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五 セブンス・ゴート・ストーカー事件
3(全年齢版)
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ひとまず決着がつき、エヴァを駐車場まで送ってから、ダリオとテオドールは帰宅することにした。大学キャンパス構内はすでに夜間警備の見回りが始まる時刻だ。黄昏から夜の帳に空が押し包まれ、パチパチとまばらに建物の窓に電灯の明かりが点る。テオドールと並んで歩きながら、ダリオはこの青年の美貌を横目に眺め、疑念を口にした。
「エヴァは、結局お前のこと何も聞いてこなかったな……」
ダリオの語調は不可解さを帯びていた。紙切れの犬っころが、携帯フォンの中に飛び込んで行って、犯人の居場所を咥えてもどって来た件や、エヴァにつけた番犬の件だ。特に追求がなかったので、ダリオも触れなかったのだが、改めて尋常ではない出来事の連続である。何も触れて来ないのは逆に不思議といえた。これに、テオドールは切れ長の美しい目でちらりとダリオを流し見ると、いつもの口調で爆弾発言を投下してきた。
「それは、前回エヴァさんを少々怖い目に合わせてしまいましたので」
「あ?」
ダリオは思わず聞き返した。だが、テオドールは通常運転だ。
「多少のことは想定の範囲内で飲み込まれたのかもしれません」
いやいやいや、ちょっと待て、とダリオはストップさせる。こめかみを揉むようにして、思い出しながら確認した。
「前回というのは、エヴァに紹介して会ってもらった時のやつか?」
初対面は確かそれのはずだ。
「はい。少々空間に影響が出まして」
ダリオの隣を歩きながら、大したことではないようにテオドールは肯定する。ダリオは口を開けた。テオドールは時折、周辺に彼の影響で妙な現象を起こすことがある。部屋や家具に、目や口が生じたり、空間が歪んだり、怪異のオンパレードだが、すぐさまもとに戻るのだけが唯一の救いだった。あれをエヴァに対してやらかしたのか。その割に、エヴァは冷静で、テオドールを呼びつけるまでしていたが。
「特に危害は加えておりませんので、ご安心ください」
ご安心できねえんだなあ! 案件過ぎた。ダリオは開けた口を閉じ、もう一度開けて閉じる。なんとか言葉を絞り出した。
「あー……エヴァのあの様子じゃ、お前の言うとおり、気にしないことにしたのかもしれん」
なぜかテオドールの怪異をフォローするようなことを口走ってしまう。混乱してんだな俺……とダリオはやや目が死んだ魚のようになった。テオドールは優雅に頷いてみせる。
「柔軟に受け止めてくださったようです」
悪びれなさがすごい。いやほんと、お前いい加減なこと言ってんじゃねえよ、とダリオは思った。本来ダリオは感情の起伏はそれほど激しくないのだが、テオドールと相対すると、つっこみの嵐になってしまう。俺ってけっこう感情豊かだったんだな、とダリオは自分の一面に感心してもいた。比較対象が宇宙的人外な時点で冷静な判断力の欠如が疑われる。ダリオは遮るように片手をあげた。
「……とりあえず、分かった」
「ご納得頂けて良かったです」
別にご納得はしていない。事実確認しただけだ。だが、とダリオは付け加えた。
「今後エヴァに危害をくわえるような真似はつつしんでくれよ。そん時は、さすがにお前と俺とで、このままではいられないからな」
「はい」
テオドールの目に、綾絹のような偏光する不思議な感情が過ぎる。それが軽蔑なのか、殊勝な態度なのか、ダリオにはわからなかった。
テオドールは、ダリオを敬う素振りを見せるが、本心から敬意を持っているようではなく、「ご納得できない」件については、割とつめてくる。そういう時、彼の目はどこか冷ややかだ。ダリオ個人に対してというより、ダリオを含めた人類全体への疑義なのだろう。多次元を行き来する知的種族からの見定めるような眼差しである。それでいて、ダリオを特別に甘やかすのは自分の義務とでも言わんばかりにふるまってもくるのだから、いまだにダリオは順応が難しい。彼が言う特別には、偽りを感じないぶんだけ、余計にだ。そもそもテオドールは丁寧な口調を崩さないが、案外言葉の駆け引きというものはせず、ドストレートに述べる。印象としては、むしろ実直だ。支配者と呼ばれる彼らの生態は、人よりも自己欺瞞は少ないのかもしれない。強者ゆえに、偽りを並べて自他を誤魔化す必要がないのだろう。
そのテオドールが、「はい」と応じた以上、更に釘を刺すのもどうかと思ったが、注意一秒怪我一生ともいう。なにしろ、犯人の四肢爆散を躊躇せずやろうとしていた話を聞いた後なのだ。意識のすり合わせをしておいても損はあるまい。というか、しないと大惨事ありまくる。エヴァに報復を仕掛けに行こうとした前科もあるし、一応念押しだった。あとであの時言っておけば……と後悔するような事故は事前に芽を摘んでおきたい。
そうこうする内に、二人はセントラル・パークに差し掛かった。公園を通り抜ける道は、曲がりくねりながら斜めに渡されており、外周を歩くよりショートカットになる。日中夜間ともに、市民の散歩ロードとなっているものだ。しかし今はダリオたち以外に人気は感じられない。頭上高く生い茂る緑の樹冠は暗く、レトロな街灯からこぼれる光が、煉瓦舗装の道をオレンジ色に照らしている。二人は無言で歩いていたが、ダリオはいい加減、うなじに突き刺さるようなテオドールの視線を無視できなくなってきた。街灯の下ぴたりと足を止めると、少しだけダリオより身長の高いテオドールの双眸を、同じく視線だけで見上げる。
「さっきから、どうした?」
テオドールも立ち止まり、ダリオに対峙する。もう空には月が出ており、テオドールの白い相貌を切り取るように浮かび上がらせた。月の輪郭は、灰色に重く垂れこめる雲の縁を金色に滲ませている。あたりは虫の鳴き声すら一切途絶えて、何も聞こえてこない。いつの間にか世界から切り離されたように、この一帯だけが異常なまでの静けさに満たされていた。
異様な静寂と比例するように、テオドールの美貌も夜のけはいに凄みを増しつつある。
月を背景に、この青年の影法師が長くダリオに向かって伸びた。その影はあまりにも長大に、一瞬彼の本質である化け物の形をとるかに思われた。
もちろんそれは気のせいだ。テオドールは相変わらず青年の姿で佇んでいる。だが、人の形をとっていても、こいつ人間じゃねえからな、と日常の節々で感じさせられる人外ハプニングより、今の方がよほど人間離れして見えた。ダリオの逡巡を知ってか知らないでか、テオドールは感情の読めない青い目でダリオを見つめ、静かに口を開いた。
「エヴァさんの件もありますので、報復や完全排除が最善ではないケースもある、ということは理解したつもりです」
いや何の前置きだ。この前置きから反語になるとろくな結論にならなそうだが。ダリオは内心真顔になったものの、そうか、と頷く。
「そりゃあ、よかった」
どうにもしらじらしい感じになるが、咎めるような話ではない。ついでに提案もねじ込んでおくことにした。
「これは俺からのお願いなんだが」
「はい」
「何かを完全排除実行する前には、一度相談してくれると助かる」
「わかりました」
テオドールはあっさり受け入れた。
「ご相談が難しい場合は、一歩手前で生かしておくように努めます」
「……まあ……穏便に頼む。人間は手足が爆散すると死ぬからな」
俺は何を当たり前のことを言ってるんだ? とダリオは内心虚無になった。
「ダリオさん」
つ、とテオドールが近づき、上から顔を寄せて来る。
「しかしながら、あの男の処遇は不可解です」
「ああ?」
前置きは前置きだったらしい。ダリオは空気に押され、やや仰け反った。テオドールは無感動な顔で、見下ろしている。
「あの男は、ダリオさんだけではなく、ダリオさんの所属する社会に攻撃を繰り返していました。消滅させた方が合理的です」
「……お前な……やっぱり納得してなかったのかよ」
男の始末を提案してきた際、ダリオに拒否されて物分かりよく引いたが、腹の内では全くおさめる気がなかったようだ。案の定である。
「はい。よろしければ、今からでも遠隔操作で心臓を止めることもできますが」
テオドールは更にずい、と顔を近づけて来た。深海の海抜4,000m以となる無光層領域を、「底なしの」という意味で、アビスと言う。まさにテオドールの左右一対の瞳は、底なしを思わせた。ぞっとするような深い青の双眼に、紫の異界の炎が、海底で瞬くがごとく妖艶に揺れている。その炎は、簡単に他者を焼き尽くしてしまう恐ろしいものなのに、美しいなと感じて、ダリオは美術品でも鑑賞するようにまじまじと見てしまった。だが、それも時間にしてわずかのことだ。
「駄目だ」
「そうですか……」
きっぱりとした回答を受けて、テオドールの目に冷ややかな何かが過ぎる。しかし、その軽蔑はダリオに対するものではないように見えた。どちらにせよ、知ったこっちゃねえとばかり、ダリオは言いたいことを口にする。
「言っとくがな、俺自身、あの男はクソ野郎だと思ってるぞ」
テオドールがわずかに目を見開く。ダリオはかまわずに続けた。
「あの男、やたらと自分は弱者で被害者だって叫んでただろ。女たちが生意気だから悪いとか、俺が調子に乗ってるとか」
「ええ」
「単に機会に恵まれなかっただけで、チャンスがあれば加害側に回りたくて仕方ないって感じか……まあ稀にけっこう見るかもしれねえな」
テオドールは否定しない。目を眇めて沈黙しているが、むしろ『稀』と評したダリオに懐疑的な様子すらうかがえる。彼は人間に対して、ほとんどいい印象をもっていないのだろうなというのはダリオも折につけては感じていた。
「お前の言う通り、問題起こしたやつをそのつど排除すりゃ、簡単かもしれねえ」
「おっしゃる通りです」
「ああ。そうだよな……って、おっしゃる通りじゃないからな、言っとくが」
ダリオは、がりがりと面倒くさそうに頭を掻いた。テオドールの目は冷酷に鋭い。
「何故です」
「あー、つまりそうもいかないだろ、社会ってやつは」
「社会、ですか」
腑に落ちぬよう声を落とし、テオドールはダリオを無表情に見る。あだやおろそかな回答をすれば、今度こそダリオ個人への軽蔑は免れなさそうだ。しかしダリオには、実体験にもとづく核がある。
「ああ。それで俺だって助かることもあるんだ」
「ダリオさんがですか?」
少しテオドールの抑揚が変わった。ダリオは肩をすくめ、テオドールの腕を軽く拳の裏でたたくまねをした。
「そうだ。社会が助けてくれなきゃ、俺は親もいないし、とっくに死んでて、お前とは会えなかったと思うぞ」
「……」
テオドールの柳眉が、かすかにひそめられた。少し不安そうに見えて、ダリオは嘆息する。
「触っていいか?」
「どうぞ」
頷かれたのを皮切りに、今度は本当にテオドールの背を叩いて、友人に対するよう肩の力を抜いた。テオドールは無言ながら、これまでにないダリオの変化を敏感に感じたらしい。冷ややかな無表情が、常の無表情程度に戻っていた。どちらかというと、猫のように目を見開き、様子をうかがっている。
つまり、ダリオがやったのは、人間を相手にするようなコミュニケーションだ。テオドールとは一次接触も増えていたとはいえ、やはり警戒心や緊張が先にあって、これまでもダリオの内外ではっきりと線引きがあった。テオドールもその線引きは言外に突きつけられているのを理解していたはずだ。そのままダリオはテオドールの肩に手をかけた。
「……」
すると思った以上にテオドールはがっちりと更にその上から両腕でホールドしてきた。かなり真顔でダリオを凝視しているので、彼なりにびっくりしているらしい。思わず、ダリオの肩が笑いに揺れた。
「はは」
わからないと問いつめてきているが、やってることは幼児みたいなところがある。とはいえ、相手は決して子どもではなく、ダリオなど簡単に蹂躙できる人外のヤバイヤツだ。人理の外にある存在である。しかし、思えば、テオドールはそこそこダリオの方に譲歩して合わせようとしてきた。簡単に支配できる相手に対して、その人格や尊厳を踏み潰さないように注意を払っていたのだ。
ダリオにとってそれは、同じだけの尊重を返さずにいることが、まあ不義理だなと思わせるのに十分なものだった。
警戒を全てなくすことはできない。だが、ダリオの警戒心を無理やりとりあげずに、行動で信頼を積み重ねようと試行錯誤してきた相手だ。それを十把一絡げに突き放すのはどうなのか。
ひとつは、異文化交流と思ってやればいいのかもな、と考える。もう少し鷹揚に構え、そちらの方向に舵を切り替えるわけだ。できるかは知らんが、努力はできるだろう。
「とにかく、私刑はお望みじゃない。俺のためというならなおさらだ」
「……そうですか」
「テオ」
何か言おうと思ったが、気の利いたセリフは思いつかなかった。
「今回は色々助けてくれて、ありがとうな」
「いえ」
背中をポンポン叩いて、礼を言うにとどめる。少くとも彼はダリオの意思を無視して強行しようとはしなかったし、必ず確認してきた。認識のすれ違いであやうく大惨事にはなりかけたものの、そこは本当にすり合わせだ。今後の課題である。
対して、テオドールは口数が少ない。彼の皮手袋に包まれた大きな手はダリオの腰に触れてはいたが、力加減の分からぬように添えられた程度だ。改めて、ダリオはテオドールがけっこう気を遣ってきていることを理解した。その気の遣い方は、ダリオを壊さないようにしているというかなりあれな方面だったが。お互い沈黙するものの、嫌な緊張感ではない。もう少しくっつきたいような不思議な感覚だった。これは友人たち相手にも感じたことのない妙な感覚だ。やがてテオドールが、
「ダリオさん」
と無表情にも、じ、とダリオを見つめてきた。
ダリオは少し顔を傾けた。お互いの視線が交わる。
「肉体を使ったコミュニケーションの効用は軽視できないと感じました」
「うーん、そうかもな」
「更なる相互理解に、上位のコミュニケーションで性器を相手の内臓に抜き差しする性行為があるようなので、有意であれば試してみたいのですが」
「お前それセクハラだからな……」
「セクハラとはなんです」
「お前が今俺にしてるやつだよ」
「申し訳ありません。次回までに学習して参ります」
「いや、俺も今のは聞かれてるのにいい加減だったな。あー、定義改めて問われると、むずかしいが、セクシュアル・ハラスメントの略で、相手の意に反する性的言動だ。そういう仲でもないのに、セックスしないか提案も十分範疇だぞ」
「そういう仲とは」
「恋人とか夫婦とか、要するに合意とりやすい仲か……? そういう仲でも、性行為はリスク高いから、積極的に両者がしたがって初めて成立するし、途中で止めたいつったら、そっちのが優先だぞ。相手のしたくない気持ちは、したい気持ちよりも守られるべきだし、合意とれないのに執拗なのはセクハラどころか、DVだからな。DVはまた説明する」
「わかりました。ついては、どうすればそういう仲になれるのですか。試してみたいのです。ダリオさん、教えてください」
「お前、目的と手段逆転どころか、前提相当間違ってるからな」
「……確かに、これはセクシュアル・ハラスメントに当たりますね。もう少し学習してきます」
テオドールは口許に指先を当て、思案するように長い睫の陰影を落とすと、「善は急げと申します。では」と言って、姿を消してしまった。
ひとり残されたダリオは後頭部に手をやる。いつの間にか、無音の周囲はもとに戻っていた。
「はあ、帰るか」
ダリオは嘆息して、月明かりの下をゆっくり歩きだした。
「エヴァは、結局お前のこと何も聞いてこなかったな……」
ダリオの語調は不可解さを帯びていた。紙切れの犬っころが、携帯フォンの中に飛び込んで行って、犯人の居場所を咥えてもどって来た件や、エヴァにつけた番犬の件だ。特に追求がなかったので、ダリオも触れなかったのだが、改めて尋常ではない出来事の連続である。何も触れて来ないのは逆に不思議といえた。これに、テオドールは切れ長の美しい目でちらりとダリオを流し見ると、いつもの口調で爆弾発言を投下してきた。
「それは、前回エヴァさんを少々怖い目に合わせてしまいましたので」
「あ?」
ダリオは思わず聞き返した。だが、テオドールは通常運転だ。
「多少のことは想定の範囲内で飲み込まれたのかもしれません」
いやいやいや、ちょっと待て、とダリオはストップさせる。こめかみを揉むようにして、思い出しながら確認した。
「前回というのは、エヴァに紹介して会ってもらった時のやつか?」
初対面は確かそれのはずだ。
「はい。少々空間に影響が出まして」
ダリオの隣を歩きながら、大したことではないようにテオドールは肯定する。ダリオは口を開けた。テオドールは時折、周辺に彼の影響で妙な現象を起こすことがある。部屋や家具に、目や口が生じたり、空間が歪んだり、怪異のオンパレードだが、すぐさまもとに戻るのだけが唯一の救いだった。あれをエヴァに対してやらかしたのか。その割に、エヴァは冷静で、テオドールを呼びつけるまでしていたが。
「特に危害は加えておりませんので、ご安心ください」
ご安心できねえんだなあ! 案件過ぎた。ダリオは開けた口を閉じ、もう一度開けて閉じる。なんとか言葉を絞り出した。
「あー……エヴァのあの様子じゃ、お前の言うとおり、気にしないことにしたのかもしれん」
なぜかテオドールの怪異をフォローするようなことを口走ってしまう。混乱してんだな俺……とダリオはやや目が死んだ魚のようになった。テオドールは優雅に頷いてみせる。
「柔軟に受け止めてくださったようです」
悪びれなさがすごい。いやほんと、お前いい加減なこと言ってんじゃねえよ、とダリオは思った。本来ダリオは感情の起伏はそれほど激しくないのだが、テオドールと相対すると、つっこみの嵐になってしまう。俺ってけっこう感情豊かだったんだな、とダリオは自分の一面に感心してもいた。比較対象が宇宙的人外な時点で冷静な判断力の欠如が疑われる。ダリオは遮るように片手をあげた。
「……とりあえず、分かった」
「ご納得頂けて良かったです」
別にご納得はしていない。事実確認しただけだ。だが、とダリオは付け加えた。
「今後エヴァに危害をくわえるような真似はつつしんでくれよ。そん時は、さすがにお前と俺とで、このままではいられないからな」
「はい」
テオドールの目に、綾絹のような偏光する不思議な感情が過ぎる。それが軽蔑なのか、殊勝な態度なのか、ダリオにはわからなかった。
テオドールは、ダリオを敬う素振りを見せるが、本心から敬意を持っているようではなく、「ご納得できない」件については、割とつめてくる。そういう時、彼の目はどこか冷ややかだ。ダリオ個人に対してというより、ダリオを含めた人類全体への疑義なのだろう。多次元を行き来する知的種族からの見定めるような眼差しである。それでいて、ダリオを特別に甘やかすのは自分の義務とでも言わんばかりにふるまってもくるのだから、いまだにダリオは順応が難しい。彼が言う特別には、偽りを感じないぶんだけ、余計にだ。そもそもテオドールは丁寧な口調を崩さないが、案外言葉の駆け引きというものはせず、ドストレートに述べる。印象としては、むしろ実直だ。支配者と呼ばれる彼らの生態は、人よりも自己欺瞞は少ないのかもしれない。強者ゆえに、偽りを並べて自他を誤魔化す必要がないのだろう。
そのテオドールが、「はい」と応じた以上、更に釘を刺すのもどうかと思ったが、注意一秒怪我一生ともいう。なにしろ、犯人の四肢爆散を躊躇せずやろうとしていた話を聞いた後なのだ。意識のすり合わせをしておいても損はあるまい。というか、しないと大惨事ありまくる。エヴァに報復を仕掛けに行こうとした前科もあるし、一応念押しだった。あとであの時言っておけば……と後悔するような事故は事前に芽を摘んでおきたい。
そうこうする内に、二人はセントラル・パークに差し掛かった。公園を通り抜ける道は、曲がりくねりながら斜めに渡されており、外周を歩くよりショートカットになる。日中夜間ともに、市民の散歩ロードとなっているものだ。しかし今はダリオたち以外に人気は感じられない。頭上高く生い茂る緑の樹冠は暗く、レトロな街灯からこぼれる光が、煉瓦舗装の道をオレンジ色に照らしている。二人は無言で歩いていたが、ダリオはいい加減、うなじに突き刺さるようなテオドールの視線を無視できなくなってきた。街灯の下ぴたりと足を止めると、少しだけダリオより身長の高いテオドールの双眸を、同じく視線だけで見上げる。
「さっきから、どうした?」
テオドールも立ち止まり、ダリオに対峙する。もう空には月が出ており、テオドールの白い相貌を切り取るように浮かび上がらせた。月の輪郭は、灰色に重く垂れこめる雲の縁を金色に滲ませている。あたりは虫の鳴き声すら一切途絶えて、何も聞こえてこない。いつの間にか世界から切り離されたように、この一帯だけが異常なまでの静けさに満たされていた。
異様な静寂と比例するように、テオドールの美貌も夜のけはいに凄みを増しつつある。
月を背景に、この青年の影法師が長くダリオに向かって伸びた。その影はあまりにも長大に、一瞬彼の本質である化け物の形をとるかに思われた。
もちろんそれは気のせいだ。テオドールは相変わらず青年の姿で佇んでいる。だが、人の形をとっていても、こいつ人間じゃねえからな、と日常の節々で感じさせられる人外ハプニングより、今の方がよほど人間離れして見えた。ダリオの逡巡を知ってか知らないでか、テオドールは感情の読めない青い目でダリオを見つめ、静かに口を開いた。
「エヴァさんの件もありますので、報復や完全排除が最善ではないケースもある、ということは理解したつもりです」
いや何の前置きだ。この前置きから反語になるとろくな結論にならなそうだが。ダリオは内心真顔になったものの、そうか、と頷く。
「そりゃあ、よかった」
どうにもしらじらしい感じになるが、咎めるような話ではない。ついでに提案もねじ込んでおくことにした。
「これは俺からのお願いなんだが」
「はい」
「何かを完全排除実行する前には、一度相談してくれると助かる」
「わかりました」
テオドールはあっさり受け入れた。
「ご相談が難しい場合は、一歩手前で生かしておくように努めます」
「……まあ……穏便に頼む。人間は手足が爆散すると死ぬからな」
俺は何を当たり前のことを言ってるんだ? とダリオは内心虚無になった。
「ダリオさん」
つ、とテオドールが近づき、上から顔を寄せて来る。
「しかしながら、あの男の処遇は不可解です」
「ああ?」
前置きは前置きだったらしい。ダリオは空気に押され、やや仰け反った。テオドールは無感動な顔で、見下ろしている。
「あの男は、ダリオさんだけではなく、ダリオさんの所属する社会に攻撃を繰り返していました。消滅させた方が合理的です」
「……お前な……やっぱり納得してなかったのかよ」
男の始末を提案してきた際、ダリオに拒否されて物分かりよく引いたが、腹の内では全くおさめる気がなかったようだ。案の定である。
「はい。よろしければ、今からでも遠隔操作で心臓を止めることもできますが」
テオドールは更にずい、と顔を近づけて来た。深海の海抜4,000m以となる無光層領域を、「底なしの」という意味で、アビスと言う。まさにテオドールの左右一対の瞳は、底なしを思わせた。ぞっとするような深い青の双眼に、紫の異界の炎が、海底で瞬くがごとく妖艶に揺れている。その炎は、簡単に他者を焼き尽くしてしまう恐ろしいものなのに、美しいなと感じて、ダリオは美術品でも鑑賞するようにまじまじと見てしまった。だが、それも時間にしてわずかのことだ。
「駄目だ」
「そうですか……」
きっぱりとした回答を受けて、テオドールの目に冷ややかな何かが過ぎる。しかし、その軽蔑はダリオに対するものではないように見えた。どちらにせよ、知ったこっちゃねえとばかり、ダリオは言いたいことを口にする。
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「あの男、やたらと自分は弱者で被害者だって叫んでただろ。女たちが生意気だから悪いとか、俺が調子に乗ってるとか」
「ええ」
「単に機会に恵まれなかっただけで、チャンスがあれば加害側に回りたくて仕方ないって感じか……まあ稀にけっこう見るかもしれねえな」
テオドールは否定しない。目を眇めて沈黙しているが、むしろ『稀』と評したダリオに懐疑的な様子すらうかがえる。彼は人間に対して、ほとんどいい印象をもっていないのだろうなというのはダリオも折につけては感じていた。
「お前の言う通り、問題起こしたやつをそのつど排除すりゃ、簡単かもしれねえ」
「おっしゃる通りです」
「ああ。そうだよな……って、おっしゃる通りじゃないからな、言っとくが」
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「何故です」
「あー、つまりそうもいかないだろ、社会ってやつは」
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「……」
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つまり、ダリオがやったのは、人間を相手にするようなコミュニケーションだ。テオドールとは一次接触も増えていたとはいえ、やはり警戒心や緊張が先にあって、これまでもダリオの内外ではっきりと線引きがあった。テオドールもその線引きは言外に突きつけられているのを理解していたはずだ。そのままダリオはテオドールの肩に手をかけた。
「……」
すると思った以上にテオドールはがっちりと更にその上から両腕でホールドしてきた。かなり真顔でダリオを凝視しているので、彼なりにびっくりしているらしい。思わず、ダリオの肩が笑いに揺れた。
「はは」
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「……そうですか」
「テオ」
何か言おうと思ったが、気の利いたセリフは思いつかなかった。
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「いえ」
背中をポンポン叩いて、礼を言うにとどめる。少くとも彼はダリオの意思を無視して強行しようとはしなかったし、必ず確認してきた。認識のすれ違いであやうく大惨事にはなりかけたものの、そこは本当にすり合わせだ。今後の課題である。
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「ダリオさん」
と無表情にも、じ、とダリオを見つめてきた。
ダリオは少し顔を傾けた。お互いの視線が交わる。
「肉体を使ったコミュニケーションの効用は軽視できないと感じました」
「うーん、そうかもな」
「更なる相互理解に、上位のコミュニケーションで性器を相手の内臓に抜き差しする性行為があるようなので、有意であれば試してみたいのですが」
「お前それセクハラだからな……」
「セクハラとはなんです」
「お前が今俺にしてるやつだよ」
「申し訳ありません。次回までに学習して参ります」
「いや、俺も今のは聞かれてるのにいい加減だったな。あー、定義改めて問われると、むずかしいが、セクシュアル・ハラスメントの略で、相手の意に反する性的言動だ。そういう仲でもないのに、セックスしないか提案も十分範疇だぞ」
「そういう仲とは」
「恋人とか夫婦とか、要するに合意とりやすい仲か……? そういう仲でも、性行為はリスク高いから、積極的に両者がしたがって初めて成立するし、途中で止めたいつったら、そっちのが優先だぞ。相手のしたくない気持ちは、したい気持ちよりも守られるべきだし、合意とれないのに執拗なのはセクハラどころか、DVだからな。DVはまた説明する」
「わかりました。ついては、どうすればそういう仲になれるのですか。試してみたいのです。ダリオさん、教えてください」
「お前、目的と手段逆転どころか、前提相当間違ってるからな」
「……確かに、これはセクシュアル・ハラスメントに当たりますね。もう少し学習してきます」
テオドールは口許に指先を当て、思案するように長い睫の陰影を落とすと、「善は急げと申します。では」と言って、姿を消してしまった。
ひとり残されたダリオは後頭部に手をやる。いつの間にか、無音の周囲はもとに戻っていた。
「はあ、帰るか」
ダリオは嘆息して、月明かりの下をゆっくり歩きだした。
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淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
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