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最終章:想いの力
諜報部隊最後の足掻き
しおりを挟むブリュンヒルデの方を見てみると、その背にはユーディットとシファさんの姿がある。あっちも無事に間に合ってくれたみたいだ。
ヴァージャはオレを片腕に抱いたまま、近くの平らな屋根の上に降りた。その顔色はなんとなく悪い。乗り物酔いでダウンしている時以上に悪い。心なしか表情も痛みを我慢しているようなものだった。
「ヴァージャ……大丈夫なのか? なんかつらそうに見えるけど……」
「……この辺りは異様に空気が重い。カースの影響だろう」
「あ、ああ、この城の地下にカースたちが閉じ込められてるって聞いた。ひどい目に遭わされてるって……」
さすがはヴァージャだ、もうカースの力を感知してるのか。ユーディットの話では、この城の地下に閉じ込められてるカースたちは神を恨むように教え込まれてるんだ。つまり、彼らの憎悪は全てここにいるヴァージャに向けられてるわけで。こうしてる間にも、カースたちの力はヴァージャに纏わりついてその能力を抑制してるんだろう。
「リーヴェ、頼みがある。……ブリュンヒルデと共にこれを持って、地下のその者たちを解放してやってくれ」
ヴァージャがそう言って腰の裏から外したのは、アインガングのあの屋敷で投げつけた錫の剣だった。その剣を受け取ると、思わず言葉が喉の奥に引っ込んでいく。
ついさっきまでは見えなかったはずの、あのドス黒い靄がヴァージャの全身に絡みついているのが見えたからだ。これを初めて見たのはエルがアフティの憎悪に晒されてる時だったけど、あの時の比じゃない。まったく比べものにもならない。オマケに、錫の剣を手放したせいかヴァージャの顔色がさっきよりも悪くなった気がした。
「け、けど、あんたは大丈夫なのか? 終わるまでこれ持ってた方がいいんじゃ……」
今回のカースの力はこれまで以上に濃厚なせいか、この錫の剣を以てしても完全には防げないようだけど、ないよりはある方がずっとマシなはずだ。
でも、ヴァージャは薄く口元に笑みを滲ませると、そのまま自然な動作で――
「……私にはこれで充分だ。どちらにしろ、お前にしか頼めない。カースたちを頼んだぞ」
いつものように涼しい顔でそう告げるなり、ヴァージャは屋根を強く蹴って空に飛び上がり、そのまま皇帝との戦いへと戻っていった。その途中で片手に剣の形で顕現してる森羅万象を小突くように叩いてたのは、また暴走しそうになってるからだろう。ヴァージャの力が不安定になれば、この世の調停者の役割を担うあの気性難の武器はバランスを崩す要因となっているものを破壊するために動き出すから。
――そうじゃない、そうじゃなくて。
これで充分だ、って……あいつ、当たり前のようにキスしていきやがった。数拍ほど遅れて頭がそれを理解するなり、顔面が火で炙られてるみたいに熱くなった。片手で口元を覆うけど、触れた感触はハッキリと残ってて、それが余計につい今し方の接触を思い起こさせる。
そりゃ、グレイスの力の引き金は好意だけど、そうなんだけど。だからって不意打ちはやめてほしい。あいつはそれで満足かもしれないけど、こっちはどうすりゃいいんだ。オレからもさせろ、この野郎。
「……あ」
とにかく、ヴァージャに言われた通り地下に行ってカースたちを助けるのが今のオレの役目だ。相手はグレイスの力を存分に浴びた皇帝なんだ、早いとこカースの力をどうにかしないとヴァージャだけでなくフィリアたちも危ない。急いだ方がいい。
気を取り直してブリュンヒルデの方を見て、今更ながら気付いた。
ここは外だけど、ブリュンヒルデやユーディットたちが近くにいたことに。
ユーディットとシファさんを助けたブリュンヒルデはすぐ隣の大きな屋根の上に降りていて、当然――ついさっきのやり取りも見ていたわけだ。
ブリュンヒルデは前足を器用に使って目元を覆ってるけど隠れきってないし、その背中ではユーディットとシファさんが顔を赤くしてこっちを凝視していた。
* * *
「驚いたぁ、リーヴェのイイ人って男の人だったんだね。それで、あの人が神さまだって? 普通の人間にしか見えなかったけど、わからないもんだねぇ……けど、今のあんたいい顔してるよ」
「そ……そう」
「そうそう、恋で綺麗になるのは女だけじゃないんだねぇ」
愛娘のフィリアの傍に行きたいというシファさんを地上に下ろしてから、オレたちはユーディットの案内で城の中に飛び込んでいた。城の中は、あちこち争ったような形跡が見受けられる。至るところに遺体とか怪我人とかが転がってないだけマシだけど、これは怪我人が多そうだな。
そんな中、地下に向かう長い階段を駆け下りながらユーディットが興味深そうに声をかけてくる。正直やめてほしい。茶化してくるのはフィリアだけで充分過ぎるってのに。
でも、そこはやっぱりこの帝国の皇妃様だ。茶化してきたかと思いきや、次の瞬間には真剣な面持ちになり、まっすぐ先を見据える。その横顔は凛としていて綺麗なのに、瞳には確かな力強さと意志が宿っていた。必ず成し遂げようっていう意志が。
折返し型になってる地下までの階段には、例のドス黒い靄が充満している。地下に降りれば降りるだけ、その靄は濃さを増していった。それだけ、この靄の出どころに近づいてるってわけで――多分、カースたちが閉じ込められてる部屋はもうすぐのはずだ。
もう地下何階に降りたのか、途中までは数えたけど三階を過ぎた辺りでやめた。
地下空間は全体的に暗い色をした石造りの壁で覆われていて、もちろん窓はない。換気だってどうやってるのか。地下に向かえば向かうほど、閉塞感が強くなっていくようだった。カースたちはこんな環境に長いこと置かれた上に手ひどい目に遭わされてるんだから、まともな精神状態でいられるわけがない。神がお前たちをこんな目に遭わせているんだと言われてそれを信じても、仕方がなかった。
早いところ、こんな場所からは解放してやらないと……。
「ユーディット! そこまでだ! 馬鹿な真似はやめろ!」
「……またあんたかい、馬鹿な真似をしてるのはあんたの方だよ。さっさとそこを退いて」
階段が終わり一番下まで降りたところで、そんな怒声が響いた。
鉄製の大きな扉の前には、黒い外套に身を包んだ五人ほどの人影が見える。その中央に佇むのは――またしてもリュゼだった。今の怒声を上げたのは間違いなくコイツだろう。周りの黒いのは……諜報部隊の他のメンバーってわけか。
邪魔にならないよう少しだけ縮んだブリュンヒルデが、オレの真後ろで威嚇するように低く唸る。できればやりたくないけど……この場合は仕方ない、今は少しでも早くこの黒い靄をどうにかしなきゃいけないんだ。
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