月誓歌

有須

文字の大きさ
16 / 207
修道女、手厳しい洗礼を受ける

2

しおりを挟む
 問題は、夜着ではない。
 メイラは手触りの良い白地の布に触れながら、ちらりとそれが入れられていた箱に目を向けた。
 黒い漆塗りの中央に、大きな牡丹の細工がしてある。
 何も知らなければ、さほど美しとは思わない意匠だ。花びらにはひびが入り、汚れているとしか思えない色合いをしているからだ。
 しかしメイラは知っている。実はそれは、触れるのもはばかるほどの希少品だということを。
 月光螺鈿。
 文字通り夜に月の光の下で見ると、美しいグラデーションで淡く光るのだ。
 メイラがかつて目にしたことがあるのは、親指の爪ほどのペンダントトップだった。それでも金貨三枚、つまり三百万ダラーもするという。
 あの牡丹の大きさだと、目算でおおよそ三億、いや四億ほどにもなるのではあるまいか。これだけでメイラの三年間の目標金額を楽に超えてしまう。
 金貨四百枚もあれば……と夢想しなくもなかったが、黙って拝領しておくにはあまりにも高額すぎる。
 もしかするとご存じなかったのかもしれない。
 メイラは濃い隈のある陛下の顔を思い浮かべた。
 いやまさか、やんごとないお立場の陛下が知らないということはなさそうなので、よほど精神状態が悪くてつい適当にその辺のものを使ってしまったとか。
 ……ますます黙って頂いておくわけにはいかない気がした。
「刺繍の用意をしてもらえる?」
 一度頂いたものを返すなど、非礼にもほどがある。
 しかし夜着に刺繍をして贈り返せば、角も立てずに箱ごと返品できるだろう。
 陛下の御召し物に刺繍を入れるなど、気後れすることこの上ないが、ほかにどういう手段があるのか思いつくことができなかった。
「今日はまだお休みになられていた方が……」
 心配そうなユリを見上げてにっこりと笑う。
「病気じゃないの。大丈夫よ」
「ではせめてベッドの上で。明かりを近くにお持ちしますので」
 夕刻に近づき、寝室は薄暗くなってきていた。
 貴族の女性なら刺繍をするような時刻ではなかったが、一刻も早く贈り返してしまいたかったので、徹夜の内職も覚悟する。
 今まで眠ってしまっていたので、その時間の分も取り返さなければならない。
「針が落ちたら危ないわ。広間の方でしましょう」
「針は本数管理をしておりますので大丈夫です。ベッドテーブルをお持ちしますので、そちらでなさってください。また倒れてもいけません」
 浴室で眠り込んだことを心配してだろう、ユリが気遣わし気に言う。
「先に何かお召し上がりになりますか?」
 体感的には先ほど朝食を食べたばかりの気がするが、もう夕方である。しかし空腹は感じなかったので、軽く横に首を振った。
 ユリは一礼してベッドの脇から離れた。
 その背中を見送ってから、メイラは無意識のうちに撫で続けていた白い布地に目を落とした。
 ユリは「男性ものの夜着」などと悔しそうに言っていたが、これとて充分に高級品である。
 おそらくはダッタ―ル産の真紗織り。夜着を作るのに最低限の布を手に入れるだけでも金貨が要る。更には陛下がお召しになられていた、という付加価値を足せば、その金額は計り知れない。
―――値段の事ばかり考えてるわね。
 そんな自分がおかしくなって、メイラは小さく笑った。
 しかし実際のところ、高額すぎて売るに売れないものは頂いても困るのだ。
 いや、夜着のほうはリメイクができそうだが……。
 膝の上に白い夜着を広げてみる。大柄な陛下の御召し物は、やはり一般的な男性のものよりも大きかった。
「……申し訳ございません、メルシェイラさま」
 あれこれとリメイク品について考えていたところで、先ほどより幾分硬い雰囲気のユリの声が掛けられた。
「少し問題が」
 メイラは己の欲深さを見とがめられた気がして居住まいを正した。
 ユリの後にはシェリーメイ。彼女たちは三交代制のはずだが、昨夜からずっと働いているような気がする。
「メイドの一人が戻りません。軽く摘まめるものをと大膳所の方へ頼みに行かせていたのですが」
 とっさに思い出したのが、焦げ茶色の髪の女騎士の言葉。
『足元には十分にお気を付けを』
 非常に嫌な予感がした。
「……どれぐらい前に?」
「二時間は経っていると思います」 
 たとえば何かを作ってもらっているとしても、さすがに時間がかかりすぎている。
 女騎士の言う足元とは、メイドのことなのだろうか。
 彼女は、何か起こることを知っていたのだろうか。
「支度を」
「……いいえ!」
 手にしていた夜着を軽く畳み、掛布を避けたところで制止された。
「今フランが迎えに行っております、メルシェイラさまが出られるようなことではございません」
「いえ、着替えておきます」
 珍しく強めの口調で言うと、ユリはしばらく黙り、それから仕方なさそうに頷いた。
「……はい、メルシェイラさま」
「何が起こっているのか、すぐに報告を」
 これが、ちょっと話し込んでいるとか、さぼっているとかならいいのだ。
 何か重大な問題が起きていたらと思うと、居ても立っても居られない。
 昨夜、メイラは帰らなかった。
 恐れ多くも皇帝陛下の閨に侍り、一晩を同衾して過ごした。
 単に寄り添って眠っただけではあるが、誰もその点を問題にはしないだろう。
 実は深夜にはもどっていましたと言い訳するつもりでいたが、それが通るかどうかも怪しい。
 妃の出入りは厳重に管理されているから、今夜誰が陛下の閨に侍っているのかという情報は、常に後宮中の知るところなのだ。
 侍従ユリウスが言うように、どの妃とも朝まで過ごされたことがないのであれば、妾妃たちだけではなく側妃、いや皇妃さま方からも目をつけられてしまう恐れがあった。
 それだけならまだしも、メイラの為に働いてくれている者たちに害が及ばないとも限らないのが恐ろしい。
 メイラはベッドから降り、シェリーメイが持ってきた淡い青色のドレスに袖を通した。
 ユリが着付けを手伝ってくれ、次いでシェリーメイが髪を梳る。
 時間も時間なので簡単な髪型に結ってもらい、髪飾りもつけない。化粧もうっすらとにとどめた。
「失礼いたします」
 寝室の外からフランの声がした。
「ユリさま、よろしいでしょうか」
「フラン? 入りなさい」
 何故か入ってこようとしないので、こちらから声を掛けてみる。
「いえ、申し訳ございません。……ユリさま」
 その断り方に嫌なものを感じて。
 ユリが手で制止するのも聞かず、自ら扉まで歩いた。
 ノブを押し、庭園に面した広い部屋に続く扉を開く。
「……フラン!」
 メイラは小さく悲鳴を上げ、手で口元を覆った。
 申し訳なさそうな侍女の顔には、何かで殴られたような赤いあざができていた。
しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

あなたが捨てた花冠と后の愛

小鳥遊 れいら
恋愛
幼き頃から皇后になるために育てられた公爵令嬢のリリィは婚約者であるレオナルド皇太子と相思相愛であった。 順調に愛を育み合った2人は結婚したが、なかなか子宝に恵まれなかった。。。 そんなある日、隣国から王女であるルチア様が側妃として嫁いでくることを相談なしに伝えられる。 リリィは強引に話をしてくるレオナルドに嫌悪感を抱くようになる。追い打ちをかけるような出来事が起き、愛ではなく未来の皇后として国を守っていくことに自分の人生をかけることをしていく。 そのためにリリィが取った行動とは何なのか。 リリィの心が離れてしまったレオナルドはどうしていくのか。 2人の未来はいかに···

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

【完結】私が誰だか、分かってますか?

美麗
恋愛
アスターテ皇国 時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった 出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。 皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。 そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。 以降の子は妾妃との娘のみであった。 表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。 ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。 残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。 また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。 そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか… 17話完結予定です。 完結まで書き終わっております。 よろしくお願いいたします。

乙女ゲームのヒロインに転生したのに、ストーリーが始まる前になぜかウチの従者が全部終わらせてたんですが

侑子
恋愛
 十歳の時、自分が乙女ゲームのヒロインに転生していたと気づいたアリス。幼なじみで従者のジェイドと準備をしながら、ハッピーエンドを目指してゲームスタートの魔法学園入学までの日々を過ごす。  しかし、いざ入学してみれば、攻略対象たちはなぜか皆他の令嬢たちとラブラブで、アリスの入る隙間はこれっぽっちもない。 「どうして!? 一体どうしてなの~!?」  いつの間にか従者に外堀を埋められ、乙女ゲームが始まらないようにされていたヒロインのお話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...