仇討ちの娘

サクラ近衛将監

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第三章 風魔

3ー5 加賀五芳香姫

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 かがりは同じ歳の姫様が大好きである。
 目下に優しく、目上の者には礼を払う。

 禄高二百四十石、小身の陪臣の出自だからと言って卑屈ひくつな態度ではなく、真摯しんしに芸事に励み、知識を得るために陰で努力をしている。
 暇があると書庫に行き、加賀藩のさまざまの記録や歴史をひも解いており、書庫を任されている書院番や祐筆ゆうひつよりも書物の有り場所を知っている。

 加賀名産の蒔絵まきえを見たことはあっても、どのようにしてそれが生み出されるかを知る者は少ないだろう。
 恥ずかしながら、加賀で生まれ育ったかがりもしかとは知らなかった。

 だがこの姫様は必要とあれば半日をかけて人に説明できるだけの知識をその書庫から仕入れており、実際に説明ができるのである。
 おそらくは蒔絵の優劣さえも目利きができるのではないかと思う。

 性格なのかもしれぬが、それでいて決して知ったかぶりをしないし、おごりもしない。
 いつでもそこにあるのは、真摯な向上心と人へのいたわりの心である。

 だからかがりはこの姫様を敬愛している。
 いつにてもこの姫様のためならば死をもいとわない。

 だが、さっきのような場面ではきっとかがりの身を労わって、刃の下に身をさらすのは姫様自身でしようとするだろう。
 風魔のくの一の体術には正直言って驚いている。

 かがりも七尾の里では一、二を競う腕達者のくの一であったが、あれほどの素早さと体術で襲撃されれば苦戦するだろう。
 良くて相打ちではないかと思っている。

 その襲撃を苦も無くかわした姫様こそ希代の女武者であると言える。
 かがりも自分の容姿には自信を持っていたが、この姫様の美貌にはかなわない。

 ほとんど化粧をせずに、御殿衣装が似合うのは、このお人だけだろうと思う。
 上背も並みの男以上にあり、乳房も良く張っている。

 陰部の陰りは薄いが、女でさえ見惚れるほど見事な肢体をもっていることをかがりは知っている。
 一緒に湯殿に入り、姫様の身体を洗い、髪を洗ってやるのはお付女中のかがりとお咲の務めだからである。

 かがりやお咲と違うのは脚が長いことかもしれない。
 かがりと彩華姫では、背丈に三寸近くの差があるが、実のところ座高では左程違わないのである。

 それと同じ付女中であるお咲は垂れ尻であるが、彩華姫の尻は見事なほど形がいい。
 自分では詳細に見たことは無いが、おそらくかがりのお尻の形も彩華姫に似ているはずである。

 腹筋、背筋と脚部に適度の運動量を与えてやらないとそうはならない。
 あるいは彩華姫が毎日行っている剣の稽古が腹筋、背筋を鍛え、脚と尻の形もよくしているのかもしれない。

 ある意味で彩華姫のお尻はくの一の尻なのである。
 ただ、くの一のように一日三十里を掛け抜けるようなことは今のところできないはずである。

 彩華姫の性格と我慢強さからすれば、鍛錬を始めれば短期間で一日三十里でも駆け抜けることができるのかもしれない。
 かがりがこの屋敷に到着した時からそのような場面をいくつも見ている。

 全く素養が無かったはずの香道こうどうは、すぐに師匠とされていた奥女中を超えるようになった。
 香はいてくのであるが、彩華姫は焚く前の香木でその香気を推測してしまうのである。

 彩華姫が焚く前の香木を一つ一つ手に取り、香りを聞いているのを見た。
 加賀藩の蔵に納められていた香木は全部で二百種類ほどもあったが、その全てを半日かけて確認したのである。

 これは姫様のご要望だからこそ成し得たことである。
 そうして三日後に開かれた香道のお稽古では、香木を焚いてすぐにその種類が聞き分けられていた。

 香道では複数の香木を組み合わせて焚くこともあるが、それすらも姫は聞き分けることができたのである。
 香道自体は、香を楽しむものであって必ずしも当てっこをするものではない。

 その所作、礼儀などがその際に要求されるだけである。
 師走六日に開かれた香道のお稽古では、彩華姫が持参した香木を焚いたのだが、えも言われぬ香りが部屋に満ちた。

 はかなげなさわやかさでありながら高貴な香りだった。
 そのような香りを発する香木は、蔵の中には無かったはずである。

 師匠であるお千恵がたずねた。

「姫様、これは何と言う香木でしょうか?」

「さて、何と名を付けましょうか。
 庭にある桜の樹皮、松の葉、みかんの皮、それに僅かに伽羅きゃらを混ぜたものを粉末にし、水を加えて乾燥させたものなのです。
 概ね狙い通りの香気が得られました。」

「まぁ。
 ご自分でお造りになられたのですか。
 伽羅は高価な品物ですが、後は身近にある物ばかり。
 それでこのような香りを生むことができるなど・・・。
 姫様、この香木の残りはございましょうか。」

「はい、ために作ったものですが二、三回分は残っていましょう。」

「恐れ入りまする。
 私におさげ渡しいただけましょうや。
 出入りの高麗屋こうらいやに見せとうございます。
 あるいは加賀藩の名産にできるやもしれません。」
 
 彩華姫はにっこり微笑んでうなずいた。
 その日から十日ほど経って、千恵が姫様の元へ報告に来た。

「高麗屋が持ち帰ってその香りを聞き、翌日になって高麗屋が藩邸を訪れ、是非この香木があればお譲り願いたいと申し入れをして参りました。
 一回分の量で二朱のお支払いをすると申し出ておりました。
 無論、商人の値切りが入りましょうから値を吊り上げて参りますと、一分二朱まで値を引き上げましてございます。」

「まぁ、千恵殿は商い上手なのですね。
 でも手元にはもうありませんよ。」

「はい、それで、是非に姫様にこの香木の作り方を伝授していただきとうございます。
 その作り方を私が実家に持ち帰り、実家の加賀屋で造り出してみたいのです。
 一回分おそらく二分ほどの金額になりましょうが、その金額なれば好事家こうずかには願っても無い香りが楽しめるのですからかなりの量がさばけましょう。
 また、吉原の太夫たゆうがお使いになればすぐにも其の良さがまたたく間に広まりましょう。」

 千恵は年季明けで実家に戻ることになっていた。
 加賀屋は金沢に本拠を持ち、江戸にあるのは支店であり、千恵は支店を視点を任されている店主の娘であった。

 来年初夏には金沢本店の番頭との婚儀が決まっていると聞いている。

「千恵様、実家が潤うのは結構ですが、姫様には何もないのですか。」

 かがりが厚かましく口を挟んだ。

「もちろん、姫様には利益の二割をお納めいただくようにいたします。
 それよりも、姫様のお力で更なる香木をお造りいただけぬでしょうか。
 高麗屋は老舗しにせの香屋でございますが、全く新たな香りの出現に驚いておりました。
 そのような新たなものを生み出す力は私どもにはございませぬ。
 私が嫁ぐのは金沢の本家の番頭でございますが、本家には子が居りませぬ。
 そこで私を養女に迎え、信頼の厚い番頭与助を婿養子にすることになっております。
 加賀屋の本店なれば、長崎の加賀屋支店を通じて伽羅を買い求めることも十分に可能でございます。
 その伽羅を使い、加賀屋本店で工房を作ってそこでこの新たな香木を作り、江戸に運んで商いといたしたいのでございます。
 加賀屋は加賀友禅、螺鈿らでん細工、蒔絵など様々な工芸品を商っておりますが、いずれも品が嵩張かさばりますので運搬に経費を必要としますが、香木なれば僅かの量で高い利益を生むことも可能です。
 加賀屋全体の売り上げからすれば左程の額とはならないかも知れませぬが、ひいては加賀藩の利益にもつながりましょう。
 姫様のお力をどうかお貸し願いまする。」

「わかりました。
 先ほどの香木の作り方は、分量さえ正確に仕事をしてもらえば、さほど難しいものではありませぬ。
 後で紙に書いてお渡ししましょう。
 くれぐれも関係者以外には知られないようにすることが大事ですよ。
 秘密が漏れれば、利益はなくなります。
 それと・・・。
 新たな香りの香木ですが、三つほど考えている物もありますから、近々試してみましょう。
 千恵殿がこのお屋敷を出る前には何とか致したいですね。」

 千恵は、それこそこれまで見せたことのない笑顔で破顔した。
 師走の二十四日までに姫様は約束を守った。

 新たに四つの香木を生み出したのである。
 そのいずれもが高貴な香りを漂わせ、それぞれに風雅、鎮静、陶酔などを感じさせる代物であったが、一つはかなりきわどい品であった。

 うっすらとではあるが妖艶ようえんな香りなのである。
 千恵が言っていた吉原に売り込むための品として一緒に持ち込むのがよいでしょうと助言をしてくれたのである。

 彩華姫は詳細な絵図を付した解説書を作り、香を薄く引き伸ばした棒状の渦巻きにすることやそのための新たな香炉をも絵図でいくつか示していた。
 従来の香炉に比べるとやや大振り円形のものである。

 磁器若しくは鉄器がその素材として選ばれていた。
 一年後、加賀屋本家から加賀五芳香姫ごぼうこうきと名付けられた香木が好事家に知れ渡った。

 中でも新吉原では爽やかでありながら妖艶、高貴な香りを放つ加賀艶姫つやひめが大人気を博していた。
 楼閣の花魁おいらんが好んでこの香木を使ったからである。

 彩華姫が輿入れしてから後のことではあるが、正徳四年から毎年年の瀬には江戸加賀屋から利益の二割が加賀藩に届けられることになった。
 本来は彩華姫に送られるべきものであったが、彩華姫から千恵には加賀藩へお届けする様指示されていたのである。

 奉書に彩華姫化粧料と記載され、その由来が一枚の紙に記されてあった。
 その額は最初の歳こそ二十両と少なかったが、翌年からは五百両を下回ることはなく加賀藩上屋敷の大事な収入源の一つになっていた。

 香木を扱う高麗屋にも卸されたが、その量は少なくいつも品薄状態であったようである。

 ◇◇◇◇

 正徳四年卯月五日、加賀藩の参勤帰路の旅が始まった。
 この年は東海道を使って琵琶湖のほとりに達し、そこから一旦京へ向かう異例の経路である。

 しかもお伴の者は通常の場合よりも多くなった。
 それまで三千名ほどの行列がその年は四千名に増えていた。

 また、その中ほどに輿入れのための行列が花を添えていた。
 奥女中数十名が行列に加わっているのである。

 その輿入れの女衆のあとにはかなりの数の長持ちが続いている。
 加賀藩のお泊りは宿場町全体の貸切状態となり、それでも足りずに最寄りの宿坊が借りられた。

 貧乏大名の参勤と異なり、加賀家の支払いは定法通り行われ、後には塵一つ残さぬ配慮を見せた。
 道中において、大井川の川止めに遭遇し三日ほど遅くなったが、正徳四年卯月二十二日、無事に京へ入った一行は、河原町御池にある加賀藩京屋敷に入ったのである。

 無論四千名の家臣従者が京屋敷に入りきれるわけも無く、半数以上は京都にあるいくつかの寺社に分散して厄介になることになった。
 そのための手配りは歳が開けてからすぐに始められていたのである。
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