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第十一章:城塞都市アインガング
人間と眷属の道
しおりを挟む博士の部屋を後にしてヴァールハイトの最下層に向かおうとした途中で、ちょうどこちらに向かっていただろうヴァージャと鉢合わせた。その顔はいつも通り涼しいもので、視線だけであちこち見てみたけど、怪我らしい怪我はどこにもない、綺麗なもんだ。本当に戦ってきたのかって疑っちまうくらい。
オレは博士とのやり取りを、ヴァージャは訓練所でのことを簡単に報告し合いながら部屋に向かうことにした。
どうやら『ゼルプスト』っていう連中をはじめ、他の面々も一応は認めてくれた――らしい。その現場を見てないからどういう感じになったのかはわからないけど、明日になればわかるだろ。
「……では、グリモアもまだ考えている最中というわけか」
「ああ、明日までには大まかな部分だけでも考えておくってさ」
結局のところ、策らしい策は特に聞き出せなかった。いくら頭が良くても、策ってのは全体のことを考えた上で立てなきゃいけないものだろうからな、それもひとつじゃなくて候補として他にいくつか。オレには絶対に無理な役割だ。……ヴァージャがその気になれば、策とかなくても一人で全部やれちまうんだろうけど。
「……どうだろうな」
「えっ、……皇帝って、もしかしたらあんたより強い可能性もあんの?」
「ないとは言えない、いくら神とてグレイスやカースの影響は受ける。以前エルが言っていただろう、百人いればお前と同等の力を持つ者もいるかもしれない、いなくとも数が増えればそれだけ皇帝の力が強化される。一週間で百人の無能と呼ばれる者たちが連行されたのだ、今は何人になっていることか」
その返答を聞いて、これまでのことがいくつか思い出された。
ル・ポール村の人さらい騒動と、この反帝国組織に遭遇したばかりのこと。結局リュゼが襲ってきたことでほとんど有耶無耶になっちまってたけど、ヴァージャのこの口振りと帝国の動きを考えるに――あの研究所で見つけた『グレイスとカースの能力は重複するか否か』の答えは『重複する』ってこと、なんだよな。
数がいればいるだけ、皇帝の力が強化される。いくら神さまでも、何百倍にも膨れ上がった力を持つ皇帝に勝つのは難しいのかもしれない。正直、ヴァージャが負けるとこなんてまったく想像できないけど……これから喧嘩を吹っかける相手は、今までとは比べものにもならない、それこそ規格外の敵と思っておいた方がよさそうだ。
話しながら歩いていると距離なんて本当にあっという間で、思っていたよりもずっと早く部屋に着いた。休める場所に着いたって頭が認識するなり欠伸が出てくるんだから、身体ってのは本当に素直なもんだ。
寝台の方に足を向けて数歩ほど、ふと出入口付近に佇んだまま動かないヴァージャが気になってそちらを振り返る。
……新しく法術を覚えようってのが気に入らなかったのかな、その表情は聊か複雑だ。表面上は怒ってるようには見えないけど、内心イライラしてたりするんだろうか。
「別に怒っているつもりはない、私はお前の意思を尊重するつもりだ。……ただ、話しておかなければならないことがある」
「ん?」
どうやら、怒ってるように見えなくもないのは、話すかどうか迷っていただけのようだ。わかりにくいんだよ、あんたの表情。
それからヴァージャが話してくれたのは――寝る前にするような内容のものじゃなかった。簡単に言うなら恋人同士の付き合い、俗っぽい言い方をするなら所謂『裸の付き合い』についてのこと。まさかいきなりそんな話が飛び出してくるなんて思わなかったから、状況を理解するのに随分と時間がかかった。
突然のことにほとんど働かない頭で情報を纏めると、つまり神さまとそういう行為に及ぶと人間の枠を外れて『神の眷属』になるらしい。眷属化すると歳をとることはなくなるし、当然ながら寿命もなくなる。神さまが、ヴァージャが死ぬ時まで死ぬこともできなくなる。
そして、ヴァージャはオレには人間として生きて天寿を全うしてほしいと思っていること。
それらを聞いて真っ先に思ったのは――「こいつにもそういう欲はちゃんとあるんだな」っていう安心感だった。そういう理由があったから、今まで何もしてこなかったんだってわかったのも大きい。
「人として、ねぇ……」
「ヘルムバラドで偽の薬を掴まされた者たちや皇帝のように、永遠の命を求める者の気持ちが私にはわからん。最初はよくとも、終わりのない生はいずれ喜びよりも苦痛になる。終わりたくとも終われぬ、その停止した時間の中にお前を置きたいとは思わない」
……オレだって、考えなかったわけじゃない。ヴァージャの力はもう戻ったけど、いつかまた神さまの存在が蔑ろにされたら、この世界は再び滅亡の危機に陥ることになる。人間の一生なんて短いもんだ、次の危機が訪れた時にはきっとオレはもうこの世にいない。世界の在り方を変えようっていう今の行動の結果だって、遠い未来ではどうなってるかわからないんだ。
オレはいつか、その停止した時間の中にこいつを置いていくことになる。
そこまで考えて、それ以上頭を使うのをやめた。不毛過ぎる。
「……あんたは、その終わりのない生ってのをずっと一人で過ごしてきたわけだろ、ブリュンヒルデはいただろうけどさ。一人じゃ苦痛なことでも、二人ならちょっとは変わるんじゃないの?」
思ったままを言ってやると、ヴァージャはその整い過ぎた顔面に怪訝そうな色を滲ませた。こいつ何言ってるんだ、みたいな。
ヴァージャから見れば、オレが言ってることはひどく馬鹿げたものなんだろう。でも仕方ないんだって、オレがこいつを置いていきたくないんだから。
「……だから言いたくなかったのだ、お前は深く考えずに答えを出すから」
「なんだよ、人を考えなしみたいに言いやがって」
「お前は眷属になるということを正確に理解していない、……ミトラたちがどう思うか」
「ミトラならわかってくれるさ、……自分の気持ちに嘘をついたら駄目って、もう言われてる。自分たちのことを考えて人間の道を選んだんだって知ったら、彼女に一生負い目を背負わせることにもなっちまう」
ミトラはいつだって、周りの幸せを第一に考えてくれる人だ。もしオレが「ヴァージャを置いていきたくない」っていう自分の気持ちに嘘をついたら、きっと誰よりも悲しむ。
なんて考えてると、ヴァージャはため息交じりに「わかった」とだけ呟いて静かに踵を返した。慌ててその手を掴んでみたけど、ちらりとこちらを振り返った顔を見れば喉まで出かかった言葉が自然と引っ込んでいく。
「……やはり今日はここで休むわけにはいかない、執務室に戻る」
「えっ」
「……お前とて、まだそちらの覚悟とやらはできていないだろう。よく休め」
その顔は、耳元までほんのりと朱に染まっていた。それだけを短く告げるなり、オレの反応も待たずに扉を開けてさっさと部屋を出ていく。
ぱたんと扉が閉まってから数拍。ヴァージャが残した言葉を脳内で反芻すると、沸騰しそうなくらい顔面が熱くなった。
それって、つまり……今日この部屋で休んだらそういう流れになっちゃうかもしれない、っていう……こと、か?
頭がそう認識すると同時に、心臓が壊れたみたいに騒ぎ始める。また寝不足になりそうだった。
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