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第一章
26.決意
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くっつきすぎだと引き剥がされたレグルスは、不満を全面に押し出しながらもベッドから降りる。
タビトはムルジムの難しい顔を見て、大変な目に遭った今日のことを思い出した。
レグルスに助けられ、慰められてすっかり忘れてしまっていた。
「おおよそのことは伺いました。タビト、無事で良かった」
「あ、ありがとうムルジム」
「さて、つかぬことをお聞きしますが。タビト、あなたよそで動物を拾ってきませんでしたか?」
「え?」
「さっきから庭で動物が鳴いていてうるさいのです。追い払っても戻ってきて……あなたについてきてしまったんじゃないかと思って、つれてきました」
ムルジムがひょいと持ち上げた手には、毛玉がぶら下げられていた。
「みゃう……」
「あっ、メイサ」
馬車から逃げてしまった子ネコだ。
戻ってきたはいいもののタビトの姿がなく、困り果てたメイサは屋敷の庭をうろうろと探し回っては鳴いていたらしい。
その頃タビトはレグルスとすっかり寝入ってしまっていた。
「ごめんねメイサ。忘れてた」
「ひどい……おにちゃ……」
「ごめん……」
ムルジムに捕まり、荷物のように持ち運ばれ、その前にも走ったり鳴いたりと元気だったメイサは、置いて行かれたショックと疲れでフラフラしていた。
「ねぇムルじい、飼っていい?」
「ダメです」
「えぇー!」
横ではレグルスがメイサの飼育許可を取ろうとして失敗している。
動物が獣人と共にいるには、動物に首輪をつける必要があると聞いたのを思い出す。
メイサが首輪をつけなければ、いずれ引き離される。
しかし逆を言えば、首輪さえつけられればその動物は獣人の庇護下に置けるということだろうか。
きょろきょろと周囲を見回すと、鮮やかな青の紐が目に入った。
レグルスたち遊び盛りの子どもがおもちゃにするための、リボンと呼ばれるものだ。
「メイサ、ちょっとじっとしてて」
「みゃ?」
タビトはまだうまく動かせない手を四苦八苦しながらこね回し、メイサの首にリボンを巻いた。
首輪をつけられたメイサに、レグルスの目が輝く。
「ムルじい! 首輪つけたし、飼っていいよね!」
「ムルジム、僕からもお願い。メイサのお世話をさせて」
「……」
腕を組んで難しい顔をするムルジムに、二匹は必死に懇願した。
事情が掴めていないメイサは、首に巻かれたリボンを鬱陶しそうに脚で掻いていたが、外れなかったので諦めてぼんやりと座っている。
それぞれを交互に見つめ、老執事は深くため息を吐き出した。
「……名前をつけてしまっているならもう手遅れですね。いいでしょう。ただし、世話はあなたたちが責任持って行うのですよ」
「うん! やったぁ!」
「よかったね、メイサ!」
「みー?」
ムルジムの手によってきちんと結び直された青いリボンによって、メイサは晴れて「飼いネコ」になった。
子ネコは獣舎の片隅に居を構えることになった。
屋敷の方に住みたがるならムルジムと対決も辞さない、と意気込んでいたので拍子抜けだ。
「お屋敷の方が大きくて住み心地いいのに、ここでいいの?」
「ここがい!」
「そっかぁ」
メイサ本猫がそういうのなら是非もない。
無邪気な子ネコは、獣舎担当の使用人に早速気に入られ、好き勝手に余ったミルクを飲み、割れてしまったタマゴを分けてもらったりしながら暮らしはじめた。
主な仕事は建物を荒らすネズミなどを追い払うこと。
勇敢な子ネコをタビトとレグルスは存分に褒め称えたが、見返りとばかりにウシの乳からミルクを直飲みしているのを見たときは呆れた。
「しぼりたてが、うまい」
顔中ミルクまみれの子ネコは、長い舌でべろんべろんとミルクを舐めながら得意げに言う。
「……なんか思ってたのとちがう育ち方しちゃったな……」
「子どもってそういうものらしいよ……」
なんとも言えない慰めを受けながら、タビトも精いっぱいメイサの世話をした。
ミルクと鶏卵だけでは栄養が偏るので、キッチンから肉や魚の切れ端を分けてもらい、獣舎へ差し入れる。
ついでにキッチンと獣舎で手が足りなければ手を貸した。
人型になれると仕事は屋敷中にいくらでもあって、タビトは頼まれれば片端からなんでも引き受けてしまう。
必然、庭仕事だけでなく色々な場所でお手伝いをすることになり、タビトはすっかり大忙しだ。
「タビト、はたらきすぎ!」
大声にはっとして姿勢を正す。
いけない、少しうとうとしていたみたいだ。今はムルジムとレグルスと勉強の時間なのに。
タビトは慌てて落ちかかっていた髪を払い、斜めに着崩れた服をぱたぱた整えた。
「たしかにここのところ、タビトは忙しいですね。庭仕事に雑用に、人型を維持するだけでも疲れるでしょうし」
「そーだよ! 人型のタビトはあかちゃんなんだから、お仕事させちゃダメ!」
「赤ちゃんじゃないけど……」
弱々しく反論したが取り合ってもらえそうにない。
ベッドに入るまで人型を維持する生活は、想像以上に不便で、苦労の連続だ。
器用に動く指や、可動域の広い手足の関節にやっと慣れてきたところで、体の大きさの違いによる衝突事故や、筋肉量の違いによる過信からのケガなどは日常茶飯事だった。
今日もほっぺたに擦り傷をつくってしまって、レグルスに散々舐められた。
「そうですね……今日から数日は子ネコの世話だけ任せることにして、あとの仕事はお休みにしましょうか」
「えっ!」
頬の傷を気にしていたら、主と家令の間で勝手に決まってしまった。
うろたえるタビトをムルジムは視線で抑え、にこりと微笑む。
「働く上で休みを取ることはとても重要ですよ。それにちょうどタビトに紹介したい者がいるのです。数日中には到着しますから、彼と親睦を深める意味も込めて、休みを取ってください」
「紹介したいもの……?」
「えぇ。あなたのことは以前から旦那様に相談していたのですが、坊っちゃんの側に長く置くのならきちんとした身分が必要と結論が出たので、そのために本邸から呼び寄せた者です」
「?」
説明を受けてもわからなかった。ムルジムは難しい言葉を解説してくれないことが多い。
とにかく詳しいことは明日となり、勉強も終わりとなった。
テーブルを片付けたムルジムが退出し、レグルスはうんと伸びをする。
人型で体が固まりかけたときは、腕を真上に伸ばすといいと知ったのはつい昨日だった。
「おやすみだって、よかったねタビト」
「なんだか落ち着かないよ。メイサのお世話なんてごはんとミルクを出すだけだし」
「今までがはたらきすぎだったんだよ! 今日からのんびりしようね」
レグルスにずるずると引きずられてベッドに転がされる。
服を脱ぐ間もなく獣型になった子獅子は、衣類の隙間からシーツの狭間へ潜り込んでタビトを呼んだ。
仕方なく、脱ぎ散らかされた服と自分の服を軽く畳んでトラの姿に戻る。
やっぱり四つ足がいい。
姿を戻すたびにそう思うけど、今は人型を安定させなきゃいけない。毎日が訓練だ。
そのうちあの浅黒い体も自由自在に扱えるようになるだろう。
身を横たえたタビトのお腹にレグルスの頭が乗った。
すりすりと頬をこすりつけられるのがくすぐったいけれど、嫌じゃない。
「おひるねする?」
「うん。タビトはねむくない?」
「そういわれるとねむくなってきたかも」
体を丸めると、レグルスも体を縮めてタビトの頭を抱え込むように収まった。
お互いがお互いを枕にしているようなこの体勢がふしぎと落ち着く。
やがて布間から寝息が聞こえてきた。
すうすうと規則正しく深い呼吸が、時折小さな身動ぎと鼻を抜ける声に途切れる。とても平穏で、思わず笑みがこぼれた。
(ここが『楽園』か……)
大好きな家族と友だちを失ってきたタビトの傷は浅くない。
けれどもその痛みは日々意識しなくなっている。レグルスのおかげだ。
レグルスは、母ともラナとも違う「好き」に属している。
身を案じてくれて、心を守ってくれて、居場所をくれる大事な友だちで、主で。そこまでは母やラナとそれほど変わりない。
でも彼には、もらう以上のものを返したい。
レグルスがタビトの居場所であるように、レグルスにとって安心できるタビトになりたい。
今は力不足でも、いつかレグルスを守れるくらい強くなりたい。そんなことを考えていた。
ここが楽園であることに間違いはない。
生まれ育った場所よりずっと豊かで恵みがあって、ラナと過ごした劣悪な場所に比べたら空と地面くらいの隔たりがある。
でもそんな楽園にも、恐ろしい存在がいた。
────密猟、という言葉を再び聞いたのは、ムルジムがあの襲撃の顛末を聞かせてくれた時。
「楽園」であるはずの場所にまで、心が澄んだものしかいないはずの世界にまで、あんな悪事をはたらく存在がいるなんて。
馬車を襲い、ハカセを躊躇なく殴りつけ、タビトを攫おうとしたあの悪党たちは、見た目がめずらしかったり数が少なかったりする動物を捕まえて売るという行為を繰り返していたという。
動物は子どもだろうが見境なく、目をつけたものが死んでしまっても皮を剥いで売る、悪辣としか言えない存在だった。
その上彼らはタビトが獣人だとわかっても捕まえようとした。
タビトだけでなくレグルスまで手に掛けようとした。
あのときの怒りは今でも鮮明に思い出せる。
「んん……たび、と……」
いけない、思い出したら人型になってしまいそうなほど感情が昂ぶってしまった。
眠りの浅いレグルスを起こさないように、変化しかけた体を元に戻す。
あいつらの目は、タビトを捕らえラナをいじめたあの人間たちにそっくりだった。
母を殺し、タビトを売り飛ばそうとしたやつらも、間違いなく密猟者だ。
母もラナも、命をかけてタビトを守ってくれた。獣化したハカセも一切の容赦なく反撃していた。
それほどまでに密猟者は脅威なんだ。
二度出会った密猟者たちはいずれもタビトのことを「めずらしい」といって手に入れようとした。
再びやつらと遭遇すればきっとまた狙われる。
「もう何も奪われたくない……レグルスも守りたい……そのためには」
強くならなくちゃ。
太い牙をむき出しにして、太く大きな手で密猟者を踏みつけ圧倒していたクロヒョウを思い出す。
ハカセは強かった。
それに、危険を顧みず密猟者に飛びかかっていったレグルス。
今思えばなんて危険な行動だったんだろう。でも、タビトを助けようとしてくれた彼を責めることはできない。
ではどうするのか。
もう二度とレグルスを危険に晒さなければいい。
強くなれば、おのずとそれは叶う。
むにゃむにゃと口元を動かして眠る、大好きな主の寝顔を見つめた。
何か食べる夢でも見ているのかな。
ぴったりくっついて眠ったら、同じ夢が見られないだろうか。
決意と共に、そんな期待を胸に抱いて、タビトは短い眠りへと静かに落ちていった。
タビトはムルジムの難しい顔を見て、大変な目に遭った今日のことを思い出した。
レグルスに助けられ、慰められてすっかり忘れてしまっていた。
「おおよそのことは伺いました。タビト、無事で良かった」
「あ、ありがとうムルジム」
「さて、つかぬことをお聞きしますが。タビト、あなたよそで動物を拾ってきませんでしたか?」
「え?」
「さっきから庭で動物が鳴いていてうるさいのです。追い払っても戻ってきて……あなたについてきてしまったんじゃないかと思って、つれてきました」
ムルジムがひょいと持ち上げた手には、毛玉がぶら下げられていた。
「みゃう……」
「あっ、メイサ」
馬車から逃げてしまった子ネコだ。
戻ってきたはいいもののタビトの姿がなく、困り果てたメイサは屋敷の庭をうろうろと探し回っては鳴いていたらしい。
その頃タビトはレグルスとすっかり寝入ってしまっていた。
「ごめんねメイサ。忘れてた」
「ひどい……おにちゃ……」
「ごめん……」
ムルジムに捕まり、荷物のように持ち運ばれ、その前にも走ったり鳴いたりと元気だったメイサは、置いて行かれたショックと疲れでフラフラしていた。
「ねぇムルじい、飼っていい?」
「ダメです」
「えぇー!」
横ではレグルスがメイサの飼育許可を取ろうとして失敗している。
動物が獣人と共にいるには、動物に首輪をつける必要があると聞いたのを思い出す。
メイサが首輪をつけなければ、いずれ引き離される。
しかし逆を言えば、首輪さえつけられればその動物は獣人の庇護下に置けるということだろうか。
きょろきょろと周囲を見回すと、鮮やかな青の紐が目に入った。
レグルスたち遊び盛りの子どもがおもちゃにするための、リボンと呼ばれるものだ。
「メイサ、ちょっとじっとしてて」
「みゃ?」
タビトはまだうまく動かせない手を四苦八苦しながらこね回し、メイサの首にリボンを巻いた。
首輪をつけられたメイサに、レグルスの目が輝く。
「ムルじい! 首輪つけたし、飼っていいよね!」
「ムルジム、僕からもお願い。メイサのお世話をさせて」
「……」
腕を組んで難しい顔をするムルジムに、二匹は必死に懇願した。
事情が掴めていないメイサは、首に巻かれたリボンを鬱陶しそうに脚で掻いていたが、外れなかったので諦めてぼんやりと座っている。
それぞれを交互に見つめ、老執事は深くため息を吐き出した。
「……名前をつけてしまっているならもう手遅れですね。いいでしょう。ただし、世話はあなたたちが責任持って行うのですよ」
「うん! やったぁ!」
「よかったね、メイサ!」
「みー?」
ムルジムの手によってきちんと結び直された青いリボンによって、メイサは晴れて「飼いネコ」になった。
子ネコは獣舎の片隅に居を構えることになった。
屋敷の方に住みたがるならムルジムと対決も辞さない、と意気込んでいたので拍子抜けだ。
「お屋敷の方が大きくて住み心地いいのに、ここでいいの?」
「ここがい!」
「そっかぁ」
メイサ本猫がそういうのなら是非もない。
無邪気な子ネコは、獣舎担当の使用人に早速気に入られ、好き勝手に余ったミルクを飲み、割れてしまったタマゴを分けてもらったりしながら暮らしはじめた。
主な仕事は建物を荒らすネズミなどを追い払うこと。
勇敢な子ネコをタビトとレグルスは存分に褒め称えたが、見返りとばかりにウシの乳からミルクを直飲みしているのを見たときは呆れた。
「しぼりたてが、うまい」
顔中ミルクまみれの子ネコは、長い舌でべろんべろんとミルクを舐めながら得意げに言う。
「……なんか思ってたのとちがう育ち方しちゃったな……」
「子どもってそういうものらしいよ……」
なんとも言えない慰めを受けながら、タビトも精いっぱいメイサの世話をした。
ミルクと鶏卵だけでは栄養が偏るので、キッチンから肉や魚の切れ端を分けてもらい、獣舎へ差し入れる。
ついでにキッチンと獣舎で手が足りなければ手を貸した。
人型になれると仕事は屋敷中にいくらでもあって、タビトは頼まれれば片端からなんでも引き受けてしまう。
必然、庭仕事だけでなく色々な場所でお手伝いをすることになり、タビトはすっかり大忙しだ。
「タビト、はたらきすぎ!」
大声にはっとして姿勢を正す。
いけない、少しうとうとしていたみたいだ。今はムルジムとレグルスと勉強の時間なのに。
タビトは慌てて落ちかかっていた髪を払い、斜めに着崩れた服をぱたぱた整えた。
「たしかにここのところ、タビトは忙しいですね。庭仕事に雑用に、人型を維持するだけでも疲れるでしょうし」
「そーだよ! 人型のタビトはあかちゃんなんだから、お仕事させちゃダメ!」
「赤ちゃんじゃないけど……」
弱々しく反論したが取り合ってもらえそうにない。
ベッドに入るまで人型を維持する生活は、想像以上に不便で、苦労の連続だ。
器用に動く指や、可動域の広い手足の関節にやっと慣れてきたところで、体の大きさの違いによる衝突事故や、筋肉量の違いによる過信からのケガなどは日常茶飯事だった。
今日もほっぺたに擦り傷をつくってしまって、レグルスに散々舐められた。
「そうですね……今日から数日は子ネコの世話だけ任せることにして、あとの仕事はお休みにしましょうか」
「えっ!」
頬の傷を気にしていたら、主と家令の間で勝手に決まってしまった。
うろたえるタビトをムルジムは視線で抑え、にこりと微笑む。
「働く上で休みを取ることはとても重要ですよ。それにちょうどタビトに紹介したい者がいるのです。数日中には到着しますから、彼と親睦を深める意味も込めて、休みを取ってください」
「紹介したいもの……?」
「えぇ。あなたのことは以前から旦那様に相談していたのですが、坊っちゃんの側に長く置くのならきちんとした身分が必要と結論が出たので、そのために本邸から呼び寄せた者です」
「?」
説明を受けてもわからなかった。ムルジムは難しい言葉を解説してくれないことが多い。
とにかく詳しいことは明日となり、勉強も終わりとなった。
テーブルを片付けたムルジムが退出し、レグルスはうんと伸びをする。
人型で体が固まりかけたときは、腕を真上に伸ばすといいと知ったのはつい昨日だった。
「おやすみだって、よかったねタビト」
「なんだか落ち着かないよ。メイサのお世話なんてごはんとミルクを出すだけだし」
「今までがはたらきすぎだったんだよ! 今日からのんびりしようね」
レグルスにずるずると引きずられてベッドに転がされる。
服を脱ぐ間もなく獣型になった子獅子は、衣類の隙間からシーツの狭間へ潜り込んでタビトを呼んだ。
仕方なく、脱ぎ散らかされた服と自分の服を軽く畳んでトラの姿に戻る。
やっぱり四つ足がいい。
姿を戻すたびにそう思うけど、今は人型を安定させなきゃいけない。毎日が訓練だ。
そのうちあの浅黒い体も自由自在に扱えるようになるだろう。
身を横たえたタビトのお腹にレグルスの頭が乗った。
すりすりと頬をこすりつけられるのがくすぐったいけれど、嫌じゃない。
「おひるねする?」
「うん。タビトはねむくない?」
「そういわれるとねむくなってきたかも」
体を丸めると、レグルスも体を縮めてタビトの頭を抱え込むように収まった。
お互いがお互いを枕にしているようなこの体勢がふしぎと落ち着く。
やがて布間から寝息が聞こえてきた。
すうすうと規則正しく深い呼吸が、時折小さな身動ぎと鼻を抜ける声に途切れる。とても平穏で、思わず笑みがこぼれた。
(ここが『楽園』か……)
大好きな家族と友だちを失ってきたタビトの傷は浅くない。
けれどもその痛みは日々意識しなくなっている。レグルスのおかげだ。
レグルスは、母ともラナとも違う「好き」に属している。
身を案じてくれて、心を守ってくれて、居場所をくれる大事な友だちで、主で。そこまでは母やラナとそれほど変わりない。
でも彼には、もらう以上のものを返したい。
レグルスがタビトの居場所であるように、レグルスにとって安心できるタビトになりたい。
今は力不足でも、いつかレグルスを守れるくらい強くなりたい。そんなことを考えていた。
ここが楽園であることに間違いはない。
生まれ育った場所よりずっと豊かで恵みがあって、ラナと過ごした劣悪な場所に比べたら空と地面くらいの隔たりがある。
でもそんな楽園にも、恐ろしい存在がいた。
────密猟、という言葉を再び聞いたのは、ムルジムがあの襲撃の顛末を聞かせてくれた時。
「楽園」であるはずの場所にまで、心が澄んだものしかいないはずの世界にまで、あんな悪事をはたらく存在がいるなんて。
馬車を襲い、ハカセを躊躇なく殴りつけ、タビトを攫おうとしたあの悪党たちは、見た目がめずらしかったり数が少なかったりする動物を捕まえて売るという行為を繰り返していたという。
動物は子どもだろうが見境なく、目をつけたものが死んでしまっても皮を剥いで売る、悪辣としか言えない存在だった。
その上彼らはタビトが獣人だとわかっても捕まえようとした。
タビトだけでなくレグルスまで手に掛けようとした。
あのときの怒りは今でも鮮明に思い出せる。
「んん……たび、と……」
いけない、思い出したら人型になってしまいそうなほど感情が昂ぶってしまった。
眠りの浅いレグルスを起こさないように、変化しかけた体を元に戻す。
あいつらの目は、タビトを捕らえラナをいじめたあの人間たちにそっくりだった。
母を殺し、タビトを売り飛ばそうとしたやつらも、間違いなく密猟者だ。
母もラナも、命をかけてタビトを守ってくれた。獣化したハカセも一切の容赦なく反撃していた。
それほどまでに密猟者は脅威なんだ。
二度出会った密猟者たちはいずれもタビトのことを「めずらしい」といって手に入れようとした。
再びやつらと遭遇すればきっとまた狙われる。
「もう何も奪われたくない……レグルスも守りたい……そのためには」
強くならなくちゃ。
太い牙をむき出しにして、太く大きな手で密猟者を踏みつけ圧倒していたクロヒョウを思い出す。
ハカセは強かった。
それに、危険を顧みず密猟者に飛びかかっていったレグルス。
今思えばなんて危険な行動だったんだろう。でも、タビトを助けようとしてくれた彼を責めることはできない。
ではどうするのか。
もう二度とレグルスを危険に晒さなければいい。
強くなれば、おのずとそれは叶う。
むにゃむにゃと口元を動かして眠る、大好きな主の寝顔を見つめた。
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ぴったりくっついて眠ったら、同じ夢が見られないだろうか。
決意と共に、そんな期待を胸に抱いて、タビトは短い眠りへと静かに落ちていった。
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