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第八章:神さまの伴侶
天空の拠点
しおりを挟む耳に心地好い鳥のさえずりに起こされて目を開けると、久方振りの家の天井が視界に映り込む。窓からゆったりと吹き込む朝の空気が気持ちよかった。寝台の上に身を起こしたところで、窓辺で麗しく鳴いていた鳥が慌てて飛び立っていくのが見えた。
隣を見れば、ヴァージャが眠っている。今日も今日とて確認なんかしなくても整い過ぎた顔面をしてる。寝顔まで完璧とか、少し恨めしくなるな。
昨夜のことは……やっぱり夢じゃないんだよな。ああ、これヘルムバラドでもやった流れだ。ということは、こいつ寝てるように見えて……。
「お前の頭の中は相変わらずやかましいな」
「あんたいっつも狸寝入りしてんじゃん、いつ寝てんの?」
「気配が動くと大体目が覚める」
こいつほどの手練れになるとそういうもんなのか。それとも動物的な何か……そういや、ヴァージャってドラゴンだもんな。人間だって動物の一種だけどさ。
「もう起きるのか?」
「ああ、今日こそ洞窟行かないとだろ。あんまりのんびりしてるのも……みんなに悪いし」
昨日はほとんど丸一日潰れちまったから、今日こそは本来の用事を済ませないと。今やすっかり気ままな旅じゃなくなっちまったから、やること放ってゆっくりするってのも気が引ける。あの後フィリアがどうしたか心配だし、リスティのことも色々な意味で気になる。
「フィリア?」
「……ああ。リスティがあんたのこと狙ってるって、フィリアに聞いたんだよ。あの光景を見てもあんたを疑わずに済んだのはそのお陰っていうか……」
フィリアは普段はオレを困らせてばっかりだけど、ああいう嘘を言う子じゃない。あんなに暗く沈んで、泣くまで思いつめてたんだ、今どうしてるかやっぱり心配になる。多分エルが一緒にいるだろうから大丈夫だとは思うけど、ヴァージャがリスティに言い寄られてあんな顔してたってことは、女の嫉妬じゃなくて家族か何かをとられたような心境だったんだろうなぁ。
「……つまり、フィリアにその話を聞いていなければ私を疑っていたと」
「そ……それは、まあ……」
普通はそうなるだろ、男と女だぞ。男が男を選ぶのがおかしいんだよ。それにリスティは見た目はとびきりの美女なわけだし、同じ無能ならリスティの方を選ぶのが当たり前ってもんさ。
すると、寝転がったままのヴァージャが問答無用に腕を引っ張ってきた。突然のことに踏ん張りなんて利くわけもなく、引っ張られるままヴァージャの上にうつ伏せる形で倒れ込んだ。何をふざけてるんだと文句を言おうと顔を上げたところで、思っていた以上に互いの距離が近いことに気付いた。喉まで出かけた言葉が一瞬で喉の奥まで沈んでいく。この整い過ぎた顔面にはもちろんだけど、近い距離にもどうにも慣れない。
「この際だから言っておくが、私はお前が優秀なグレイスだから好きになったわけではないのだぞ。お前の人間性に好意を抱いた、それだけだ。性別などというもので揺れると思うな、もっと自信を持て」
――そうだ、そうなんだ。ヴァージャは普通の人間とは違うわけで、子孫とかを残す必要もないって最初の頃に言ってたよな。だから相手が男でも女でも関係ないんだろう。けど、人間ってのは、特にオレは面倒なやつで。好きだと思えば思うほど、失うのが怖くなる。また誰かにとられたらと思ったら冷水でもぶちまけられたみたいにゾッとする。
「お前の事情は理解しているつもりだ、……だが、私をあの女と一緒にはしてくれるな。私にとって、お前以上の者はいない」
「う……うん」
ヴァージャはティラとは根本的に違うと思ってるけど、こうも臆面もなくハッキリ言われると不安が吹き飛んでいく代わりに羞恥がやってくる。嫌な気はしないし、……嬉しいけどさ。
* * *
簡単に朝食を済ませてから南にある洞窟に足を踏み入れると、そこは最後に訪れた時とほとんど何も変わってなかった。まあ、メチャクチャ長く離れてたわけでもないし、この洞窟にはお宝らしいお宝の話も何もなかったからな。そんな場所に移動要塞があるってのも不思議な話だけど。
先導するヴァージャの後についていくと、苦い思い出が残る場所に辿り着いた。足場が不安定な、あの崖だ。ティラが指輪を落としたって言ってた場所。結局嘘だったわけだけど。ヴァージャはその崖で足を止めると、底の見えない穴を見下ろした。
「……なあ、まさかこの下って……言わないよな?」
「そうだと言ったらどうする?」
やっぱりそうなのかよ。よくよく考えてみれば、あの時ヴァージャはこの崖の下から飛び出してきたんだよな。どれだけ深いのかもわからないこの穴から。
こいつがメチャクチャ危ない場所にオレを連れていくとは思ってないから、多分危険なものはないんだろう。けどさぁ、人間ってのは明かりのないところは結構怖いものなんだよ。……行くけどさ。
差し出された手を取ったら、またその手を引っ張られた。そのままひょいと軽々抱き上げられて、思わず軽く暴れてしまった。だって、なんで――俗に言う「お姫さま抱っこ」なんだよ。
「暴れるな、落ちるぞ」
「ほ、他の抱え方でもいいだろ!」
「背負えば岩壁に打ち付けそうだし肩に担いだらバランスが悪い、我慢しろ」
……言われてみれば、確かにこの体勢が一番安定するような気はする。恥さえ我慢すれば。けど、ちらと横目にヴァージャの様子を窺ってみれば、その顔にはいつかも見たような意地の悪そうな笑みが薄く滲んでいた。こいつ絶対オレの反応見て楽しんでるだろ、ムカつく。
文句のひとつやふたつ言ってやろうかと思ったところで、オレを抱えたままいきなり穴に飛び込むものだから、引き攣った声が洩れそうになった。ふわりと身体が浮くような胃が引き攣るような、独特の浮遊感を覚えて咄嗟にヴァージャの首に両手を回してしがみつく。耳元で笑うような気配がしたのが、また一段とムカつくんだ。
でも、思ってたよりも落ちる速度は速くない。こいつ、人型のまま空も飛べるって神さまってやつは本当にすごいんだな。恐る恐る下を見てみるけど、どこまでも真っ暗な穴がぽっかりと口を開けているだけだった。まるで果てなんかないみたいに。
「……詳しく聞いてないけど、その移動要塞ってどんなやつなんだ?」
「天穹ヴァールハイトという。約二千年ほど前まではこの世界の空にあった城だ」
「空にあった……城? じゃあ……」
「あの城を再び空に上げる、拠点が空にあれば奇襲を受けることもないだろう」
なるほど、確かにそうだ。それにしても、本当に神さまって反則みたいな存在だな、気性難の武器とか空飛ぶ城とか規格外のヤバいもの何でも持ってんじゃん。
そんなやつが恋人だってんだから、オレにとってはそれが一番とんでもないことなんだけど。
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