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【懺悔②】
しおりを挟む「お待ちください、ベアトリス様!」
追いかけてきたのは、目元を赤く腫らしたナイジェルだった。
振り返ったベアトリスに表情を緩めたが、エスコートするユリシーズを見るとなぜかムッとした顔をする。
「ナイジェル卿。ご家族といなくて良いのですか」
「ええ。ベアトリス様のおかげで真実がわかり、兄とも和解することが出来ました」
本当にありがとうございます。そう言って頭を下げたナイジェルの表情は、憑きものが落ちたように穏やかなものだった。ベアトリスまで安心してしまうほどに。
「今度こそ、迷惑ではない恩返しが出来たでしょうか?」
「もちろん。ですからベアトリス様。今度は私に恩返しをさせてください」
思いもよらない申し出に、さすがにベアトリスも驚き言葉が出なかった。
隣でユリシーズが何かを誤魔化すように咳払いすると「先に馬車に行っています」となぜか声を震わせ、足早に去っていった。
それを見送ったベアトリスとナイジェルは顔を見合わせると、それぞれ気まずげに視線を逸らした。
「その……恩返しの必要はありません。私は卿に受けた恩をお返ししただけです」
恩返しをして、その恩返しをされてしまったら、永遠に恩返しのし合いが続いてしまうことになる。
そもそも、この恩返しはベアトリスのわがままで始めた自己満足でしかない。ナイジェルがそれに恩義を感じる必要はないのだ。
しかしそう言って断っても、ナイジェルは頑なに首を振る。そしてベアトリスの手を取り、顔を覗きこむように迫ってきた。
「お願いです、ベアトリス様。私もまた、貴女に救われたのですから」
熱く見つめてくる紫水晶の瞳。その奥に秘められた輝きは、何年経っても変わらない。
ナイジェルはずっと、この真っ直ぐな瞳をベアトリスに向け続けてくれた。どれだけベアトリスの悪評が立っても、彼だけはベアトリスの本質を見失わずにいてくれたのだ。
この七年間の努力が、いまこの瞬間報われたのを感じた。
胸が熱くなる。心が震える。氷が解けるように、失くしたと思っていたものがよみがえる。
「……そのお言葉で、十分です。恩は受け取りません。わたくし元、悪女ですから」
ナイジェルの手を包みこむように握り返し、ベアトリスは微笑んだ。
溢れた思いが雫となって頬を滑り落ちていく。
「これまで、本当にありがとうございました」
ナイジェルは何も言わなかった。視界がにじみ、彼がどんな顔をしていたかもわからない。
正しく感謝が伝わっていたらいいと思う。心の底から幸せだと、この幸せをくれたナイジェルに伝わっていれば。
*
*
公爵邸への帰りの馬車の中で、ベアトリスは流れてゆく景色を見るともなしに見ていた。
奇跡のような幸福と少しの寂寥を噛みしめていると、目の前にハンカチーフが差し出される。
「貴女に笑顔だけでなく涙まで取り戻させるとは。さすがナイジェル卿ですね」
ユリシーズからハンカチーフを受け取り、そっと頬に当てる。
七年振りに流れた涙は、まだ乾きそうになかった。いままで溜めこんでいた分を体の中から押し出そうとしているかのようだ。
「本当によろしいのですか。いまならまだ間に合いますよ」
「いいえ……変更はありません。随分と引き伸ばしてしまったのだもの。急がなければ」
「本当にそれで後悔しませんか?」
何度確認するつもりなのだろう。
いつもはないしつこさにベアトリスが向かいに座るユリシーズを見ると、彼は聖者らしい慈愛に満ちた微笑を浮かべていた。
「ここだけの話、実は七年前、私にはもうひとつ別の神託が下されていました」
「……初耳だわ」
「教皇猊下と、一部の枢機卿しか知らない秘密でしたから」
「その秘密を私に話してしまって良かったのですか?」
ハンカチーフを持っていないほうの手を取られる。
ユリシーズは穏やかに笑っているが、その瞳には強い意志のようなものが宿って見えた。
「女神が私に下した神託は、ベアトリス・ガルブレイスが必ず幸せになるよう努めること」
思いがけない告白に、ベアトリスは涙で濡れた瞳を瞬かせた。
「……私を?」
「はい。これまで貴女が使命を果たされる為のお手伝いをしてきましたが、これからは使命を果たされたあとの貴女を幸せにするのが私の務めです」
まるで決意表明のようなセリフに戸惑う。
自分はすでに十分幸せだ。そう言おうとしたが、それより先にユリシーズが甲に口づけを落とした。
「決して貴女をひとりにはいたしません」
それは騎士の誓いのように、清廉で真摯な響きをしていた。
七年間、ベアトリスが大きな決意でもって使命を遂行してきた裏で、ユリシーズもまたまったく違う使命の為に覚悟を決めていたというのか。
「私が貴女を幸せにします。ベアトリス様」
ユリシーズの声はただひたすら、どこまでも優しくベアトリスを包みこんだ。
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