23 / 53
後日譚
番の本質(和泉視点) (1)
しおりを挟む
誠心医科大学病院のアルファ・オメガ科の医師、和泉暁の朝は早い。大抵は朝七時、早いときは六時半にはオフィスの扉を開けるのが日課だ。そんな時間に面会を求めてくる製薬会社の営業、MRも少なく、早朝は仕事が捗るためだ。
しかしここ半年ほど、その静寂は覆されている。
今朝も、和泉が朝六時半に出勤すると、その廊下で待っているスーツ姿の男がいる。アルファ・オメガ領域の抑制剤トップメーカー、メルト製薬のMR、新堂朔耶だ。
「おはようございます」
彼は朗らかに笑うが、昨日も夜遅くまで調べ物をしたのだろう、目が腫れぼったい。昨日は面倒なデータ収集など頼まなかったはずだが、と思いつつ、その頬に触れようとして、自制する。
「おはよう」
オフィスの鍵をあけ、扉を開く。そして、自分が入るより先に、朔耶を招き入れる。
「今日も早いな。さあ、どうぞ」
これが、今の日常だ。
「来月から弊社では和泉先生専属のMRを手配させていただきます」
和泉が、食えない男だと内心思っているメルト製薬の東京中央営業所長、長田からそのような話を聞いたのは今年の二月の終わりのことだった。
「……ずいぶん、私も偉く扱って頂けるようになったもんだな」
そう反応すると、長田からは「いやー、先生の要求に十分にお応えするには、正直専属を付けるしかないでしょう」と苦笑された。
たしかに処方方針を決めるために、リーディングカンパニーのメルト製薬のMRにはかなり過酷な資料を要求することもままある。それになかなか応えられない者もおり、長年の付き合いの長田にも、最初は手加減をしてやってほしいと懇願された。しかし、患者の命を預かっている以上、妥協はできないのが本音なのだ。
この三月から、「和泉付」として配属された新堂朔耶というこの青年は、初日からよく応えてくれた。
最初は気に障る存在だった。初めて見たときに、魂というか本能を揺さぶられるような気持ちに駆られ、早く離れたくて「その新人、使えるのか」と柄にもない感情的な暴言を吐いた。しかし、大人しそうな顔をして、振られた喧嘩は買う主義のようで、きっと無理だろうと思ったデータを、翌日の朝にはきっちりそろえて持ってきた。自身が薬剤師の資格を持ち、前職場が学術だったこともあり、バックグラウンドを活かしたデータ収集の嗅覚だけではなく、選別、処理、作成といった能力にも長けているようだった。
気付けば和泉はこの青年を手放すことができなくなっていた。
一方で、この青年から芳しい香りを感じていた。
彼はどうやらオメガらしかった。朔耶はオメガであることを偽り、ベータとしてこの病院に出入りしていた。
和泉自身、事情があって本来の第二の性であるアルファをベータと偽って毎日を送っている。それがヒート抑制剤を常用していても、影響を受けるのだ。
そんな朔耶の偽りが露見したのが三ヶ月程前に札幌で開催された、アルファ・オメガ学会での出来事だ。抑制剤の効き目がなくなり、会場で突如発情期を起こした朔耶を、和泉が介抱し、あっさりそのような関係になってしまった。和泉自身、朔耶のことを気に掛けていて、不意の発情期が始まった際には、すべてを引き受けると心に決めていた。なのに、当の朔耶はもっと肝が据わっていた。
番にしてほしいと請われたものの、断腸の思いだった和泉の拒絶を、誠実な言葉で、あっさり乗り越えてきてしまった。
「あなたが生きるために失った機能であるのならば……そしてそれ故に苦しむのなら、僕はそれを半分背負いたい」
これまでアルファという性でありながら不能という、ある種の矛盾を抱えた自分自身を、受け入れられなかったのだと、そのときに初めて和泉は気がついた。
彼は、そんな心をも癒やしてくれたのだ。
「ふたりで居れば、苦しみもいずれ和らぐ」
本当にそうなるのかは分からない。でも、彼が自分を受け入れてくれた事実が、とてつもなく嬉しくて、涙が出るほどに嬉しくて。
救われた気がした。
彼を大事にしたい、とそう思った。
しかし、前回の発情期では、項を噛んで番にすることはできなかった。
その覚悟がつかなかった。
しかしここ半年ほど、その静寂は覆されている。
今朝も、和泉が朝六時半に出勤すると、その廊下で待っているスーツ姿の男がいる。アルファ・オメガ領域の抑制剤トップメーカー、メルト製薬のMR、新堂朔耶だ。
「おはようございます」
彼は朗らかに笑うが、昨日も夜遅くまで調べ物をしたのだろう、目が腫れぼったい。昨日は面倒なデータ収集など頼まなかったはずだが、と思いつつ、その頬に触れようとして、自制する。
「おはよう」
オフィスの鍵をあけ、扉を開く。そして、自分が入るより先に、朔耶を招き入れる。
「今日も早いな。さあ、どうぞ」
これが、今の日常だ。
「来月から弊社では和泉先生専属のMRを手配させていただきます」
和泉が、食えない男だと内心思っているメルト製薬の東京中央営業所長、長田からそのような話を聞いたのは今年の二月の終わりのことだった。
「……ずいぶん、私も偉く扱って頂けるようになったもんだな」
そう反応すると、長田からは「いやー、先生の要求に十分にお応えするには、正直専属を付けるしかないでしょう」と苦笑された。
たしかに処方方針を決めるために、リーディングカンパニーのメルト製薬のMRにはかなり過酷な資料を要求することもままある。それになかなか応えられない者もおり、長年の付き合いの長田にも、最初は手加減をしてやってほしいと懇願された。しかし、患者の命を預かっている以上、妥協はできないのが本音なのだ。
この三月から、「和泉付」として配属された新堂朔耶というこの青年は、初日からよく応えてくれた。
最初は気に障る存在だった。初めて見たときに、魂というか本能を揺さぶられるような気持ちに駆られ、早く離れたくて「その新人、使えるのか」と柄にもない感情的な暴言を吐いた。しかし、大人しそうな顔をして、振られた喧嘩は買う主義のようで、きっと無理だろうと思ったデータを、翌日の朝にはきっちりそろえて持ってきた。自身が薬剤師の資格を持ち、前職場が学術だったこともあり、バックグラウンドを活かしたデータ収集の嗅覚だけではなく、選別、処理、作成といった能力にも長けているようだった。
気付けば和泉はこの青年を手放すことができなくなっていた。
一方で、この青年から芳しい香りを感じていた。
彼はどうやらオメガらしかった。朔耶はオメガであることを偽り、ベータとしてこの病院に出入りしていた。
和泉自身、事情があって本来の第二の性であるアルファをベータと偽って毎日を送っている。それがヒート抑制剤を常用していても、影響を受けるのだ。
そんな朔耶の偽りが露見したのが三ヶ月程前に札幌で開催された、アルファ・オメガ学会での出来事だ。抑制剤の効き目がなくなり、会場で突如発情期を起こした朔耶を、和泉が介抱し、あっさりそのような関係になってしまった。和泉自身、朔耶のことを気に掛けていて、不意の発情期が始まった際には、すべてを引き受けると心に決めていた。なのに、当の朔耶はもっと肝が据わっていた。
番にしてほしいと請われたものの、断腸の思いだった和泉の拒絶を、誠実な言葉で、あっさり乗り越えてきてしまった。
「あなたが生きるために失った機能であるのならば……そしてそれ故に苦しむのなら、僕はそれを半分背負いたい」
これまでアルファという性でありながら不能という、ある種の矛盾を抱えた自分自身を、受け入れられなかったのだと、そのときに初めて和泉は気がついた。
彼は、そんな心をも癒やしてくれたのだ。
「ふたりで居れば、苦しみもいずれ和らぐ」
本当にそうなるのかは分からない。でも、彼が自分を受け入れてくれた事実が、とてつもなく嬉しくて、涙が出るほどに嬉しくて。
救われた気がした。
彼を大事にしたい、とそう思った。
しかし、前回の発情期では、項を噛んで番にすることはできなかった。
その覚悟がつかなかった。
66
あなたにおすすめの小説
たしかなこと
大波小波
BL
白洲 沙穂(しらす さほ)は、カフェでアルバイトをする平凡なオメガだ。
ある日カフェに現れたアルファ男性・源 真輝(みなもと まさき)が体調不良を訴えた。
彼を介抱し見送った沙穂だったが、再び現れた真輝が大富豪だと知る。
そんな彼が言うことには。
「すでに私たちは、恋人同士なのだから」
僕なんかすぐに飽きるよね、と考えていた沙穂だったが、やがて二人は深い愛情で結ばれてゆく……。
トップアイドルα様は平凡βを運命にする【完】
新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。
二人のアルファは変異Ωを逃さない!
コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
★お気に入り1200⇧(new❤️)ありがとうございます♡とても励みになります!
表紙絵、イラストレーターかな様にお願いしました♡イメージぴったりでびっくりです♡
途中変異の男らしいツンデレΩと溺愛アルファたちの因縁めいた恋の物語。
修験道で有名な白路山の麓に住む岳は市内の高校へ通っているβの新高校3年生。優等生でクールな岳の悩みは高校に入ってから周囲と比べて成長が止まった様に感じる事だった。最近は身体までだるく感じて山伏の修行もままならない。
βの自分に執着する友人のアルファの叶斗にも、妙な対応をされる様になって気が重い。本人も知らない秘密を抱えたβの岳と、東京の中高一貫校から転校してきたもう一人の謎めいたアルファの高井も岳と距離を詰めてくる。叶斗も高井も、なぜΩでもない岳から目が離せないのか、自分でも不思議でならない。
そんな岳がΩへの変異を開始して…。岳を取り巻く周囲の騒動は収まるどころか増すばかりで、それでも岳はいつもの様に、冷めた態度でマイペースで生きていく!そんな岳にすっかり振り回されていく2人のアルファの困惑と溺愛♡
白銀オメガに草原で愛を
phyr
BL
草原の国ヨラガンのユクガは、攻め落とした城の隠し部屋で美しいオメガの子どもを見つけた。
己の年も、名前も、昼と夜の区別も知らずに生きてきたらしい彼を置いていけず、連れ帰ってともに暮らすことになる。
「私は、ユクガ様のお嫁さんになりたいです」
「ヒートが来るようになったとき、まだお前にその気があったらな」
キアラと名づけた少年と暮らすうちにユクガにも情が芽生えるが、キアラには自分も知らない大きな秘密があって……。
無意識溺愛系アルファ×一途で健気なオメガ
※このお話はムーンライトノベルズ様にも掲載しています
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
本当にあなたが運命なんですか?
尾高志咲/しさ
BL
運命の番なんて、本当にいるんだろうか?
母から渡された一枚の写真には、ぼくの運命だという男が写っていた。ぼくは、相手の高校に転校して、どんな男なのか実際にこの目で確かめてみることにした。転校初日、彼は中庭で出会ったぼくを見ても、何の反応も示さない。成績優秀で性格もいい彼は人気者で、ふとしたことから一緒にお昼を食べるようになる。会うたびに感じるこの不思議な動悸は何だろう……。
【幼い頃から溺愛一途なアルファ×運命に不信感を持つオメガ】
◆初のオメガバースです。本編+番外編。
◆R18回には※がついています。
🌸エールでの応援ならびにHOTランキング掲載、ありがとうございました!
胎児の頃から執着されていたらしい
夜鳥すぱり
BL
好きでも嫌いでもない幼馴染みの鉄堅(てっけん)は、葉月(はづき)と結婚してツガイになりたいらしい。しかし、どうしても鉄堅のねばつくような想いを受け入れられない葉月は、しつこく求愛してくる鉄堅から逃げる事にした。オメガバース執着です。
◆完結済みです。いつもながら読んで下さった皆様に感謝です。
◆表紙絵を、花々緒さんが描いて下さいました(*^^*)。葉月を常に守りたい一途な鉄堅と、ひたすら逃げたい意地っぱりな葉月。
恋してみよう愛してみよう
大波小波
BL
北條 真(ほうじょう まこと)は、半グレのアルファ男性だ。
極道から、雇われ店長として、ボーイズ・バー『キャンドル』を任されている。
ある日、求人面接に来たオメガの少年・津川 杏(つがわ きょう)と出会う。
愛くるしい杏を、真は自分の家政夫として囲うことにしたが、この少年は想像以上にピュアでウブだった……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる