22 / 53
番という契約(3)
しおりを挟む
「和泉先生、お世話になっております。メルト製薬です」
いつも彼のオフィスの前で、その白衣姿がやって来るのを廊下で待っていた。
日常的な風景なのだが、今日は約一週間ぶりだ。
「来たか」
和泉がこれまでより柔らかい笑みを浮かべてくれるのに嬉しくなり、朔耶は照れて、俯いた。
「まあとりあえず、仕事の話だな」
そう言って、和泉は自分のオフィスの扉を開け、招き入れてくれた。
「同僚にもバレたよ、アルファだって」
和泉にはベータとして生きていこうという強い意志があった。それなのに、周囲に本当の性別が知られてしまったと、今は苦笑している。
「まあ、あまり変わらないけどな」
そんなものなのかもしれない。
和泉はベータでもアルファでも、この誠心医科大学病院のアルファ・べータ科の医師であることになんの変わりもない。それは朔耶もそうだ。メルト製薬のMRであることに変わりはない。
「それにメルト製薬の可愛いMRに手を出したというのもバレてて、からかわれた」
「可愛い……、ですか」
複雑な表情を浮かべてしまった朔耶に、和泉は苦笑する。
「小柄、ではないけど、線が細くて美人だからな」
めったに言われたことのない褒め言葉に、頬の体温が上がるのが分かった。
「そ、そうだ。長田から、資料を預かっています」
そう言って鞄から取り出した先程の報告書を渡す。和泉は、ありがとうと受け取り、タイトルを見ると、そのまましばらくその報告書を読みふけってしまった。
あの発情期で、結局和泉は朔耶の項を噛むことはなかった。
それは拒絶したということではなく、彼なりに覚悟を決める時間が必要なのだろうと理解した。
あれ以来、和泉が朔耶を大切に扱ってくれているというのは分かるので、急かさず静かに待とうと思っている。
そうだ、と和泉が思いついたように声を上げた。
「朔耶」
あれ以来、和泉は二人きりのときは朔耶のことを名前で呼ぶ。そんなさり気ないところで、彼にとってこれまでとは違う存在になれたと思うから、穏やかな気分で待てている。
「はい?」
「次、抑制剤が切れるのはいつだ? 今度から、うちに診察に来たらいい」
少し止まった。
え、と思った。
「ここにですか……?」
「そう」
「ということは…。僕の主治医が和泉先生ってこと?」
「和泉先生じゃないだろ」
「あ……。暁さん……」
「うん」
それは……と朔耶は少し躊躇う。
となると、この愛おしい人にすべてを診られるということになるのか。…おそらく、そうなのだろう。
「嫌か?」
「……いえ……。でも、考えると、ちょっと恥ずかしくて……」
そう素直に答えると、和泉は笑った。
「診察だろ。朔耶のことはすべて把握しておきたい。それに、今の主治医の先生よりも、俺の方が会う頻度は多いから抑制剤の処方をきめ細かく決められる」
和泉が朔耶の頬に指を這わせ、そして抱き寄せる。
糊のきいた白衣から香る、少し消毒液のような匂い。そして、心から安心できるサンダルウッドのような和泉の香り。
背中をさすられた。
「心配なんだよ」
そして和泉の顔が首筋に寄る。
「ほら。香りが漏れてる…」
くんくんとあからさまに嗅がれると恥ずかしい。
「えっ……」
動揺すると、和泉が顎に指を添えて考えている。
「俺と一緒にいるからかなぁ……」
おそらく和泉と一緒にいると、わずかながらも反応してしまうのだろう。
運命の番というやつなのかはどうかは別としても、惹かれあう存在であるというのは間違いはなさそうだ。
「今日は何時頃に上がれる?」
和泉が穏やかに問うてくる。
それはすなわち……。
「発情期は、まだまだ先ですよ」
「べつに、発情期ではないから抱けないっていう理屈はないだろ」
直接的な表現に朔耶はどきりとした。
思わず、和泉を見返すと、その瞳が艶めきを持って朔耶を見つめている。
こんなふうに見られるのは、思われるのは幸せだ。
嘆息した。
「もう…、先週あんなに…」
互いを睦みあったばかりなのに。下手すると今週末もずっとベッドの上かもしれない。
すると、和泉は笑った。
「先週は先週。今週は今週だ」
聞く耳を持っていない。
朔耶は呆れた。
ふと、和泉の持つ香りが強くなった気がした。
「許してくれ、この香りに煽られるんだ」
【了】
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
本編はここで終わりです(一応)
これでもかと自分の性癖を注ぎ込んだ作品に、お付き合いいただきありがとうございました。
番えたのか否かといえば、和泉先生が思った以上に慎重で、番うところまで至りませんでした。
書き終わって、了を付けておいてアレですが、和泉と朔耶が番う話は必要だと思ったので、完結にはしておりません。まだ続きます。
次話はようやく和泉と朔耶が番う話です。
もう少しお付き合い頂けると嬉しいです。
いつも彼のオフィスの前で、その白衣姿がやって来るのを廊下で待っていた。
日常的な風景なのだが、今日は約一週間ぶりだ。
「来たか」
和泉がこれまでより柔らかい笑みを浮かべてくれるのに嬉しくなり、朔耶は照れて、俯いた。
「まあとりあえず、仕事の話だな」
そう言って、和泉は自分のオフィスの扉を開け、招き入れてくれた。
「同僚にもバレたよ、アルファだって」
和泉にはベータとして生きていこうという強い意志があった。それなのに、周囲に本当の性別が知られてしまったと、今は苦笑している。
「まあ、あまり変わらないけどな」
そんなものなのかもしれない。
和泉はベータでもアルファでも、この誠心医科大学病院のアルファ・べータ科の医師であることになんの変わりもない。それは朔耶もそうだ。メルト製薬のMRであることに変わりはない。
「それにメルト製薬の可愛いMRに手を出したというのもバレてて、からかわれた」
「可愛い……、ですか」
複雑な表情を浮かべてしまった朔耶に、和泉は苦笑する。
「小柄、ではないけど、線が細くて美人だからな」
めったに言われたことのない褒め言葉に、頬の体温が上がるのが分かった。
「そ、そうだ。長田から、資料を預かっています」
そう言って鞄から取り出した先程の報告書を渡す。和泉は、ありがとうと受け取り、タイトルを見ると、そのまましばらくその報告書を読みふけってしまった。
あの発情期で、結局和泉は朔耶の項を噛むことはなかった。
それは拒絶したということではなく、彼なりに覚悟を決める時間が必要なのだろうと理解した。
あれ以来、和泉が朔耶を大切に扱ってくれているというのは分かるので、急かさず静かに待とうと思っている。
そうだ、と和泉が思いついたように声を上げた。
「朔耶」
あれ以来、和泉は二人きりのときは朔耶のことを名前で呼ぶ。そんなさり気ないところで、彼にとってこれまでとは違う存在になれたと思うから、穏やかな気分で待てている。
「はい?」
「次、抑制剤が切れるのはいつだ? 今度から、うちに診察に来たらいい」
少し止まった。
え、と思った。
「ここにですか……?」
「そう」
「ということは…。僕の主治医が和泉先生ってこと?」
「和泉先生じゃないだろ」
「あ……。暁さん……」
「うん」
それは……と朔耶は少し躊躇う。
となると、この愛おしい人にすべてを診られるということになるのか。…おそらく、そうなのだろう。
「嫌か?」
「……いえ……。でも、考えると、ちょっと恥ずかしくて……」
そう素直に答えると、和泉は笑った。
「診察だろ。朔耶のことはすべて把握しておきたい。それに、今の主治医の先生よりも、俺の方が会う頻度は多いから抑制剤の処方をきめ細かく決められる」
和泉が朔耶の頬に指を這わせ、そして抱き寄せる。
糊のきいた白衣から香る、少し消毒液のような匂い。そして、心から安心できるサンダルウッドのような和泉の香り。
背中をさすられた。
「心配なんだよ」
そして和泉の顔が首筋に寄る。
「ほら。香りが漏れてる…」
くんくんとあからさまに嗅がれると恥ずかしい。
「えっ……」
動揺すると、和泉が顎に指を添えて考えている。
「俺と一緒にいるからかなぁ……」
おそらく和泉と一緒にいると、わずかながらも反応してしまうのだろう。
運命の番というやつなのかはどうかは別としても、惹かれあう存在であるというのは間違いはなさそうだ。
「今日は何時頃に上がれる?」
和泉が穏やかに問うてくる。
それはすなわち……。
「発情期は、まだまだ先ですよ」
「べつに、発情期ではないから抱けないっていう理屈はないだろ」
直接的な表現に朔耶はどきりとした。
思わず、和泉を見返すと、その瞳が艶めきを持って朔耶を見つめている。
こんなふうに見られるのは、思われるのは幸せだ。
嘆息した。
「もう…、先週あんなに…」
互いを睦みあったばかりなのに。下手すると今週末もずっとベッドの上かもしれない。
すると、和泉は笑った。
「先週は先週。今週は今週だ」
聞く耳を持っていない。
朔耶は呆れた。
ふと、和泉の持つ香りが強くなった気がした。
「許してくれ、この香りに煽られるんだ」
【了】
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
本編はここで終わりです(一応)
これでもかと自分の性癖を注ぎ込んだ作品に、お付き合いいただきありがとうございました。
番えたのか否かといえば、和泉先生が思った以上に慎重で、番うところまで至りませんでした。
書き終わって、了を付けておいてアレですが、和泉と朔耶が番う話は必要だと思ったので、完結にはしておりません。まだ続きます。
次話はようやく和泉と朔耶が番う話です。
もう少しお付き合い頂けると嬉しいです。
99
あなたにおすすめの小説
たしかなこと
大波小波
BL
白洲 沙穂(しらす さほ)は、カフェでアルバイトをする平凡なオメガだ。
ある日カフェに現れたアルファ男性・源 真輝(みなもと まさき)が体調不良を訴えた。
彼を介抱し見送った沙穂だったが、再び現れた真輝が大富豪だと知る。
そんな彼が言うことには。
「すでに私たちは、恋人同士なのだから」
僕なんかすぐに飽きるよね、と考えていた沙穂だったが、やがて二人は深い愛情で結ばれてゆく……。
トップアイドルα様は平凡βを運命にする【完】
新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。
二人のアルファは変異Ωを逃さない!
コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
★お気に入り1200⇧(new❤️)ありがとうございます♡とても励みになります!
表紙絵、イラストレーターかな様にお願いしました♡イメージぴったりでびっくりです♡
途中変異の男らしいツンデレΩと溺愛アルファたちの因縁めいた恋の物語。
修験道で有名な白路山の麓に住む岳は市内の高校へ通っているβの新高校3年生。優等生でクールな岳の悩みは高校に入ってから周囲と比べて成長が止まった様に感じる事だった。最近は身体までだるく感じて山伏の修行もままならない。
βの自分に執着する友人のアルファの叶斗にも、妙な対応をされる様になって気が重い。本人も知らない秘密を抱えたβの岳と、東京の中高一貫校から転校してきたもう一人の謎めいたアルファの高井も岳と距離を詰めてくる。叶斗も高井も、なぜΩでもない岳から目が離せないのか、自分でも不思議でならない。
そんな岳がΩへの変異を開始して…。岳を取り巻く周囲の騒動は収まるどころか増すばかりで、それでも岳はいつもの様に、冷めた態度でマイペースで生きていく!そんな岳にすっかり振り回されていく2人のアルファの困惑と溺愛♡
白銀オメガに草原で愛を
phyr
BL
草原の国ヨラガンのユクガは、攻め落とした城の隠し部屋で美しいオメガの子どもを見つけた。
己の年も、名前も、昼と夜の区別も知らずに生きてきたらしい彼を置いていけず、連れ帰ってともに暮らすことになる。
「私は、ユクガ様のお嫁さんになりたいです」
「ヒートが来るようになったとき、まだお前にその気があったらな」
キアラと名づけた少年と暮らすうちにユクガにも情が芽生えるが、キアラには自分も知らない大きな秘密があって……。
無意識溺愛系アルファ×一途で健気なオメガ
※このお話はムーンライトノベルズ様にも掲載しています
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
本当にあなたが運命なんですか?
尾高志咲/しさ
BL
運命の番なんて、本当にいるんだろうか?
母から渡された一枚の写真には、ぼくの運命だという男が写っていた。ぼくは、相手の高校に転校して、どんな男なのか実際にこの目で確かめてみることにした。転校初日、彼は中庭で出会ったぼくを見ても、何の反応も示さない。成績優秀で性格もいい彼は人気者で、ふとしたことから一緒にお昼を食べるようになる。会うたびに感じるこの不思議な動悸は何だろう……。
【幼い頃から溺愛一途なアルファ×運命に不信感を持つオメガ】
◆初のオメガバースです。本編+番外編。
◆R18回には※がついています。
🌸エールでの応援ならびにHOTランキング掲載、ありがとうございました!
胎児の頃から執着されていたらしい
夜鳥すぱり
BL
好きでも嫌いでもない幼馴染みの鉄堅(てっけん)は、葉月(はづき)と結婚してツガイになりたいらしい。しかし、どうしても鉄堅のねばつくような想いを受け入れられない葉月は、しつこく求愛してくる鉄堅から逃げる事にした。オメガバース執着です。
◆完結済みです。いつもながら読んで下さった皆様に感謝です。
◆表紙絵を、花々緒さんが描いて下さいました(*^^*)。葉月を常に守りたい一途な鉄堅と、ひたすら逃げたい意地っぱりな葉月。
恋してみよう愛してみよう
大波小波
BL
北條 真(ほうじょう まこと)は、半グレのアルファ男性だ。
極道から、雇われ店長として、ボーイズ・バー『キャンドル』を任されている。
ある日、求人面接に来たオメガの少年・津川 杏(つがわ きょう)と出会う。
愛くるしい杏を、真は自分の家政夫として囲うことにしたが、この少年は想像以上にピュアでウブだった……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる