月誓歌

有須

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修道女、犬と別れ悪人面と再会する

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 ドオオオン! ドオオオン!
 促されるままに踵を返し、港に背を向けた瞬間、空気を震わせる大砲の音が追ってきた。
「……っち」
 再び艦隊を引きつれた黒い軍艦リアリードを振り返ると、傍で父が派手に舌打ちした。
 何度も言うが、お行儀が悪い。
 ぎゅっと細い腕を引き注意を促すが、非常に嫌そうな顔をされた。
 さっさと行きたそうな父を制し、ふたりして海の方に身体を向ける。
 海軍の礼式なのだろう空砲は延々と続いた。
 父が苛立っているのはわかっていたが、強いてぐっと手に力を込めた。
 礼を示され、背中を向けるわけにはいかない。
 遠目にも、軍艦の上で乗員たちが整列し、直立不動で敬礼しているのが見てとれる。
 おそらく二十発ほども続いたのではあるまいか。その間寒風にさらされ立っているのは正直辛かった。
 最後の一発の音が余韻を残して消えた後、さあ終わったとばかりに去ろうとする父親の腕を、もう一度ぎゅっと握り制止する。
「いい加減にしてください」
 またも舌打ちされたので、いう事を聞かない年長の子どもに対するように咎めた。
「すぐ終わるではないですか」
「寒いのだ!」
「それはお父様だけではありません。日が落ちてきたので皆寒いです」
「また熱が出る」
「え? お父様体調が優れませんでしたの?」
「いや、儂ではなく……」
 男性にしては小柄な父を振り仰ぐと、父は急に口ごもり、次いでものすごく険悪な顔をした。
「もうよいであろう、行くぞ」
「待ってください。ほら、リヒター提督が」
 乗員よりも前に出た位置に、提督の白い軍服姿が見てとれた。
 小指の爪よりも小さいサイズだったが、提督が跪くのではなくしっかり立っているのを見るのは久々だった。
 遠目にも端正な仕草で、白い軍帽の縁に手を当て敬礼する。
 反射的にメイラも、丁寧なカテーシーを返した。
 それが完璧な形にならなかったのは、父の肘をぎゅうぎゅうと片手で掴んでいたからだ。
 油断するとさっさと踵を返してしまいそうなのだ、この人。
「寒い、行くぞ」
「そんなに具合が悪いのでしたら、もっと温かい服装をなさいませんと。いいお年なのですから」
「ふん」
 今度は冷笑込みで鼻を鳴らされた。
「お前も随分寒そうな格好だな。コートはないのか」
「持っていません」
 そもそも冬ではあるが、厳冬期ではないので、ドレスの上にコートを着る季節ではない。公の場に立つのであれば、せいぜいストールまでだ。素材も毛皮はまだ早すぎるので、ウールだろう。
「陛下も存外吝嗇家だな」
「……お父様?」
 吐き捨てられた毒に、額に青筋が浮かびそうになった。いくら自領だとはいえ、陛下への暴言は許されるものではない。
「ドレスもなにもかもすべて駄目にされ、一からご用意頂いたのです。礼を言いこそすれ……」
「わかった、わかった。お小言はもう良い、もっと早く歩けんのか」
 護衛より先に行こうとするとは、どういうことだ。
 しかし慣れているのだろう、父の護衛たちは小走りになって馬車までの通路を確保していく。
 ドレスで歩く速さではなく、馬車に到着する頃には息が上がってしまった。絶対に父はエスコートが下手だ。
 艶消しの金と濃茶の馬車は、なるほど公爵家の乗り物に相応しい豪華さと重厚さを兼ね備えたものだった。外見がシンプルなのは、父の趣味か公爵家の家風か。
 馬車よりも、むしろそれを引く四頭の大きな馬のほうが目立っていた。兄妹なのか皆揃いの白馬で、白い鬣を金の飾りで美しく編み上げている。
 一応タラップはあるのだが、足を乗せようとすればどうしてもドレスの裾を捲らなければならない。誰も見ていなければ構わず乗ってしまうが、衆目にさらされているので淑女として相応しくない行動はとれない。
 さてどうしようかと迷っていると、背中を押された。
「さっさと入れ。ええい面倒くさい奴だ」
「お、お父様?!」
 いや、押されたのではなかった。
 ひょいっと腰を掴まれたかと思うと、気付けばタラップの一番下の段に乗せられていたのだ。
 くすぐったさに悲鳴を上げる間もなかった。
 見るからに非力な父に持ち上げられたことがとっさに理解できず、振り返ると、ほとんど視線の高さが変わらない位置に皺の多い顔があった。
「早く乗れ、身体が冷える」
 納得いかないながらも、急かされるままにタラップを登った。
 内部は思いのほか広く、詰めればかなりの人数が乗れそうだった。帝都に向かう時にメイドと一緒に乗ったものよりはるかに快適そうだ。
 後続の父に押されるようにして座席に腰を下ろす。
 危なかった。もう少しで父が座るべき上座に落ち着くところだった。
 何度か顔を見た覚えのある年かさの従僕が、タラップを片付け丁寧に頭を下げて扉を閉ざす。
 メイラは進行方向とは逆向きの席で、真向かいに座る父と顔を突き合わせ閉口した。
 お世辞にも、親しみなど抱いたことのない相手である。密室でふたりっきりというこの状況がどうにも落ち着かない。
 大きな馬車なので座席間の距離はそれなりにあるが、いつまでも視線を合わせないわけにもいかない。
 ベール越しではあるが、更に念を入れて扇子を広げて、血を分けた実の親にむけるには警戒心溢れる目を向ける。
 気合を入れて顔を上げたにもかかわらず、父はメイラのほうを向いていなかった。
 ではどこを見ているのかと言えば、何故かひどく険しい表情をして窓の外に視線を据えていた。
「……お父様?」
「いや、なんでもない。それよりお前に会わせたい方がいる」
 会わせたい……方?
 まさかあれだけ盛大に別れを済ませた陛下ではあるまい。
 父がそういうふうに丁寧に言う相手が他にいるとは思わなかった。
 最近ずっと良くない事ばかりが起こり続けたので、予感も何もなく「またか」と達観に似たため息が零れた。
 どうやらまだまだ試練は続くらしい。
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