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閑話
懐かしき思い出(朔耶視点)
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「あれ、高城先生。どうされたんですか? ずいぶんお疲れのようですが……」
メルト製薬のMRである新堂朔耶は、誠心医科大学病院のアルファ・オメガ科の若手医師、高城裕哉が憂鬱そうにため息を吐いているのが視界に入った。同病院の医局に顔を出したときのことである。高城は一番手前の席のため、入室したとたん目に付いたのだ。
誠心医科大学病院のアルファ・オメガ科には五人の医師が在籍している。そのうちの一人が、朔耶の番である和泉暁で、今でも朔耶の担当は彼一人であるが、最近は他の医師ともコミュニケーションが取れてきていて、その僅かな変化も分かるようになってきていた。高城は朔耶とも年齢が近いため親近感があった。
「新堂くん。よくぞ聞いてくれたよ」
そう言って高城は再びため息を吐く。
「実はさ、自宅マンションの近くで水道工事があってさ、結構大規模で先日から夜間断水が続いているんだ。昼間は水が出るらしいけど、僕が昼間に家にいるわけないじゃん? もうずっと断水なんだよ」
高城によると、最近引っ越したようで、新居でそのような憂き目に遭っているらしい。しかも近隣の地盤が緩いらしく、工事に時間がかかるとのこと。たしかに、朝早く出勤して深夜に帰宅する生活をしている高城が、まともに水が出る生活を送るのは難しそうだ。
「それは……大変ですね。お風呂に入れないですし……」
我が意を得たりと高城が頷く。
「なんだよー。ここ一週間銭湯なんだけど……遠くて。かといって病院のシャワーを使うのは、当直でもないと気が引けるし……」
そして高城はまたため息を吐く。
おそらく引っ越したばかりで、土地勘もないためか、かなりのストレスになっている様子。
「先生はどちらにお住まいなんですか?」
「高円寺」
それは幸い。朔耶は高円寺には強かった。
「なら、南口の安岐の湯ってご存じですか? 駅近で夜中までやってる銭湯なので、おすすめですよ」
「詳しいね。高円寺に住んでるの?」
「いえ、学生時代に住んでいただけです」
しかも、現在住んでいる三軒茶屋から近く神楽坂に引っ越す予定である。
「学生時代ね……。銭湯に行ったりしたんだ?」
そう高城は言ってから、はたと仕草が止まった。
銭湯は主にベータの人々の文化だ。アルファもオメガも入れないわけではないが、アルファはほとんど行く機会などない。またオメガも公共の施設で項をさらすのは危険だ。もちろん何かあれば犯罪として取り締まられるが、それでも銭湯にいく習慣はあまりないだろう。高城は朔耶の第二の性を思い出したに違いない。
「昔は……学生時代はよく行っていましたよ」
「でも、新堂君はオメガでしょ」
普段、はっきり第二の性を指摘される機会はあまりない。しかし、高城はアルファ・オメガ科の医師だ。そのあたりには頓着しない。
「僕の両親はベータなので、わりと子供の頃から銭湯には親しんでいましたよ。好きなんです」
昔はよく父親に連れて行って貰っていた。自宅の風呂はやはり少し狭いため、脚を伸ばして入りたいのだ。親子三人で銭湯に行き、風呂上がりにアイスを買って貰うのが楽しみで、懐かしい思い出だ。
その銭湯に通う習慣は独り暮らしを始めてもしばらく続いた。
もちろんオメガであることは分かっていたが、抑制剤の効きが良かったため周りからはベータだと思われていた。朔耶自身、ベータの両親から産まれた、ベータに近いオメガだと思っていたのだ。
それに警戒も怠らなかった。ちゃんと人気の少ない時間を狙った。学生時代のささやかな贅沢だ。高城が住んでいる高円寺近隣の銭湯事情には詳しいのはそのためだ。
しばらく仕事が忙しくて、銭湯もなかなか行けなかった。また、行ってみるのも懐かしくて楽しいに違いない。風呂上がりのアイスの美味しさも伝えたい!
「もしよろしければ、今後ご一緒に!」
そう身を乗り出した朔耶に、そのまま引くようになぜか高城が身を引いた。
「い……いや、だだだ大丈夫」
「高城先生?」
「あ、新堂くん……う、しろ」
「朔耶」
ここは医局なのに、なぜか自分の名前を呼ぶ声。振り返ると、目に入ったのは白衣。それをずっと辿って視線を上げていくと、自分の番が、悩ましげな表情を浮かべていた。
「そのあたりの話。オレの部屋で詳しく聞かせて貰おうかな」
「え。和泉先生?」
朔耶の腕を和泉が掴む。朔耶はぐっと和泉の方に引き寄せられた。
和泉が、高城を一瞥する。
「高城、今の話」
「もちろん、自分はなにも聞いてません!」
「よろしい」
そんな短いやりとりがなされ、朔耶はそのまま和泉のオフィスに連れていかれたのであった。
【了】
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
朔耶は普通のベータの家庭に育った子なので、銭湯温泉大好きなのですが、もちろん和泉先生には言ってはならないことのようでした。
ちょっと迂闊だったね、朔耶よ…。
メルト製薬のMRである新堂朔耶は、誠心医科大学病院のアルファ・オメガ科の若手医師、高城裕哉が憂鬱そうにため息を吐いているのが視界に入った。同病院の医局に顔を出したときのことである。高城は一番手前の席のため、入室したとたん目に付いたのだ。
誠心医科大学病院のアルファ・オメガ科には五人の医師が在籍している。そのうちの一人が、朔耶の番である和泉暁で、今でも朔耶の担当は彼一人であるが、最近は他の医師ともコミュニケーションが取れてきていて、その僅かな変化も分かるようになってきていた。高城は朔耶とも年齢が近いため親近感があった。
「新堂くん。よくぞ聞いてくれたよ」
そう言って高城は再びため息を吐く。
「実はさ、自宅マンションの近くで水道工事があってさ、結構大規模で先日から夜間断水が続いているんだ。昼間は水が出るらしいけど、僕が昼間に家にいるわけないじゃん? もうずっと断水なんだよ」
高城によると、最近引っ越したようで、新居でそのような憂き目に遭っているらしい。しかも近隣の地盤が緩いらしく、工事に時間がかかるとのこと。たしかに、朝早く出勤して深夜に帰宅する生活をしている高城が、まともに水が出る生活を送るのは難しそうだ。
「それは……大変ですね。お風呂に入れないですし……」
我が意を得たりと高城が頷く。
「なんだよー。ここ一週間銭湯なんだけど……遠くて。かといって病院のシャワーを使うのは、当直でもないと気が引けるし……」
そして高城はまたため息を吐く。
おそらく引っ越したばかりで、土地勘もないためか、かなりのストレスになっている様子。
「先生はどちらにお住まいなんですか?」
「高円寺」
それは幸い。朔耶は高円寺には強かった。
「なら、南口の安岐の湯ってご存じですか? 駅近で夜中までやってる銭湯なので、おすすめですよ」
「詳しいね。高円寺に住んでるの?」
「いえ、学生時代に住んでいただけです」
しかも、現在住んでいる三軒茶屋から近く神楽坂に引っ越す予定である。
「学生時代ね……。銭湯に行ったりしたんだ?」
そう高城は言ってから、はたと仕草が止まった。
銭湯は主にベータの人々の文化だ。アルファもオメガも入れないわけではないが、アルファはほとんど行く機会などない。またオメガも公共の施設で項をさらすのは危険だ。もちろん何かあれば犯罪として取り締まられるが、それでも銭湯にいく習慣はあまりないだろう。高城は朔耶の第二の性を思い出したに違いない。
「昔は……学生時代はよく行っていましたよ」
「でも、新堂君はオメガでしょ」
普段、はっきり第二の性を指摘される機会はあまりない。しかし、高城はアルファ・オメガ科の医師だ。そのあたりには頓着しない。
「僕の両親はベータなので、わりと子供の頃から銭湯には親しんでいましたよ。好きなんです」
昔はよく父親に連れて行って貰っていた。自宅の風呂はやはり少し狭いため、脚を伸ばして入りたいのだ。親子三人で銭湯に行き、風呂上がりにアイスを買って貰うのが楽しみで、懐かしい思い出だ。
その銭湯に通う習慣は独り暮らしを始めてもしばらく続いた。
もちろんオメガであることは分かっていたが、抑制剤の効きが良かったため周りからはベータだと思われていた。朔耶自身、ベータの両親から産まれた、ベータに近いオメガだと思っていたのだ。
それに警戒も怠らなかった。ちゃんと人気の少ない時間を狙った。学生時代のささやかな贅沢だ。高城が住んでいる高円寺近隣の銭湯事情には詳しいのはそのためだ。
しばらく仕事が忙しくて、銭湯もなかなか行けなかった。また、行ってみるのも懐かしくて楽しいに違いない。風呂上がりのアイスの美味しさも伝えたい!
「もしよろしければ、今後ご一緒に!」
そう身を乗り出した朔耶に、そのまま引くようになぜか高城が身を引いた。
「い……いや、だだだ大丈夫」
「高城先生?」
「あ、新堂くん……う、しろ」
「朔耶」
ここは医局なのに、なぜか自分の名前を呼ぶ声。振り返ると、目に入ったのは白衣。それをずっと辿って視線を上げていくと、自分の番が、悩ましげな表情を浮かべていた。
「そのあたりの話。オレの部屋で詳しく聞かせて貰おうかな」
「え。和泉先生?」
朔耶の腕を和泉が掴む。朔耶はぐっと和泉の方に引き寄せられた。
和泉が、高城を一瞥する。
「高城、今の話」
「もちろん、自分はなにも聞いてません!」
「よろしい」
そんな短いやりとりがなされ、朔耶はそのまま和泉のオフィスに連れていかれたのであった。
【了】
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朔耶は普通のベータの家庭に育った子なので、銭湯温泉大好きなのですが、もちろん和泉先生には言ってはならないことのようでした。
ちょっと迂闊だったね、朔耶よ…。
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