【完結】夫が私に魅了魔法をかけていたらしい

綺咲 潔

文字の大きさ
6 / 17

6話 夫の告白

しおりを挟む
「申し訳ございません、エリーゼ様。店から出てすぐに彼女の跡をつけたのですが、見失ってしまいました」


 私が公爵邸に帰り着いて変装を解いてから間もなく、神妙な面持ちのユアンさんが報告にやって来た。


 ユアンさんはどうして彼女を見失ったか分からないらしく、狐につままれたような様子だった。


「……そうですか。ユアンさん、本日はお付き合いくださりありがとうございます。どうか、お気になさらないでね」


 平静へいせいよそおう私の返事を聞き、部屋まで付き添ってくれていたメリダさんが口を開いた。


「奥様、こんな時にまで息子に気を遣わなくて構わないのですよ?」
「母の言う通りです。力になれなかった私に気遣いなど――」
「気遣いではありませんし、あなたは申し分ないほど力になってくれました。今日の目的は、噂の真相を確かめること。そして、それは十分に果たされました」

 
 そう、嘘だと確かめるために行ったのに、噂は本当だったという結果として。


「ですが……」


 ユアンさんはきっと歯がゆいのだろう。
 しかし、もの言いたげな顔で私を見つめてきたものの、そのさきは続けなかった。


「奥様、少し休まれますか?」
「ええ、そうさせてもらいます。……少し一人にしてください」


 訊ねたメリダさんは、私の表情を見て心配そうに眉間にしわを寄せた。
 だが、私を慮ってくれたのだろう。
 彼女は息子のユアンさんと連れ立ち、未練を滲ませた表情ながらも部屋を後にした。


――これから私はどうすべきなのかしら?


 今日この目で見た出来事を思い出し、私はまるで心にぽっかりと穴が開いたような感覚に陥っていた。


 あんな光景を見たら、普通は怒りが湧くと思っていた。愛する夫が、どこの馬の骨とも知れぬ女と密会をしていたのだから。


 だけど、誰かが言っていたみたいに怒りは本当に二次感情らしい。


 今の私の心を支配するのは、怒りの感情よりも、悲しみや苦しみ、不安や虚しさだった。


『本能だから仕方ない……。好きなんて言葉じゃ足りないくらい愛してるよ』


 ふと、リアスが女性に言っていた言葉を思い出す。


 こんな言葉、ただの仕事関係の人間にかけるだろうか?


 リアス以外の男性と交際経験が無い私でも、さすがにありえないことくらいは分かる。


 ただその言葉の前後の文脈が分からないため、決定的な不倫を裏付ける証拠とは断言しきれない。


 まあこれは、リアスに限ってという条件付きではあるのだが。


 しかし、公爵である彼はあの女性に砕けた口調を許しているようだった。そのことは、二人の仲がそれなりに深いことを表していた。


「はぁ……」


 ひどく重たい息が心の底から込み上げてきた。


 例の女性は、リアスに好意的な様子だった。

 
 怖くてあまり顔を見られなかったが、断片的に聞こえたリアスの言葉だけで判断すると、好意こそ測れなくとも、彼が女性に気を許していることだけは確かだった。


 もし、彼が本当にあの女性に恋しているというのなら、私は二人の恋路を邪魔する悪妻でしかない。


――いつの日か、リアスから離婚したいと言われるのかしら?


 怒りが湧いたら、きっと私の気持ちも変わると思う。
 だけど、今の私にはリアスが居ない生活なんて、とても考えられない。


 ましてや離婚宣告なんて、とても耐えられそうになかった。


「どうしてこんなことに……」


 コンコンッ――


 突然部屋のドアをノックする音が聞こえた。


 だが、今の私はとても人と対応できる自信が無い。そのため、入室を断ろうと口を開いた。


「ごめんなさい。今は――」
「エリーゼ、僕だけど……」


 心臓がドクンと跳ねた。
 その声の主は紛れもない私の夫、ラディリアス・ヴィルナーだったからだ。


「リアス……なの?」
「ああ」


 彼は肯定するとガチャリと扉を開けた。
 夫婦同士ならば、決してマナー違反ではない。少なくとも私たちの間では。


 ただ、今日だけはその行動をしないでほしかったと思いながら、私は咄嗟とっさに表情を繕った。そして、何事も無かったように姿勢を正した。


「エリーゼ、大事な話があるんだ。今、時間は大丈夫だろうか?」


 時間は大丈夫だが、心は大丈夫では無い。


 だが、ここで断ったらリアスが私を不審がって、今日彼らの姿を見た事がバレてしまうだろう。


 それだけはダメだ。二人の関係に確信を持つまでは、絶対に隠し通さなければならない。


 となると、私の答えは一つしか無かった。


「大丈夫よ! それより大事な話って何かしら?」


 いつも通りの私の声に聞こえるよう、わざとトーンを上げて明るい笑顔で返す。


 リアスはそんな私を見ても怪しむ様子はない。その代わり、少し暗い雰囲気を纏わせて言葉を続けた。


「場所を談話室に移せないかな? 話の内容も含めて、そこで伝えたいんだ」


 なぜ談話室なのだろうか。
 それに、大事な話とはどれほどのものなのか……。


 そんな疑問は湧くが、いつもの私ならきっとこう答えるだろう。


「分かったわ。さあ、行きましょう」


 できるだけリアスを直視しないよう気をつけ、明るく振る舞いながら談話室へと足を進めた。


 結婚してから約二年、私にとって人生最大のピンチが訪れる予感がした。


 ◇◇◇


「エリーゼ」


 談話室に移動し向かい合って座るなり、彼が私の名を呼んだ。


「どうしたの、リアス?」


 ドクドクと脈打つ乱れた鼓動を隠すため逸らしていた視線を、おずおずと彼の顔に戻した。


 “初恋”なんて通り名の見る影もないほど、憂悶ゆうもんの表情を浮かべた彼が視界に映る。
 ここまで思い詰めたリアスの表情を見るのは、初めてだ。


 そのことに動揺しそうになりながらも、あくまで私は平静の装いを貫く。


 すると彼は軽く目を伏せ、やがて形の良い口唇からいつもの彼らしからぬ硬い声を発した。


「……すまない。君にずっと隠していたことがあるんだ」


 その言葉に、指先から凍りつくような感覚に襲われる。


――ああ、きっと離婚の話だわ……。


 今日この目と耳で知り得た情報、彼が今見せている表情、それらが合わされば、そうと考える十分な理由になった。


 しかし、まさか知ったその日にいきなり突きつけられるだなんて。


 当然、今の私にそこまでの覚悟はできていなかった。


 彼が私ではない女性との未来を見ているだなんて、考えたくもない。信じたくもない。


 どうか私の馬鹿な勘違いであってほしい。


 私は膝上においた自身の手を、ギュッときつく握った。


「っ……隠していたこと?」
「ああ。実は……」


 リアスは言いかけた言葉を飲み込むように、一瞬口を閉ざした。だが、真っ直ぐと正面に座る私の見据え言葉を続けた。


「僕は今、エリーゼに魅了の魔法をかけている。だから、君が僕を好いてくれている気持ちは、ただの錯覚さっかくなんだ」
「へっ……?」


 思わず、間の抜けた声が口から漏れた。私の聞き間違いなのだろうか。


「今、何と言ったの……?」


 私の質問に対し、彼は端的かつ丁寧な言葉を返した。


「君が僕を好いてくれているのは、魅了魔法の効果だ。つまり……本当の君は僕のことを好きじゃない」


 離婚したいと言われると思ったのに、突然魅了魔法だなんて言葉が出てきて戸惑うほかない。


 だというのに、彼はさらに驚きの発言を続けた。


「今から君にかかった魅了魔法を解除する」
「…………えっ?」


 ただでさえ事態をうまく呑み込めていない。


 それなのに、魔法を解除するなんて言われても、あまりにも青天の霹靂へきれきすぎる。


――今、私は何の話をされているの?


 もう取り繕えないと表情を崩した私は、困惑の瞳をリアスに向けた。


 すると同時に、傷付き申し訳なさそうな顔をした彼が、言葉を続けた。


「愛する君に好きだと言ってもらえて、結婚までできて本当に幸せで仕方なかった。だけど、これ以上はもう限界だ。君を騙す罪悪感でおかしくなりそうなんだっ……」


 くしゃりと美しい相貌そうぼうを歪める彼を目の前に、私はただただ茫然とすることしかできない。


――私がリアスを愛する気持ちが錯覚ですって?
 私が彼を好きではないと?


 あまりに共感できないことすぎて、何と告げるべきかと言葉に詰まってしまった。


 そんな私の無言を、彼がどう受け取ったのかは分からない。


 ただ彼は私の顔をまるで儚げな淡雪でも見るかのような目で見つめ、小さく息をいて再び口を開いた。


「今日、魅了魔法を解くために人を呼んでるんだ」
「人?」


 魔法を解く人ということだろうか。


 私がそんなことを考えている間に、彼は使用人を呼び出すベルを手に取り鳴らした。


 すると、その音に合わせ驚きの人物が談話室に入ってきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様

恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。 不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、 伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。 感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、 ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。 「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」 足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。 「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」 一度凍りついた心は、二度と溶けない。 後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、 終わりのない贖罪の記録。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

今夜で忘れる。

豆狸
恋愛
「……今夜で忘れます」 そう言って、私はジョアキン殿下を見つめました。 黄金の髪に緑色の瞳、鼻筋の通った端正な顔を持つ、我がソアレス王国の第二王子。大陸最大の図書館がそびえる学術都市として名高いソアレスの王都にある大学を卒業するまでは、侯爵令嬢の私の婚約者だった方です。 今はお互いに別の方と婚約しています。 「忘れると誓います。ですから、幼いころからの想いに決着をつけるため、どうか私にジョアキン殿下との一夜をくださいませ」 なろう様でも公開中です。

裏切りの街 ~すれ違う心~

緑谷めい
恋愛
 エマは裏切られた。付き合って1年になる恋人リュカにだ。ある日、リュカとのデート中、街の裏通りに突然一人置き去りにされたエマ。リュカはエマを囮にした。彼は騎士としての手柄欲しさにエマを利用したのだ。※ 全5話完結予定

夫婦の恋は結婚のあとに 〜二度目の初夜とクリスマスの贈り物〜

出 万璃玲
恋愛
「エーミル、今年はサンタさんに何をお願いするの?」 「あのね、僕、弟か妹が欲しい!」 四歳の息子の純真無垢な願いを聞いて、アマーリアは固まった。愛のない結婚をした夫と関係を持ったのは、初夜の一度きり。弟か妹が生まれる可能性は皆無。だが、彼女は息子を何よりも愛していた。 「愛するエーミルの願いを無下にするなんてできない」。そう決意したアマーリアは、サンタ……もとい、夫ヴィンフリートに直談判する。 仕事人間でほとんど家にいない無愛想な夫ヴィンフリート、はじめから結婚に期待のなかった妻アマーリア。 不器用な夫婦それぞれの想いの行方は、果たして……? ――政略結婚からすれ違い続けた夫婦の、静かな「恋のやり直し」。 しっとりとした大人の恋愛と、あたたかな家族愛の物語です。 (おまけSS含め、約10000字の短編です。他サイト掲載あり。表紙はcanvaを使用。)

【完結】旦那に愛人がいると知ってから

よどら文鳥
恋愛
 私(ジュリアーナ)は旦那のことをヒーローだと思っている。だからこそどんなに性格が変わってしまっても、いつの日か優しかった旦那に戻ることを願って今もなお愛している。  だが、私の気持ちなどお構いなく、旦那からの容赦ない暴言は絶えない。当然だが、私のことを愛してはくれていないのだろう。  それでも好きでいられる思い出があったから耐えてきた。  だが、偶然にも旦那が他の女と腕を組んでいる姿を目撃してしまった。 「……あの女、誰……!?」  この事件がきっかけで、私の大事にしていた思い出までもが崩れていく。  だが、今までの苦しい日々から解放される試練でもあった。 ※前半が暗すぎるので、明るくなってくるところまで一気に更新しました。

無価値な私はいらないでしょう?

火野村志紀
恋愛
いっそのこと、手放してくださった方が楽でした。 だから、私から離れようと思うのです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

悪役令嬢として、愛し合う二人の邪魔をしてきた報いは受けましょう──ですが、少々しつこすぎやしませんか。

ふまさ
恋愛
「──いい加減、ぼくにつきまとうのはやめろ!」  ぱんっ。  愛する人にはじめて頬を打たれたマイナの心臓が、どくん、と大きく跳ねた。  甘やかされて育ってきたマイナにとって、それはとてつもない衝撃だったのだろう。そのショックからか。前世のものであろう記憶が、マイナの頭の中を一気にぐるぐると駆け巡った。  ──え?  打たれた衝撃で横を向いていた顔を、真正面に向ける。王立学園の廊下には大勢の生徒が集まり、その中心には、三つの人影があった。一人は、マイナ。目の前には、この国の第一王子──ローランドがいて、その隣では、ローランドの愛する婚約者、伯爵令嬢のリリアンが怒りで目を吊り上げていた。

処理中です...