25 / 150
番外 一 ヤンデレ進化未遂事件
2
しおりを挟む
それから、ダリオは避けるというほどでもないが、テオドールと少し距離を置くように努めた。いずれ話し合いが必要だとは思ったが、先にメンタルクリニックの予約をしたのだ。一か月待ちである。すぐ取れねえとか、早急の場合どうすんだよと予約の電話で思ったものの、文句を言っても始まらない。とりあえずカウンセリングを受けてからだ。保険適用だが、思わぬ出費にさきがけて、アルバイトのシフトを少し増やす必要があるなと嘆息した。食費を削るのはナンセンスだ。ダリオの現在の生活は、体が資本である。
(一か月か……)
その間もメンテナンスはしてもらうから、どうにか性欲をコントロールしないといけない。というわけで、メンテナンス時はなるべく意識を反らし、日常生活でも少しばかり距離を置くようにしたわけである。
ダリオの変化にテオドールは多少引っかかりを覚えたようだが、特に何かを言ってくることもなかった。
ところがある日、アルバイト先のクラブ・ラビットホールにエヴァがやって来た。前回の盗撮の件の進捗報告なら大学の方でしてくれていたのだが、わざわざエヴァにとって鬼門であるメイドクラブまで足を運ぶとはどうしたことだろうかとダリオは無表情に首をひねる。
「指名料払うから、席ついて」
エヴァはイライラしているようだった。本日のダリオは、ウサギ耳にミニスカートのメイド服で、元彼女のエヴァの神経を逆なですることこの上ないかっこうである。この件で散々揉めたというか、付き合っている時は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと一方的に文句をつけられていたダリオだ。ふたりはガラステーブルの真向かいに座り、注文したティーセットが互いの間で、手もつけられないままに湯気をくゆらせている。
「エヴァ、どうしたんだ?」
「どうしたはこっちの台詞よ。あのねえ」
「うん」
「うん、てかわいいな、もうっ、あのね! テオドールくんが相談に来たんだけどっ」
「テオが?」
ウサギ耳のカチューシャだけでも外すかと真顔の裏で考えていたダリオは、目が点になった。
「仲いいんだな」
「そこじゃないっ! まあ番犬つけてくれたのは助かったけど……じゃなくて」
エヴァは嘆息しながら額に手をやり、自分で自分に突っ込んでいる。
「元彼女に、元彼氏の今彼氏が相談に来るとか、あたしをなんだと思ってるのよッ、はあはあ……あたしは元彼氏と元彼氏の彼氏がすれ違ってるのをくっつける都合のいい仲人じゃないのよ、カウンセリングもごめんだっつの、そこんとこわかってんの⁉」
「あー、それは悪かった……エヴァの方に行ってたのか」
あいつ俺が避けてるの一応気にしてたのか、とダリオは意外に思うと同時に腑に落ちるところがあった。また、エヴァに相談に行っていたというので、テオドールの行動に驚きを覚える。
「そうよ! それにしても、ほんとーーーーーに、テオドールくんについては、ちゃんと頭回してるのね……あたしの時にもそんだけ回してほしかった……のは置いといて。わかってるなら、ちゃんとしてよ。いきなりテオドールくんが目の前の空間から、にゅって出現して驚いたあたしの気持ちわかる?」
「それはすまん……というか、やっぱりエヴァ、もろに怪奇現象食らってたんだな……」
「……まあ、そうね……」
エヴァは何か思い出すように遠くを見た。
「初回から、ぶっ飛ばしていたわね、テオドールくんは」
しみじみと言うので、ダリオは本心から申し訳なく思った。
「本当に悪かった。エヴァは落ち着いてるから、もしかして大丈夫だったんじゃないかと思ってたが、まあ普通に考えて大丈夫じゃないよな」
どう考えても大丈夫なわけがない。エヴァは疲れたように同意した。
「否定しないわ……」
「その……テオには釘刺してるが、もし少しでも様子おかしいことあれば言ってくれ」
ダリオはしごく真面目に申し出た。
「テオは、あの手の怪異としては理性的だし話通じる方だと思う。ただ、どうしても認識の擦り合わせなしだと、思わぬ大惨事とかあるんで……」
「そうね……」
「ありがとう。エヴァのことは尊重するつもりみたいだが、万一でも、エヴァに被害が出るようなことはあらかじめ予防しておきたい。協力してくれると助かるよ」
「~~~~もうっ、」
ダリオとしては足りないくらいのことを言ったつもりだが、しばらく葛藤するようにエヴァはうつむき、
「急にそういうこと言うから……」
顔を上げた時は何か諦めたような表情になっていた。彼女はようやく紅茶を一口啜ると、ソーサーに戻し、次に口を開いた時にはもう落ち着きを取り戻していた。
「はあ。まあその時は頼らせてもらうわ。それはともかくね、テオドールくんが相談に来たの。あれ相談って言うのか分からないけど。内容は伏せるけどね、今回はダリオくんもわかってるみたいだし?」
「あー……たぶん。俺の態度かな……避けてるというか……」
「わかってるじゃない。なんでなの? ラブラブだったじゃない。腹立つくらい」
非常に言いづらい、とダリオは内心困ったが、現在進行形に振り回されているエヴァに、情報開示しないのもどうかと嘆息した。
「あー、その。性生活の不一致で……」
「はあ?」
ダリオは言葉を濁しながら説明し、落ち着いたと思ったエヴァから一転、罵られる羽目になった。あたしに迷惑がかかる前に、きちんと腹を割って話し合ってちょうだいね! と彼女は言い、伝票を取るともうこの話は終わり、と勘定をすませる。
「ああ、すまん。そうするよ……」
こうなれば、メンタルクリニックの診療は間に合いそうにない。カツカツと靴を鳴らして店を出る元彼女の背中を見送って、ウサギ耳メイド姿のダリオは腹を括ったが、いまいちしまらなかった。
「ダリオさん、僕を嫌いになりましたか?」
心臓に悪い。勤務を終えて、店を出たとたん、ぞくっとするような美声が、ダリオの斜め後ろから耳朶に触れ、長身が音もなく横に並んだ。あ、これはエヴァが来た時にはもう待機してたやつだな、とダリオは理解する。テオドールはいつもの無感動な表情で、化け物じみた美貌に異様な凄みを増して、夜の闇から突如現れたのである。落ち着き払って見えるが、空気がピリピリと冷たく刺すように張りつめ、意図してではなく、本人のコントロールを外れているようだった。対応を間違えると人死にが出るかもしれん、と経験上ダリオはなんとなく予感がした。
「ずっと考えていました」
テオドールは無表情である。人通りの多い往来にもかかわらず、誰もふたりに注視せず、無意識にだろうか、人垣は避けるように左右に分かれてぽっかり空間が形成されている。
異様に空間が薄暗く、テオドールの影はまるでどこまでも真っ黒に長く路地に伸びており、いつの間にか喧噪から丸ごと切り離されて静かだ。
あ、これ、やべーやつだな、とダリオは怪異の経験則で悟った。
「何か嫌われるようなことをしてしまったのではないかと」
「テオ」
「どうしたらいいのか分からなかったので、エヴァさんに相談に行きました」
「おい、テオ」
「エヴァさんに、仲を取り持っていただきたいとお願いしに行ったのですが、断られてしまい、困っておりました。しかし、エヴァさんはダリオさんに会いに行かれたようだったので、断ったもののどうにかしてくださったのではないかと――僕は」
みしみしみし、と密度の高い物体が圧縮されていくような嫌な音が聞こえる。異音はますます大きくなっていくのに、誰一人この異常事態に気づくようすがなく、物体の潰れる音以外には、しん、と無音の静寂がこだまを打っている。気づけば完全にひとけは絶え、闇のとばりがあたりに落ちていた。ダリオは自分が、日常世界から乖離していると理解した。怪異の支配する空間で孤立している。つまり状況として、これはガチでやべーやつ、と再度認識するに足るものだった。
(一か月か……)
その間もメンテナンスはしてもらうから、どうにか性欲をコントロールしないといけない。というわけで、メンテナンス時はなるべく意識を反らし、日常生活でも少しばかり距離を置くようにしたわけである。
ダリオの変化にテオドールは多少引っかかりを覚えたようだが、特に何かを言ってくることもなかった。
ところがある日、アルバイト先のクラブ・ラビットホールにエヴァがやって来た。前回の盗撮の件の進捗報告なら大学の方でしてくれていたのだが、わざわざエヴァにとって鬼門であるメイドクラブまで足を運ぶとはどうしたことだろうかとダリオは無表情に首をひねる。
「指名料払うから、席ついて」
エヴァはイライラしているようだった。本日のダリオは、ウサギ耳にミニスカートのメイド服で、元彼女のエヴァの神経を逆なですることこの上ないかっこうである。この件で散々揉めたというか、付き合っている時は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと一方的に文句をつけられていたダリオだ。ふたりはガラステーブルの真向かいに座り、注文したティーセットが互いの間で、手もつけられないままに湯気をくゆらせている。
「エヴァ、どうしたんだ?」
「どうしたはこっちの台詞よ。あのねえ」
「うん」
「うん、てかわいいな、もうっ、あのね! テオドールくんが相談に来たんだけどっ」
「テオが?」
ウサギ耳のカチューシャだけでも外すかと真顔の裏で考えていたダリオは、目が点になった。
「仲いいんだな」
「そこじゃないっ! まあ番犬つけてくれたのは助かったけど……じゃなくて」
エヴァは嘆息しながら額に手をやり、自分で自分に突っ込んでいる。
「元彼女に、元彼氏の今彼氏が相談に来るとか、あたしをなんだと思ってるのよッ、はあはあ……あたしは元彼氏と元彼氏の彼氏がすれ違ってるのをくっつける都合のいい仲人じゃないのよ、カウンセリングもごめんだっつの、そこんとこわかってんの⁉」
「あー、それは悪かった……エヴァの方に行ってたのか」
あいつ俺が避けてるの一応気にしてたのか、とダリオは意外に思うと同時に腑に落ちるところがあった。また、エヴァに相談に行っていたというので、テオドールの行動に驚きを覚える。
「そうよ! それにしても、ほんとーーーーーに、テオドールくんについては、ちゃんと頭回してるのね……あたしの時にもそんだけ回してほしかった……のは置いといて。わかってるなら、ちゃんとしてよ。いきなりテオドールくんが目の前の空間から、にゅって出現して驚いたあたしの気持ちわかる?」
「それはすまん……というか、やっぱりエヴァ、もろに怪奇現象食らってたんだな……」
「……まあ、そうね……」
エヴァは何か思い出すように遠くを見た。
「初回から、ぶっ飛ばしていたわね、テオドールくんは」
しみじみと言うので、ダリオは本心から申し訳なく思った。
「本当に悪かった。エヴァは落ち着いてるから、もしかして大丈夫だったんじゃないかと思ってたが、まあ普通に考えて大丈夫じゃないよな」
どう考えても大丈夫なわけがない。エヴァは疲れたように同意した。
「否定しないわ……」
「その……テオには釘刺してるが、もし少しでも様子おかしいことあれば言ってくれ」
ダリオはしごく真面目に申し出た。
「テオは、あの手の怪異としては理性的だし話通じる方だと思う。ただ、どうしても認識の擦り合わせなしだと、思わぬ大惨事とかあるんで……」
「そうね……」
「ありがとう。エヴァのことは尊重するつもりみたいだが、万一でも、エヴァに被害が出るようなことはあらかじめ予防しておきたい。協力してくれると助かるよ」
「~~~~もうっ、」
ダリオとしては足りないくらいのことを言ったつもりだが、しばらく葛藤するようにエヴァはうつむき、
「急にそういうこと言うから……」
顔を上げた時は何か諦めたような表情になっていた。彼女はようやく紅茶を一口啜ると、ソーサーに戻し、次に口を開いた時にはもう落ち着きを取り戻していた。
「はあ。まあその時は頼らせてもらうわ。それはともかくね、テオドールくんが相談に来たの。あれ相談って言うのか分からないけど。内容は伏せるけどね、今回はダリオくんもわかってるみたいだし?」
「あー……たぶん。俺の態度かな……避けてるというか……」
「わかってるじゃない。なんでなの? ラブラブだったじゃない。腹立つくらい」
非常に言いづらい、とダリオは内心困ったが、現在進行形に振り回されているエヴァに、情報開示しないのもどうかと嘆息した。
「あー、その。性生活の不一致で……」
「はあ?」
ダリオは言葉を濁しながら説明し、落ち着いたと思ったエヴァから一転、罵られる羽目になった。あたしに迷惑がかかる前に、きちんと腹を割って話し合ってちょうだいね! と彼女は言い、伝票を取るともうこの話は終わり、と勘定をすませる。
「ああ、すまん。そうするよ……」
こうなれば、メンタルクリニックの診療は間に合いそうにない。カツカツと靴を鳴らして店を出る元彼女の背中を見送って、ウサギ耳メイド姿のダリオは腹を括ったが、いまいちしまらなかった。
「ダリオさん、僕を嫌いになりましたか?」
心臓に悪い。勤務を終えて、店を出たとたん、ぞくっとするような美声が、ダリオの斜め後ろから耳朶に触れ、長身が音もなく横に並んだ。あ、これはエヴァが来た時にはもう待機してたやつだな、とダリオは理解する。テオドールはいつもの無感動な表情で、化け物じみた美貌に異様な凄みを増して、夜の闇から突如現れたのである。落ち着き払って見えるが、空気がピリピリと冷たく刺すように張りつめ、意図してではなく、本人のコントロールを外れているようだった。対応を間違えると人死にが出るかもしれん、と経験上ダリオはなんとなく予感がした。
「ずっと考えていました」
テオドールは無表情である。人通りの多い往来にもかかわらず、誰もふたりに注視せず、無意識にだろうか、人垣は避けるように左右に分かれてぽっかり空間が形成されている。
異様に空間が薄暗く、テオドールの影はまるでどこまでも真っ黒に長く路地に伸びており、いつの間にか喧噪から丸ごと切り離されて静かだ。
あ、これ、やべーやつだな、とダリオは怪異の経験則で悟った。
「何か嫌われるようなことをしてしまったのではないかと」
「テオ」
「どうしたらいいのか分からなかったので、エヴァさんに相談に行きました」
「おい、テオ」
「エヴァさんに、仲を取り持っていただきたいとお願いしに行ったのですが、断られてしまい、困っておりました。しかし、エヴァさんはダリオさんに会いに行かれたようだったので、断ったもののどうにかしてくださったのではないかと――僕は」
みしみしみし、と密度の高い物体が圧縮されていくような嫌な音が聞こえる。異音はますます大きくなっていくのに、誰一人この異常事態に気づくようすがなく、物体の潰れる音以外には、しん、と無音の静寂がこだまを打っている。気づけば完全にひとけは絶え、闇のとばりがあたりに落ちていた。ダリオは自分が、日常世界から乖離していると理解した。怪異の支配する空間で孤立している。つまり状況として、これはガチでやべーやつ、と再度認識するに足るものだった。
103
あなたにおすすめの小説
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
【完結】かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
番外編はTwitter(べったー)に載せていきますので、よかったらぜひ🤲
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる