った。いっこうに帰ろうとしない相手に、蛍は眉を上げた。
「どうした?」
昭弘は肩の力を抜き、
「だいぶ遅れたが」
と蛍を見つめた。
「大学合格おめでとう」
腹がぐっと縮まり、肺が酸素をたらふくため込む。大学に受かったことを、初めて実感した。大学に受かって嬉しいと、やっと思えた。
「ありがとう」
蛍は口角を上げた。
* * *
昭弘と別れ、喫茶店でモーニング付きのコーヒーを頼んだ。トーストを片手に暗記カードの問題を解いていく。鞄の中から携帯電話のバイブ音が聞こえた。液晶画面を確認する。
父からだった。
「電話をもらったようだが」
安否を心配するメールと電話の着信が、両手では数えきれないほど送られていたことに気づいたのは、昭弘を送ってからだった。すぐに電話をかけたが、繋がらず、連絡が遅くなったことへの謝罪と無事でいること、このまま大学へ出ることを、メールで伝えた。
「悪かった。仕事が立て込んでいてとれなかった。どんな用件だ?」
携帯電話には、メールと電話の着信が両方残る。こちらがメール送信の際、電話をした理由を含んだメッセージにしなかったため、父は別件で電話をかけてきたのだと思ったのだろう。父にそのことを伝え、紛らわしいことをしてしまったことに対して謝った。
「それと、昨日はごめん」
「無事ならいいんだ。だが、帰ったら、母さんにはよく謝っておけ。お前のことを、早朝まで寝ずに待っていた」
じわりと心臓に染みた。
「わかった。母さんにはちゃんと話をする。……父さん」
「なんだ?」
「教えてくれて、ありがとう」
携帯電話の先で、父が笑んだような気がした。
「今、どこにいる?」
「喫茶店にいる」
「大学が始まるまでには、まだ時間がある」
父は店を指定し、そこへ行くように言った。蛍は了承し、電話を切った。父に昭弘のことを言う、またとない機会だと思った。
だが、昔の男と共にいようとする息子に、彼は頷いてくれるだろうか。
喉に通したコーヒーが体の一部に変わっていく。
昭弘と生きると決めた決意が、じわじわと現実の自分に同化していく。
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