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第二章 御奉公
第13話 御隠居様3
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翌日、悠介が買い物から帰って来ると、徳兵衛が来ていると奈津が知らせに来た。これはご挨拶をしておかなければと思った悠介は、さっそく徳屋で買った茶を淹れて御隠居様の部屋を訪ねた。
「御隠居様、お茶をお持ち致しました」
「おお、悠介か。入りなさい」
悠介はいつものように首を垂れたまま唐紙を静かに開け、「失礼いたします」と一度廊下で頭を下げた。そこまではいつもと同じだった。頭を上げた瞬間、彼は固まった。それは中にいた客人も同じだった。
「お前は悠介……」
「お茶屋の御隠居様!」
驚きながらも、悠介は部屋に入り、手際よく客人と御隠居様に茶を出した。
「なんだ二人は知り合いか?」
「前に言っただろう、とても頭のいい男の子がいるって。この子のことだよ。いやあ、あんたのところに来たんだな。そりゃ良かった。悠介も久しぶりだな、元気にしていたか?」
「はい、おかげさまで。その節は大変お世話になりました。そうですか徳兵衛さんとおっしゃるんでしたか。いつも御隠居様とお呼びしてましたんでお名前を存じ上げず失礼いたしました。あ、そうだ。これ」
悠介は懐から扇子を取り出して御隠居様に見せた。
「これ、徳兵衛さんからいただいたものなんですよ。母にちなんで柚子の絵が描いてあるんです。あたしの父が描いた絵なんです。それを徳兵衛さんが見つけて来てくださって。いつだったかの香炉峰の雪の話も徳兵衛さんから教わった話なんです」
御隠居様はそれはそれは嬉しそうに徳兵衛に笑顔を向けた。頬が上がって目が糸のようになっている。
「そうか。あんたがこの子を育ててくれたか」
「育てたなんて大袈裟な」
「いや、この子と話していると楽しいんだ。物知りでな、あんたと話している気分になる。この子が香炉峰の雪のことを言い出したもんで、あんたのことを思い出したんだよ。やっぱりあんたが教えたんだな」
「悠介は本当に物覚えのいい子でね。教え甲斐があるんだよ。しかも美形だからね、現代の光源氏になるんじゃないかと思ってね」
悠介は自分のことを言われているのがどうにもくすぐったくて何も言えずにいたが、ふと自分がここにいてはなかなか話せないこともあるのではないかと気が付いた。
「ありがとうございます。あたしは家の仕事がありますのでここで失礼させていただきます」
「おお、そうだな。呼び止めてすまんな」
「いえ、あたしが勝手にお茶屋の御隠居さんが懐かしくて居座ったんで。徳兵衛さん、ごゆっくりしてらしてください」
悠介は邪魔にならないようにさっさとその部屋を辞した。
柏華楼で一番世話になっていた客が御隠居様の友人だったとは。これはツイている。
ウキウキした気分で洗濯物を取り込もうと中庭に出ると、ちょうどお内儀さんが取り込んだ洗濯物を両手にいっぱい持って入って来るところだった。
「ああ、すみませんお内儀さん。ありがとうございます。あとはあたしがやりますから」
悠介がお内儀から洗濯物を受け取ると、彼女はチラリと悠介を一瞥しただけで奥に引っ込んでしまった。やはりお内儀には嫌われているのだろうか。一応家の中では男の子用の古着を着るようにしているのだが。話し方についても奈津に言われた。何かちょっと大人びていて婀娜っぽい喋り方だそうだ。自分ではわからないものだが。
まあ、嫌われているなら嫌われているで仕方ない。自分は必死に日々の雑用をこなすだけだ。そのうちにお内儀さんも心を開いてくださるだろう。
彼はかまどに火を入れ、鍋に湯を沸かしてその間に子芋の皮を剥いた。砂糖と酒と醤油を入れ、子芋をその中に入れたら、あとは鍋の見える位置で洗濯物を畳む。
ふと視線を感じた悠介はくるりと振り返った。唐紙にサッと隠れる人影が見えた。どう考えてもあれはお内儀さんだ。何か監視されているようであまり気分は良くなかった。それでも他所にご奉公していたらもっと大変だったのだろうと思うと、自分の恵まれた環境に感謝する気になれた。
その日を境に、徳兵衛は暇を見つけてはやって来て将棋を指していくようになった。御隠居様の話し相手を徳兵衛が引き受けたような感じになり、悠介の仕事は捗るようになった。
悠介も奈津の月に三度の三味線のお稽古について行き、お稽古の見学をしては白里師匠に気に入られるようになった。たまに徳兵衛の店で美味しいお茶の入れ方を教えてもらい、徳兵衛にも御隠居様にも褒められるようになった。
「御隠居様、お茶をお持ち致しました」
「おお、悠介か。入りなさい」
悠介はいつものように首を垂れたまま唐紙を静かに開け、「失礼いたします」と一度廊下で頭を下げた。そこまではいつもと同じだった。頭を上げた瞬間、彼は固まった。それは中にいた客人も同じだった。
「お前は悠介……」
「お茶屋の御隠居様!」
驚きながらも、悠介は部屋に入り、手際よく客人と御隠居様に茶を出した。
「なんだ二人は知り合いか?」
「前に言っただろう、とても頭のいい男の子がいるって。この子のことだよ。いやあ、あんたのところに来たんだな。そりゃ良かった。悠介も久しぶりだな、元気にしていたか?」
「はい、おかげさまで。その節は大変お世話になりました。そうですか徳兵衛さんとおっしゃるんでしたか。いつも御隠居様とお呼びしてましたんでお名前を存じ上げず失礼いたしました。あ、そうだ。これ」
悠介は懐から扇子を取り出して御隠居様に見せた。
「これ、徳兵衛さんからいただいたものなんですよ。母にちなんで柚子の絵が描いてあるんです。あたしの父が描いた絵なんです。それを徳兵衛さんが見つけて来てくださって。いつだったかの香炉峰の雪の話も徳兵衛さんから教わった話なんです」
御隠居様はそれはそれは嬉しそうに徳兵衛に笑顔を向けた。頬が上がって目が糸のようになっている。
「そうか。あんたがこの子を育ててくれたか」
「育てたなんて大袈裟な」
「いや、この子と話していると楽しいんだ。物知りでな、あんたと話している気分になる。この子が香炉峰の雪のことを言い出したもんで、あんたのことを思い出したんだよ。やっぱりあんたが教えたんだな」
「悠介は本当に物覚えのいい子でね。教え甲斐があるんだよ。しかも美形だからね、現代の光源氏になるんじゃないかと思ってね」
悠介は自分のことを言われているのがどうにもくすぐったくて何も言えずにいたが、ふと自分がここにいてはなかなか話せないこともあるのではないかと気が付いた。
「ありがとうございます。あたしは家の仕事がありますのでここで失礼させていただきます」
「おお、そうだな。呼び止めてすまんな」
「いえ、あたしが勝手にお茶屋の御隠居さんが懐かしくて居座ったんで。徳兵衛さん、ごゆっくりしてらしてください」
悠介は邪魔にならないようにさっさとその部屋を辞した。
柏華楼で一番世話になっていた客が御隠居様の友人だったとは。これはツイている。
ウキウキした気分で洗濯物を取り込もうと中庭に出ると、ちょうどお内儀さんが取り込んだ洗濯物を両手にいっぱい持って入って来るところだった。
「ああ、すみませんお内儀さん。ありがとうございます。あとはあたしがやりますから」
悠介がお内儀から洗濯物を受け取ると、彼女はチラリと悠介を一瞥しただけで奥に引っ込んでしまった。やはりお内儀には嫌われているのだろうか。一応家の中では男の子用の古着を着るようにしているのだが。話し方についても奈津に言われた。何かちょっと大人びていて婀娜っぽい喋り方だそうだ。自分ではわからないものだが。
まあ、嫌われているなら嫌われているで仕方ない。自分は必死に日々の雑用をこなすだけだ。そのうちにお内儀さんも心を開いてくださるだろう。
彼はかまどに火を入れ、鍋に湯を沸かしてその間に子芋の皮を剥いた。砂糖と酒と醤油を入れ、子芋をその中に入れたら、あとは鍋の見える位置で洗濯物を畳む。
ふと視線を感じた悠介はくるりと振り返った。唐紙にサッと隠れる人影が見えた。どう考えてもあれはお内儀さんだ。何か監視されているようであまり気分は良くなかった。それでも他所にご奉公していたらもっと大変だったのだろうと思うと、自分の恵まれた環境に感謝する気になれた。
その日を境に、徳兵衛は暇を見つけてはやって来て将棋を指していくようになった。御隠居様の話し相手を徳兵衛が引き受けたような感じになり、悠介の仕事は捗るようになった。
悠介も奈津の月に三度の三味線のお稽古について行き、お稽古の見学をしては白里師匠に気に入られるようになった。たまに徳兵衛の店で美味しいお茶の入れ方を教えてもらい、徳兵衛にも御隠居様にも褒められるようになった。
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