75 / 78
カップの秘密
3
しおりを挟む
「俺達は良くも悪くも四人だった。だから、お前から大学を辞めるって聴かされたとき、俺ん中の未来絵図が歪んじまった。勉強すればするほど、お前を置き去りにしていっているような気がした。だけど、俺は勉強することを許された環境にいて、気が抜けたからといって、勉強をしないことは、したくてもできないお前への、もっとも残酷な裏切り方だと思った。俺は、何度も、お前に考え直すよう、言おうとした。勉強なんて、どこでもできる。大学辞めても、司法試験は受けられるだろって。桜井は新しい未来に焦点を合わせてんのに、馬鹿だよな」
笑った相手に、昭弘は目を伏せて微笑み、小さく首を左右した。
友人は口角を上げ、瞼を閉じ、開けた。
「ずるずる勉強しているとき、なんとなく美術館へ行った。文字ばっか見てたからか、新鮮でさ。胸が高鳴った。絵を描きたい。他人から強制されるわけでもなく、将来のためでもなく、やりたいって気持ちだけが湧きあがったのは、生まれて初めてだった。お前がなに考えてんのか、わかんねえけど、俺は俺の直観に従っただけだ」
テーブルへ戻った男はフォークでケーキを突き刺した。
昭弘は唇を伸ばし、洗面所へと歩いた。
育児と仕事で疲労をしていたとき、三田はこちらを気にかけてくれた。
勉強をやめたから時間があると、自ら蛍の世話を買って出てくれたことだってある。
洗面所でタオルの茶色いシミを揉む。
茶色く濁った水が排水溝に流れていく。
三田が決めたことだ。
昭弘は介入していない。
だけど、彼が選んだ未来に救われた。
そして、もしかしたら、彼はこちらの寂しさを感知したのかもしれない。
自分はそうやって、人の未来に影響してきたんじゃないだろうか?
高校時代の友人が言ったように、視線や仕草、言動や声色、すべてで。
自分が意図しなくとも……。
「おい、スマホ、鳴ってんぞ」
我に返り、蛇口を閉める。
タオルを絞って洗濯機へ入れ、リビングへ戻ると、三田からスマートホンを手渡された。
「……ありがとう」
三田は微笑し、小さく頷いた。
吉村からの着信だった。
珍しい。
スマートホンを耳に当てる。
「夜分にすみません」
「いや。どうした?」
「加賀島さんから連絡をもらいました。先輩、河原という司法書士をご存じですね?」
吉村は、河原が加賀島に暴行し、逃亡していると言った。
加賀島は、河原の罪を口にし、男が赤城庄次に執着をしていることと、蛍を目の敵にしていることをも、吉村に話したらしかった。
蛍に電話を替われと言う吉村に対し、昭弘は中野京子のメモに載っていた住所を告げた。
それからは、脳と現実が別次元にいるようだった。
三田に謝罪をし、鍵を預けて、外へ駆け出し、タクシーを捕まえた。
赤城のアパートへ着くと、吉村はすでに背の高い若い男性の刑事と共に、赤城の部屋を訪問していた。
赤城はのっぽの刑事から河原が事件を起こし、こちらへ来る可能性があると聴き、蒼白になった。
蛍は帰ったと、彼は震えた。
昭弘は礼を言い、階段を駆け下りた。
吉村が相棒の刑事に残るよう指示を出し、こちらへ走ってくる。
途中、コンクリートに血液を見つけ、崩れそうになる四肢を叱咤した。
蛍を失う恐怖は、何よりも怖かった。
笑った相手に、昭弘は目を伏せて微笑み、小さく首を左右した。
友人は口角を上げ、瞼を閉じ、開けた。
「ずるずる勉強しているとき、なんとなく美術館へ行った。文字ばっか見てたからか、新鮮でさ。胸が高鳴った。絵を描きたい。他人から強制されるわけでもなく、将来のためでもなく、やりたいって気持ちだけが湧きあがったのは、生まれて初めてだった。お前がなに考えてんのか、わかんねえけど、俺は俺の直観に従っただけだ」
テーブルへ戻った男はフォークでケーキを突き刺した。
昭弘は唇を伸ばし、洗面所へと歩いた。
育児と仕事で疲労をしていたとき、三田はこちらを気にかけてくれた。
勉強をやめたから時間があると、自ら蛍の世話を買って出てくれたことだってある。
洗面所でタオルの茶色いシミを揉む。
茶色く濁った水が排水溝に流れていく。
三田が決めたことだ。
昭弘は介入していない。
だけど、彼が選んだ未来に救われた。
そして、もしかしたら、彼はこちらの寂しさを感知したのかもしれない。
自分はそうやって、人の未来に影響してきたんじゃないだろうか?
高校時代の友人が言ったように、視線や仕草、言動や声色、すべてで。
自分が意図しなくとも……。
「おい、スマホ、鳴ってんぞ」
我に返り、蛇口を閉める。
タオルを絞って洗濯機へ入れ、リビングへ戻ると、三田からスマートホンを手渡された。
「……ありがとう」
三田は微笑し、小さく頷いた。
吉村からの着信だった。
珍しい。
スマートホンを耳に当てる。
「夜分にすみません」
「いや。どうした?」
「加賀島さんから連絡をもらいました。先輩、河原という司法書士をご存じですね?」
吉村は、河原が加賀島に暴行し、逃亡していると言った。
加賀島は、河原の罪を口にし、男が赤城庄次に執着をしていることと、蛍を目の敵にしていることをも、吉村に話したらしかった。
蛍に電話を替われと言う吉村に対し、昭弘は中野京子のメモに載っていた住所を告げた。
それからは、脳と現実が別次元にいるようだった。
三田に謝罪をし、鍵を預けて、外へ駆け出し、タクシーを捕まえた。
赤城のアパートへ着くと、吉村はすでに背の高い若い男性の刑事と共に、赤城の部屋を訪問していた。
赤城はのっぽの刑事から河原が事件を起こし、こちらへ来る可能性があると聴き、蒼白になった。
蛍は帰ったと、彼は震えた。
昭弘は礼を言い、階段を駆け下りた。
吉村が相棒の刑事に残るよう指示を出し、こちらへ走ってくる。
途中、コンクリートに血液を見つけ、崩れそうになる四肢を叱咤した。
蛍を失う恐怖は、何よりも怖かった。
1
あなたにおすすめの小説
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる