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第21話 邂逅
第21話・4 似てるんだよ、レイラちゃん
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──夕陽に染まる龍調査機関。
落ち着いた雰囲気の談話室で、セセラはコーヒーの入ったカップを片手にソファへ身を投げていた。
その向かいではシエリが紅茶を口にしながら、書類を捲っている。
やや沈黙気味な空気。
──そんな中で、セセラがふと呟いた。
「……なあ、先生……」
「うん?」
「……レイラってさ……なんか……最近、ちょっと変じゃね?」
紅茶を持つシエリの手が止まる。
「どんなふうに?」
「いや、別に大した話じゃねえんだけどさ……。なんかこう、気が抜けてるっつーか、妙に落ち着いてるっつーか……。あいつ、今までならもうちょっと鋭かっただろ?」
「…………ふむ」
シエリは顎に指を添えて、少しだけ考える素振りを見せた。
「……それ、悪い意味での落ち着き? それとも、何かに気を取られている?」
「後者、かなあ」
セセラは曖昧に答えながら、背もたれに深く寄りかかる。
「言葉で説明すんの難しいんだけどさ。……目の奥が遠いっていうか。今そこにいて、頭はちょっと違う場所にいるって感じ。……なんか考えてんだよ。ずっと」
「……ジキル?」
「…………」
シエリの問いは静かだった。
そしてセセラはため息混じりに笑う。
「はあ……やっぱ、そっち考えるよな。あの人と接触してから……レイラ、何か飲み込んでるように見えるんだよ」
「レイラ本人は何も言っていないのかい?」
「言うわけねーよ。今のあいつ、自分の感情を誰かに渡すの、ちょっと躊躇ってる感じするしな」
シエリはしばらく黙っていたが、やがてそっと紅茶を置いて、窓の外に視線を向けた。
「……人はね、変化そのものより、“変化を隠そうとするとき”に違和感を残すものだよ」
「なるほどね……言い得て妙だな」
セセラはぼんやりと笑ったが、その目はどこか真剣だ。
「レイラが何を感じてるのかは、俺にはわかんねえ。でも──どんな相手でも、救ってくれた人には人間は心を許しちまうんだよ。たとえそれが……どんな過去を持っていても、な」
「……だからこそ、怖いのだ。正しさの中で育ってきた子が、初めて“正しさ以外の選択肢”に手を伸ばす時が来ると思うとね」
「……っ」
その言葉に、セセラは黙る。
答えを出すには、まだ少し早すぎた。
だがふたりの中に、確かに芽生えた感覚だけが、ゆっくりと積もっていた。
◇
その日の任務も無く、街から帰還したレイラ。簡単な報告を済ませたあと、沈みかかった夕陽に照らされる廊下を歩いていた。
何気なく休憩ラウンジの前を通りかかると──。
「おっ、ちょうどいいところにいた」
中からひょこっと顔を出したのは、セセラだった。
片手にはコンビニ袋。ラウンジのソファには食べかけの焼きそばパンと缶コーヒー。
「帰ってきたばっか? ちょっとだけお兄さんと話そーぜ」
「……別にいいけど」
「さんきゅー。ひとりでメシ食ってても暇だったもんで」
少し警戒しつつも、ソファの端にレイラは腰を下ろす。
セセラはすぐには何も言わず、ぐいっと缶コーヒーを呷ると──。
「……ふう……。で? 今日も何かあった?」
「え?」
「いや、ほら。散歩中とか。道端で犬に吠えられるとか、鳥にフン落とされるとか、チンピラに絡まれるとか、赤い髪のおっさんに声かけられるとか──」
「ちょ、最後のやつ……」
思わずレイラがツッコむと、セセラは「そっかー、やっぱ何もなかったかー」と腕を組みながらやけにあっさりした顔だ。
「……別に、普通だったよ」
「普通かぁ」
そしてニヤッと笑うセセラ。
食べかけだった焼きそばパンを手に取り、それをあっという間に食べ終えると──。
「なんか最近、妙にお前の『普通』が怪しい気がしてな」
「……なにそれ、失礼だなぁ……」
そう言いつつも、レイラは目線を少し逸らす。
「…………」
セセラは、すかさずその仕草を見逃さなかった。
「……まあ、いいんだけどよ。今んとこ元気そうだし。なんかあったとしても、俺が無理に聞く話じゃねえしな」
「…………っ……」
レイラは少しだけ戸惑ったようにセセラを見た。
いつもならうざったいくらいグイグイ聞いてくるくせに、今のセセラはなぜか妙に引いている。
「ただな」
と、セセラは缶コーヒーを持ったまま、ゆっくり続けた。
「何かあるなら、あんまりひとりで抱え込むなよ。お前さ、黙ってりゃバレねーと思ってるかもしんねえけど、案外バレてっから」
「っ……」
思わず、レイラの喉が鳴る。
「別に今言えとは言わねえし、言いたくねえならそれでもいい。ただ……間違える前に言え。それだけは言っとくわ」
「……うん」
レイラは静かに頷いた。
それ以上は、何も言わなかった。
セセラは立ち上がり、空になったコーヒーの缶をゴミ箱に放り込みながら軽く手を振る。
「じゃ、俺はもう1個パン買いに行ってくるから。おつかれぃ~」
「行ってらっしゃい……」
レイラはその背を見送りながら、小さく息を吐いた。
(……バレてる、か)
胸の奥──ほんの僅かな罪悪感が、微かに揺れる。
◇
──深夜。
照明の落ちた龍調査機関・資料室。
PCの画面だけが静かに光を放っている。
その前に座っていたのは──セセラ。
エナジードリンクの缶を片手に、モニターに表示された地図とスケジュール表を眺めていた。
(……やっぱ、変わってんな)
レイラの公式な外出記録や任務ログに、明らかな異常は無い。
だが、セセラは“数値”と併せて、“感覚”でも読み取る人間だった。
手元のタブレット端末のメモアプリには、最近のレイラの行動で気になったことが箇条書きされている。
・やけに出かける日が増えた
・帰ってきた後のテンションが平常より低いか、逆に妙に穏やか
・先生との会話を避け気味
・俺に何か隠してる目をしてる
・「何も無い」って言う時ほど、なんかある
・クソガキ度がちょっとアップ
「…………」
セセラは前髪をかき上げて、ふぅと煙草の代わりにため息を吐いた。
(ったく……俺の勘が外れてりゃそれでいいんだよ。でも──)
そしてタブレット端末の画面を切り替え、あるひとりの男の名を呼び出す。
──“ジキル:旧・龍因子研究班所属”。
(……あんたの名前が脳裏にチラついてしょうがねえ)
画面をゆっくりなぞりながら、セセラは旧ログからジキルの過去の出入り記録や、所在不明となる以前の勤務日誌を拾い出していく。
「…………」
──いつ見ても、龍に対する執着心、好奇心が異常だと思わされる文面。
(レイラ……、たぶん……気づいてんだろ)
(あいつが、リルの──)
「……ッ」
心の中で、言いかけた。
思考に焦りは無い。だが、このまま放っておく気にもなれなかった。
「あの野郎の顔……チラッと……見に行くか」
ぽつりと呟いたその一言は、まだ独り言に過ぎない。
だが、それが近い未来──“セセラが渦中のジキルに直接会いに行く”ことへと繋がる、最初の一歩だった。
PCを閉じ、最後にもう一度だけレイラの最近の記録を眺める。
そしてセセラは、苦い笑みを浮かべた。
(ほんと、お前ら……俺の手に負えるタマじゃねーよ……)
夜の静けさの中、資料室を出たセセラの足音だけが、廊下に響いていった。
◇
──翌日。
約束通り、待ち合わせ場所に現れたジキルに案内され、レイラは彼の研究所へと足を運んだ。
(……普通のビル……?)
街の外れ、少し古びた商業区の一角。
外観は白い外壁にグレーの扉、どこにでもあるような事務所ビルのようで、研究施設というにはあまりに“目立たなさすぎた”。
「案外、普通の研究施設なんだね」
レイラがそう言うと、ジキルはカードキーをかざしながら振り返った。
「でしょ? 見た目はね。でも中身は……ちょっと刺激的かも」
「……そういう言い方、やめてくれる?」
「え~、期待させたかっただけなのに」
冗談めかすように言いながら、ジキルは軽やかに扉を開ける。
中は空調が効いており、白を基調とした廊下が奥まで伸びていた。
無機質で静か。だが、どこか息苦しいような“閉ざされた空気”が、ほんのりと肌に纏わりつく。
(……本当に、“普通”の施設……?)
レイラは無意識に歩調を僅かに緩めていた。
──そんな時だった。
「…………」
ジキルが、ふと足を止める。
「……レイラちゃん。ひとつ、話しておきたいことがあるの」
「…………え?」
レイラは緊張したように立ち止まり、ジキルを見上げた。
「リルのことだよ」
「……!」
その名前に、レイラの背筋がピンと張る。
「……あの子に龍を封じたのは、オレだって言ったら、怒る?」
──あまりにもあっさりと。
「……え……!!?」
そして、淡々と。
「……ッ、なに……?」
目を見開いたレイラ。
信じたくない言葉に、胸の奥がざわつく。
しかしジキルはいつもの柔らかな笑みを崩さず、当たり前のように語り出した。
「当時はね、まだ実験も不完全でさ。でも、オレ自身も龍に憑かれてたのもあって、自分の子どもなら……もしかしたら耐えられるかもしれないって思ったんだ」
ごく自然に、軽い思い出話のように。
「……ッ、やだ……そんなの……」
言葉が震えるレイラ。膝が、ほんの少し揺れた。
「……やだ? リルは“被検体”。オレが残した記録もあるよ。まあ、結果的に失敗作だけどね」
「……失敗……っ……作……?」
「うん。あと数年もすれば、あいつは人間としての自我を失うだろうね。龍の影響で。それは成功とは言えない……」
「…………ッ……!!」
「ま、あの頃はまだオレ、慣れてなかったからさ。実験に」
冗談のように、自嘲しながら。
「だから、当初とは違う方向性で観察しようと思って。人間としての自我を失ってもいい、という方向でね。それであれば失敗作というのは一旦保留だ」
「……!!」
レイラの目が更に大きく見開かれ、瞳が揺れる。
言葉にならない悲鳴が、喉の奥で凍りついた。
「……っ、……自分の、子供を……人体実験に使ったの……?」
ようやく絞り出した声は、掠れていた。
ジキルは小さく首を傾げるようにして──それでも、笑顔のまま答える。
「そうだよ? 何かおかしい?」
「……っ、あなた……狂ってる……!!」
その瞬間、堰を切ったようにレイラは叫んだ。
声が震える。目元が熱くなる。
胸が押し潰されそうな怒りと、信じたくなかった現実に、体中の感情が悲鳴を上げていた。
「リルは、自分の存在に苦しんでるんだよ!? あなたが……その原因だったなんて……!!」
「ふうん……そうなんだ。苦しんでるのかァ……」
ジキルの声は、どこまでも他人事だった。
共感も、後悔も、感じられない。
ただただ、無邪気な顔で。
「……ッ……!」
レイラの手が、無意識にポケットの中の護身用ナイフへと伸びる。
しかし──。
(今は、まだ……ここでやるべきじゃない……)
僅かに震えた指が、柄を掴んだまま止まった。
力が、足りない。
証拠も、覚悟も。
──でも、この男は。
「怒ってる顔も、リアにそっくりだね」
「……ッ!!!」
その言葉に、レイラの怒りは再び爆発しそうになる。
ジキルはそれを、まるで面白がっているような目で見ていた。
「嫁にさ、そっくりなの。ずっと見ていたい」
ジキルのそれは、狂気。
純粋で、研ぎ澄まされた──異常。
その異常さを垣間見せたまま、続ける。
「レイラちゃん。あの子、リルはね、生きたまま龍を封じられた。死者に憑依するよりもずっと、ずっと危険なことだった。でも、あいつなら耐えられるって思ったんだ」
「……っ……」
「でもね、アレはやっぱり不完全だったみたいだ。自制が効かないこともあるし、使いすぎれば戻れなくなる。あいつは将来的に、ただの龍として暴走するかもしれない」
「…………!!」
「人の形を保てなくなって、ね」
レイラの唇がわなわなと震えた。
──そして、震える声で。
「……それでも……リルは、リルだよ……!」
「…………」
その言葉を聞いたジキルは──。
「フフ…………ッ……」
にこやかに目を細める。
「あんな人間でも龍でもねェ失敗作と、それでも友達でいたいのかよ?」
「黙れッ!!!」
怒声と共にレイラがナイフを抜き、ジキルへと飛びかかった──その瞬間。
「……止まれ」
突如響いた、低く抑揚の無い冷たい声。
「!?」
そして、どこからともなく銀色の髪をした男が、レイラの前に飛び出るように現れる──。
落ち着いた雰囲気の談話室で、セセラはコーヒーの入ったカップを片手にソファへ身を投げていた。
その向かいではシエリが紅茶を口にしながら、書類を捲っている。
やや沈黙気味な空気。
──そんな中で、セセラがふと呟いた。
「……なあ、先生……」
「うん?」
「……レイラってさ……なんか……最近、ちょっと変じゃね?」
紅茶を持つシエリの手が止まる。
「どんなふうに?」
「いや、別に大した話じゃねえんだけどさ……。なんかこう、気が抜けてるっつーか、妙に落ち着いてるっつーか……。あいつ、今までならもうちょっと鋭かっただろ?」
「…………ふむ」
シエリは顎に指を添えて、少しだけ考える素振りを見せた。
「……それ、悪い意味での落ち着き? それとも、何かに気を取られている?」
「後者、かなあ」
セセラは曖昧に答えながら、背もたれに深く寄りかかる。
「言葉で説明すんの難しいんだけどさ。……目の奥が遠いっていうか。今そこにいて、頭はちょっと違う場所にいるって感じ。……なんか考えてんだよ。ずっと」
「……ジキル?」
「…………」
シエリの問いは静かだった。
そしてセセラはため息混じりに笑う。
「はあ……やっぱ、そっち考えるよな。あの人と接触してから……レイラ、何か飲み込んでるように見えるんだよ」
「レイラ本人は何も言っていないのかい?」
「言うわけねーよ。今のあいつ、自分の感情を誰かに渡すの、ちょっと躊躇ってる感じするしな」
シエリはしばらく黙っていたが、やがてそっと紅茶を置いて、窓の外に視線を向けた。
「……人はね、変化そのものより、“変化を隠そうとするとき”に違和感を残すものだよ」
「なるほどね……言い得て妙だな」
セセラはぼんやりと笑ったが、その目はどこか真剣だ。
「レイラが何を感じてるのかは、俺にはわかんねえ。でも──どんな相手でも、救ってくれた人には人間は心を許しちまうんだよ。たとえそれが……どんな過去を持っていても、な」
「……だからこそ、怖いのだ。正しさの中で育ってきた子が、初めて“正しさ以外の選択肢”に手を伸ばす時が来ると思うとね」
「……っ」
その言葉に、セセラは黙る。
答えを出すには、まだ少し早すぎた。
だがふたりの中に、確かに芽生えた感覚だけが、ゆっくりと積もっていた。
◇
その日の任務も無く、街から帰還したレイラ。簡単な報告を済ませたあと、沈みかかった夕陽に照らされる廊下を歩いていた。
何気なく休憩ラウンジの前を通りかかると──。
「おっ、ちょうどいいところにいた」
中からひょこっと顔を出したのは、セセラだった。
片手にはコンビニ袋。ラウンジのソファには食べかけの焼きそばパンと缶コーヒー。
「帰ってきたばっか? ちょっとだけお兄さんと話そーぜ」
「……別にいいけど」
「さんきゅー。ひとりでメシ食ってても暇だったもんで」
少し警戒しつつも、ソファの端にレイラは腰を下ろす。
セセラはすぐには何も言わず、ぐいっと缶コーヒーを呷ると──。
「……ふう……。で? 今日も何かあった?」
「え?」
「いや、ほら。散歩中とか。道端で犬に吠えられるとか、鳥にフン落とされるとか、チンピラに絡まれるとか、赤い髪のおっさんに声かけられるとか──」
「ちょ、最後のやつ……」
思わずレイラがツッコむと、セセラは「そっかー、やっぱ何もなかったかー」と腕を組みながらやけにあっさりした顔だ。
「……別に、普通だったよ」
「普通かぁ」
そしてニヤッと笑うセセラ。
食べかけだった焼きそばパンを手に取り、それをあっという間に食べ終えると──。
「なんか最近、妙にお前の『普通』が怪しい気がしてな」
「……なにそれ、失礼だなぁ……」
そう言いつつも、レイラは目線を少し逸らす。
「…………」
セセラは、すかさずその仕草を見逃さなかった。
「……まあ、いいんだけどよ。今んとこ元気そうだし。なんかあったとしても、俺が無理に聞く話じゃねえしな」
「…………っ……」
レイラは少しだけ戸惑ったようにセセラを見た。
いつもならうざったいくらいグイグイ聞いてくるくせに、今のセセラはなぜか妙に引いている。
「ただな」
と、セセラは缶コーヒーを持ったまま、ゆっくり続けた。
「何かあるなら、あんまりひとりで抱え込むなよ。お前さ、黙ってりゃバレねーと思ってるかもしんねえけど、案外バレてっから」
「っ……」
思わず、レイラの喉が鳴る。
「別に今言えとは言わねえし、言いたくねえならそれでもいい。ただ……間違える前に言え。それだけは言っとくわ」
「……うん」
レイラは静かに頷いた。
それ以上は、何も言わなかった。
セセラは立ち上がり、空になったコーヒーの缶をゴミ箱に放り込みながら軽く手を振る。
「じゃ、俺はもう1個パン買いに行ってくるから。おつかれぃ~」
「行ってらっしゃい……」
レイラはその背を見送りながら、小さく息を吐いた。
(……バレてる、か)
胸の奥──ほんの僅かな罪悪感が、微かに揺れる。
◇
──深夜。
照明の落ちた龍調査機関・資料室。
PCの画面だけが静かに光を放っている。
その前に座っていたのは──セセラ。
エナジードリンクの缶を片手に、モニターに表示された地図とスケジュール表を眺めていた。
(……やっぱ、変わってんな)
レイラの公式な外出記録や任務ログに、明らかな異常は無い。
だが、セセラは“数値”と併せて、“感覚”でも読み取る人間だった。
手元のタブレット端末のメモアプリには、最近のレイラの行動で気になったことが箇条書きされている。
・やけに出かける日が増えた
・帰ってきた後のテンションが平常より低いか、逆に妙に穏やか
・先生との会話を避け気味
・俺に何か隠してる目をしてる
・「何も無い」って言う時ほど、なんかある
・クソガキ度がちょっとアップ
「…………」
セセラは前髪をかき上げて、ふぅと煙草の代わりにため息を吐いた。
(ったく……俺の勘が外れてりゃそれでいいんだよ。でも──)
そしてタブレット端末の画面を切り替え、あるひとりの男の名を呼び出す。
──“ジキル:旧・龍因子研究班所属”。
(……あんたの名前が脳裏にチラついてしょうがねえ)
画面をゆっくりなぞりながら、セセラは旧ログからジキルの過去の出入り記録や、所在不明となる以前の勤務日誌を拾い出していく。
「…………」
──いつ見ても、龍に対する執着心、好奇心が異常だと思わされる文面。
(レイラ……、たぶん……気づいてんだろ)
(あいつが、リルの──)
「……ッ」
心の中で、言いかけた。
思考に焦りは無い。だが、このまま放っておく気にもなれなかった。
「あの野郎の顔……チラッと……見に行くか」
ぽつりと呟いたその一言は、まだ独り言に過ぎない。
だが、それが近い未来──“セセラが渦中のジキルに直接会いに行く”ことへと繋がる、最初の一歩だった。
PCを閉じ、最後にもう一度だけレイラの最近の記録を眺める。
そしてセセラは、苦い笑みを浮かべた。
(ほんと、お前ら……俺の手に負えるタマじゃねーよ……)
夜の静けさの中、資料室を出たセセラの足音だけが、廊下に響いていった。
◇
──翌日。
約束通り、待ち合わせ場所に現れたジキルに案内され、レイラは彼の研究所へと足を運んだ。
(……普通のビル……?)
街の外れ、少し古びた商業区の一角。
外観は白い外壁にグレーの扉、どこにでもあるような事務所ビルのようで、研究施設というにはあまりに“目立たなさすぎた”。
「案外、普通の研究施設なんだね」
レイラがそう言うと、ジキルはカードキーをかざしながら振り返った。
「でしょ? 見た目はね。でも中身は……ちょっと刺激的かも」
「……そういう言い方、やめてくれる?」
「え~、期待させたかっただけなのに」
冗談めかすように言いながら、ジキルは軽やかに扉を開ける。
中は空調が効いており、白を基調とした廊下が奥まで伸びていた。
無機質で静か。だが、どこか息苦しいような“閉ざされた空気”が、ほんのりと肌に纏わりつく。
(……本当に、“普通”の施設……?)
レイラは無意識に歩調を僅かに緩めていた。
──そんな時だった。
「…………」
ジキルが、ふと足を止める。
「……レイラちゃん。ひとつ、話しておきたいことがあるの」
「…………え?」
レイラは緊張したように立ち止まり、ジキルを見上げた。
「リルのことだよ」
「……!」
その名前に、レイラの背筋がピンと張る。
「……あの子に龍を封じたのは、オレだって言ったら、怒る?」
──あまりにもあっさりと。
「……え……!!?」
そして、淡々と。
「……ッ、なに……?」
目を見開いたレイラ。
信じたくない言葉に、胸の奥がざわつく。
しかしジキルはいつもの柔らかな笑みを崩さず、当たり前のように語り出した。
「当時はね、まだ実験も不完全でさ。でも、オレ自身も龍に憑かれてたのもあって、自分の子どもなら……もしかしたら耐えられるかもしれないって思ったんだ」
ごく自然に、軽い思い出話のように。
「……ッ、やだ……そんなの……」
言葉が震えるレイラ。膝が、ほんの少し揺れた。
「……やだ? リルは“被検体”。オレが残した記録もあるよ。まあ、結果的に失敗作だけどね」
「……失敗……っ……作……?」
「うん。あと数年もすれば、あいつは人間としての自我を失うだろうね。龍の影響で。それは成功とは言えない……」
「…………ッ……!!」
「ま、あの頃はまだオレ、慣れてなかったからさ。実験に」
冗談のように、自嘲しながら。
「だから、当初とは違う方向性で観察しようと思って。人間としての自我を失ってもいい、という方向でね。それであれば失敗作というのは一旦保留だ」
「……!!」
レイラの目が更に大きく見開かれ、瞳が揺れる。
言葉にならない悲鳴が、喉の奥で凍りついた。
「……っ、……自分の、子供を……人体実験に使ったの……?」
ようやく絞り出した声は、掠れていた。
ジキルは小さく首を傾げるようにして──それでも、笑顔のまま答える。
「そうだよ? 何かおかしい?」
「……っ、あなた……狂ってる……!!」
その瞬間、堰を切ったようにレイラは叫んだ。
声が震える。目元が熱くなる。
胸が押し潰されそうな怒りと、信じたくなかった現実に、体中の感情が悲鳴を上げていた。
「リルは、自分の存在に苦しんでるんだよ!? あなたが……その原因だったなんて……!!」
「ふうん……そうなんだ。苦しんでるのかァ……」
ジキルの声は、どこまでも他人事だった。
共感も、後悔も、感じられない。
ただただ、無邪気な顔で。
「……ッ……!」
レイラの手が、無意識にポケットの中の護身用ナイフへと伸びる。
しかし──。
(今は、まだ……ここでやるべきじゃない……)
僅かに震えた指が、柄を掴んだまま止まった。
力が、足りない。
証拠も、覚悟も。
──でも、この男は。
「怒ってる顔も、リアにそっくりだね」
「……ッ!!!」
その言葉に、レイラの怒りは再び爆発しそうになる。
ジキルはそれを、まるで面白がっているような目で見ていた。
「嫁にさ、そっくりなの。ずっと見ていたい」
ジキルのそれは、狂気。
純粋で、研ぎ澄まされた──異常。
その異常さを垣間見せたまま、続ける。
「レイラちゃん。あの子、リルはね、生きたまま龍を封じられた。死者に憑依するよりもずっと、ずっと危険なことだった。でも、あいつなら耐えられるって思ったんだ」
「……っ……」
「でもね、アレはやっぱり不完全だったみたいだ。自制が効かないこともあるし、使いすぎれば戻れなくなる。あいつは将来的に、ただの龍として暴走するかもしれない」
「…………!!」
「人の形を保てなくなって、ね」
レイラの唇がわなわなと震えた。
──そして、震える声で。
「……それでも……リルは、リルだよ……!」
「…………」
その言葉を聞いたジキルは──。
「フフ…………ッ……」
にこやかに目を細める。
「あんな人間でも龍でもねェ失敗作と、それでも友達でいたいのかよ?」
「黙れッ!!!」
怒声と共にレイラがナイフを抜き、ジキルへと飛びかかった──その瞬間。
「……止まれ」
突如響いた、低く抑揚の無い冷たい声。
「!?」
そして、どこからともなく銀色の髪をした男が、レイラの前に飛び出るように現れる──。
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精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
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