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10:傷む心
しおりを挟む「屋敷へ」
アリーナの言葉を受けて、同乗していた侍女が窓を開けて御者へ指示を伝えている。
侍女が窓を閉めた瞬間、馬車の中にはアリーナの声が響き渡った。
「あああーーーーーー!!!!!」
アリーナは膝に顔が着く程にかがみこみ、両手で顔を覆っている。
「あああーーーーーー!!!!!」
アリーナの意思に反して勝手に漏れる声は、悲痛以外の何者でもなかった。
「ああああーーーーーーー!!!!!!!」
ただただ、大声をあげながら大粒の涙を流し続けるのだった……ーーー
馬車が屋敷へ着いた時、アリーナは放心状態だった。
瞼は真っ赤に腫れ、顔面は真っ青なまま。
侍女に支えられて何とか部屋まで辿り着いたアリーナは、人払いをした。
何も考えられなかったが、とにかく一人になりたかった。
私の運命の人はこの人だと思ったのに。
画家の穏やかな空気が大好きだった。
穏やかな言動が大好きだった。
控え目な様子が、いつも照れ隠しをしている様子が、とても可愛らしくて大好きだった。
そっと、控え目にアリーナに触れたあの手が、唇の温かさが……
熱い瞳が……
アリーナの知っている彼の姿が、脳裏に次々と現れる。
どの彼も、アリーナの知っている画家の顔だった。
しかし今日の彼は、父親であり知らない女の夫であった。
確かに同一人物だが、アリーナの知らない人だった……ーーー
アリーナは、丸三日部屋に閉じこもった。
食事も味がせず、たまに一口果物を口にしては吐き出した。
部屋のカーテンはずっと閉められたまま、室内は常に真っ暗だ。
アリーナは朝も昼もなかった。
全てがどうでも良かった。
彼との未来を描いていたアリーナは、”彼に弄ばれていた”という事実をこの三日間で実感しただけだった。
彼の意図はわからない。
しかし、アリーナとの未来がない現実で、こんなに若いアリーナの心を弄んだのは間違いないのだ。
アリーナが好ましく思っていた控え目な態度は、既婚者故のものだったのかもしれない。
彼にとって、デメリットもあるであろう行為だから。
あの最後に見た彼の態度でも、実際にそうであることがわかる。
彼は間違いなく、馬車に乗っていたアリーアに気付いていた。
しかし、気づいていないフリをした。
つまりそれは、家族にアリーナの存在を知られたくいからに他ならない。
アリーナの存在は、あの瞬間の画家にとって邪魔な存在だったのだ。
アリーナは気付くと涙を流していた。
涙を流しては泣き疲れて眠る、起きては放心状態。
これを繰り返している。
”コンコン”
人払いをしているが、食事の時間とティータイムには侍女が必ず来てくれた。
ノックにアリーナは返事をしないので、いつも「ドアの前に置いておきます。どうか少しは召し上がって下さいませ」そう言ってそっと去るのだ。
あの日馬車に同乗していた侍女のメマリーはさぞかし驚いただろうし、心配しているだろう。
元々とても優しくてアリーナ専従侍女としてよくやってくれている。
しかし今のアリーナには、メマリーに配慮する心の余裕は一切持ち合わせてなかった。
「アリーナ」
アリーナは驚いた。
ノックの主は侍女メマリーではなく、母だったのだ。
「アリーナ、入るわよ」
アリーナの部屋に、この屋敷内で許可なく入って来られるのは母親と父親だけである。
「まあ、アリーナ……」
ボロボロなアリーなを見た母ティーナは、心からショックな表情をしている。
床に座り、涙を瞳に浮かべながらティーナを見上げているアリーナの側にそっと行き、ティーナはアリーナをそっと抱きしめた。
身体が纏った暖かさに、アリーナは咄嗟に両腕を真っ直ぐに伸ばした。
ティーナの身体を引き離したのだ。
「……私は大丈夫です」
「……どう見ても大丈夫じゃないじゃない」
「大丈夫ですから! 放っておいて下さい!!!」
取り付くしまもない娘の様子に溜め息をつき、ティーナは部屋を出て行く。
「少しでもいいから食べるのよ」
そう言い残して。
大好きで尊敬していた母。
しかし抱きしめられた瞬間、全身の毛が逆立つのを感じた。
(この人も不倫をしている)
その事実が頭を過ぎり、アリーナは咄嗟にティーナを拒絶したのだ。
(何で皆、裏切るの……?)
アリーナには理解の出来ない世界だと思っていた。
しかし、(そのような仕方のないものなのかもしれない)とも思っていた。
自分の地位や立場を保つために、精神を落ち着ける必要があるから。
アリーナには理解の出来ない世界だが、そう思っていた。
だって、あの母までもが行っている行為なのだから。
身近ではあるが、自分に振りかかって来ることはないと思っていた。
どこか他人事だった。
しかし、自分の身に振りかかって来たのだ。
”まさか”
アリーナはそんな気持ちだった。
どうするべきなのか、頭ではわかっている。
画家との関係をスパッと切れば良いだけだ。
画家と出会う前に戻れば良いだけだ。
しかし、簡単にそう割り切ることはできなかった。
出会ってしまったのだ。
そして彼は、アリーナに恋する気持ちを知らしめたのだ……ーーー
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