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五十一話 天使4
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赤い絨毯の上に銀色の髪が散らばる。ごろりと転がるアルテシラを、玉座に座るルーファスが見下ろした。
「何か申し開きはあるか」
見下ろされ、見下すように言われ、我慢ならなかったのだろう。天使の血を持つヴィルヘルムならまだしも、唯人であるルーファスにそのような扱いを受ける謂われはないとでも思ったのか、アルテシラは額に汗をかきながらもルーファスを睨みつける。
「私はエイシュケル国の王女アルテシラよ。妖精の血を持つ貴き存在。その私にこんな扱いをして、ただですむとは思わないことね」
「言いたいことはそれだけか」
「あんな子のためにこんなことするなんて、正気とは思えないわ。狂い、自らの主人を殺した男の子も狂っているということかしら。でもいいわ。許してあげる。せっかく私が見初めてあげたのだから、光栄に思いなさい。あんな子のことなんて忘れて私を妻に迎えれば、それで解決でしょう」
ぎょっとしたような――ほんのわずかに目を見開いただけだが、ヴィルヘルムにはそれが驚愕の所作であることがわかった。
そういえば、とヴィルヘルムは考える。
ライラに聞いた、アルテシラがルーファスを好きだという話を、ルーファス本人には話していなかった。
「恋は盲目ということでしょう」
簡潔にまとめると、ルーファスが力の抜けたような顔でため息をついた。知っていたのなら先に話せとか、何がどうしてそうなったとか、色々考えているのだろう。
「……貴様を妻に迎えるつもりはない」
ライラが嫁いできてからというもの、似たようなことを何度も口にしていた。その時よりもいっそう嫌悪に溢れた顔に、ヴィルヘルムは自分の人選に人知れず胸を張る。
やはり、なんだかんだ言いながらも嫌がってはいなかったのだと確信したからだ。同じ姫君でも、ルーファスが興味を抱いた相手を迎えて正解だった。
「どうして……あんな子のほうがいいと言うの? あんな、頭のおかしい子。毒を作るしか能のない子を妻にして、何が得られるというの。どう考えても私のほうがいいと、どうしてわからないのかしら」
心の底からわからないのだろう。感じる痛みすら忘れてとまどう様子に、ルーファスは深いため息を落とす。
「何かを得ようと思って妻を迎えたわけではない」
そもそも、ヴィルヘルムが勝手に選んだだけなので、ルーファスの考えは含まれていなかった。
「……まあ、それはいい。それよりも聴取がまだ途中だったな。前は煙に巻かれたが、今度こそ答えてもらおう。どうやって、この国に侵入した」
「だから言ったでしょう。馬車で来たのよ」
「国境を通ったという報告は受けていない。報告を怠るような人選をした覚えもない。ならば、どこから、どうやってここに来た」
アドフィルは先代皇帝が他国を攻め入り、土地を広げた。だが法の整備もさることながら、関門に置く人間も適当だった。人の出入りの記録も杜撰で、担当していた者は首だけになることはなかったが、兵士の任からは降ろされた。
他国に強襲を仕掛けていた国が沈黙したのだから、これを好機と見て攻め入られれば、王を変えた意味がなくなる。関門に人を送るのは何よりも優先され、腕に覚えがある者を多く配置した。
その結果、城にはあまり人が残らず人手不足に陥っているわけだが、少なくとも他国から侵入してくることはなかった。
アルテシラが来るまでは、だが。
「陛下が聞いておられるのですから、正確に、正直に答えてください」
ヴィルヘルムが転がるアルテシラの背を踏む。漏れる苦悶の呻きは、知らない痛みからか、屈辱からか。
体重を少しずつかけていけば、次第に呻きが声にならない悲鳴に変わる。踏み抜くことはできないが、骨を砕くことはできるだろう。もしかしたら内臓の一つや二つ、潰すことができるかもしれない。
妖精の体がどこまで耐えられるのか試してみるのもいいか。そうヴィルヘルムが考えるの、アルテシラが悲鳴のような声をあげるのは同時だった。
「天馬……! 天馬を使ったのよ!」
わめくような声に、ヴィルヘルムは体重をかけるのも忘れて瞬きを繰り返す。
天馬。その言葉を目にしたことがある。塔で暮らしていた時にもらった書物に、その名が記されていた。
かつて、妖精は馬を飼っていた。
体の小さな彼らは羽こそあるが、他の者に比べると遅く、自らの羽の代わりに馬を使った。
だが地を這うことはよしとせず、彼らは馬に祝福を与えた。
誰に見下ろされることのないように、誰にも遅れを取ることのないように。
そして、他のものの背にのる自身が見えないように。
与えられた祝福により、妖精の馬は天馬と呼ばれるようになった。
それは、ヴィルヘルムの使っていた眼鏡や、ライラに与えたベルと同じ、古代に存在していたもの。
実在しているのであれば、その価値は眼鏡やベルとは比べものにならない。何しろ、生きている遺物など聞いたことがない。
「それはまたやっか……いえ、貴重な馬を使われたのですね」
「一番速い馬こそ、私にふさわしいもの」
やはり、アルテシラは甘やかされて育ったのだろう。
たとえ拷問を受けたとしても、他国に天馬の存在を明かすなど、愚の骨頂だ。しかもそれが、ただ踏まれただけなのだから、愚かという言葉では足りない。
天馬の存在だけで、争いが起きるだろう。それだけ、生きた遺物というものは貴重だ。しかもそれが、何よりも速い移動手段となれば、喉から手が出るほど欲しがる王がいてもおかしくない。
「急を要する事態ですし、その馬を拝借するとしましょうか」
だがここアドフィル――もといヴィルヘルムにとっては、ちょうどいいところにちょうどいい馬がいる、程度の認識で終わった。
彼にとって重要なのは、遺物ではなくルーファスが玉座に座り続けることだ。
使者はライラの髪と共に「不届き者には罰を与えた」と告げていた。時間をかければ、髪だけでは済まないだろう。もうすでに手遅れかもしれないが、妖精の血を持つ体が頑丈なのは、自身の手で確かめた。
死んでさえいなければ、どうとでもなる。
「馬車に乗りこめる人数となると限られますので、何度か往復することになりますね。第一便は陛下と、腕に覚えのある者が数人……といったところでしょうか」
エイシュケルが今どういう状況なのかはわからない。交戦する可能性も踏まえ、ルーファスと同席する者を頭の中で選ぶ。
「お前はどうするつもりだ」
「私は後から伺いますよ。姫君の返還を求めていたので、少なくとも彼女は連れて行かなければならないでしょう。一応、和平の目はまだ諦めておりませんので。交渉にかけた時間を無駄にされてはたまりません」
「……それについてはすでに手遅れだと思うが」
ちらりとルーファスの目がアルテシラに向く。手足が折られた娘を返されて、エイシュケルの王が喜ぶとは思えないのだろう。
「諦めない限り、可能性はあるというものです。陛下はそのような些事よりも……ライラ様のことだけを考たほうがよいのでは。実家に帰った妻を迎えに行くのですから、考えることは多いでしょう」
「始祖の血を持つ者は語弊を招く言い方しかできないのか……」
どこかうんざりとした顔のルーファスに、ヴィルヘルムは肩をすくめて返した。
「何か申し開きはあるか」
見下ろされ、見下すように言われ、我慢ならなかったのだろう。天使の血を持つヴィルヘルムならまだしも、唯人であるルーファスにそのような扱いを受ける謂われはないとでも思ったのか、アルテシラは額に汗をかきながらもルーファスを睨みつける。
「私はエイシュケル国の王女アルテシラよ。妖精の血を持つ貴き存在。その私にこんな扱いをして、ただですむとは思わないことね」
「言いたいことはそれだけか」
「あんな子のためにこんなことするなんて、正気とは思えないわ。狂い、自らの主人を殺した男の子も狂っているということかしら。でもいいわ。許してあげる。せっかく私が見初めてあげたのだから、光栄に思いなさい。あんな子のことなんて忘れて私を妻に迎えれば、それで解決でしょう」
ぎょっとしたような――ほんのわずかに目を見開いただけだが、ヴィルヘルムにはそれが驚愕の所作であることがわかった。
そういえば、とヴィルヘルムは考える。
ライラに聞いた、アルテシラがルーファスを好きだという話を、ルーファス本人には話していなかった。
「恋は盲目ということでしょう」
簡潔にまとめると、ルーファスが力の抜けたような顔でため息をついた。知っていたのなら先に話せとか、何がどうしてそうなったとか、色々考えているのだろう。
「……貴様を妻に迎えるつもりはない」
ライラが嫁いできてからというもの、似たようなことを何度も口にしていた。その時よりもいっそう嫌悪に溢れた顔に、ヴィルヘルムは自分の人選に人知れず胸を張る。
やはり、なんだかんだ言いながらも嫌がってはいなかったのだと確信したからだ。同じ姫君でも、ルーファスが興味を抱いた相手を迎えて正解だった。
「どうして……あんな子のほうがいいと言うの? あんな、頭のおかしい子。毒を作るしか能のない子を妻にして、何が得られるというの。どう考えても私のほうがいいと、どうしてわからないのかしら」
心の底からわからないのだろう。感じる痛みすら忘れてとまどう様子に、ルーファスは深いため息を落とす。
「何かを得ようと思って妻を迎えたわけではない」
そもそも、ヴィルヘルムが勝手に選んだだけなので、ルーファスの考えは含まれていなかった。
「……まあ、それはいい。それよりも聴取がまだ途中だったな。前は煙に巻かれたが、今度こそ答えてもらおう。どうやって、この国に侵入した」
「だから言ったでしょう。馬車で来たのよ」
「国境を通ったという報告は受けていない。報告を怠るような人選をした覚えもない。ならば、どこから、どうやってここに来た」
アドフィルは先代皇帝が他国を攻め入り、土地を広げた。だが法の整備もさることながら、関門に置く人間も適当だった。人の出入りの記録も杜撰で、担当していた者は首だけになることはなかったが、兵士の任からは降ろされた。
他国に強襲を仕掛けていた国が沈黙したのだから、これを好機と見て攻め入られれば、王を変えた意味がなくなる。関門に人を送るのは何よりも優先され、腕に覚えがある者を多く配置した。
その結果、城にはあまり人が残らず人手不足に陥っているわけだが、少なくとも他国から侵入してくることはなかった。
アルテシラが来るまでは、だが。
「陛下が聞いておられるのですから、正確に、正直に答えてください」
ヴィルヘルムが転がるアルテシラの背を踏む。漏れる苦悶の呻きは、知らない痛みからか、屈辱からか。
体重を少しずつかけていけば、次第に呻きが声にならない悲鳴に変わる。踏み抜くことはできないが、骨を砕くことはできるだろう。もしかしたら内臓の一つや二つ、潰すことができるかもしれない。
妖精の体がどこまで耐えられるのか試してみるのもいいか。そうヴィルヘルムが考えるの、アルテシラが悲鳴のような声をあげるのは同時だった。
「天馬……! 天馬を使ったのよ!」
わめくような声に、ヴィルヘルムは体重をかけるのも忘れて瞬きを繰り返す。
天馬。その言葉を目にしたことがある。塔で暮らしていた時にもらった書物に、その名が記されていた。
かつて、妖精は馬を飼っていた。
体の小さな彼らは羽こそあるが、他の者に比べると遅く、自らの羽の代わりに馬を使った。
だが地を這うことはよしとせず、彼らは馬に祝福を与えた。
誰に見下ろされることのないように、誰にも遅れを取ることのないように。
そして、他のものの背にのる自身が見えないように。
与えられた祝福により、妖精の馬は天馬と呼ばれるようになった。
それは、ヴィルヘルムの使っていた眼鏡や、ライラに与えたベルと同じ、古代に存在していたもの。
実在しているのであれば、その価値は眼鏡やベルとは比べものにならない。何しろ、生きている遺物など聞いたことがない。
「それはまたやっか……いえ、貴重な馬を使われたのですね」
「一番速い馬こそ、私にふさわしいもの」
やはり、アルテシラは甘やかされて育ったのだろう。
たとえ拷問を受けたとしても、他国に天馬の存在を明かすなど、愚の骨頂だ。しかもそれが、ただ踏まれただけなのだから、愚かという言葉では足りない。
天馬の存在だけで、争いが起きるだろう。それだけ、生きた遺物というものは貴重だ。しかもそれが、何よりも速い移動手段となれば、喉から手が出るほど欲しがる王がいてもおかしくない。
「急を要する事態ですし、その馬を拝借するとしましょうか」
だがここアドフィル――もといヴィルヘルムにとっては、ちょうどいいところにちょうどいい馬がいる、程度の認識で終わった。
彼にとって重要なのは、遺物ではなくルーファスが玉座に座り続けることだ。
使者はライラの髪と共に「不届き者には罰を与えた」と告げていた。時間をかければ、髪だけでは済まないだろう。もうすでに手遅れかもしれないが、妖精の血を持つ体が頑丈なのは、自身の手で確かめた。
死んでさえいなければ、どうとでもなる。
「馬車に乗りこめる人数となると限られますので、何度か往復することになりますね。第一便は陛下と、腕に覚えのある者が数人……といったところでしょうか」
エイシュケルが今どういう状況なのかはわからない。交戦する可能性も踏まえ、ルーファスと同席する者を頭の中で選ぶ。
「お前はどうするつもりだ」
「私は後から伺いますよ。姫君の返還を求めていたので、少なくとも彼女は連れて行かなければならないでしょう。一応、和平の目はまだ諦めておりませんので。交渉にかけた時間を無駄にされてはたまりません」
「……それについてはすでに手遅れだと思うが」
ちらりとルーファスの目がアルテシラに向く。手足が折られた娘を返されて、エイシュケルの王が喜ぶとは思えないのだろう。
「諦めない限り、可能性はあるというものです。陛下はそのような些事よりも……ライラ様のことだけを考たほうがよいのでは。実家に帰った妻を迎えに行くのですから、考えることは多いでしょう」
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