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第3話 王子様の想いびと
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「じゃあな、諫早くん」
「ああ」
校内の案内を終えると、創真は帰る方向の違う東條と校門前で別れた。
信号を待ちながら、スクールバッグにしまってあったスマートフォンを手にとる。そこには先に帰ってもらった翼からメッセージが来ていた。
——綾音ちゃんといつもの喫茶店にいる。
——おまえも来い。
綾音というのは、創真と翼のもうひとりの幼なじみだ。同じ幼稚園でよく一緒に遊んでいた女の子で、小学校からは別々になったが、いまでも顔を合わせば普通に話をする間柄である。
ただ、行事や用事といった必然性のある理由がないかぎり、わざわざ連絡を取って会うようなことはない。おそらく帰り際にばったり会って喫茶店に誘ったのだろう。そういうことはこれまでにもあった。
いまから行く、と返信して行きつけの喫茶店に急ぐ。
綾音とは高校生になったばかりのころに会ったきりなので、久しぶりに顔を見られるのはうれしい。しかし同時に、彼女自身にはまったく何の非もないのだが、ほんのすこしだけ気鬱に感じたのもまた事実だった。
「創真くん!」
喫茶店に入るなり、奥のほうから透き通った声で名前を呼ばれた。
そちらを見やると、翼と向かい合わせに座っている子がひらひらと手を振っていた。綾音である。幼いころから変わらず小柄で丸顔でほわんとした雰囲気だ。形のいい小さな頭にショートボブがよく似合っている。
「久しぶり」
「春以来?」
「だな」
短い言葉を交わし、肩からスクールバッグを下ろして翼の隣に座る。
綾音の前にはサンドイッチとオレンジジュースが、翼の前にはボロネーゼとサラダとアイスティーが置かれていた。まだほとんど減ってないので出されたばかりのようだ。確かにちょうど昼食どきではあるが——。
「おまえらここでメシ食ってんのかよ」
「せっかくだしいいだろう?」
「家に用意してあるんじゃないのか?」
「連絡はしてあるから心配するな」
「まあ、別にいいけど……」
家族でもない自分がとやかく言うことではない。
綾音にしても都合が悪ければ一緒に食べていないだろう。おとなしそうな見た目に反してきちんと意思表示をする子なので、断り切れなくて言われるがままということはないはずだ。
「創真も何か食べろよ」
「……ああ」
軽く溜息をつき、メニューを眺めながら自宅に電話をかける。
言われるがままなのは自分のほうだ。あいかわらず横暴だなとあきれたような気持ちになりながらも従ってしまう。ただ、翼がそんな物言いをするのは自分に対してだけだとわかっているので、ほんのすこし優越感も感じていた。
「綾音ちゃんのところはどう?」
翼はたびたび食事の手を止めつつ綾音と話をしていた。意識はしていないのかもしれないが、すこしでもこの時間を引き延ばしたい気持ちの表れだろう。もうボロネーゼはだいぶ冷めているはずだ。
そのペースに合わせているのか綾音もまだ食べ終わっていない。もっともこちらはサンドイッチなので冷める心配はない。それもあってか、時間を気にする様子もなく楽しそうに話を弾ませている。
「うちも中学のときとあんまり雰囲気は変わらないよ」
「中高一貫校はどこもそんな感じなんだろうな」
「でもやっぱり勉強は大変になるね。試験も多くて」
「確かに試験は増えたな」
翼にとっては学校の勉強などたいして苦にならないはずだが、さすがにそうは言えないだろう。試験が多いという事実にのみ同意する。綾音はうんうんと頷いてから思い出したように言葉を継ぐ。
「そういえば六月の全統で翼くん十二位だったよね」
「ああ……あれ、綾音ちゃんも受けてたのか……」
「不本意そうだね」
そう指摘されて翼は苦笑する。
その模試は翼が高校生になってから最も順位の悪かったものだ。よりによってそれを綾音に見られたのだから無理もない。創真からすれば全国上位というだけでうらやましい限りだが。
「どうせなら一位のを見てもらいたかったよ」
「まだこれからたくさん機会はあるんじゃない?」
「綾音ちゃんにそう言われたら頑張るしかないな」
「うん、楽しみにしてる」
ふたりの会話を聞きながらひとり黙々と食べていた創真は、あとから注文したにもかかわらず先に平らげてしまった。カトラリーを置いてアイスカフェオレを飲んでいると、ふいに綾音がこちらを向いてニコッと笑う。
「創真くんは勉強どう?」
「まあまあだな。翼には全然追いつけないけど」
「頑張っても全国上位は難しいよね」
「頭の出来が違うからな」
学校が違うので彼女の成績は知らないが、創真と同じ凡人だということは見ていればわかる。翼のようにざっと目を通しただけで記憶する、瞬時に答えを導き出す、といった天才的な頭脳はふたりとも持ち合わせていない。だからこそ相通ずるものがあるのだ。
「私もそれは身にしみてるよ」
そう肩をすくめてはにかむ彼女を見て、創真も思わずつられるようにふっと表情をゆるめた。その直後——。
「ねえ、綾音ちゃん。それなら僕が家庭教師になろうか?」
振り向くと、翼がほんのりと微笑を浮かべて綾音を見つめていた。同じ学年の家庭教師など冗談みたいな話ではあるが、たぶん本気だろう。実際、それができるくらいの能力は持ち合わせている。
さすがに綾音も驚いたらしく目を丸くしていたが、すぐにふわりと笑った。
「翼くんなら教えるのも上手そうだし家庭教師もいいかも。でも、いまは他のひとに週二で家庭教師に来てもらってるから……ごめんね」
「いや、それならいいんだ」
翼は何でもないかのように返事をして微笑んだ。しかし、綾音は気付いていないかもしれないが、目だけは真剣ですこしも笑っていなかった。
「その家庭教師ってどんなひと?」
「東大生でね、メイクとか全然してなくて服も地味なんだけど、勉強はすごくわかりやすく教えてくれるんだ。解くコツや暗記の方法なんかもためになるし。お母さんも誠実でしっかりした人ねって気に入ってるみたい」
その家庭教師に取って代われたらと考えていたようだが、思った以上に付け入る隙がなかったのだろう。そうなんだ、と柔らかく応じながら、その目にうっすらと落胆をにじませていた。
翼は、おそらく幼稚園のころからずっと綾音が好きなのだ。
もっともその思いを伝えたことはないようだ。伝えるつもりがないのか、その勇気がないのか、機会を窺っているのかはわからない。ただ、もしかしたら綾音もすでに気付いているかもしれない。
きっかけは、幼稚園でのとある出来事だろう。
当時、翼は一部の男子にいじめられていた。女なのに男のふりをしているなんておかしいとからかわれて。創真は友人として必死に翼を守ろうとしていたが、それだけでは駄目だったのだ。
男の子でも、女の子でも、翼くんは翼くんだよ——。
きっと、必要だったのはアイデンティティを認める明確な言葉。
それをほわんとした笑顔で言ってのけたのが綾音である。なぐさめなどではなく、おそらくただ無邪気に思ったことを口にしただけ。だからこそ響いたのだろう。翼はもう誰にからかわれても気にしなくなったのだ。
そしてこのことで綾音を好きになったに違いない。それまで創真とばかりいたのに、何かにつけて綾音のところへ話しに行くようになり、そうこうしているうちに三人でいることがあたりまえになっていた。
小学生になると、学校が分かれたので会うことも少なくなってしまったが、それでも翼の気持ちは一途なまま変わらなかったようだ。十年前から、高校生となったいまに至るまでずっと——。
「ありがとう、お話しできて楽しかった」
喫茶店から出ると、綾音は両手で鞄を持って笑顔でそう言った。
夏用の白いセーラー服と膝丈のスカートがよく似合っている。小柄なうえ幼げな顔立ちなので、中学生、下手をすれば小学生にも見えかねない。そんな彼女を、翼は愛おしげなまなざしで見つめている。
「僕も綾音ちゃんと話せてうれしかったよ」
「うん、創真くんも来てくれてありがとう」
「ああ……」
急に笑顔を向けられて、創真は思わず当惑して目を泳がせてしまった。社交辞令だろうが、だからこそどう反応すればいいのかわからない。
「そういえば」
ふいに翼が切り出した。
「来月下旬にうちの高校で文化祭があるんだ。一般の来校も歓迎してるから綾音ちゃんもよかったら来てよ。多分うちのクラスでも何かやることになると思うし。日程とか決まったら連絡するから」
「うん、都合がついたら行くね」
中学のときは学校内の行事でしかなかった文化祭だが、高校では一般公開する。
そのときには綾音を誘おうと翼は前々から考えていたのかもしれない。そして待ちわびていたのかもしれない。そうでなければ、まだ何も準備が始まっていないこの段階で声をかけたりしないだろう。
綾音と別れて、創真と翼は並んで帰路につく。
降りそそぐ昼下がりの日差しはかなりきつい。空調の効いた喫茶店との温度差で体が若干だるく感じる。じわじわと汗をにじませながら、あいかわらず涼しげな顔をしている隣の翼をちらりと窺う。
「なあ……」
「ん?」
翼はすこしだけ振り向いて先を促すように相槌を打った。めずらしくどこか気の抜けた様子で。綾音と過ごした時間の余韻にひたっていたのだろうか。
創真はそっと目を伏せて、肩からずれかかったスクールバッグを掛けなおす。
「家庭教師なんてどういうつもりだったんだよ」
「綾音ちゃんの力になりたいと思っただけさ」
「いくらおまえでもそんな余裕はないはずだぜ」
「勉強は週四日だし無理じゃないよ」
ここでいう勉強というのは、学校の授業や試験に関する勉強のことではない。将来のために必要な勉強のことだ。経営学、英会話、礼儀作法、心理学、マーケティング、護身術など幅広く学んでいる。
基本的に西園寺の後継者となる翼のための教育で、西園寺の邸宅に教師を呼んで行われており、創真は補佐役になる人間として同席させてもらっている。だからとやかく言える立場ではないのだが。
「でも、おまえ父親のようになりたいんだろう」
「……そうだな」
一瞬、その王子様のような端整な顔にふっと自嘲めいた笑みが浮かんだ。けれどすぐに気を取り直したように青い空を見上げて、大きく呼吸をする。
「確かにまだ足りないところばかりだしな」
「オレも一緒に頑張るから」
「そうだぞ、創真こそもっと頑張れよ」
ここぞとばかりにからかいまじりに言い返されて、創真は苦笑した。
すぐに理解して自分のものにしてしまう翼とは違い、ついていくのがやっとで身についているとまでは言いがたい。だからといって、学校のほうを疎かにしてまで励むのは本末転倒である。
なかなか苦しい状況だが、どうにか食らいついていくしかないだろう。
ずっと翼のそばで支える——その約束が、きっと翼のそばにいることを許される唯一の理由になる。だからそれを遂行できるだけの能力を身につけなければならない。この場所を誰かに奪われることのないように。
「オレ、絶対に翼の隣に立てる人間になるから」
「期待してるぞ」
そう応じて、翼は挑発するような笑みを見せる。
綾音のように愛おしげな目を向けられることは決してないけれど、この表情は自分だけのものだ。それだけで十分だ。胸のうちで自分自身にそう強く言い聞かせながら、創真は静かに頷いた。
「ああ」
校内の案内を終えると、創真は帰る方向の違う東條と校門前で別れた。
信号を待ちながら、スクールバッグにしまってあったスマートフォンを手にとる。そこには先に帰ってもらった翼からメッセージが来ていた。
——綾音ちゃんといつもの喫茶店にいる。
——おまえも来い。
綾音というのは、創真と翼のもうひとりの幼なじみだ。同じ幼稚園でよく一緒に遊んでいた女の子で、小学校からは別々になったが、いまでも顔を合わせば普通に話をする間柄である。
ただ、行事や用事といった必然性のある理由がないかぎり、わざわざ連絡を取って会うようなことはない。おそらく帰り際にばったり会って喫茶店に誘ったのだろう。そういうことはこれまでにもあった。
いまから行く、と返信して行きつけの喫茶店に急ぐ。
綾音とは高校生になったばかりのころに会ったきりなので、久しぶりに顔を見られるのはうれしい。しかし同時に、彼女自身にはまったく何の非もないのだが、ほんのすこしだけ気鬱に感じたのもまた事実だった。
「創真くん!」
喫茶店に入るなり、奥のほうから透き通った声で名前を呼ばれた。
そちらを見やると、翼と向かい合わせに座っている子がひらひらと手を振っていた。綾音である。幼いころから変わらず小柄で丸顔でほわんとした雰囲気だ。形のいい小さな頭にショートボブがよく似合っている。
「久しぶり」
「春以来?」
「だな」
短い言葉を交わし、肩からスクールバッグを下ろして翼の隣に座る。
綾音の前にはサンドイッチとオレンジジュースが、翼の前にはボロネーゼとサラダとアイスティーが置かれていた。まだほとんど減ってないので出されたばかりのようだ。確かにちょうど昼食どきではあるが——。
「おまえらここでメシ食ってんのかよ」
「せっかくだしいいだろう?」
「家に用意してあるんじゃないのか?」
「連絡はしてあるから心配するな」
「まあ、別にいいけど……」
家族でもない自分がとやかく言うことではない。
綾音にしても都合が悪ければ一緒に食べていないだろう。おとなしそうな見た目に反してきちんと意思表示をする子なので、断り切れなくて言われるがままということはないはずだ。
「創真も何か食べろよ」
「……ああ」
軽く溜息をつき、メニューを眺めながら自宅に電話をかける。
言われるがままなのは自分のほうだ。あいかわらず横暴だなとあきれたような気持ちになりながらも従ってしまう。ただ、翼がそんな物言いをするのは自分に対してだけだとわかっているので、ほんのすこし優越感も感じていた。
「綾音ちゃんのところはどう?」
翼はたびたび食事の手を止めつつ綾音と話をしていた。意識はしていないのかもしれないが、すこしでもこの時間を引き延ばしたい気持ちの表れだろう。もうボロネーゼはだいぶ冷めているはずだ。
そのペースに合わせているのか綾音もまだ食べ終わっていない。もっともこちらはサンドイッチなので冷める心配はない。それもあってか、時間を気にする様子もなく楽しそうに話を弾ませている。
「うちも中学のときとあんまり雰囲気は変わらないよ」
「中高一貫校はどこもそんな感じなんだろうな」
「でもやっぱり勉強は大変になるね。試験も多くて」
「確かに試験は増えたな」
翼にとっては学校の勉強などたいして苦にならないはずだが、さすがにそうは言えないだろう。試験が多いという事実にのみ同意する。綾音はうんうんと頷いてから思い出したように言葉を継ぐ。
「そういえば六月の全統で翼くん十二位だったよね」
「ああ……あれ、綾音ちゃんも受けてたのか……」
「不本意そうだね」
そう指摘されて翼は苦笑する。
その模試は翼が高校生になってから最も順位の悪かったものだ。よりによってそれを綾音に見られたのだから無理もない。創真からすれば全国上位というだけでうらやましい限りだが。
「どうせなら一位のを見てもらいたかったよ」
「まだこれからたくさん機会はあるんじゃない?」
「綾音ちゃんにそう言われたら頑張るしかないな」
「うん、楽しみにしてる」
ふたりの会話を聞きながらひとり黙々と食べていた創真は、あとから注文したにもかかわらず先に平らげてしまった。カトラリーを置いてアイスカフェオレを飲んでいると、ふいに綾音がこちらを向いてニコッと笑う。
「創真くんは勉強どう?」
「まあまあだな。翼には全然追いつけないけど」
「頑張っても全国上位は難しいよね」
「頭の出来が違うからな」
学校が違うので彼女の成績は知らないが、創真と同じ凡人だということは見ていればわかる。翼のようにざっと目を通しただけで記憶する、瞬時に答えを導き出す、といった天才的な頭脳はふたりとも持ち合わせていない。だからこそ相通ずるものがあるのだ。
「私もそれは身にしみてるよ」
そう肩をすくめてはにかむ彼女を見て、創真も思わずつられるようにふっと表情をゆるめた。その直後——。
「ねえ、綾音ちゃん。それなら僕が家庭教師になろうか?」
振り向くと、翼がほんのりと微笑を浮かべて綾音を見つめていた。同じ学年の家庭教師など冗談みたいな話ではあるが、たぶん本気だろう。実際、それができるくらいの能力は持ち合わせている。
さすがに綾音も驚いたらしく目を丸くしていたが、すぐにふわりと笑った。
「翼くんなら教えるのも上手そうだし家庭教師もいいかも。でも、いまは他のひとに週二で家庭教師に来てもらってるから……ごめんね」
「いや、それならいいんだ」
翼は何でもないかのように返事をして微笑んだ。しかし、綾音は気付いていないかもしれないが、目だけは真剣ですこしも笑っていなかった。
「その家庭教師ってどんなひと?」
「東大生でね、メイクとか全然してなくて服も地味なんだけど、勉強はすごくわかりやすく教えてくれるんだ。解くコツや暗記の方法なんかもためになるし。お母さんも誠実でしっかりした人ねって気に入ってるみたい」
その家庭教師に取って代われたらと考えていたようだが、思った以上に付け入る隙がなかったのだろう。そうなんだ、と柔らかく応じながら、その目にうっすらと落胆をにじませていた。
翼は、おそらく幼稚園のころからずっと綾音が好きなのだ。
もっともその思いを伝えたことはないようだ。伝えるつもりがないのか、その勇気がないのか、機会を窺っているのかはわからない。ただ、もしかしたら綾音もすでに気付いているかもしれない。
きっかけは、幼稚園でのとある出来事だろう。
当時、翼は一部の男子にいじめられていた。女なのに男のふりをしているなんておかしいとからかわれて。創真は友人として必死に翼を守ろうとしていたが、それだけでは駄目だったのだ。
男の子でも、女の子でも、翼くんは翼くんだよ——。
きっと、必要だったのはアイデンティティを認める明確な言葉。
それをほわんとした笑顔で言ってのけたのが綾音である。なぐさめなどではなく、おそらくただ無邪気に思ったことを口にしただけ。だからこそ響いたのだろう。翼はもう誰にからかわれても気にしなくなったのだ。
そしてこのことで綾音を好きになったに違いない。それまで創真とばかりいたのに、何かにつけて綾音のところへ話しに行くようになり、そうこうしているうちに三人でいることがあたりまえになっていた。
小学生になると、学校が分かれたので会うことも少なくなってしまったが、それでも翼の気持ちは一途なまま変わらなかったようだ。十年前から、高校生となったいまに至るまでずっと——。
「ありがとう、お話しできて楽しかった」
喫茶店から出ると、綾音は両手で鞄を持って笑顔でそう言った。
夏用の白いセーラー服と膝丈のスカートがよく似合っている。小柄なうえ幼げな顔立ちなので、中学生、下手をすれば小学生にも見えかねない。そんな彼女を、翼は愛おしげなまなざしで見つめている。
「僕も綾音ちゃんと話せてうれしかったよ」
「うん、創真くんも来てくれてありがとう」
「ああ……」
急に笑顔を向けられて、創真は思わず当惑して目を泳がせてしまった。社交辞令だろうが、だからこそどう反応すればいいのかわからない。
「そういえば」
ふいに翼が切り出した。
「来月下旬にうちの高校で文化祭があるんだ。一般の来校も歓迎してるから綾音ちゃんもよかったら来てよ。多分うちのクラスでも何かやることになると思うし。日程とか決まったら連絡するから」
「うん、都合がついたら行くね」
中学のときは学校内の行事でしかなかった文化祭だが、高校では一般公開する。
そのときには綾音を誘おうと翼は前々から考えていたのかもしれない。そして待ちわびていたのかもしれない。そうでなければ、まだ何も準備が始まっていないこの段階で声をかけたりしないだろう。
綾音と別れて、創真と翼は並んで帰路につく。
降りそそぐ昼下がりの日差しはかなりきつい。空調の効いた喫茶店との温度差で体が若干だるく感じる。じわじわと汗をにじませながら、あいかわらず涼しげな顔をしている隣の翼をちらりと窺う。
「なあ……」
「ん?」
翼はすこしだけ振り向いて先を促すように相槌を打った。めずらしくどこか気の抜けた様子で。綾音と過ごした時間の余韻にひたっていたのだろうか。
創真はそっと目を伏せて、肩からずれかかったスクールバッグを掛けなおす。
「家庭教師なんてどういうつもりだったんだよ」
「綾音ちゃんの力になりたいと思っただけさ」
「いくらおまえでもそんな余裕はないはずだぜ」
「勉強は週四日だし無理じゃないよ」
ここでいう勉強というのは、学校の授業や試験に関する勉強のことではない。将来のために必要な勉強のことだ。経営学、英会話、礼儀作法、心理学、マーケティング、護身術など幅広く学んでいる。
基本的に西園寺の後継者となる翼のための教育で、西園寺の邸宅に教師を呼んで行われており、創真は補佐役になる人間として同席させてもらっている。だからとやかく言える立場ではないのだが。
「でも、おまえ父親のようになりたいんだろう」
「……そうだな」
一瞬、その王子様のような端整な顔にふっと自嘲めいた笑みが浮かんだ。けれどすぐに気を取り直したように青い空を見上げて、大きく呼吸をする。
「確かにまだ足りないところばかりだしな」
「オレも一緒に頑張るから」
「そうだぞ、創真こそもっと頑張れよ」
ここぞとばかりにからかいまじりに言い返されて、創真は苦笑した。
すぐに理解して自分のものにしてしまう翼とは違い、ついていくのがやっとで身についているとまでは言いがたい。だからといって、学校のほうを疎かにしてまで励むのは本末転倒である。
なかなか苦しい状況だが、どうにか食らいついていくしかないだろう。
ずっと翼のそばで支える——その約束が、きっと翼のそばにいることを許される唯一の理由になる。だからそれを遂行できるだけの能力を身につけなければならない。この場所を誰かに奪われることのないように。
「オレ、絶対に翼の隣に立てる人間になるから」
「期待してるぞ」
そう応じて、翼は挑発するような笑みを見せる。
綾音のように愛おしげな目を向けられることは決してないけれど、この表情は自分だけのものだ。それだけで十分だ。胸のうちで自分自身にそう強く言い聞かせながら、創真は静かに頷いた。
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