オレの愛しい王子様

瑞原唯子

文字の大きさ
10 / 23

第9話 積み重なる後悔

しおりを挟む
 ——今日からひとりで登校する。
 迷ったすえ、創真は必要最低限のことを記した端的なメッセージを翼に送った。
 かじかむ指先でアプリを閉じ、電源を落としてスマートフォンをスクールバッグに放り込む。そして白い息を吐きながら、チェック柄のマフラーをもぞりと口元まで引き上げると、寄りかかっていた自宅の塀から背中を離して歩き出した。

 きのう、フェンシング対決で負けてから翼と顔を合わせていない。
 ——今日は先に帰ってほしい。
 ——わかった。
 創真のひどく打ちのめされた気持ちを汲んでくれたのか、頭を冷やす時間が必要だと考えたのか、あるいは翼自身も顔を合わせる気になれなかったのか、不躾なメッセージひとつで了承してくれた。
 そして、頭が冷えて気がついた。
 フェンシング対決など持ちかけるべきではなかったと。あのときはそうするしかないと思いつめていたが、勝っても負けても元には戻れない。翼に想いを告げた時点でもう詰んでいたのだ——。

「おい、創真!」
 学校へ向かう途中、後ろから怒気をはらんだ声で名を呼ばれ、同時に痛いくらいの強さで肩をつかまれた。足は止めざるを得なかったが振り向きはしない。乱暴に肩を引かれて無理やり振り向かされても、顔だけはそむける。
「ひとりで登校するって何だ」
「…………」
 無視していると、両手で頬をはさまれてグイッと顔の向きを変えられた。目の前に翼の端整な顔が迫っている。ひどく険しい表情だが、それよりも近さにドキリとしてあわてて目をそらす。
「察しろよ。オレはおまえに惨めにふられて、惨めに負けたんだ」
 やけっぱちにそう言い放ったら、翼は無言のまま頬をはさんでいた手をゆっくりと下ろした。それでも射貫くような真剣なまなざしは変わらない。
「勉強には来るんだろうな?」
「もうおまえの隣にはいられない」
「は?」
 地を這うような声で聞き返された。
 思わずビクリとするが、それでも曖昧に目をそらしたまま何も答えない。呼吸さえためらうくらいに空気が張りつめていく。
「ずっと僕を支えてくれるんじゃなかったのか。そう約束しただろう」
「…………」
 できるならそうしたかった。
 告白も勝負もすべてなかったことにしてしまえば、表面的にはいままでどおりでいられるのかもしれない。翼はそのつもりのようだ。けれど、創真にとってそれはとてつもなく苦しくて惨めなことで——。
「見損なったぞ」
 いつまでも口をつぐんで目をそらしていれば、拒絶でしかない。
 翼はきつく睨みながらそう唾棄するように言い捨てると、怒りまかせに大きく身を翻して立ち去っていく。その後ろ姿はあっというまに遠ざかって小さくなり、やがて見えなくなった。

 その日から、翼は東條とふたりで行動するようになった。
 学校中さもありなんという空気だ。創真が何か逆鱗に触れるようなことをしでかしたので、フェンシング対決でこてんぱんにされたあげく捨てられた——そんなふうに見られているらしい。
 おかげでまわりからは腫れ物に触るような扱いをされている。無遠慮な視線を向けてひそひそとうわさ話をするくせに、誰も声はかけてこない。もっとも尋ねられたところで話せることはないのだが。
 それより翼と東條が親しくするさまを見るのがつらい。翼はまるで東條が唯一無二の親友であるかのように振る舞っているし、東條もいささか戸惑いながらも満更でもない感じだ。
 ただ、東條はときどき心配そうな目を創真に向けてくる。仲直りしなくていいのかと訴えるかのように。袂を分かつことになった原因や経緯については、おそらく知らされていないのだろう。
 もう仲直りとかいう段階ではないのだ。
 きっとあの朝が最後のチャンスだった。感情を殺してでも翼に従えばよかったのかもしれない。どれだけ苦しかろうが、惨めだろうが、翼と離れるよりはよほどましだったのではないか——。

「圭吾、今日これからうちに来られるか?」
 フェンシング対決から三日後。
 ひとり黙々と帰り支度をしていると、ふいに後ろの席からそんな声が聞こえてきて、創真は思わずドキリとしつつ耳をそばだてる。それを悟られないよう意識して手を動かしながら。
「え、まあ……いきなりどうしたんだ?」
「僕の勉強に同席するって言ってただろう」
「ああ、それか。こんな急だとは思わなかった」
「きのう親から許可をもらったんだよ」
「まだ何も準備してないけどいいのか?」
「身ひとつでくればいいさ」
 ふたりは席を立ち、なごやかに笑い合いながら教室をあとにした。
 いよいよ西園寺の後継者教育に東條が同席するようだ。当然のなりゆきだが、本当に現実になると思うとあらためてショックを受ける。自分にはもうそんな資格すらないというのに——。

 創真はひとりで帰路についた。
 空はどんよりとした鈍色で、吹きすさぶ風も今朝より一段と冷たくなっている気がする。ダッフルコートのポケットにかじかんだ手を突っ込み、ぐるぐる巻きのマフラーに顔半分うずめながら、赤信号を待つ。
「創真くん」
 ふいに凜とした声で呼びかけられた。
 振り向くと、腕が触れるか触れないかくらいのところに桔梗がいた。翼の姉だ。まわりに誰もいないところを見ると彼女もひとりらしい。創真はきまり悪さを感じながらおずおずと会釈をする。
「まだ翼と仲直りしていないのね」
 彼女はそう言い、うっすらと同情めいた笑みを浮かべた。
 同じ学校なのでフェンシング対決のことは知っているのだろう。だが、その原因や経緯までは知らないはずだ。創真はマフラーに顔半分うずめたまま曖昧に視線を落として、ぼそりと答える。
「もう愛想を尽かされたんです」
「それはどうかしら」
 桔梗は間髪を入れず疑問を呈した。
「あなたたちのあいだに何があったかは知らないけれど、あの子のことだからつまらない意地を張っているだけじゃないかしら。創真くんもご存知のとおり感情的なところがあるもの。きっとそのうち後悔すると思うわ」
「翼は、もう新しい補佐役を見つけてます……オレよりずっと優秀な……」
 自分は切り捨てられたのだ。
 翼の決めたことに私情で難癖をつけ、恋愛を持ち込み、あげく約束を反故にして逃げ出す——そんな面倒な人間をそばに置く理由はない。もともと目をつけていた東條に鞍替えするのは当然である。
「それなら私のところにおいでなさいな」
「えっ?」
 驚いて顔を上げると、桔梗はやわらかく創真を見つめて微笑んでいた。
「そろそろ将来に向けて信頼できるパートナーがほしいと思っていたところなの。創真くんのことは前々から買っていたからちょうどいいわ。私ならもっとあなたを大事にしてあげられるけど、どうかしら?」
 本気、じゃないよな——。
 創真のことを買っていたなど元気づけるための方便としか思えない。桔梗が将来どうするつもりで何のパートナーを求めているのかはわからないが、何の取り柄もない人間をほしがりはしないはずだ。
 しかし、これで創真が乗り気になったらどうするつもりなのだろう。もしかしたら末席くらいには置いてくれるのかもしれない。彼女は自分の言ったことには責任を持つタイプのように思う。ただ——。
「すみません……これ以上、翼に嫌われたくないので」
 それが創真のまぎれもない本心だった。
 桔梗のもとへ行けば、翼は間違いなく当てつけだと憤慨するだろうし、創真を嫌うどころか憎むようにもなりかねない。それだけは避けたかった。たとえもう二度と隣に立つことができないのだとしても。
「そう、残念ね」
 まるで本当にそう思っているかのような寂しげな表情で、桔梗は言う。
「気が変わったらいつでもいらっしゃい」
「はい……」
 社交辞令だろうと思いつつも、何となく申し訳なさと気まずさを感じてしまい、もぞりとマフラーにうずもれるようにしてうつむく。彼女も黙ったままである。寒風の吹きすさぶ乾いた音だけしか聞こえてこない。
 正面の信号は、どうしてだかなかなか青にならなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。 しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!? 王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。 訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ―― さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。 「おら、案内させてもらいますけんの」 その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。 王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」 副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」 ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」 そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」 けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。 王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。 訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る―― これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。 ★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~

流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。 しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。 けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...