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〖当惑②〗
しおりを挟む『ガルブレイス公爵令嬢!』
大宮殿を出て、広い石畳の階段を下りていくベアトリスを見つけ、ナイジェルは焦燥感のようなものを覚えた。
長きにわたる使命を果たしたその背中が、いまにも羽が生えてどこか遠くに飛び去ってしまいそうなほど軽やかに見えたのだ。
『ナイジェル卿……?』
『やはり、これまでの貴女の行動には理由があったのですね』
『……どうして、あなたはいつも私を信じ、手を差し伸べてくださったのですか?』
感情の読めない、しかし曇のない眼を向けられ、ナイジェルは己の心がすべて見透かされてしまうような気がし、思わず目を逸らしてしまった。
『私は貴女の本当の姿を知っておりましたから』
(知っていたのに何も出来なかった。いや、そもそも私のしたことは彼女にとって邪魔でしかなかったのか)
滑稽だな、と自嘲したとき、不意にベアトリスに手を握られて驚いた。
『ナイジェル卿。恩返しをさせてください』
『は? いえ、返していただくほどのことは何も……』
『いいえ。あなたには何度も救いの手を差し伸べていただきました』
そうは言っても、その手を取ってもらえたことはないのだが。
だがベアトリスがナイジェルの行動を覚えてくれていたのは嬉しい、と喜びかけたのも束の間。
『697回』
『……はい?』
『ナイジェル卿から受けた恩の数です』
そんなに? というかいままで数えていたのか?
学生生活の間? それとも神託を受けてから七年もの間?
頭の中を驚きと疑問が目まぐるしく駆けめぐり、ナイジェルの体は一時停止した。その隙にベアトリスが手をギュッと両手で握りしめてきた。
『これまであなたから受けた697回分の恩、きっちり返させていただきます!』
色々驚きすぎて、ナイジェルは恩返しの押し売りのような宣言に何も反応することが出来なかった。
*
*
「あれは本気だったのですか……」
「もちろんです。まずこのインゴットはご挨拶代わりに」
金塊の山がただの挨拶になってたまるか、という言葉を飲みこむ。
「このような大量のインゴット、用意するのは大変だったのでは」
「問題ありません。宮廷の国庫にはまだまだございますから」
「……国庫にあったインゴットなのですか?」
「はい。さすがに民間の商会では換金に限界がございましたので」
皇帝に金貨をインゴットに換えてくれと直談判したと言う。最初皇帝は渋ったが、悪役時代の第二皇子のしくじり話を時系列順に語って聞かせ、これを教会側の資料として歴史に残る形にすることをほのめかすと、あっさり承諾したと。
皇帝の心痛を思い同情しかけたが、元はと言えば皇帝の息子であるセドリックの自業自得だったことを思い出しナイジェルは気遣いをやめた。
「随分と大胆なことをされましたね」
「元、悪女ですから」
慣れたものですと言われナイジェルは頭が痛くなってきたが、とりあえずこの挨拶を受け取ってはならないことだけはわかっていた。
「わざわざ運んでいただき恐縮ですが、どうかこれらはこのままお持ち帰りください」
「まぁ。インゴットはお好みではありませんでした? 保管に適していると思ったのですが、裏目に出ましたね。それではすべて金貨に戻して参りましょうか」
「いやいやいやいやいやそうではなく! ……インゴットも金貨も必要ありませんので。このような恩返しは困るのです」
ナイジェルが必死に伝えると、ベアトリスは大きな瞳をぱちくりさせたあと「わかりました」と素直に引き下がってくれた。
ほっと胸を撫でおろしたのも束の間「では宝石にいたしましょう。それとも不動産のほうがよろしいでしょうか?」などと言い始めたので、ナイジェルは丁重にベアトリスを大量のインゴットとともに送り返したのだった。
「いま来ていたのは、ガルブレイス公爵令嬢か?」
ベアトリスが去ったあと、父親であるロックハート伯爵が声をかけてきた。
ナイジェルと同じ艶のある黒髪を持つが、線が細く柔和な雰囲気の父。その後ろには、父と似た雰囲気だが、くせの強い栗毛の兄もいる。
兄と一瞬目が合ったが、気のせいだったかと思うくらいすぐに目を逸らされた。
「神のしもべたられる彼女を、陰ながらお支えし続けたそうだな」
「は? いえ、そのような大層なことは……」
「謙遜するな。それでこそロックハートの跡取りだ」
機嫌よさげな父に背を叩かれるが、兄には冷たい目を向けられる。
ナイジェルは複雑な気持ちになりながら、ただ頭を下げた。
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