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プレハブ小屋で
しおりを挟む「あれ、狐子ちゃんじゃん。何してんの?神楽の練習?」
中学生だろうか。活発そうな体つきとは裏腹にとぼけた顔をしている。眠たげな垂れ目は口に歯ブラシを突っ込んでいたとしても違和感がない様相だ。着ているのは制服か?
「なんじゃ、宍戸の孫娘。またサボりかえ?釣りばかりしよって、少しは勉強もせぬか!」
大きな巫女はすでに僕に興味を無くしていた。ここぞとばかりに、宍戸の孫娘とやらと話を始める。いきなり過ぎて、どうしようもない。僕は胸ポケットに入れた手を緩めた。
宍戸と呼ばれた少女はまあまあと手を振って、プレハブ小屋の中に入り、そこにあった自販機の前に行く。一応港の待合としては機能しているようで、売り切れている品はなかった。
「学校、退屈なんだよね。狐子ちゃんに教えてもらった方が勉強になるし。それでよおない?」
「ちっともよおないっ。宍戸、お主も後々島を離れ、社会で生きていかねばならぬのだぞ。その際に自分の善し悪ししか物差しを持たぬのは、まさしく言語道断!許されぬ!」
「なんだっけ、それ?ことわざ?」
からから笑う宍戸に、狐子と呼ばれた大きな巫女は顔を真っ赤にさせた。
「ちっがう!四字熟語じゃ!何度教えども頭に入らぬトンパチめ!」
「出た、トンパチ。探してもその単語なかなか出ないんだよね。どこで覚えたの?あははは」
「ぬぐう~っ。はよ学校行け!釣り竿は儂が預かる!」
上背があるから、釣り竿の取り合いにもならなかった。あ、何すんのさ、と抗議の声を上げようとしたが、中学生くらいにしか見えず、なおかつ小柄の方だろう宍戸と、二メートルを超える巨躯の狐子では勝負にならない。釣り竿をひょいと高く上げられると、ジャンプしても届かない。プレハブの天井すれすれだ。
「もー、返して返して!」
「やーじゃよ。預かっておくけえ、早うに学校行け。そも、五時間くらいじゃろうが。椅子に座っておればすぐじゃ。そんくらい我慢せよ」
「あーもう……あれ、お兄さん?お客さん?」
ようやく僕に気付いてくれたらしく、どうもと手を挙げた。狐子も僕がいたことはかなり忘れ気味だったらしく、手を挙げた姿を見て、顔をまた赤くさせていた。烏の濡羽色と言うのか、どこか紫がかった黒の髪に、真っ赤な顔が合わさっているので、そこそこ映える。
なんだかなあ。気合を入れてきたはずなのに、なにかずれてしまった感は否めない。この子のせいだろうか。宍戸とか言われていたこの子の。
「うん。こんにちは。土御門って言います」
「あっそう。変わった名前だね。どっかで聞いたこと、あるようなないような」
あってほしい。一応本邦では後世まで名のしれている陰陽師の一族なのだ。長い歴史もあるし、朝廷や皇室とべったりくっついていた時期もある。ただ、僕はそこから逃げ出した傍流の一族なのだけど。
「にしても子供みたいな顔してるね。なんていうんだろ?童顔?」
「よく言われるよ。嫌だけどね」
「あー、やっぱり言われちゃうんだ。でもこんな島に来る?観光?それとも取材?」
「どうだろうね?」
褐色肌が艶めかしい。本人の自覚のない色気というやつだろうか。ぐいぐい迫ってくる好奇心の塊に圧倒されてしまう。
「っていうか、狐子ちゃん。いつまで上に釣り竿掲げてんの?もういいよ。釣りする気分でもないし」
「え、あ……そ、そうかの?」
「そうだよ。今はこっちの方。土御門さんだよ。私案内してもいい?見るものないけど、せっかく来てくれたんだしさ」
「だめじゃ、学校に行け。今なら二時間目からいけるであろう?土御門さんにもご用事があるのじゃ」
「やだよー、学校なんて。意味ないじゃん」
「意味がなくとも、学校には行くものじゃ」
ちぇっと言いつつ、彼女はプレハブ小屋を出た。またねと言い残したあたり、学校終わりにはまた来るのだろう。ドキドキしている心臓は、余計なことを考えてしまったからに違いない。好奇心の塊が外に出た後、狐子と呼ばれた彼女は大きく息をついた。
「あー、その……やるか?」
「えーっとそうですね……」
弛緩した空気が流れる。鼻血出っぱなしであることに気付いた。ハンカチで抑えて止まるのを待つ。なんだか閉まらないな。ここからテンションを殺し合いに持っていくことは流石に無理そう。あちらもそう思ったらしい。釣り竿を丁寧に床に置き、先ほどまで座っていた椅子に腰を落ち着ける。
「座るか?」
「ええ、まあ」
妙な空気だ。狐子もそう感じているらしい。対面に座る。その前に。
「何か飲まれます?」
「ええのか?ではオレンジジュースを」
「は、はあ……」
存在感が大きなせいで、圧倒される。生きてきて二十年少し。大きな女性も見てこなかったわけではない。だが、そうした少女たちは一様に背中を丸めていた。百七十センチを超えて、目立つのが嫌だからと猫背にしている同級生や、ついには百八十センチを超え、伸びすぎる身長を恨んでいた同僚もいる。身長の低い方である僕からすれば贅沢な話だ。なぜ高身長を求める僕が百七十すら超えなかったのか、神様に聞きたくて仕方がない。
「どうぞ」
「うむ、苦しゅうない。あと身長が伸びなんだのは、遺伝であるから諦めい」
ぎくりとした。なぜ知っているのだ。
「儂は一応妖ぞ。人の心を全てとまではいかぬが、邪心くらいは読めるわ」
「ああ、そうですか。どうも」
「まあ、なんじゃ。そも、本邦男性の身長はそこまで大きくない。高い者でも儂ほどにはならぬであろう。よいぞー、背が高いのは。周りは見渡せるし、何より目立つ!うむ、素晴らしい!」
本人なりに素晴らしいと思っているのだろうが、ちっとも羨ましくなんかない。そうだ、羨ましくなんかないぞ。絶対羨ましくなんかない。僕は買ったコーヒーに口をつけた。
「よくそのようなマズイ汁を飲めるな」
「はあ?コーヒーが?」
「左様。儂もこの自販機が出来た時に、珍しいものと思い込んで口をつけたのだが、まあ苦いわ酸味はきついわで大変でな。えらくしんどかったわい」
この自販機、と指さしたそれはさび付いていてすでに稼働していなかった。妖と自称しているからにはかなり昔からいるんだろう。というより普通に里に下りてきていたのか。
「何年も前なんでしょうね」
「であろうな。維新後に出来たカレンダーで年月は把握しておるが、それが動いておった頃など、この島は凄かったのだぞ。パチンコ屋に雀荘。飯屋も軒を連ね、朝の五時ごろに造船所が動き出すとともに、何十人とそこに人が入ってゆく。出てくる時も鈴なりじゃ。ええ時代じゃった」
「その間、あんたは何をしてたんです?人に危害を加えましたか?」
「滅相も。これは尋問け?」
僕の聞いていた話と違うのだ。鐘和島の妖、それを滅せねばならない。上からのお達しはこうだった。理由なんかは知らない。だけど、うっすら教えてくれたのは、人と魔が近づきすぎてはいけないというものだった。僕の上の方は適当なのか、それとも潔癖症なのか。
「いや、僕も上から、退魔せよと指令があっただけなんです。こんなに話すわけには、普通いかないんですけどね」
「なんと適当な。我ら妖も生きておるのだぞ。それも現世は末法。知っておるだろう。我ら妖も、人間が繁栄した現世では行き場がない。それでも生きなければならぬと必死なのであるぞ」
「いや、まあ、そうなんですけどね。僕ら人間も生きるために必死なわけでして。必死同士が争うと、どっちかは死ぬじゃないですか」
「いや、死ぬだろうが。そんなものを上下で決められてはたまらんぞ」
「妖の皆さんは管理がなってないんですよ。これがどっかの団体所属、となればそっちに話をもってけば終わりですよ。後はトップ同士で会談なりなんなりして片付く話です。だけど、そうじゃない。田舎に都会に、妖はいるわけですし、その場合、他人があてられちゃうんですよ」
「言うても、霊感の強い奴がほだされても、儂らはどうしようもないで。おぬしも退魔をする陰陽師なら知っておろう。陰陽五行思想とやらを」
知ってはいる。初陣で駆け出しの僕にもその話は耳に入る。陰陽道の基本のキのようなものだからだ。波線で区切られた円。そこを黒と白のモノトーンにし、それぞれに、小さな丸で対称の色を入れる。良いとされる白の中にも一点の闇があり、忌み嫌われる黒の中にも一点の光がある。もともとは陰陽道の思想だったものが、民間に流布したときに、分かりやすく伝えるアイテムとして出てきたものらしいが、この円がその思想のすべてを物語っている。
「分かってますよ」
「ならば、我らは一点の闇として、この末法の世に根付く義務がある。ではなかろうか」
「それもそうです。ですが、僕が言われたのは」
「しゃきっとせんかァ!」
怒鳴られた。大きな身体をしているものだから、声も大きいらしい。どーんと机をたたいたせいで、缶に入っていたオレンジジュースがこぼれた。
「ああ、もったいない」
なんだか締まらないな。この島に来てからずっとそうだ。
「まあ、儂が言いたいのはそう言うことじゃ。陰陽寮も、少し潔癖を直すべきじゃの」
僕の所属する組織だ。平安時代から続いているのだが、今では都内の官庁街。オフィスビルの群れの中で、ひときわ特徴のない所にある。僕も一度しか行ったことがない。
「まあ、色々と面倒なんですけどね。とりあえず、成果主義のその、末法ですから」
「む」
「僕の成果として、滅せられてくれないかなと思いまして」
「なんとそそらぬ誘いか。貴様、セールストークが下手糞だな」
目の前の、見るからにこの世のものとは思えない大きな巫女が、横文字を使うと頭が痛くなってしまう。僕はコーヒーを再びすする。
「下手ですよ。セールスなんかしたことない。だけど、この世の中を悪くするものは出来る限り無くしたい」
「おう、それは感心な事じゃな。感心感心。褒めてつかわす♫」
「ふざけないでくれ!」
今度は僕が机をたたく番だった。叩く理由はあまり深くない。単にムカついたからだった。僕だって一応仕事で来ているのだ。仕事でなければこんな島になんか来ない。
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