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第8話 暴走のゆくえ
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東條の家をあとにして、創真と翼はいつものように並んで帰路につく。
そのころにはもうすっかり夜の帳が降りていた。住宅街には家のあかりと街灯くらいしかないのでかなり暗く、ひっそりとしている。自分たちの足音だけがやけに響くような気がした。
ふっ——ひそかについた小さな溜息は、白いもやになる。
日中はそうでもなかったが、いまは厚手のダッフルコートを着ていてもぶるりと震えるくらいだ。きっと鼻も赤くなっている。けれど、それよりも心のほうがもっとずっと寒かったのかもしれない。
「すこし長居しすぎたかな」
翼は夜空を仰ぎ、ふわりと白い息を吐きながら苦笑した。
つられるように創真もちらりと見上げる。冬は空気がきれいで澄んでいるというが、星は見えず、月がどこにあるのかさえもわからない。ただ何もない闇が広がっているだけだった。
「そうだ、一応、家に連絡しておくか」
赤信号で足を止めると、翼は思い立ったようにスマートフォンで電話をかけた。友人の家に行っていたからこれから帰る、あと二、三十分かかる、というようなことを使用人に伝えていた。
「創真は連絡しなくていいのか?」
「……別に大丈夫だろ」
視線を向けられて、創真は思わず逃げるように顔をそむけてしまう。声音もひどく突き放したようなものになってしまった。
「…………」
沈黙が落ち、すこし空気が変わったような気がした。
下を向いているので翼がどんな顔をしているかはわからない。けれど、わずかに足を動かしてこちらに体を向けたのはわかった。ドクドクと痛いくらいに心臓が暴れるのを感じながら、創真は息を詰める。
「なあ、おまえどうしたんだよ」
「どうもしてない」
ちょうどそのとき信号が青になり、とっさに逃げるように横断歩道へと足を踏み出したが、翼に手首を引かれてよろけながら戻るはめになった。それでも顔だけは頑なにそむける。
「こっち向けよ」
苛立ち露わに、翼はギリッと力をこめて手首を握り込んだ。
しかし創真が痛みに顔をゆがめたことに気付くとすぐに手を離し、代わりに両手で頬をはさんで自分のほうに向けさせた。そして息がふれあいそうなところまで顔を近づけて言葉を継ぐ。
「圭吾の家にいるときからおかしかったよな。ぶすくれたまま僕と目を合わせようとしない。話しかけてもろくに返事をしない。いったい何が気に入らないっていうんだ」
「……別に」
創真は顔を固定されながらも必死に視線をそらした。あまりの近さにどきまぎする一方、心の奥底まで暴かれてしまいそうで恐ろしくもあった。だがこれくらいで逃がしてくれるほど翼は甘くない。
「こんな態度で別になんて言われて信じられるか。納得いく答えを聞くまで帰さない。今晩は雪も降るらしいし、このまま一晩中ここにいたら僕も創真も凍え死ぬかもな」
そんなことを言い、挑みかけるように不敵に口元を上げる。
こうなると翼はもう絶対に引かない。口先だけでなく本当にその覚悟でいるのだ。だからいつも創真のほうが折れるしかなく——目をそらしたまま、わずかに眉が寄るのを自覚しつつ口を開く。
「なんで……なんで、あいつを勉強に呼ぶんだよ」
「ん?」
翼はきょとんとし、創真の頬から手を離して話し始める。
「構わないだろう。僕だって考えなしに呼んだわけじゃないぞ。圭吾は英語がネイティブレベルだし、英語以外の成績も悪くないし、なかなか将来有望だ。僕の補佐にすることも視野に入れている」
補佐にする、だって——?
確かに成績も悪くないというかむしろ良いほうだ。翼には及ばないものの創真よりはだいぶ上である。おまけに翼との相性もずいぶんといいようなので、考えてみれば当然のなりゆきかもしれない。
「でも、補佐はオレが……」
「もちろん創真には補佐として支えてもらうつもりでいるさ。お払い箱にするわけじゃないから心配するな。ただ、優秀で忠実な補佐がもうひとりふたりほしいんだ。わかるだろう?」
わかりたくはなかったが、何となくわかってしまった。
創真には補佐としての能力が足りないということだ。お払い箱にしないのは幼なじみゆえの温情かもしれない。その代わりに優秀な補佐を追加するというのなら、甘んじて受け入れべきだろうが——。
「まさかおまえ拗ねてるのか?」
「嫌なんだよ、翼の隣にオレじゃない誰かが立つのは!」
鬱屈した本音がとうとう暴発した。
「翼の隣はオレだけに許された場所だと思ってた。翼がいろんなひとに愛想を振りまいても、翼の気持ちがオレになくても、翼の一番近くにいられるならそれでよかった。公私ともに唯一のパートナーになりたかった。なのに……!」
「…………」
翼はしばらく考え込むような素振りを見せたあと、怪訝な面持ちで尋ねる。
「それは、僕と結婚したいってことか?」
「できればしたいさ! おまえは男と結婚する気なんかさらさらなさそうだし、無理だとは思ってるけど! 幼稚園のころからずっとおまえが好きだったんだ! おまえだけが好きだったんだ!」
創真は半ばやけっぱちに思いの丈をぶつけた。
やはりというか翼はまったく気付いていなかったらしい。驚愕しているような、信じがたそうな、困っているような、申し訳なさそうな、そんな複雑な表情を浮かべながら当惑を露わにする。
「すまない……気持ちはうれしいが、創真をそういう対象として見たことはなくて」
「やめろよ! そこらへんの女子の告白みたいに軽くあしらうなよ!」
創真はいたたまれず叫んだ。
傲慢かもしれないが、翼をアイドルか何かのように思っている女子とは違うのだ。断られるとわかっていながら思い出がほしくて告白する——そんな彼女たちと同じように扱われるのは我慢ならない。
「じゃあ、どうすればいいんだ!」
翼は苛立って叫び返すが、どうすればいいかなんて創真にもわからなかった。言うつもりのなかった思いをうっかりぶちまけてしまっただけで、返事を望んでいたわけではないのだ。そもそもは——。
「オレとフェンシングで勝負しろ」
創真は顔を上げ、緊張しながらも強気に翼を見据えてそう訴えた。翼は視線を絡めたままぴくりと眉だけを動かす。
「どういうことだ」
「オレが勝ったら東條を勉強に呼ぶのはやめてくれ」
そもそもの望みはそれだった。
将来的に東條を補佐にするのは仕方ないにしても、いまはまだ勉強に同席させてほしくない。せめて心の準備ができるまで待ってほしい。けれどわがままを言える立場でないことは重々承知していた。
「そんな勝負を受ける筋合いはないな」
「オレが負けたら二度と口をはさまない。勉強についても、補佐についても、結婚についても。好きだとか言って困らせたりもしない」
それを聞いて、翼はゆっくりと目を伏せて静かに考え込んだ。やがて心を決めたように視線を上げると、ゆったりと尊大に腕を組みながら創真を見下ろす。
「いいだろう、その勝負を受けてやる」
その挑発的な物言いに、創真はぞわりと総毛立つのを感じた。
段取りは翼が整えた。
実際に動いたのは翼に頼まれたフェンシング部の部長である。中学のときに同じフェンシング部でそれなりに親しくしていたからか、勝負のことを聞いて二つ返事で引き受けてくれたのだ。
武器と防具は各自で用意し、放課後、フェンシング部の試合場と電気審判機を借りて行うことになった。審判などもフェンシング部から出してくれるという。顧問の許可もとってあるらしい。
「翼くーん、がんばってーー!!!」
「キャー、西園寺くーん!!!」
誰が吹聴したのか二階のギャラリーは超満員だ。声援を送っているのは女子ばかりのようだが、なぜか男子もそこそこいる。教員までちらほらいる。まさかこんな見世物になるとは思いもしなかった。
勝負の理由についても、ちょっとした諍いがあって決着をつけるために、と部長に話したらしいので、もしかしたら観衆にも知れ渡っているかもしれない。そうなると創真は完全アウェーである。
「種目はフルーレ。三分間三セット、十五ポイント先取で勝利。いいな?」
試合のまえに、主審を務める部長がピストの傍らで確認する。
創真も翼もいっそう真剣な顔つきになり首肯した。もうマスク以外は準備万端だ。互いに横目で視線をぶつけあい闘争心を露わにする。
「悪いが全力でいく」
「オレもだ」
何ひとつ翼に及ばない自分が、唯一、互角に渡り合えるのがフェンシングだ。
中学を卒業してからきのうまで一度も剣を握っていなかったが、感覚は忘れていなかった。体も思った以上に動く。翼も同じく卒業以来のはずなので互角かそれ以上に戦えるはずだ。
絶対に、勝つ——。
東條は何も知らず、ギャラリーのどこかでのんきに観戦しているのだろう。創真が勝てば勉強に参加できなくなるというのに。すこし同情するが、それこそが創真の望みなのだから勝つことに迷いはない。
しっかりと背筋を伸ばして強い気持ちのままピストに入場し、準備を整える。そして主審の号令で対戦相手の翼に一礼すると、マスクを着用し、スタートラインに前足のつまさきをつけて構える。
しかし、ここにきて異常なくらい鼓動が速くなってきた。汗がにじみ、喉が渇き、手足もかすかに震え出す。試合でもここまで緊張したことはないのに。正面の翼を見据えたままグッと剣を握る手に力をこめる。
「アレ!」
緊迫して静まった場に、試合開始の号令が大きく響きわたった。
クッ——。
創真の突きはかわされ、直後、翼の素早い突きが肩に当たった。
緑のランプがつき、ほどなくして電光掲示板の数字が十四から十五に変わる。
二分三十二秒を残して試合は終了した。
翼の勝ちだ。
それもほぼダブルスコアで。
創真は力なくマスクを取ってうなだれた。みっともないくらい息が上がり汗だくになっている。前半は気負いすぎて緊張したせいか体が思うように動かず、後半は焦りでミスが相次いだ。自爆といっていい。
ギャラリーからは黄色い大歓声が沸き起こっていた。
翼はすこし呼吸が荒いだけで試合前とあまり変わらないように見えた。栗色の髪もふわりとしたままだ。ただ、いつものように黄色い声に応えて笑顔を振りまくことはなく、創真だけを射貫くように見つめている。
いたたまれず目をそらすが、選手として試合終了の挨拶をしないわけにはいかない。主審の号令で歩み寄り、わずかにうつむいたまま対戦相手の翼と握手を交わす。瞬間、その手をグッと痛いくらいに握り込まれた。
「約束は守れよ」
ぞくりとする冷ややかな声。
ぎこちなく頷くと、翼はすぐにひらりと身を翻して体育館をあとにする。最後まで振り返りもしないで。大勢のギャラリーのまんなかに取り残された創真は、ただ立ちつくすしかなかった。
そのころにはもうすっかり夜の帳が降りていた。住宅街には家のあかりと街灯くらいしかないのでかなり暗く、ひっそりとしている。自分たちの足音だけがやけに響くような気がした。
ふっ——ひそかについた小さな溜息は、白いもやになる。
日中はそうでもなかったが、いまは厚手のダッフルコートを着ていてもぶるりと震えるくらいだ。きっと鼻も赤くなっている。けれど、それよりも心のほうがもっとずっと寒かったのかもしれない。
「すこし長居しすぎたかな」
翼は夜空を仰ぎ、ふわりと白い息を吐きながら苦笑した。
つられるように創真もちらりと見上げる。冬は空気がきれいで澄んでいるというが、星は見えず、月がどこにあるのかさえもわからない。ただ何もない闇が広がっているだけだった。
「そうだ、一応、家に連絡しておくか」
赤信号で足を止めると、翼は思い立ったようにスマートフォンで電話をかけた。友人の家に行っていたからこれから帰る、あと二、三十分かかる、というようなことを使用人に伝えていた。
「創真は連絡しなくていいのか?」
「……別に大丈夫だろ」
視線を向けられて、創真は思わず逃げるように顔をそむけてしまう。声音もひどく突き放したようなものになってしまった。
「…………」
沈黙が落ち、すこし空気が変わったような気がした。
下を向いているので翼がどんな顔をしているかはわからない。けれど、わずかに足を動かしてこちらに体を向けたのはわかった。ドクドクと痛いくらいに心臓が暴れるのを感じながら、創真は息を詰める。
「なあ、おまえどうしたんだよ」
「どうもしてない」
ちょうどそのとき信号が青になり、とっさに逃げるように横断歩道へと足を踏み出したが、翼に手首を引かれてよろけながら戻るはめになった。それでも顔だけは頑なにそむける。
「こっち向けよ」
苛立ち露わに、翼はギリッと力をこめて手首を握り込んだ。
しかし創真が痛みに顔をゆがめたことに気付くとすぐに手を離し、代わりに両手で頬をはさんで自分のほうに向けさせた。そして息がふれあいそうなところまで顔を近づけて言葉を継ぐ。
「圭吾の家にいるときからおかしかったよな。ぶすくれたまま僕と目を合わせようとしない。話しかけてもろくに返事をしない。いったい何が気に入らないっていうんだ」
「……別に」
創真は顔を固定されながらも必死に視線をそらした。あまりの近さにどきまぎする一方、心の奥底まで暴かれてしまいそうで恐ろしくもあった。だがこれくらいで逃がしてくれるほど翼は甘くない。
「こんな態度で別になんて言われて信じられるか。納得いく答えを聞くまで帰さない。今晩は雪も降るらしいし、このまま一晩中ここにいたら僕も創真も凍え死ぬかもな」
そんなことを言い、挑みかけるように不敵に口元を上げる。
こうなると翼はもう絶対に引かない。口先だけでなく本当にその覚悟でいるのだ。だからいつも創真のほうが折れるしかなく——目をそらしたまま、わずかに眉が寄るのを自覚しつつ口を開く。
「なんで……なんで、あいつを勉強に呼ぶんだよ」
「ん?」
翼はきょとんとし、創真の頬から手を離して話し始める。
「構わないだろう。僕だって考えなしに呼んだわけじゃないぞ。圭吾は英語がネイティブレベルだし、英語以外の成績も悪くないし、なかなか将来有望だ。僕の補佐にすることも視野に入れている」
補佐にする、だって——?
確かに成績も悪くないというかむしろ良いほうだ。翼には及ばないものの創真よりはだいぶ上である。おまけに翼との相性もずいぶんといいようなので、考えてみれば当然のなりゆきかもしれない。
「でも、補佐はオレが……」
「もちろん創真には補佐として支えてもらうつもりでいるさ。お払い箱にするわけじゃないから心配するな。ただ、優秀で忠実な補佐がもうひとりふたりほしいんだ。わかるだろう?」
わかりたくはなかったが、何となくわかってしまった。
創真には補佐としての能力が足りないということだ。お払い箱にしないのは幼なじみゆえの温情かもしれない。その代わりに優秀な補佐を追加するというのなら、甘んじて受け入れべきだろうが——。
「まさかおまえ拗ねてるのか?」
「嫌なんだよ、翼の隣にオレじゃない誰かが立つのは!」
鬱屈した本音がとうとう暴発した。
「翼の隣はオレだけに許された場所だと思ってた。翼がいろんなひとに愛想を振りまいても、翼の気持ちがオレになくても、翼の一番近くにいられるならそれでよかった。公私ともに唯一のパートナーになりたかった。なのに……!」
「…………」
翼はしばらく考え込むような素振りを見せたあと、怪訝な面持ちで尋ねる。
「それは、僕と結婚したいってことか?」
「できればしたいさ! おまえは男と結婚する気なんかさらさらなさそうだし、無理だとは思ってるけど! 幼稚園のころからずっとおまえが好きだったんだ! おまえだけが好きだったんだ!」
創真は半ばやけっぱちに思いの丈をぶつけた。
やはりというか翼はまったく気付いていなかったらしい。驚愕しているような、信じがたそうな、困っているような、申し訳なさそうな、そんな複雑な表情を浮かべながら当惑を露わにする。
「すまない……気持ちはうれしいが、創真をそういう対象として見たことはなくて」
「やめろよ! そこらへんの女子の告白みたいに軽くあしらうなよ!」
創真はいたたまれず叫んだ。
傲慢かもしれないが、翼をアイドルか何かのように思っている女子とは違うのだ。断られるとわかっていながら思い出がほしくて告白する——そんな彼女たちと同じように扱われるのは我慢ならない。
「じゃあ、どうすればいいんだ!」
翼は苛立って叫び返すが、どうすればいいかなんて創真にもわからなかった。言うつもりのなかった思いをうっかりぶちまけてしまっただけで、返事を望んでいたわけではないのだ。そもそもは——。
「オレとフェンシングで勝負しろ」
創真は顔を上げ、緊張しながらも強気に翼を見据えてそう訴えた。翼は視線を絡めたままぴくりと眉だけを動かす。
「どういうことだ」
「オレが勝ったら東條を勉強に呼ぶのはやめてくれ」
そもそもの望みはそれだった。
将来的に東條を補佐にするのは仕方ないにしても、いまはまだ勉強に同席させてほしくない。せめて心の準備ができるまで待ってほしい。けれどわがままを言える立場でないことは重々承知していた。
「そんな勝負を受ける筋合いはないな」
「オレが負けたら二度と口をはさまない。勉強についても、補佐についても、結婚についても。好きだとか言って困らせたりもしない」
それを聞いて、翼はゆっくりと目を伏せて静かに考え込んだ。やがて心を決めたように視線を上げると、ゆったりと尊大に腕を組みながら創真を見下ろす。
「いいだろう、その勝負を受けてやる」
その挑発的な物言いに、創真はぞわりと総毛立つのを感じた。
段取りは翼が整えた。
実際に動いたのは翼に頼まれたフェンシング部の部長である。中学のときに同じフェンシング部でそれなりに親しくしていたからか、勝負のことを聞いて二つ返事で引き受けてくれたのだ。
武器と防具は各自で用意し、放課後、フェンシング部の試合場と電気審判機を借りて行うことになった。審判などもフェンシング部から出してくれるという。顧問の許可もとってあるらしい。
「翼くーん、がんばってーー!!!」
「キャー、西園寺くーん!!!」
誰が吹聴したのか二階のギャラリーは超満員だ。声援を送っているのは女子ばかりのようだが、なぜか男子もそこそこいる。教員までちらほらいる。まさかこんな見世物になるとは思いもしなかった。
勝負の理由についても、ちょっとした諍いがあって決着をつけるために、と部長に話したらしいので、もしかしたら観衆にも知れ渡っているかもしれない。そうなると創真は完全アウェーである。
「種目はフルーレ。三分間三セット、十五ポイント先取で勝利。いいな?」
試合のまえに、主審を務める部長がピストの傍らで確認する。
創真も翼もいっそう真剣な顔つきになり首肯した。もうマスク以外は準備万端だ。互いに横目で視線をぶつけあい闘争心を露わにする。
「悪いが全力でいく」
「オレもだ」
何ひとつ翼に及ばない自分が、唯一、互角に渡り合えるのがフェンシングだ。
中学を卒業してからきのうまで一度も剣を握っていなかったが、感覚は忘れていなかった。体も思った以上に動く。翼も同じく卒業以来のはずなので互角かそれ以上に戦えるはずだ。
絶対に、勝つ——。
東條は何も知らず、ギャラリーのどこかでのんきに観戦しているのだろう。創真が勝てば勉強に参加できなくなるというのに。すこし同情するが、それこそが創真の望みなのだから勝つことに迷いはない。
しっかりと背筋を伸ばして強い気持ちのままピストに入場し、準備を整える。そして主審の号令で対戦相手の翼に一礼すると、マスクを着用し、スタートラインに前足のつまさきをつけて構える。
しかし、ここにきて異常なくらい鼓動が速くなってきた。汗がにじみ、喉が渇き、手足もかすかに震え出す。試合でもここまで緊張したことはないのに。正面の翼を見据えたままグッと剣を握る手に力をこめる。
「アレ!」
緊迫して静まった場に、試合開始の号令が大きく響きわたった。
クッ——。
創真の突きはかわされ、直後、翼の素早い突きが肩に当たった。
緑のランプがつき、ほどなくして電光掲示板の数字が十四から十五に変わる。
二分三十二秒を残して試合は終了した。
翼の勝ちだ。
それもほぼダブルスコアで。
創真は力なくマスクを取ってうなだれた。みっともないくらい息が上がり汗だくになっている。前半は気負いすぎて緊張したせいか体が思うように動かず、後半は焦りでミスが相次いだ。自爆といっていい。
ギャラリーからは黄色い大歓声が沸き起こっていた。
翼はすこし呼吸が荒いだけで試合前とあまり変わらないように見えた。栗色の髪もふわりとしたままだ。ただ、いつものように黄色い声に応えて笑顔を振りまくことはなく、創真だけを射貫くように見つめている。
いたたまれず目をそらすが、選手として試合終了の挨拶をしないわけにはいかない。主審の号令で歩み寄り、わずかにうつむいたまま対戦相手の翼と握手を交わす。瞬間、その手をグッと痛いくらいに握り込まれた。
「約束は守れよ」
ぞくりとする冷ややかな声。
ぎこちなく頷くと、翼はすぐにひらりと身を翻して体育館をあとにする。最後まで振り返りもしないで。大勢のギャラリーのまんなかに取り残された創真は、ただ立ちつくすしかなかった。
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