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【番外編③】訪問者
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「いらっしゃいませ」
今日も"ひだまり"には、音子の明るい声が響いている。
昼を少し過ぎた、ゆったりとした時間帯。窓からは秋の光が差し込み、店内にやわらかな陰影を落としていた。
「やあ、こんにちは。明るくてすてきなお店になったんですね」
ふと顔を上げた音子の目に、見覚えのある男性の姿が映った。
「あ、お役所の?」
「はい。あの時は、鍵をお渡ししただけで。覚えててくださって光栄です」
「その節は、ありがとうございました」
二人は軽く笑い合い、初対面のぎこちなさとは違う、ささやかな親しみが空気に漂った。
「町に若い人が増えて、新しいお店もできて、すっごい嬉しいです」
「こちらこそ、皆さん受け入れてくださって、ありがたいことです」
そう言いながら、音子はメニューを手渡す。
受け取った男性――高橋は、メニュー表を見てふと目を止めた。
「慈姑! へー!」
「こちらで知り合った方に教えていただいて、メニューに取り入れてみました。美味しいですよ」
「どちらの?」
「滝川農園さんです」
「あー滝川さんの! 美味しいですよね!」
音子は嬉しそうに頷く。
高橋は穏やかな口調で、町のことや音子が選んだこの家のこと、喫茶店としての"ひだまり"について、話題を弾ませていく。
音子もまた、初めてこの町に来た日のこと、町の人との出会い、そして喫茶店を始めてからの小さな日々の喜びについて、言葉を選びながら語っていた。
そんなとき――
「音子ちゃん、届けもん――あ、」
入り口のドアが開き、箱いっぱいの慈姑を抱えた義信がやってきた。
音子が振り返り、自然な笑顔を見せる。
「義信さん! ありがとうございます。助かります」
「……どういたしまして」
ちらりと視線を横に向けた義信の目に、高橋の姿が映る。
笑顔で話す音子。初対面にしては、どこか打ち解けている空気。知らない男――だが、音子の笑顔は穏やかで、親しみがある。
「音子ちゃん、こちらは?」
「お役所の、高橋さん。この家の鍵を預かっていてくれたのが役所だったから、最初に取りに行ったんです。その時に」
「へー、高橋さん」
名字で呼ばれてるんだ、とどこか優越感を感じる。
「こちら、慈姑農家の義信さんです。うちの慈姑メニューは全部義信さんのところのなんですよ」
「義信です、よろしくー」
俺は名前で呼ばれてる、と少し上機嫌に言い添える。
「ああ、それはすごい。滝川さんのところの慈姑、役所でも有名ですよ!」
「えっ、ああ、……そうですか?」
「ええ、旨味というのか、ほんのり甘くて味わい深い。ほろ苦さがあるけど、それがまた日本酒にあう! うちではよく素揚げしたものをおつまみにいただくんですが、ついつい手が伸びてしまって」
「……あ、ありがとうございます」
義信の返事が、ほんの少しだけ硬くなる。
音子が差し出した冷たい水のグラスが、光を受けてきらりと輝いた。
「せっかくだから、うちの慈姑メニュー、召し上がってみてください。おすすめは、慈姑のコロッケサンドです」
「ほう、コロッケ! それは気になりますね!」
高橋が笑顔で頷き、メニューを閉じた。その横で、義信はほんの少しだけ、心の奥でため息をついた。
(……なんなんだ俺)
ただの知り合いだ、知り合い。取り引き先? 友達……。
けれど、少し前まで、あの笑顔を自分だけに向けてくれていたような気がしたのは――気のせいだったのかもしれない。
音子は、ふと義信の視線に気づいた。
「義信さん? 何か?」
「ん? いや、なんでもない」
「ほんとに?」
「……ああ」
そして小さく笑う音子の笑顔に、ほんの少しだけ心が軽くなる。
そんな小さな秋の午後のやりとりを、窓の外で見ていたのは――石畳の上にちょこんと座った白猫だった。
じっと見つめるその目は、まるでふたりの心の距離を測っているかのように、静かに、優しく細められていた。
今日も"ひだまり"には、音子の明るい声が響いている。
昼を少し過ぎた、ゆったりとした時間帯。窓からは秋の光が差し込み、店内にやわらかな陰影を落としていた。
「やあ、こんにちは。明るくてすてきなお店になったんですね」
ふと顔を上げた音子の目に、見覚えのある男性の姿が映った。
「あ、お役所の?」
「はい。あの時は、鍵をお渡ししただけで。覚えててくださって光栄です」
「その節は、ありがとうございました」
二人は軽く笑い合い、初対面のぎこちなさとは違う、ささやかな親しみが空気に漂った。
「町に若い人が増えて、新しいお店もできて、すっごい嬉しいです」
「こちらこそ、皆さん受け入れてくださって、ありがたいことです」
そう言いながら、音子はメニューを手渡す。
受け取った男性――高橋は、メニュー表を見てふと目を止めた。
「慈姑! へー!」
「こちらで知り合った方に教えていただいて、メニューに取り入れてみました。美味しいですよ」
「どちらの?」
「滝川農園さんです」
「あー滝川さんの! 美味しいですよね!」
音子は嬉しそうに頷く。
高橋は穏やかな口調で、町のことや音子が選んだこの家のこと、喫茶店としての"ひだまり"について、話題を弾ませていく。
音子もまた、初めてこの町に来た日のこと、町の人との出会い、そして喫茶店を始めてからの小さな日々の喜びについて、言葉を選びながら語っていた。
そんなとき――
「音子ちゃん、届けもん――あ、」
入り口のドアが開き、箱いっぱいの慈姑を抱えた義信がやってきた。
音子が振り返り、自然な笑顔を見せる。
「義信さん! ありがとうございます。助かります」
「……どういたしまして」
ちらりと視線を横に向けた義信の目に、高橋の姿が映る。
笑顔で話す音子。初対面にしては、どこか打ち解けている空気。知らない男――だが、音子の笑顔は穏やかで、親しみがある。
「音子ちゃん、こちらは?」
「お役所の、高橋さん。この家の鍵を預かっていてくれたのが役所だったから、最初に取りに行ったんです。その時に」
「へー、高橋さん」
名字で呼ばれてるんだ、とどこか優越感を感じる。
「こちら、慈姑農家の義信さんです。うちの慈姑メニューは全部義信さんのところのなんですよ」
「義信です、よろしくー」
俺は名前で呼ばれてる、と少し上機嫌に言い添える。
「ああ、それはすごい。滝川さんのところの慈姑、役所でも有名ですよ!」
「えっ、ああ、……そうですか?」
「ええ、旨味というのか、ほんのり甘くて味わい深い。ほろ苦さがあるけど、それがまた日本酒にあう! うちではよく素揚げしたものをおつまみにいただくんですが、ついつい手が伸びてしまって」
「……あ、ありがとうございます」
義信の返事が、ほんの少しだけ硬くなる。
音子が差し出した冷たい水のグラスが、光を受けてきらりと輝いた。
「せっかくだから、うちの慈姑メニュー、召し上がってみてください。おすすめは、慈姑のコロッケサンドです」
「ほう、コロッケ! それは気になりますね!」
高橋が笑顔で頷き、メニューを閉じた。その横で、義信はほんの少しだけ、心の奥でため息をついた。
(……なんなんだ俺)
ただの知り合いだ、知り合い。取り引き先? 友達……。
けれど、少し前まで、あの笑顔を自分だけに向けてくれていたような気がしたのは――気のせいだったのかもしれない。
音子は、ふと義信の視線に気づいた。
「義信さん? 何か?」
「ん? いや、なんでもない」
「ほんとに?」
「……ああ」
そして小さく笑う音子の笑顔に、ほんの少しだけ心が軽くなる。
そんな小さな秋の午後のやりとりを、窓の外で見ていたのは――石畳の上にちょこんと座った白猫だった。
じっと見つめるその目は、まるでふたりの心の距離を測っているかのように、静かに、優しく細められていた。
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