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第一部 春
73 世界が崩壊するキス
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リオンさんに抱っこされている男の子は、なんとも可愛らしく笑う。
わたしたちに向かって手を振る姿など、まるで天使のようだ。一緒にいるだけで元気をもらえた。そんな気がする。か、かわいい……。
「また遊ぼうね」
うん、とわたしたちは答えると馬車に乗りこんでいく。そのとき、リオンさんと目があった。何か? と思い立ち止まると、マリちゃん、と声をかけられた。
「レレリーのことだが……」
はい、とうなずくわたしは、背の高いリオンさんを見上げた。そのとたん、ソレイユの視線を痛いほど感じた。それでも、かまうことなくわたしはリオンさんと肉薄する。
隣にいる妹さんは、じっとわたしのことを見つめていた。心のなかでわたしのことを、なんだこの赤いワンピースのセクシーな女は? と思っているような、そんな顔をしていた。わたしは微笑みで返す。
「まさか、マリちゃんがレレリーを育ててるなんて思わなかった。どうやって種を手に入れた? 実は俺も探していたんだ。香辛料としてレレリーは最高の食材だからね」
「実は、フィレ教授からいただきました。外国のお土産なんです」
なるほど、とつぶやいたリオンさんは、すべて納得がいった様子で息子を抱き直した。「花が咲いたら教えてくれ、ぜひ見てみたい」
「わかりました」わたしはにっこり笑って承諾すると馬車に乗りこんだ。
馬車のなかで待っていたみんなが一斉にわたしを見つめてきた。ベニーが、ずるいなぁ、と漏らす。「リオンさんといっぱいお話できて……ずるいぞ! マリリン」
わたしは勝ち誇った顔をして座った。「うふふ、わたしの家がお花屋さんでよかったぁ」
そんなわたしを見たルナが、それにしても、とつぶやいた。洞察力と観察力に優れているルナはいろいろと勘づく。なんともヒロインらしい能力だ。
「リオンさんに子どもがいたなんて、びっくりしちゃった」
たしかに、と一同うなずいた。メルちゃんがつけ足す。「しかも妻を亡くしていましたね」
そのとたん、いきなりベニーが泣き叫んだ。
「うわぁぁ! かわいそうなリオンさんっ、ぴえん」また涙がぽろぽろ。
まあ、まあ、とわたしはベニーの背中をなでる。
ここで黙っていたソレイユが口を開いた。
「すまない。王国内の医療体制に不備があるから、こんなことに」
馬車のなかが、しーんと静まり返った。ソレイユは話をつづけた。
「おそらく、リオンさんの妻は赤ちゃんを産み落とすとき胎盤、もしくは子宮内を傷つけてしまい、多量な出血をしたのだろう。帝王切開の処置をすればよかったのだ……すまない、だが……」
わたしたちは、次にソレイユが何を言うのか見守っていた。
「私は王太子として、リオンさんに謝罪ができなかった。妻の死を潔く受け入れているリオンさんに水をさすような気がして……偽善ぶった王子の私には謝罪ができない」
肩を落とすソレイユはうつむいた。
馬車の底で回転するタイヤが、ゴトゴトとわたしたちの悲しみを運んでいる。向かう先はパルテール学園。どうやら、そろそろ別れの時が近づいているようだ。
車窓からの景色が、王都らしい白亜の建造物が増えてきた。貴族たちが住む屋敷のなんと豪華なことだ。庭でテニスをしている若者の貴族たち。水をいっぱい出して車を洗う貴族のおじさん。ガーデンパーティーで紅茶とケーキを堪能しているマダムたち。なんの不自由もない暮らし。
おそらく、リオンさんが貴族に生まれたら、不幸な人生にはなっていないだろう。リオンさんの人生は壮絶なものだった。絶望していないほうが奇跡的なほどの。
両親は戦争に駆り出され、戦死。
妻は杜撰な医療体制で、病死。
それでも、リオンさんはすべてを受け入れ生きている。息子と妹さんと、ともに。
逆に、貴族はどんな生活をしている?
戦争にいくことはない。いつも対岸の火事を見ているだけ。騎士たちの警備によって安全は保証されている。また、出産のときは万全の医療チームが組まれ、母子に負担となれば自然分娩からお腹をさく帝王切開に切り替える。そして、産んだあとのアフターケアも完璧。至れり尽せりな優雅な暮らし。
もっとも、働く必要がない。
すべて農民が収める税金でまかなえる。貴族というのは、運よく貴族に生まれ落ちただけで、丸儲け。テニスをやってる若者の苦労を知らなさそうな面構えは、見ているだけで吐き気がする。洗車する豚も、小指を立ててティーカップを持つおばさんも、楽しく過ごせるのは、すべて農民のおかげだ。底辺で辛酸を舐めまくっている農民たちが働いたお金を、血を吸う寄生虫のようにすすっている。それが、あたりまえのように。
しかし、皮肉なことにこの国の王様は、死に際に、庶民の作ったスープが飲みたいと願っている。戦場で飲んだ味が忘れられないみたい。だったら、そのスープを飲ませて、王様、いや、この国を丸ごとコトコトに煮込んだスープみたいにしてあげる。
わたしの育てた花、レレリーで……。
うふふ、と苦笑しているわたしを見つめていたメルちゃんが言った。
「マリ先輩、私たちはこれにて」
馬車はいつの間にか、パルテール学園の門をくぐり、女子寮の玄関に横づけになっていた。手を振るルナ、ベニー、そしてメルちゃんの笑顔が馬車から降りていく。なんだか急に寂しくなってきたわたしはみんなに向かって告げた。
「明日には学園に戻るわ」
待ってるね~、とみんなは笑って返事をしてくれた。バイバーイ、なんて言い合うわたしたちは、本当に友達みたいだな、と思った。
乙女ゲームの世界だけどね……。
それでも、わたしを彼女たちを悲しませたくない。よーし、みんながハッピーエンドを迎えるられるように、わたしはがんばる!
そのためにも……攻略対象者からの溺愛を止めないとダメだ。気合を入れたわたしは、眉根を寄せて隣に座りつづけるソレイユを、キリッとにらんだ。
「なに、マリエンヌ? そんな怖い顔して」
「あっちに座ってよ」
え? と笑いながらソレイユはとぼける。そのとき、はっ! と叫んだ黒執事は手綱を引いた。馬車は走りだす。「マリエンヌ様、御実家の花屋まで送ります」
わたしは前方の小窓から顔を向ける黒執事に、微笑みで返事をした。黒執事は了承したようで軽快なリズムで馬を操っている。馬車は王都の大通を抜けていく。
ガタゴト、と揺れる車内にいるわたしは、ソレイユからさっと離れて座り直した。ソレイユのほうなんか絶対に見ない。ひたすら見つめるのは車窓から流れる王都の街並み。美しい幾何学模様の庭園が広がっている。噴水はクジラの潮吹きのように水を放出し、虚空に水しぶきが舞っている。
メリッサの家がそこにはある。
わたしはこの乙女ゲーの世界の公式ファンブックに地図が載っていたので、どこになにがあるかわかる。馬車は予定通り王宮を通りすぎて、商店街に向かっている。
花屋はすぐそこだ。
わたしは相変わらず窓の外ばかり見ている。しかし、ソレイユはわたしのほうばかり見つたまま。わたしに何か言いたそうな気配があるのは、わかる。
だけど、わたしからは話かけない。
だって、ソレイユから嫌われたいから。はやく、花屋についてほしい……そんなことばかり考えていると、ソレイユがささやくように声をかけてきた。
「付き合ってくれてありがとう。マリエンヌ」
あなたのためじゃない、とわたしは吐き捨てた。
すると、わたしの服がもぞっと動いた。寝ていたフェイが起きたようだ。わたしは胸元を引っ張ってワンピースのなかをのぞいた。おっぱいの谷間で挟まっているフェイが、ふぁ~あ、と大きな口を開けてあくびしている。今日はぜんぜんかまってあげてないから、退屈しているだろうな、思わず、わたしは微笑んでしまった。
「なにしてるの?」
ぐっと近づいてきたソレイユが訊いてくる。ち、ちかい……。
「なんでもないわ……っていうか向こうに座ってよ」
笑顔だったソレイユがいきなり真剣な表情を作った。なに? かっこいいからやめてほしい。あ、いつのまにか、ソレイユのほう見てしまっていた。
やだ、ダメダメ! わたしは、ぶんっと首を横に振った。
「マリエンヌ、そんなにキスしたことを怒っているのかい」
はあ? あたりまえでしょ! 付き合ってもいないのにキスされたんだよ! 怒らない女がどこに……あれ? いるのか? キラキラ王子からキスされて怒る女なんて……いないかも。
いつの間にか、わたしはソレイユの唇を見つめていた。
どうなってるの? わたしの身体がオートマチックにかってに動いている。身体が言うことを聞かない。
嘘でしょ?
イケナイことなのに、キスのことが頭に蘇ってきて……ああん、ヤダ……また、して欲しくなってきちゃうぅぅぅ! ダメダメ、わたしは、また首を大きく横に振った。しかし、そのとき……。
無駄な抵抗よ!
わたしの潜在意識が叫び声をあげると、そのまま語りかけてきた。マリ、あなたはキスしたがっている。気持ちに素直になりなさい。ソレイユだと世界が崩壊するから、違う男で試せばいいじゃない……。いやいや、わたしは否定する。違う男なんて考えられない。わたしはまたキスするなら……。
ソレイユがいい! でも……ダメなの!
「ごめん、ソレイユ! わたしに近づかないで!」
わたしは泣きながら叫んでいた。目からは大粒の涙があふれてくる。ソレイユはまったく笑っていない。瞳を大きく開いてわたしだけを見つめている。その瞬間、馬車が大きく揺れた。
ガタッ!
「きゃあっ!」わたし目を閉じて悲鳴をあげた。
ぎゅっと包みこまれる感触があった。
え? 人肌の温もり、男の人のいい香りがする。
「申し訳ありません。石を踏みました!」黒執事の謝罪の叫び声があがる。
車内では……。
「んっ……?」
吐息が漏れるわたしは、なんとソレイユに抱きしめられていた。わたしの頭が壁に激突しないように、ソレイユは守ってくれていたようだ。その影響でソレイユの手が赤くなっている。
「大丈夫? ソレイユ」
わたしはとっさにソレイユの負傷した手に触れていた。ああ、とうなずくソレイユだけど、すぐに冷やすべきだ。骨は折れていないと思うけど……念のため診たほうがいい。
「これは痛い?」優しく触れた。
「いや、痛くない」ソレイユは微笑む。
「じゃあ、これは」強く触れた。
「い、痛い……けど、我慢できないほどじゃない」
よかった骨は折れていない。軽症な打撲だ。んもう、モブのわたしなんかのためにキラキラ王子の主人公が怪我するなんて……乙女ゲーでありえないことよ、まったく。
ほっと胸をなでおろしたわたしは、思わず微笑んでしまった。
あ! しまったと思ったが後の祭りだった。
ソレイユの顔が肉薄する。あ、きた……これ、キスだ。身体が……動かない。わたしは目を閉じてしまった。ゆっくりと温かさが伝わってきて、甘い香りがまとわりついて、お腹の奥底が、じんわり熱くなって、ああん、ダメぇぇぇぇ!
キスされた瞬間に、わたしは目を、ぱっと開けた。
すると、馬車がみるみるうちに形を失っていく。屋根が消え、壁が消え、床が透明になり流れる地面が丸見えになった。わたしは思わず叫んだ。
「黒執事ぃぃぃ! 止めてぇぇぇ!」
ヒヒン、と馬の鳴き声とともに、ピタリと馬車は停止した。びっくり仰天しているソレイユは屋根のない馬車のなかで蒼穹を仰いでいる。流れる白い雲はわたしのことを笑っているように見えた。振り返った黒執事が驚愕して叫ぶ。
「ソレイユ様っ! なんですかこれは?」
わからない、ソレイユがかぶりを振って答える。ガクブルに震える肩が恐怖心を抱いていることがうかがえた。それはそうだろう。わたしにキスしたら、いきなり、損壊したんだから。
地面に降りていたわたしは、腰砕けになって座るソレイユに向かって忠告した。
「わたしを好きになってはダメ……なぜなら」
ソレイユと黒執事が、じっとわたしを見つめてくる。
言葉をきっていたわたしは、息を飲むとつづけた。
「世界が崩壊する」
わたしたちに向かって手を振る姿など、まるで天使のようだ。一緒にいるだけで元気をもらえた。そんな気がする。か、かわいい……。
「また遊ぼうね」
うん、とわたしたちは答えると馬車に乗りこんでいく。そのとき、リオンさんと目があった。何か? と思い立ち止まると、マリちゃん、と声をかけられた。
「レレリーのことだが……」
はい、とうなずくわたしは、背の高いリオンさんを見上げた。そのとたん、ソレイユの視線を痛いほど感じた。それでも、かまうことなくわたしはリオンさんと肉薄する。
隣にいる妹さんは、じっとわたしのことを見つめていた。心のなかでわたしのことを、なんだこの赤いワンピースのセクシーな女は? と思っているような、そんな顔をしていた。わたしは微笑みで返す。
「まさか、マリちゃんがレレリーを育ててるなんて思わなかった。どうやって種を手に入れた? 実は俺も探していたんだ。香辛料としてレレリーは最高の食材だからね」
「実は、フィレ教授からいただきました。外国のお土産なんです」
なるほど、とつぶやいたリオンさんは、すべて納得がいった様子で息子を抱き直した。「花が咲いたら教えてくれ、ぜひ見てみたい」
「わかりました」わたしはにっこり笑って承諾すると馬車に乗りこんだ。
馬車のなかで待っていたみんなが一斉にわたしを見つめてきた。ベニーが、ずるいなぁ、と漏らす。「リオンさんといっぱいお話できて……ずるいぞ! マリリン」
わたしは勝ち誇った顔をして座った。「うふふ、わたしの家がお花屋さんでよかったぁ」
そんなわたしを見たルナが、それにしても、とつぶやいた。洞察力と観察力に優れているルナはいろいろと勘づく。なんともヒロインらしい能力だ。
「リオンさんに子どもがいたなんて、びっくりしちゃった」
たしかに、と一同うなずいた。メルちゃんがつけ足す。「しかも妻を亡くしていましたね」
そのとたん、いきなりベニーが泣き叫んだ。
「うわぁぁ! かわいそうなリオンさんっ、ぴえん」また涙がぽろぽろ。
まあ、まあ、とわたしはベニーの背中をなでる。
ここで黙っていたソレイユが口を開いた。
「すまない。王国内の医療体制に不備があるから、こんなことに」
馬車のなかが、しーんと静まり返った。ソレイユは話をつづけた。
「おそらく、リオンさんの妻は赤ちゃんを産み落とすとき胎盤、もしくは子宮内を傷つけてしまい、多量な出血をしたのだろう。帝王切開の処置をすればよかったのだ……すまない、だが……」
わたしたちは、次にソレイユが何を言うのか見守っていた。
「私は王太子として、リオンさんに謝罪ができなかった。妻の死を潔く受け入れているリオンさんに水をさすような気がして……偽善ぶった王子の私には謝罪ができない」
肩を落とすソレイユはうつむいた。
馬車の底で回転するタイヤが、ゴトゴトとわたしたちの悲しみを運んでいる。向かう先はパルテール学園。どうやら、そろそろ別れの時が近づいているようだ。
車窓からの景色が、王都らしい白亜の建造物が増えてきた。貴族たちが住む屋敷のなんと豪華なことだ。庭でテニスをしている若者の貴族たち。水をいっぱい出して車を洗う貴族のおじさん。ガーデンパーティーで紅茶とケーキを堪能しているマダムたち。なんの不自由もない暮らし。
おそらく、リオンさんが貴族に生まれたら、不幸な人生にはなっていないだろう。リオンさんの人生は壮絶なものだった。絶望していないほうが奇跡的なほどの。
両親は戦争に駆り出され、戦死。
妻は杜撰な医療体制で、病死。
それでも、リオンさんはすべてを受け入れ生きている。息子と妹さんと、ともに。
逆に、貴族はどんな生活をしている?
戦争にいくことはない。いつも対岸の火事を見ているだけ。騎士たちの警備によって安全は保証されている。また、出産のときは万全の医療チームが組まれ、母子に負担となれば自然分娩からお腹をさく帝王切開に切り替える。そして、産んだあとのアフターケアも完璧。至れり尽せりな優雅な暮らし。
もっとも、働く必要がない。
すべて農民が収める税金でまかなえる。貴族というのは、運よく貴族に生まれ落ちただけで、丸儲け。テニスをやってる若者の苦労を知らなさそうな面構えは、見ているだけで吐き気がする。洗車する豚も、小指を立ててティーカップを持つおばさんも、楽しく過ごせるのは、すべて農民のおかげだ。底辺で辛酸を舐めまくっている農民たちが働いたお金を、血を吸う寄生虫のようにすすっている。それが、あたりまえのように。
しかし、皮肉なことにこの国の王様は、死に際に、庶民の作ったスープが飲みたいと願っている。戦場で飲んだ味が忘れられないみたい。だったら、そのスープを飲ませて、王様、いや、この国を丸ごとコトコトに煮込んだスープみたいにしてあげる。
わたしの育てた花、レレリーで……。
うふふ、と苦笑しているわたしを見つめていたメルちゃんが言った。
「マリ先輩、私たちはこれにて」
馬車はいつの間にか、パルテール学園の門をくぐり、女子寮の玄関に横づけになっていた。手を振るルナ、ベニー、そしてメルちゃんの笑顔が馬車から降りていく。なんだか急に寂しくなってきたわたしはみんなに向かって告げた。
「明日には学園に戻るわ」
待ってるね~、とみんなは笑って返事をしてくれた。バイバーイ、なんて言い合うわたしたちは、本当に友達みたいだな、と思った。
乙女ゲームの世界だけどね……。
それでも、わたしを彼女たちを悲しませたくない。よーし、みんながハッピーエンドを迎えるられるように、わたしはがんばる!
そのためにも……攻略対象者からの溺愛を止めないとダメだ。気合を入れたわたしは、眉根を寄せて隣に座りつづけるソレイユを、キリッとにらんだ。
「なに、マリエンヌ? そんな怖い顔して」
「あっちに座ってよ」
え? と笑いながらソレイユはとぼける。そのとき、はっ! と叫んだ黒執事は手綱を引いた。馬車は走りだす。「マリエンヌ様、御実家の花屋まで送ります」
わたしは前方の小窓から顔を向ける黒執事に、微笑みで返事をした。黒執事は了承したようで軽快なリズムで馬を操っている。馬車は王都の大通を抜けていく。
ガタゴト、と揺れる車内にいるわたしは、ソレイユからさっと離れて座り直した。ソレイユのほうなんか絶対に見ない。ひたすら見つめるのは車窓から流れる王都の街並み。美しい幾何学模様の庭園が広がっている。噴水はクジラの潮吹きのように水を放出し、虚空に水しぶきが舞っている。
メリッサの家がそこにはある。
わたしはこの乙女ゲーの世界の公式ファンブックに地図が載っていたので、どこになにがあるかわかる。馬車は予定通り王宮を通りすぎて、商店街に向かっている。
花屋はすぐそこだ。
わたしは相変わらず窓の外ばかり見ている。しかし、ソレイユはわたしのほうばかり見つたまま。わたしに何か言いたそうな気配があるのは、わかる。
だけど、わたしからは話かけない。
だって、ソレイユから嫌われたいから。はやく、花屋についてほしい……そんなことばかり考えていると、ソレイユがささやくように声をかけてきた。
「付き合ってくれてありがとう。マリエンヌ」
あなたのためじゃない、とわたしは吐き捨てた。
すると、わたしの服がもぞっと動いた。寝ていたフェイが起きたようだ。わたしは胸元を引っ張ってワンピースのなかをのぞいた。おっぱいの谷間で挟まっているフェイが、ふぁ~あ、と大きな口を開けてあくびしている。今日はぜんぜんかまってあげてないから、退屈しているだろうな、思わず、わたしは微笑んでしまった。
「なにしてるの?」
ぐっと近づいてきたソレイユが訊いてくる。ち、ちかい……。
「なんでもないわ……っていうか向こうに座ってよ」
笑顔だったソレイユがいきなり真剣な表情を作った。なに? かっこいいからやめてほしい。あ、いつのまにか、ソレイユのほう見てしまっていた。
やだ、ダメダメ! わたしは、ぶんっと首を横に振った。
「マリエンヌ、そんなにキスしたことを怒っているのかい」
はあ? あたりまえでしょ! 付き合ってもいないのにキスされたんだよ! 怒らない女がどこに……あれ? いるのか? キラキラ王子からキスされて怒る女なんて……いないかも。
いつの間にか、わたしはソレイユの唇を見つめていた。
どうなってるの? わたしの身体がオートマチックにかってに動いている。身体が言うことを聞かない。
嘘でしょ?
イケナイことなのに、キスのことが頭に蘇ってきて……ああん、ヤダ……また、して欲しくなってきちゃうぅぅぅ! ダメダメ、わたしは、また首を大きく横に振った。しかし、そのとき……。
無駄な抵抗よ!
わたしの潜在意識が叫び声をあげると、そのまま語りかけてきた。マリ、あなたはキスしたがっている。気持ちに素直になりなさい。ソレイユだと世界が崩壊するから、違う男で試せばいいじゃない……。いやいや、わたしは否定する。違う男なんて考えられない。わたしはまたキスするなら……。
ソレイユがいい! でも……ダメなの!
「ごめん、ソレイユ! わたしに近づかないで!」
わたしは泣きながら叫んでいた。目からは大粒の涙があふれてくる。ソレイユはまったく笑っていない。瞳を大きく開いてわたしだけを見つめている。その瞬間、馬車が大きく揺れた。
ガタッ!
「きゃあっ!」わたし目を閉じて悲鳴をあげた。
ぎゅっと包みこまれる感触があった。
え? 人肌の温もり、男の人のいい香りがする。
「申し訳ありません。石を踏みました!」黒執事の謝罪の叫び声があがる。
車内では……。
「んっ……?」
吐息が漏れるわたしは、なんとソレイユに抱きしめられていた。わたしの頭が壁に激突しないように、ソレイユは守ってくれていたようだ。その影響でソレイユの手が赤くなっている。
「大丈夫? ソレイユ」
わたしはとっさにソレイユの負傷した手に触れていた。ああ、とうなずくソレイユだけど、すぐに冷やすべきだ。骨は折れていないと思うけど……念のため診たほうがいい。
「これは痛い?」優しく触れた。
「いや、痛くない」ソレイユは微笑む。
「じゃあ、これは」強く触れた。
「い、痛い……けど、我慢できないほどじゃない」
よかった骨は折れていない。軽症な打撲だ。んもう、モブのわたしなんかのためにキラキラ王子の主人公が怪我するなんて……乙女ゲーでありえないことよ、まったく。
ほっと胸をなでおろしたわたしは、思わず微笑んでしまった。
あ! しまったと思ったが後の祭りだった。
ソレイユの顔が肉薄する。あ、きた……これ、キスだ。身体が……動かない。わたしは目を閉じてしまった。ゆっくりと温かさが伝わってきて、甘い香りがまとわりついて、お腹の奥底が、じんわり熱くなって、ああん、ダメぇぇぇぇ!
キスされた瞬間に、わたしは目を、ぱっと開けた。
すると、馬車がみるみるうちに形を失っていく。屋根が消え、壁が消え、床が透明になり流れる地面が丸見えになった。わたしは思わず叫んだ。
「黒執事ぃぃぃ! 止めてぇぇぇ!」
ヒヒン、と馬の鳴き声とともに、ピタリと馬車は停止した。びっくり仰天しているソレイユは屋根のない馬車のなかで蒼穹を仰いでいる。流れる白い雲はわたしのことを笑っているように見えた。振り返った黒執事が驚愕して叫ぶ。
「ソレイユ様っ! なんですかこれは?」
わからない、ソレイユがかぶりを振って答える。ガクブルに震える肩が恐怖心を抱いていることがうかがえた。それはそうだろう。わたしにキスしたら、いきなり、損壊したんだから。
地面に降りていたわたしは、腰砕けになって座るソレイユに向かって忠告した。
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「リリア、寒くないか?」
「……え?」
「もっとこっちに寄れ。俺の腕の中なら、温かいだろう?」
冷酷なはずの殿下が、新婚初夜から優しすぎる!?
それどころか、毎晩のように甘やかされ、気づけば離してもらえなくなっていた。
「お前の笑顔は俺だけのものだ。他の男に見せるな」
「こんなに可愛いお前を、冷たく扱うわけがないだろう?」
(ちょ、待ってください! 殿下、本当に氷のように冷たい人なんですよね!?)
結婚してみたら、噂とは真逆で、私にだけ甘すぎる旦那様だったようです――!?
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