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第五話「曲がり角の出会い」
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リフォームの工事音が、今日も朝から家に響いている。
キン、と鉄を打つ音。ギシリ、と木が軋む音。
音子は縁側に座り、ノートを開いたまま、ぼんやりと庭を眺めていた。
──メニュー、どうしよう。
いくら書き出しても、ありきたりなものばかりだ。
都会では当たり前に並ぶカフェメニュー。でも、ここは瀬戸内の小さな町。
東京にあるカフェなんかのメニューが、そのまま通用するとは思えなかった。
「はぁ……」
深いため息を吐いたとき、庭の向こうに白い影がふわりと揺れた。
「あ……!」
白猫だ。
先日と同じ、どこか気品のある、けれど不思議に人懐こい白猫。
音子が立ち上がると、猫はまるで誘うように、庭の塀をぴょんと越えた。
「待って!」
なぜか、追いかけなければいけない気がした。
慌ててスニーカーを突っかけ、音子は家を飛び出す。
猫は、振り返りもせずすいすいと進んでいく。
海沿いの堤防の脇の道を走る音子。すぐ隣には海が広がっている。
堤防が途切れるところで、白猫はふいと小道のほうへ曲がる。
音子がそのあとを追い、曲がり角を回った瞬間──
「あっ、ごめんなさいっ!」
がつん、と誰かにぶつかった。
よろめく体を、素早く支える腕。
顔を上げると、そこには日焼けした青年が立っていた。
麦わら帽子をかぶり、Tシャツと作業ズボンというラフな格好。
大きな手には、泥のついた軍手が握られている。
「大丈夫? ごめんね、急に」
青年は困ったように笑った。
「い、いえ、こちらこそ……!」
慌てて頭を下げると、白猫がぴょこんと青年の足元に跳びついた。
「あれ、クロだ。……じゃなかった、シロ?」
青年はしゃがみこみ、白猫の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「この子、知ってるんですか?」
「たまにうちの畑にも来るんだ。名前は……そう、なぜかクロって呼んでるんだけど、真っ白なのになんでだろうな?」
朗らかに笑うその顔に、音子の緊張がふっと和らいだ。
「まあ、だから、シロって呼ぼうと思うんだけど、なぜかクロって言っちゃうんだ」
「シロちゃん……」
「うん、ク…シロ。きみは?」
「私、この町に引っ越してきたんです。まだ、日が浅くて」
「へえ。どのへん?」
音子が祖母の家の場所を伝えると、青年はすぐに「ああ!」と声を上げた。
「あそこ、定食屋さんだったところだろ? 最近、工事してるから気になってたんだ。喫茶店にするんだって?」
「えっ、もう噂になってるんですか?」
「まあ、ここらじゃ珍しい話だからね」
青年はにかっと笑い、手のひらで帽子をくいっと押さえた。
「俺、義信。慈姑農家やってる。ここの町じゃ、まあ、珍しい職業でもないかな」
「くわい……?」
「おせち料理に入ってる、芽がぴょこんと伸びた野菜。知らない?」
「あっ、知ってます! あれ、慈姑っていうんですね」
「そ。縁起物だけど、今じゃ作る人も少なくなってるんだ」
義信は白猫を撫でながら、海の方へ目を向けた。
「ここらは昔、漁師町だったけど、今は高齢化で人も減ってる。新しいこと、始めるって聞いて、ちょっと嬉しかったよ」
その言葉に、音子の胸がじんわりと温かくなる。
「……ありがとうございます。まだ、何も形になってないんですけど」
「焦んなくていいさ。ゆっくり作っていけばいい」
義信はそう言って、にっこりと笑った。
その笑顔は、潮風に吹かれる春の空のように、あまりにも自然で、あたたかかった。
──焦らなくて、いい。
白猫が、足元で小さく鳴いた。
その声がまるで、「だいじょうぶ」と言っているようで──
音子は、初めてこの町で深く息を吸い込んだ。
キン、と鉄を打つ音。ギシリ、と木が軋む音。
音子は縁側に座り、ノートを開いたまま、ぼんやりと庭を眺めていた。
──メニュー、どうしよう。
いくら書き出しても、ありきたりなものばかりだ。
都会では当たり前に並ぶカフェメニュー。でも、ここは瀬戸内の小さな町。
東京にあるカフェなんかのメニューが、そのまま通用するとは思えなかった。
「はぁ……」
深いため息を吐いたとき、庭の向こうに白い影がふわりと揺れた。
「あ……!」
白猫だ。
先日と同じ、どこか気品のある、けれど不思議に人懐こい白猫。
音子が立ち上がると、猫はまるで誘うように、庭の塀をぴょんと越えた。
「待って!」
なぜか、追いかけなければいけない気がした。
慌ててスニーカーを突っかけ、音子は家を飛び出す。
猫は、振り返りもせずすいすいと進んでいく。
海沿いの堤防の脇の道を走る音子。すぐ隣には海が広がっている。
堤防が途切れるところで、白猫はふいと小道のほうへ曲がる。
音子がそのあとを追い、曲がり角を回った瞬間──
「あっ、ごめんなさいっ!」
がつん、と誰かにぶつかった。
よろめく体を、素早く支える腕。
顔を上げると、そこには日焼けした青年が立っていた。
麦わら帽子をかぶり、Tシャツと作業ズボンというラフな格好。
大きな手には、泥のついた軍手が握られている。
「大丈夫? ごめんね、急に」
青年は困ったように笑った。
「い、いえ、こちらこそ……!」
慌てて頭を下げると、白猫がぴょこんと青年の足元に跳びついた。
「あれ、クロだ。……じゃなかった、シロ?」
青年はしゃがみこみ、白猫の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「この子、知ってるんですか?」
「たまにうちの畑にも来るんだ。名前は……そう、なぜかクロって呼んでるんだけど、真っ白なのになんでだろうな?」
朗らかに笑うその顔に、音子の緊張がふっと和らいだ。
「まあ、だから、シロって呼ぼうと思うんだけど、なぜかクロって言っちゃうんだ」
「シロちゃん……」
「うん、ク…シロ。きみは?」
「私、この町に引っ越してきたんです。まだ、日が浅くて」
「へえ。どのへん?」
音子が祖母の家の場所を伝えると、青年はすぐに「ああ!」と声を上げた。
「あそこ、定食屋さんだったところだろ? 最近、工事してるから気になってたんだ。喫茶店にするんだって?」
「えっ、もう噂になってるんですか?」
「まあ、ここらじゃ珍しい話だからね」
青年はにかっと笑い、手のひらで帽子をくいっと押さえた。
「俺、義信。慈姑農家やってる。ここの町じゃ、まあ、珍しい職業でもないかな」
「くわい……?」
「おせち料理に入ってる、芽がぴょこんと伸びた野菜。知らない?」
「あっ、知ってます! あれ、慈姑っていうんですね」
「そ。縁起物だけど、今じゃ作る人も少なくなってるんだ」
義信は白猫を撫でながら、海の方へ目を向けた。
「ここらは昔、漁師町だったけど、今は高齢化で人も減ってる。新しいこと、始めるって聞いて、ちょっと嬉しかったよ」
その言葉に、音子の胸がじんわりと温かくなる。
「……ありがとうございます。まだ、何も形になってないんですけど」
「焦んなくていいさ。ゆっくり作っていけばいい」
義信はそう言って、にっこりと笑った。
その笑顔は、潮風に吹かれる春の空のように、あまりにも自然で、あたたかかった。
──焦らなくて、いい。
白猫が、足元で小さく鳴いた。
その声がまるで、「だいじょうぶ」と言っているようで──
音子は、初めてこの町で深く息を吸い込んだ。
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