父の男

上野たすく

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誰かが誰かを愛している ~蛍視点~

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 大学の学生食堂でパンを齧りながら、司法書士試験のあとに行われる大学の定期試験対策のため、英語の教科書と格闘していると肩を叩かれた。
「隣、いいかい?」
 鈴木教授だった。トレーにランチセットをのせている。
「はい」
 蛍は散らかった本やノートをかき集めた。教授は椅子に座り、日替わりランチに手を合わせた。
 蛍は教科書を閉じ、ペットボトルに口をつけた。
 正直、身構えていた。席は他にも空いている。彼が声をかけてきたのは何か話があるからだ。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。渋谷君」
 教授は蛍の中に父を見つけていた。
「父のこと、よくわかりましたね」
「だって、お父さんに似すぎだよ、君」
 ズキリと心臓の傷口が開いた気がした。
 父から受け継いだ容姿は、女に声をかけるにはうってつけだった。だけど、この容姿でよかったと思ったことは、一度もない。
 昭弘がいくら自分と父は違う人間だ、と言ったとしても、父を知っている人間から見れば、自分は若かりし日の父を回顧させる道具なのだ。蛍を蛍として見てくれているわけではない。法律の世界に足を踏み込めば、その目はもっと多くなるだろう。
「君のお父さんは主席で美男子で、必要なこと以外はまったくしゃべらなくて、周囲から浮きまくっていたっけね。あんな親を持つと大変だね」
 豪快に笑われる。他の学生の視線を気にし、止めようとするが、聞こうとしない。
「そうそう。このあいだ、君のお父さんの友人と、大学のテミス像のところで会ってね。テミスは目隠しをしているものとしていないものがあるけど、自分は後者が好きだと言うんだよ。物事の全体を見て判断をする。剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力って教えられるけど、言うは易し、行うは難し。身に染みたって」
 口角を上げられ、これが本題だと顎を引いた。
「君のことは彼から聞いたんだ。よろしく頼むと言われたよ」
 昭弘か? 
 木崎に呼びだされた日、教授と話をしたのだろうか? 
「彼のことも、君のお父さん繋がりで知っていたけど、いやあ、なんだか雰囲気が変わったねえ。前は、もっと、こう、内から湧き上がるようなものがあった気がしたんだけどね」
「はあ……」
「絵で生きていきたいって話してくれたときの彼は、きらきらしていたなあ」
「絵……ですか?」
 男は小さく頷いた。
「三田君に伝えて欲しいんだ。いつでも、ここに来ればいいってね。芸術家はナーバスになりやすいみたいだから、気分転換は大事だよって」
 男は微笑し、
「じゃあ、よろしく頼んだよ。渋谷蛍君」
 と腰を上げた。
「あ! あの……」
 椅子から立ち上がる。相手はこちらの声に振り返った。
 彼の瞳には自分がはっきりと映っていた。表情は先ほどと変わらないのに、息をするのが楽になる。
 蛍は唇を伸ばした。
「いえ、三田さんには必ず伝えます」
 男は笑顔で首肯した。
「うん。よろしく頼んだよ」
 蛍は頭を下げ、彼を見送った。
 椅子に座ろうとし、傍にいた大柄な体にびくりとした。
「横、いいか?」
 言いながら、木崎は椅子を後ろへと引いた。
「英語、恐ろしく範囲が広いな」
 蛍は彼の隣に座り、相槌をうった。
「やるしかないのは、痛いほどわかっているのだが」
 相手の顔に疲労が濃く出ていた。
 三田は生粋の日本人のくせに、英語がネイティブ並にできる。教授からの伝言もあるし……。
「気晴らしにでも行くか?」
 木崎が目を見開けた。
「ちょっと教授から事伝えを頼まれてさ。いつでもよかったんだけど、その人、英語ができるから、ついでにお前の勉強を見てくれるよう、頭下げてやるよ? まっ! 連絡してないから、会えるかどうかもわからないし、会えたとしても断られる可能性の方が大きいけど、それでもよければ」
 らしくないことを言ったことは承知している。
 だが、あからさま過ぎるだろう、お前。
 蛍は友人の笑みに頬を赤くして唇を噛んだ。
 携帯電話を手にし、これからそっちへ行く、と三田へメールを打つ。
 画面に送信完了の文字が現れるのを確認し、携帯電話を鞄へ仕舞った。
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