氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子

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第11話 彼女のいない日々

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 その日から、アイザックのシーズンオフが始まった。
 宰相補佐の仕事は基本的にほとんどなくなるので、その分、勉強に時間を当てる感じだ。執務室で資料を読み込むこともあれば、宰相に教えを請うこともあるし、若手の勉強会や意見交換会に顔を出すこともある。
 家では可能なかぎり当主である父の仕事を代行している。後継者として当然のことで、いまのうちに経験を積んでおきたいという考えもあった。普段からある程度は任せてもらっているので問題はない。
 この数年、いつもこうして過ごしてきたので慣れたものだった。
 スペンサー邸がひっそりしているのもいつものことである。家族がいないうえ使用人も何人か領地に同行しているのだ。アイザックとしては静かなほうが落ち着いて過ごせるし、好ましく思っている。そのはずなのに——。

 寝室に入るとやけに空気が冷えているように感じた。
 食事のときは味気ないような物足りなさを感じた。
 居間やテラスを目にするたびにティータイムを思い出した。
 いつしか意味もなく指輪を見つめるようになっていた。

 理由なんてわかりきっている。
 まだたったひとつの季節をともに過ごしただけなのに、すでにアリアがいることが当たり前になっていた。つまり、いなくなって寂しいのだ。距離をおいて初めて気付くこともあるのだと思い知らされた。
 ただ、両親とはもっと長い時間をともに過ごしてきたはずなのに、いなくなっても寂しいとは思わない。なぜアリアにだけ寂しいと思うのかはよくわからなかった。

「ひまわりが満開になっております」
 どういうつもりで執事がそう言ってきたのかはわからないが、もしかしたらアイザックが寂しさを感じていることに気付いたのかもしれない。せっかくなので休憩のついでに庭園に出ることにした。
 彼の言ったとおり、ひまわりはちょうど満開になっていた。
 よく見かけるような存在感のある大きな花とは違って、小ぶりの花だ。そのたくさんの花々が太陽を追いかけて咲き誇っている。抜けるような青空にオレンジがかった黄色がよく映えていた。
 アリアも向こうで満開のひまわりを目にしただろうか——。
 広大なひまわり畑のまんなかで、まばゆいばかりの陽の光を浴びながら、浅葱色と白色のドレスではしゃいでいる彼女の姿が脳裏に浮かぶ。母はおそらく実際にそういう光景を見ているに違いない。
 いや、母だけではないかもしれない。祖父母ならいいが、あそこは一声かければわりと誰でも出入りが許される。なので領民が花を見に来ることもよくあるのだ。中にはアリアに興味を持つひともいそうである。
 遠目に見ているだけならまだしも、お近づきになろうと話しかけてくるかもしれないし、レイモンドのように触れてくるかもしれない。それでアリアがあのときのように真っ赤になったら、そして心を奪われたら——。
 勝手な想像を思い巡らせているうちに、気付けば眉を寄せていた。
 意識的にゆっくりと息を吐いて気持ちを鎮めていく。たとえそうなったとしても自分にはどうにもできないし、考えても仕方のないことだ。そう自分に言い聞かせたのは逃避だったのかもしれない。

「やあ、元気にしてたか?」
 ひと月が過ぎたころ、第二王子のサイラスがまたしても連絡なしにやってきた。
 応接室のソファに悠々と腰掛けたまま親しげに挨拶するのを見て、思わずじとりと睨めつけるが、彼はすこしも動じることなく悪戯めいた笑みを浮かべる。
「アリアちゃんがいなくて寂しくて泣いてるんじゃないかと思ってさ」
「泣いてない」
 食いぎみに言い返すが、寂しくてという部分については否定できなかった。わかっているのかいないのか、彼はふっと表情をゆるめてワインボトルを軽く掲げる。
「たまには一緒に飲まないか?」
「念のために聞くが、公務に支障はないんだろうな」
「あした公務があったら誘ってないさ」
 彼は酒に強くないため、翌日に公務のあるときは飲まないようにしているし、祝賀会や夜会などで断れなくても乾杯程度にとどめている。ただ飲むこと自体は嫌いでないので、ひさしぶりに公務のない日ができて飲みたくなったのかもしれない。
「仕方がないからつきあってやる」
「いや、おまえのために来たんだけどな」
「そういうことにしておいてやろう」
 もちろんアイザックを心配する気持ちもなくはないだろうが、どちらかといえば口実ではないかと思う。サイラスはこれ以上は言い返しても無駄だと悟ったのか、軽く苦笑して肩をすくめるだけだった。

「乾杯」
 サイラスが持参した白ワインはすっきりとしていて飲みやすかった。
 テーブルの上には、ナッツやチーズなど軽くつまめるものがいくつか並んでいる。こちらはアイザックが使用人に用意させたものだ。そのうちもうすこし手の込んだものが出てくることになっている。
「おまえとこうして飲むのは本当にひさしぶりだな」
「ああ」
 同じ夜会に参加したときに一緒に飲むことはあっても、私的にこうして二人きりで飲むのはいつ以来だろうか。学生のころはたまにあったが、卒業後は彼が多忙になったため場を設けなくなっていた。
 王族にはシーズンオフもなく、彼は「太陽の第二王子」の呼び名もあいまってとりわけ人気が高いため、国王夫妻や王太子にひけをとらないくらい忙しくしているのだ。たまには息抜きも必要だろう。
「アリアちゃんとは上手くいってる?」
 しばらくお互いの近況を話したり、仕事の愚痴をこぼしたり(もちろん守秘事項は口外していない)したあと、サイラスがそう尋ねてきた。
「まあ、それなりには」
「ずいぶん自信なさげじゃないか」
「…………」
 顔色を変えることなく受け流したつもりでいたのに、一瞬で見抜かれてしまった。意外と観察眼が鋭いのだ。アイザックは手にしていた白ワインをもう一口飲み、グラスを置く。
「打ち解けてきているとは思う。アリアが慕ってくれているのも感じている。ただ、それがアリアにとっていいことなのかわからないし、成長するにつれて他の男性に心惹かれることがあるかもしれない」
 視線をグラスに落としたまま、淡々と吐露した。
「何かあったのか?」
「そうではないが……十五も年の離れた朴念仁の自分より、もっとふさわしい相手がいるのではないかと考えてしまう。たとえば気心の知れた幼なじみの少年や、年齢は同じだが紳士的なレイモンドのような……」
「は? レイモンド?? あんな遊び人がふさわしいわけないだろ」
 サイラスはひどく嫌そうにバッサリと切り捨てた。
 そういえばサイラスとレイモンドはそりが合わなかった。というよりサイラスが一方的に毛嫌いしていたような気がする。アリアがレイモンドの挨拶を受けて頬を赤らめていたことは、言わないほうがいいだろう。
「おまえさぁ」
 溜息まじりの声に視線を上げると、背中からソファにもたれかかったサイラスが、眉をひそめてアイザックを見据えながらグラスを向けてきた。さきほどついだばかりの二杯目の白ワインが揺れる。
「そんなことグダグダ考えてもどうしようもないだろ。アリアちゃんが誰とお似合いだろうが誰を好きになろうが、もうおまえと結婚しているし離婚もできないんだ。こんな無意味なことに思考を費やすなんておまえらしくない」
 そう言って白ワインに口をつける。よく見れば色白の顔がほんのりと赤らんでいるし、こころなしか目も据わっている。いつもより早いが、そろそろ酔いがまわってもおかしくない頃合いではある。
 ただ、彼の言うことは間違っていない。
 これまで考えても仕方のないことは考えないようにしてきたし、感情で思考を鈍らせないようにしてきた。そういうところも氷の宰相補佐と呼ばれる所以だったと思う。なのにアリアのこととなるとままならない——。
「まあ初恋なら仕方ないか」
 ふいにハハッと笑いまじりにそんなことを言われ、アイザックは思わずギョッとして顔を上げると、そのまま呆然と彼を見やる。
 初恋?
 恋?
 アリアを気にかけるのはあくまでも妻だからだ。一緒に暮らす以上、できれば良好な関係を築きたいと思うのは自然なことだろう。恋などであるはずがない——そもそも恋がどういうものかもよくわかっていないのだが。
「違うのか?」
「…………」
 不思議そうに小首を傾げながら尋ねられたが、答えられなかった。違うと思っていたはずなのに声にならなかった。無意識のうちに奥歯を食いしめて難しい顔になる。
「まあ何でもいいさ。アリアちゃんを大事に思ってることは間違いないんだろ?」
「……ああ」
 そこは確かだ。相手が自分でいいのかと悩むくらいには大事に思っているし、いなくて寂しいと感じるくらいには好ましく思っている。半分ほど残っていた二杯目の白ワインを一気に呷り、喉の奥が熱くなった。
「アリアちゃんの相手がおまえでよかった」
 そう言われて、何とも言えない気持ちになりながら眉をひそめたそのとき、アイザックを捉えていたアクアマリンの瞳がふっとやわらかく緩んだ。
「俺はそう心から思ってるよ」
「…………」
 何も言葉を返せずにいると、サイラスはうっすらと笑みを浮かべたままワインクーラーのボトルをとり、空になっていたアイザックのグラスに雑にそそぐ。そしてあらためて自身のグラスを手に取った。
「乾杯」
 何についての乾杯かはあえて聞かなかった。
 アイザックは無言のままグラスを軽く掲げて応じると、一口飲む。そのすっきりとした爽やかな味わいを舌に感じながら、さきほどの彼の言葉を反芻し、まだ当分は会うことの叶わない彼女に思いを馳せた。
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