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◆epilogue◆
最終話:世界はまだこれから
しおりを挟むグリモア博士が療養する森の中の研究所を後にしてから、ブリュンヒルデの背に乗ってスターブルまで戻った時には既に夕暮れ時、今日もまた夜がやってくる。
孤児院に向かう道すがら、気になったことをヴァージャに聞いてみた。
「なあ、結局グリモア博士のことは破壊しないんだよな?」
「……邪な想いで永遠とも言える命に手を出したわけではないのだ、その必要性を感じない。永遠の命、世界を渡る技法……様々な禁忌を犯してはいるが、私もあの男には恩がある。今は見て見ぬフリをしておこう、今はな」
今は、ね。そんなこと言いながら、博士を破壊する気はないんだろう。だって、そのつもりならこうしている今も渋い顔をしてるはずだ。
でも、今のヴァージャはなんとなく楽しそうに見える。ヴァージャも博士もお互いに言いたいこと言い合うし、いいケンカ友達になれそうだよなぁ。博士も四千年という気が遠くなりすぎる時間を生きてきたわけだし、自分の事情とか知ってる存在ができたことを少しは喜んでくれてるといいな。
――この半年、世界のあちこちを見て回ってメチャクチャになった自然を直してきたけど、まだ隅々まで行き届いているとは言えない。行く場所によっては、ヴァージャに文句を言う人だっている。世界が滅亡直前まで行ったことで、当然ながら世界中の人たちにも被害が出た。
地震で家が倒壊した人もいれば、倒れてきた木々に潰された人もいる。
ヘルムバラドは防衛設備がしっかりしてたから事なきを得たけど、港街や漁村は津波の被害も受けたと聞いた。みんながみんな、神さまに対して快い感情を抱いてるわけじゃないんだ。
もっとも、世界が滅亡しかけたのはマックとリスティのせいなんだけど……。
ちなみに、オレの実の両親であるオリバーとコルネリアは、スコレット家の没落に伴い、揃って姿を消した。スコレット家は強硬派の筆頭だったらしい。皇帝ガナドールが突然考えを改めたことに異を唱え、その考えが変わらないと見るや否や、皇帝を暗殺しようとしたそうだ。
考えを改めて温厚になったとは言え、皇帝は皇帝。その実力は折り紙つき。瞬く間に返り討ちに遭い、不敬罪でスコレット家は没落、当然ながら副団長の任も解かれたと聞いた。今はどこでどうしているのやら。
皇帝の被害に遭ったグレイスたちやカースたちは、今はヘルムバラドにある療養施設で暮らしている。人によって心に負った傷に大小はあるけど、ヘルムバラドはまさに楽園だ。あの場所でなら時間はかかっても、きっと普通の生活に戻れるようになる。
でも、あの皇帝が突然考えを改めるなんて、あの戦いの最中にいったい何があったんだ。そういや、バタバタしすぎて何も聞けてないんだった。
「お前の中にあの時に芽生えた力は、私が古来より必要としてきたものだ」
「……っていうと?」
「どれほどの悪人に見えても、誕生した時から悪人だった者はいない。人は環境によって善にも悪にも染まる。お前のその力は、生き物の中に必ずある――幸福な記憶を想起させる、そうすることで獰猛な攻撃性を一時的に鎮めるのだ」
幸福な記憶を想起させて攻撃性を、鎮める……なるほど、あの時に皇帝に見えたのは……母親と一緒に過ごしていられた幸せな時間だったのか。すっげー幸せなこと考えたり思い出したりすると、なんか異様に気持ちが優しくなれたりするもんな。
「……幸福な世界創りは、全ての神々を悩ませる難題と言える。どれだけ世界を平穏に保ちたくとも、人は争わずにはいられないのだろう。平和が続けば衝突が起こり、衝突が続けば助けを乞う。……私にその力があれば、世界中の者たちの攻撃性を鎮め、不毛な連鎖はなくせるのかもしれないな」
神々を悩ませる課題ってことは、博士が言ってた他の世界でも人間ってやつはどうしようもないことで争ったりしてるんだろうなぁ。あ、だから世界を渡って旅をしろって言ったのか? お前ちょっと他の世界行って争い止めてこい、的な意味で。
まあ、他の世界はいつか行くとして、今はまずこの世界とヴァージャだろ、重要なのは。それに、オレの目の前でそんなこと言われるとなんか異様にムカつく。
「試してみればいいじゃん、この力で世界がよくなるかどうかさ。ちょうどその力を持ってるやつがここにいるんだから」
そう告げてやると、ヴァージャは足を止めて驚いたような顔でこちらを見た。
……なんだよ、そんなこと言われるとは思ってませんでしたみたいなその反応は。
「あのさぁ、あんた忘れてんじゃないだろうな。オレはもうあんたが死ぬまで死ねないんだからな。神さまの課題が平和な世界創りだっていうなら、それに貢献するのも協力するのも当然だろ」
「……忘れてはいないが」
「そうかよ、忘れてたなんて言ったらぶん殴ってるとこだ」
今から約二カ月ほど前――オレは人間であることをやめた。
眷属になるということがどういうことなのか、ヴァージャには何度も繰り返し教えられたけど、考えは変わらなかった。
だってそうだろう、いつまでも続く時間の中にこいつを置いていくなんてオレにはできない。輪廻転生が本当にあるならオレもいつかは生まれ変わるのかもしれないけど、確実とは言えないし、オレはグリモア博士ほど気が長くないんだ。
「……平和な世界創りに協力、か。そうだな、お前となら……よい世界を創っていけるかもしれないな」
「そうそう、何事もまずはやってみなきゃわからないもんさ。今まで難しかったことが案外あっさりできちまうかもしれないし、全然変わらないかもしれないし、最悪もっと悪くなっちまうなんてこともあるかもしれない。でも、やらないよりはマシさ」
やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいじゃん。この世界の在り方を変えるんだって思った時に、当たり前だとか常識なんてものは頭から取り払えって言ったのもヴァージャなんだしさ。
オレたちには子供なんて間違ってもできないけど、この世界そのものが子供みたいなもんだ。これから一緒に育てていくんだから。
「あっ、リーヴェさん、ヴァージャ様も!」
見えてきた孤児院の玄関先には、朗らかに笑う女性が一人。
彼女は、あのエルの姉ちゃん――アフティだ。彼女はなんと、今度は一家でこのスターブルまで引っ越してきた。オレみたいに優れたグレイスの力を身につけたくて、孤児院で働かせてくださいって頼み込んできたんだ。
スターブルで暮らし始めたアフティは、それはそれはよく笑うようになった。カースだった頃の面影なんて、今はどこにも見えやしない。
「さっきティラさんが来てましたよ」
「ティラが? 何の用で?」
「それが、その……愚痴を聞いてほしいって」
「はは……まだやってるのか」
ティラはヘクセたちのクランに戻ることはなく、今は一人でギルドの仕事をこなしている。でも、その商売敵は――元諜報員のあのリュゼだ。
帝国の諜報部隊ヴァントルはもう必要ないとして早くに解体されてしまったため、リュゼは帝国を出てギルドの仕事を始めた。あの性格だから壁にぶつかることも多いみたいだけど、ティラとはよく仕事がかち合うらしく、たまにオレのところに来ては「あいつをどうにかしてくれ」と愚痴るんだ。
リュゼは、見聞を広めて今よりももっといい男になって、もう一度ユーディットにアタックしたいんだと言っていた。その時のリュゼの顔はいつもの胡散くさいものではなくて、高い目標を前に目を輝かせる――少年みたいな顔をしていた。多分、ユーディットが好きだったのはああいう顔をするリュゼだったんだろうなぁ。
もう陽が暮れちまったし、さすがのティラも今日はもう来ないだろう。
ヴァージャやアフティ、それにブリュンヒルデと共に孤児院に入ると、夕食のいい香りが空腹を刺激する。オレたちに気付いたミトラは、いつものように柔らかく笑ってこちらを振り返った。
「おかえりなさい、リーヴェ、ヴァージャ様。それに猫ちゃんも」
「ただいま、ミトラ」
――世界が目指す方向が変わったと言っても、まだまだ世界中の人々の認識はほとんど変わってないし、やるべきことは山積みだ。みんなが生きてる間に変わるかどうかもわからないけど、とにかく何でもいいからやってみないことには始まらない。
いつか、才能なんてまったく関係がなくて、くだらない争いがない平和な世界になればいい。時間はかかっても、ヴァージャやブリュンヒルデと一緒なら、きっといつかそんな世界を実現できるはずだ。
オレはいずれ、みんなを見送ることになる。自分の選択に後悔はないけど、大切な人たちと一緒にいられる――この限りある時間を今は大切にしていきたい。
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