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第二章 御奉公
第14話 徳兵衛1
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暑さもだいぶ和らいできたころ、いつものように奈津の三味線の稽古について行き、隣の徳屋で徳兵衛からお茶の種類を教えて貰っていた時だ。悠介のよく知る海老茶に白抜きの毘沙門亀甲が目に飛び込んできた。懐かしい顔が徳屋に現れたのだ。どうやら相手も悠介を一目見てすぐに気づいたようだ。
「お前さん、悠介じゃないか。徳屋さんでお世話になっているのかい?」
柏華楼の楼主だった。いつものように団子鼻の頭を皮脂でテカらせてごわごわの顎ひげを蓄えている。もみあげも立派で、奴さんのようだ。
「御無沙汰しまして申し訳ありません。あたしは今佐倉様のお屋敷で下男をさせていただいてるんですよ」
「御無沙汰なのは別にいいんだ、便りが無いのはいい便りって言うからな。それよりお前さんの稼ぎを預かってるんだ。落ち着いたら取りに来いって言っただろう。忘れてたのかい」
「ああ、そういえばそんなこと言ってましたね。もうそのまま柏華楼で使ってください」
楼主は顔の前て手をブンブンを横に振った。
「とんでもない。子供の稼ぎを横取りするほど人間落ちぶれちゃいねえよ。佐倉様んとこって言ったな。何なら後で佐倉様のところにお届けするよ。釜焚きの太助が手が空くはずだから。ああ、それがいいな。お前さんのような子供が女郎宿に出たり入ったりするのはあまり傍目にもよくねえからな。そうしよう」
「お手数おかけします」
「しかしあれだね……」
楼主は感心したように腕を組んだ。
「お前さん、以前から大人びた話し方をする子だったけど、佐倉様のところに入ったせいか、馴れ馴れしさが消えてきちんとして来たねぇ」
「そうでしょうか」
「ほら。以前なら『そうでしょうかねぇ』だったよ。『申し訳ありません』じゃなくて『あい済みませんねぇ』だった」
言われてみるとそうかもしれない。柏華楼では徳兵衛から教養を仕込まれ、佐倉の家では言葉の使い方を仕込まれているのかもしれない。それらを知らぬ間に習得しているのだから、ありがたいことこの上ない。
「あ、そうだ、丁度良かった。お前さんに会いたかったんだよ」
「お金のこと以外でですか?」
そこに徳兵衛がお茶を持って出て来た。
「まあまあ立ち話も何ですからそこの縁台でよろしければお茶でも飲みながらどうぞ」
「あ、いやぁ、すみませんねぇ」
楼主と徳兵衛も顔馴染みなので、こういう時に融通が利く。悠介は徳兵衛の配慮に甘え、楼主と一緒に縁台に腰を下ろしてお茶をすすった。
「お雪は覚えているかい?」
「お雪さん、あたしがあそこを出る時に餞別に夏みかんをくだすったんですよ。いつもあたしを可愛がってくれてたのに忘れるわけがありません」
「ああ、そのお雪だ。あの娘も花柳病になっちまって、先が長くねえ」
「え、お雪さんがですか」
母の死にざまを見ている悠介としては、お雪も同じような苦しみを味わっているのかと思うといたたまれなくなる。
「それであと数日持てばいい方なんだが、お雪がしきりにお前さんのことを話すもんだからね。あの娘は他に身寄りもないし、お前さんのことを弟のように可愛がっていたから、眠っていてもうなされていても悠介悠介って。だからね、お前さんからの言伝でもあれば喜ぶんじゃないかと思ってね」
「とんでもない、あたしが直接行きますよ。お雪さんには散々世話になったんです。ちょっと待っててください。お嬢さんに許可を貰ってきます」
「その必要はありません」
急に頭上から降ってきた声に驚いて振り返ると、奈津が三味線を抱えて立っていた。
「盗み聞きするつもりはありませんでしたが、声をかける機会をうかがっていたら聞こえてしまいました。わたしは先に帰って父上に話しておきますから、悠介さんは柏華楼に行ってください」
「いえ、お嬢さんを送り届けてから……」
「結構です。わたしもいつまでも子供じゃありません。急いで行きなさい。楼主さん、悠介さんをお願いします」
「佐倉様のお嬢さんですね。ありがとうございます。必ず悠介をお返ししますから」
楼主は立ち上がると悠介を引っ張り上げた。
「徳兵衛さん、お茶ご馳走様でした。また来ますんで」
楼主は挨拶もそこそこに悠介を引っ張って徳屋を後にした。
「お前さん、悠介じゃないか。徳屋さんでお世話になっているのかい?」
柏華楼の楼主だった。いつものように団子鼻の頭を皮脂でテカらせてごわごわの顎ひげを蓄えている。もみあげも立派で、奴さんのようだ。
「御無沙汰しまして申し訳ありません。あたしは今佐倉様のお屋敷で下男をさせていただいてるんですよ」
「御無沙汰なのは別にいいんだ、便りが無いのはいい便りって言うからな。それよりお前さんの稼ぎを預かってるんだ。落ち着いたら取りに来いって言っただろう。忘れてたのかい」
「ああ、そういえばそんなこと言ってましたね。もうそのまま柏華楼で使ってください」
楼主は顔の前て手をブンブンを横に振った。
「とんでもない。子供の稼ぎを横取りするほど人間落ちぶれちゃいねえよ。佐倉様んとこって言ったな。何なら後で佐倉様のところにお届けするよ。釜焚きの太助が手が空くはずだから。ああ、それがいいな。お前さんのような子供が女郎宿に出たり入ったりするのはあまり傍目にもよくねえからな。そうしよう」
「お手数おかけします」
「しかしあれだね……」
楼主は感心したように腕を組んだ。
「お前さん、以前から大人びた話し方をする子だったけど、佐倉様のところに入ったせいか、馴れ馴れしさが消えてきちんとして来たねぇ」
「そうでしょうか」
「ほら。以前なら『そうでしょうかねぇ』だったよ。『申し訳ありません』じゃなくて『あい済みませんねぇ』だった」
言われてみるとそうかもしれない。柏華楼では徳兵衛から教養を仕込まれ、佐倉の家では言葉の使い方を仕込まれているのかもしれない。それらを知らぬ間に習得しているのだから、ありがたいことこの上ない。
「あ、そうだ、丁度良かった。お前さんに会いたかったんだよ」
「お金のこと以外でですか?」
そこに徳兵衛がお茶を持って出て来た。
「まあまあ立ち話も何ですからそこの縁台でよろしければお茶でも飲みながらどうぞ」
「あ、いやぁ、すみませんねぇ」
楼主と徳兵衛も顔馴染みなので、こういう時に融通が利く。悠介は徳兵衛の配慮に甘え、楼主と一緒に縁台に腰を下ろしてお茶をすすった。
「お雪は覚えているかい?」
「お雪さん、あたしがあそこを出る時に餞別に夏みかんをくだすったんですよ。いつもあたしを可愛がってくれてたのに忘れるわけがありません」
「ああ、そのお雪だ。あの娘も花柳病になっちまって、先が長くねえ」
「え、お雪さんがですか」
母の死にざまを見ている悠介としては、お雪も同じような苦しみを味わっているのかと思うといたたまれなくなる。
「それであと数日持てばいい方なんだが、お雪がしきりにお前さんのことを話すもんだからね。あの娘は他に身寄りもないし、お前さんのことを弟のように可愛がっていたから、眠っていてもうなされていても悠介悠介って。だからね、お前さんからの言伝でもあれば喜ぶんじゃないかと思ってね」
「とんでもない、あたしが直接行きますよ。お雪さんには散々世話になったんです。ちょっと待っててください。お嬢さんに許可を貰ってきます」
「その必要はありません」
急に頭上から降ってきた声に驚いて振り返ると、奈津が三味線を抱えて立っていた。
「盗み聞きするつもりはありませんでしたが、声をかける機会をうかがっていたら聞こえてしまいました。わたしは先に帰って父上に話しておきますから、悠介さんは柏華楼に行ってください」
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「結構です。わたしもいつまでも子供じゃありません。急いで行きなさい。楼主さん、悠介さんをお願いします」
「佐倉様のお嬢さんですね。ありがとうございます。必ず悠介をお返ししますから」
楼主は立ち上がると悠介を引っ張り上げた。
「徳兵衛さん、お茶ご馳走様でした。また来ますんで」
楼主は挨拶もそこそこに悠介を引っ張って徳屋を後にした。
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