とある社畜のハロウィン

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とある社畜のハロウィン

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 天童 智広はごくごく平凡なサラリーマンである。
 終電に間に合わない日があるのも、休日返上で働いているのも、いわゆる『社畜』と呼ばれるような生活を送っているのも。智広の周りではわりと普通のことだった。

 今日も今日とて終電を目指して会社を出る。
 だがいつもと違うところが一つだけ。今日がハロウィンの夜だということ。十月に入ったばかりの頃は「もうこんな時期か……」と目に留めていたカラフルな置物も、月末になれば見慣れてしまう。会社を出るまで、今日がハロウィンだなんてすっかり忘れていた。

 ハロウィンに浮かれる者達の間を縫うようにしてなんとか駅に向かう。

「遅かった……」
 だが智広が到着した時には、最後の電車は過ぎ去ってしまった。
 現実とは残酷なものである。ガックリと肩を落とす。だがこのまま落ち込んでいるわけにはいかない。ポケットからスマホを取り出し、近くに入れそうな店はないかと検索する。普段なら適当な店に入るところだが、これだけの人だ。早じまいや臨時休業してしまっている店もあるはず。

「おにぃ~さんもはろうぃんですかぁ?」
「おれ、知ってる! 社畜の仮装でしょぉ」
「アハハハハハ、こんな時間までおつかれさぁまでぇす!」
「ビシッ」

 スマホを弄っている間に、酔っぱらい達に囲まれてしまった。
 智広が上司のミスを押し付けられ、何気に仕事を増やされていた時、彼らはすでに飲み始めていたのだろう。

 そう思うと酔っ払いへ対する鬱陶しさよりも、交通規制がひかれる平日すら早めに帰れないブラックな会社への恨みが募っていく。

「はぁ……」
 大きな溜め息を吐くが、会社は爆発しない。
 しれっと定時に帰った上司の毛根が死滅することもない。
 むしろ自分の胃がキリキリとするだけだ。

「きひてぇるお~」
「ひぁいんふょーをていじくださぁい。キャハハハハ」

 徐々に呂律が回らなくなった酔っぱらい達は、ロング缶片手に智広に絡み続ける。
 ヨレヨレスーツを着た仕事帰りのおっさんに絡んで何が楽しいんだか。



 よく見れば、手首にコンビニのビニール袋を下げている。
 仲間の一人はその中に空き缶を入れ、違う袋から新しい酒瓶を取り出した。どうやら先程のはゴミ袋らしい。これだけ酔っぱらっていても、ゴミを回収しているところを見るに、普段はちゃんとしている子なのだろう。駅に辿り着くまでに大量のポイ捨てを見かけた智広の中で、目の前の彼らの株がほんの少しだけ上がる。

 それにしても一体何杯飲んだのだろうか。
 アルコールは苦手ではないが、どんどん距離の感覚すら失ってきた酔っ払いの口から吐き出される息は鼻を覆いたいほど。

「ひぃてまぁすぅ?」
「聞いてる、聞いてる。あんまり飲みすぎないようにな」
「ひゃちふしゃんやさひぃねぇ~」
「なぁ~」
「ごみはぁこちぃらにぃおねがいひまぁあああす」

 はいはい、と適当に流しながら、視線を彷徨わせる。
 どうしたら解放してもらえるのだろうか。そろそろ今晩どうして過ごすか決めたいのだが……。

 逃げ場を探していた時、とあるドアが目についた。
 今でこそ人であふれている道路だが、ここは智広の通勤ルート。終電を逃すこともある智広のお気に入り、とまではいかずとも、何度か足を踏み入れた店くらいはある。

 その一つの店の看板を見つけたのだ。
 確かあの店は夕方から朝方まで営業しているイタリアン食堂だ。酒も飲めるし、ご飯も美味い。BGMが大きすぎるのは難点だが、朝方まで一人で居座っていても文句を言われないところと、何より破格の安さが利点である。

 お金に余裕がなくなる月末にはありがたい店だった。
 看板を見かけるまであの店の存在をすっかり忘れていた。自分で思っている以上に疲れていたらしい。

 今晩はあの店で過ごそう。
 今日のゴールが決まった智広は酔っ払いをかわし、早足で人混みを進んだ。途中、何度か酒臭い人にぶつかった。また絡まれたら……と思ったが、相手は全く構う様子はない。


 ヒヤヒヤとしながらもやっとたどり着いたイタリアン食堂。
 以前来た時とドアの形というか素材が違う気がするが、改装でもしたのだろうか。

 最後に来たのはもう数ヶ月も前のことだ。
 古めの看板とは違ってドアは比較的新しい物だと思っていたのだが、壊れたのか壊されたのか。

 だが変えたにしても、この古めかしさは何だろう?
 アンティーク風というか、ドアノブの金属がやや錆びているように見える。店主の趣味だろうか。まぁ今はそんな細かいことはどうでもいい。とにかく仮装した酔っ払い達の喧騒から逃げてしまいたかった。目の前のドアを開く。

 けれど何度か訪れたことのあるイタリアン食堂は、以前来た時とは少しだけ雰囲気が違った。だがそれもハロウィンの夜だからだろう。店の客は皆、仮装していた。智広のように朝までの居場所を求めてやってきた者はいない。世の中の無常さを噛みしめながら足を進め、早々に後悔した。

 雰囲気が違うどころか、全く別の店だったからだ。カウンターの奥にずらりと並ぶ酒はどれも見覚えのないもの。そもそもイタリアン食堂にバーのようなカウンターなんてなかった。

 どうやらこの数ヶ月の間に店が変わっていたらしい。
 けれど店の敷居を跨いだからには何も注文せずに帰るというわけにはいかない。騒々しいが、カウンターを筆頭にポツリポツリと空席が見つかった。
 その中からケモノの耳や尻尾を付けた薄着の若者や尖った耳を付けた本格派の仮装した人達が座る席の近くは避ける。

 残ったのはカウンター席。それも比較的まともな格好をしている男の隣だけ。
 あくまでも周りと比べればまともというだけ。その男ですら、中世ヨーロッパ風のゲームに出てくる冒険者風の衣装を身に纏っている。彫りの深い顔立ちから察するに、智広よりも年上だろう。

 ハロウィンにはしゃぐのは若者だけと思っていたが、この歳で、しかも一人でここまで本格的な仮装をするとは中々の変わり者だろう。だが駅の近くにいる酔っ払いよりはマシに見える。

 ハロウィン一色の店で夜を明かすのは辛い。
 一杯飲んだら他の店を探そう。

 智広は、やはり仮装している店主に「ビールを」と注文する。するとすぐに目の前にドンっ! とジョッキが置かれた。ビールメーカーのロゴが印字されたガラスジョッキではなく、ファンタジーゲームや漫画に登場するウッドジョッキである。しかもそこそこの大きさがある。

 まさか食器までファンタジーに寄せてくるとは……。
 自分が知らないだけで、この店はファンタジー好きの間で有名な店なのではなかろうか。そう考えると、客も店主もファンタジー風の仮装で統一しているのも納得だ。むしろスーツ姿の智広の方が浮いている。

 そう自覚すると、途端に周りの視線が気になる。
 居心地の悪さを感じながらも、ロング缶以上の量が入ったジョッキを傾ける。真面目に全部飲まずとも、半分くらい飲み残せばいい。分かってはいるのだ。だが予想外だったのはビールの味も同じだった。今まで飲んできたビールの中でも、群を抜いて美味い。学生時代、サークルの先輩がビールの飲み比べにハマっていた理由を今になってようやく理解する。

 こんな美味い酒を残すなんてもったいない。
 それにビールなら高くても千円しないだろうと思って注文したが、ジョッキの大きさといい、美味さといい、そこそこの値段がするかもしれない。ちびちびと飲みながら、壁に貼られたメニューの中から金額の表記を探す。だが穴があくほど見ても金額には一切触れられていない。

 見慣れた名前の中に、なんだかよく分からないメニューが並んでいるだけだ。
 溢れそうになる息を、ビールと共に呑み込む。
 そして、来るのは今回限りなのだからと腹を括ることにした。どうせなら食事もここで済ませてしまおう。

「すみません。ビールに合いそうなツマミをいくつかください」

 メニューから知っている名前を選んでもよかったのだが、せっかく変わった店に来たのだ。店主に任せてしまうことにした。ワイルドな髭を蓄えたダンディな店主はこくりと頷き、すぐに盛り合わせを用意してくれた。

 ウズラの卵っぽいやつと、何かの肉、チーズの三種セットである。
 卵は赤まだら。自分では絶対に注文することのない見た目をしている。食べ物もやはりファンタジー色に染まっているようだ。

 フォークで卵を突き刺す。
 中から緑色の汁が出てきたが、気にしたら負けだ。多分、野菜の皮かなんかで着色してあるのだろう。コンセプトはファンタジーでも、日本に店を構えている以上、食品衛生法に守られている。安心して頬張った。

「あ、うま」
 ビールに続き、想像以上の美味しさだ。店主に任せたのは正解だった。
 卵に続き、謎の肉とチーズにも手を伸ばす。やはり美味い。パクパクと食べていると、酒がメインかツマミがメインか分からなくなる。
 だからといって酒を飲む手が休んでいるかと言えばノーだ。気づけば大きなジョッキの中は空になっていた。傾けてもうっすい雫しか落ちてこない。

「すみません、ビールのおかわりを。あと、なにか腹にたまるものを」
 ビールとつまみで味への信頼感がかなり高まっている。
 財布の中身で足りるか心配だが、足りなかったらカードで払おう。カード払いはあまり好きではない智広だが、美味い食事を前にしたらそんなこだわりは風と共に吹き飛んでしまう。

 よく分からないメニュー名も、見慣れない食事もどうでもいい。
 美味しさこそ正義だ。

 最近は仕事、それも上司のしでかしたミスの尻拭いばかりでろくに美味いご飯を食べれていなかったからなおのこと。リミッターが外れたようにむさぼり食らった。

 周りからどんな目で見られているかだとか、服装だとか、そんなことはまるで気にならなかった。

「はぁ……美味しかった」
 四度目の注文でようやくいっぱいになった腹を撫で、幸せの溜め息を漏らす。
 すると手元に大きな影が出来た。振り返ると、後ろには獣耳の大男が立っている。尻尾まで用意するほど気合いの入った男は、流れるように智広の隣に腰掛ける。

「ねぇ、お兄さん」
 爽やかな笑みを浮かべる男は、女性なら一発で落ちそうなほど顔立ちが整っている。
 なぜか舌なめずりをしている。腹が減っているのだろうか。智広が食べていた食事の中に気になるものがあったのかもしれない。

 ぼんやりとそんな考えが頭をよぎる。
 だが食事の相談には乗れそうもなかった。

「モフモフだぁ~。よく出来てるな~」
 ビールをジョッキで二杯も飲んだ智広は、駅前にいた酔っぱらいの仲間入りを果たしていた。初対面の男の頭を撫で、もふもふを堪能する。素面であれば絶対にしない、失礼な行為である。突然の行動に、目の前の男も固まってしまっている。

 いつまで経っても逃げようとはしないのをいいことに、智広は彼の首の下にも手を伸ばす。

「いい子いい子~」
 頭の首下との二点攻めである。
 固まっていた男の目は次第にとろんと蕩けていき、尻尾もだらんと元気を失くしていく。そんな様子に、店の空気はガラリと変わる。

「気高い狼獣人をああも簡単に落とすなんて……」
「しかも、相手はあの『両刀の落とし屋』だぞ」
「変な服だと思ったが、アイツ、なかなかのやり手に違いない!」

 同時に、店内にいた他の獣人達もソワソワとし始めた。
 自分達も撫でてもらいたい。獣人の中に残る動物的本能に耐えられず、智広の元に突撃していく。

「あれぇ、こっちにももふもふ? あ、ふかふぁだぁ~」
 酒に浮かれた頭では、差し出される頭に付いた耳が本物であることに気付くはずもない。智広はへらへらと差し出される頭を撫で、持ち前のテクニックで獣人達を陥落させていった。

 一人の男の周りに何人もの獣人が倒れこんでいく。それもただ倒れるだけでなく、腹を見せて降伏のポーズをしているのだ。ある者の股間は膨らみ、ある者はぴくぴくと痙攣したように身体を震わせている。
 周りの冒険者や他種族は、わずかな時間で多くの獣人を無力化した智広を警戒し、遠巻きに見る。
 そんな中、一人の男が動きだした。
 智広の隣でずっと酒を飲んでいた男である。異様な光景を間近で見せつけられていたとも言えよう。

 男は智広をギロリと睨む。

「あんた、こいつらに一体何をした? 誇り高き獣人が揃いも揃って降伏するとは、違法な薬物でも使ったんじゃないか?」

 男から発せられるプレッシャーに周りの冒険者達は息を飲んだ。
 けれど酔っぱらいを威圧したところで無駄である。すっかり夢心地な智広は「いい子いい子しただけですよ?」とふにゃっと笑うだけ。それが男の癇に障ったらしい。

「いい子いい子だと!? ふざけているのか!」
 声を荒らげて怒り出す。けれど智広は日頃から上司の理不尽な怒りを散々浴びせられている。こんなことでひるむ訳がない。

「そんなに難しいことじゃないですよ?」
 智広はふふふと笑いながら、男の頭に手を伸ばす。そして今までそうしていたように、彼の頭もいい子いい子と撫で始めた。

「ね、気持ちいいでしょう?」
 顔を真っ赤にして震える男がこの国の王様とも知らずに。
 やがて睡魔に襲われた智広はふわぁと大きな欠伸を漏らす。

「おやすみなさ……い」
 そしてそのままカウンターに突っ伏して寝てしまった。



 数時間後。
 目が覚めた智広の血の気は一気に引いていく。顔は真っ青を通り越して白い。

 なにせ自分の真後ろでは、智広のテクニックの虜になってしまった獣人が待機しているのだ。背筋をピンッと伸ばし、列を成して並ぶ姿はまるで撫でられ待ちの犬のよう。
 途中から記憶があやふやになっていた智広は、今になってようやく目の前の状況を理解する。目の前の彼らに生えている耳と尻尾が作り物ではないことくらい、冷静になればすぐに見分けが付く。昨晩は細かいところまで見ていなかったが、不思議な服装の彼らは皆、何かしら武器を携帯している。

「異世界転移……」
 脳裏に浮かんだのは、最近漫画で時たま目にするワードだった。
 あり得ない話だ。帰り道で倒れて緊急搬送されたと言われた方がまだ現実的だ。このまま思考停止してしまいたい。だが予想外の出来事は社畜生活の中で日常となりつつあった。社畜脳はこんな状況でもなんとか頑張ろうとしてしまうのである。

「お勘定!」
 数秒の思考停止の後、気が付けばそう叫んでいた。
 財布からありったけの札を取り出し、カウンターに叩きつける。足りているかは分からない。それ以前に、日本円での支払いが通じるかどうか。だがそんなことまで気にしている余裕はない。

 絡みそうになる足を必死に動かし、酒場の入り口に向かう。
 ハロウィンの夜はもう明けているはず。仮装者も少なくなっているだろう道をダッシュで逃げてしまえば逃げ切れる。

 そう考え、ドアをくぐった智広だったが、目の前に広がっていたのは見知らぬ土地だった。

「なん、で……」
 力が抜け、その場にへたり込む。
 そんな智広の周りに獣人達が集まってくる。

「ご主人様、大丈夫ですか?」

 ご主人様ってなんだよ……。というかここどこだよ……。
 頭の中でポンポンと産まれていく疑問は口から出ることはない。
 混乱状態の智広の前に、一人の男が立ちはだかった。智広の隣に座っていた男だ。昨晩とは違い、装飾がたくさん付いた服を身にまとっている。胸の前では赤薔薇の花束を抱えて、リボンには大きなダイヤが付いた指輪が括りつけられている。

 まるで今からプロポーズでもしようとしているかのよう。

「私の妻になってくれ」
 智広が頭の中でその考えを否定するのと、男が言葉を発するのはほぼ同時だった。

「嘘、だろ? ドッキリだっていってくれ」
 社畜脳でも処理が追いつかず、智広はそのまま倒れこむ。


 この世界が異世界であると知るのは、もう少しだけ後のこと。
 イタリアン食堂は数か月前に閉店していて、智広が開いたドアは選ばれし者のみが通れる『異世界への扉』に変わっていたこと。そしてその扉が開くのは世界の気まぐれであること。

 その全てを理解した智広が王様と獣人達に追いかけられる姿が城下町の日常になるのは、そう遠くはない未来である。
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