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コヨタ

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第26話 愛するという渇き

第26話・1 あの人と話してみたい

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 新たな龍の発生は、先日のレイとリウの討伐を境にぴたりと沈静化していた。
 龍調査機関の職員たちは、束の間の平穏を機にデータ整理や経過観察、普段は行き届かない細かい箇所の清掃等に精を出している。

 そんな中、フロアの隅でそっと小さく息を吐いているひとりの女性職員の姿。

「……ふぅ……」

 肩までの落ち着いた茶髪、控えめなメイク、シンプルな眼鏡。
 白衣のポケットに書類をしまいながら、廊下をすれ違う職員たちに頭を小さく下げて挨拶。

 名は、真壁まかべアオイ。年齢はおそらく30手前。
 臨床データの分析や報告の補佐を担う、静かで目立たない存在だ。

 しかし真壁は、ひとつだけを抱えている。

 ──薊野セセラ、という人物の存在。

「あ……っ」

 廊下の角を曲がった瞬間に見つけた、スラッとした後ろ姿。

 まさにそのセセラが、端末を片手に歩いている。今日は白衣を羽織っておらず、シャツの袖をまくっただけのラフな出で立ちだった。

「…………」

(……今日も、カッコいいな……)

 そう思ってしまう自分自身を心の中で叱る。

(ダメダメ……業務中にこんな……)

 だが。

 セセラはふと立ち止まり、「……ん?」と真壁の方へ振り返った。

 バチッと合う視線。

「…………っ!」

 真壁は思わず、頭を下げる。

「お、お疲れ様です……!」

「あー……ああ、お疲れ」

 気怠げに手を軽く挙げるセセラ。そのまま歩き去っていく。

「…………」
  
 真壁はその背中が見えなくなるまで、じっとその場に立ち尽くしていた。

(……はぁ……話すなんて、無理だよね……)

 胸の中で、小さな火が燻っている。
 それは恋か、憧れか。

 それとも──。

 職務に戻らなければと歩き出す真壁。
 しかしその背中からは、何気ない日常に小さな異変が芽吹いているようだった。

 そして、真壁の中で静かに積み重ねられていた想いが、ひとつの行動へと繋がることになる。

 その行動は、Z.EUSゼウスの目を惹く隙となるか。

 あるいは、全く別の波紋を呼ぶものとなるか──。


 ◇


「……これ、この前の戦闘記録……」

 解析室で真壁は、画面に映るリルのデータを整理しながらメモを取っていた。
 その奥のタブレット端末には、セセラが指示していた検査項目が並ぶ。

(……紅崎さん、本当にすごい……あの状態で、任務に出て、帰ってきて……)

 尊敬。憧れ。
 そして、少しの羨望。

 だがその意識は、そこにはあまり長く留まらなかった。

 ──バサッ……

「……っ」

 机の下のファイルが1冊、滑り落ちる。
 しゃがみ込んで拾い上げようとした──そのとき。

「……?」

 足元の床。
 ふと、そこに小さなのようなものが一瞬揺らいだ気がした。

(…………?)

 気のせいかと首を傾げる。
 だが──その一瞬、真壁の背筋に冷たいものが走った。

 ……心臓の音が、唐突にひとつだけ大きく跳ねる。

(な……んだろう……?)

 ドクンと脈打つ胸。
 それは緊張か、不安か、判別がつかなかった。

「真壁さーん? すみませーん! 昨日の追加データ確認お願いできます?」

 別の職員からの声に、ハッとして立ち上がる。

「っ、あ、はいっ……すみません、すぐに……!」

 慌ててファイルをまとめて歩き出す真壁。

 しかしその背後──。

 彼女の机の下には、誰のものでもないはずの“影”がほんの一瞬そこに留まり──そして静かに消えていった。

 ……それはまだ、誰の目にも映らない。

 “それ”は、まだ名前すら持たない。

 だが、は感じていた。

 この女は、寂しい。

 この女は、脆い。

 この女は──強い想いを、持っている。

 その感情を、もっと膨らませてくれれば──食べられる。

 それは、音も無く“感情の匂い”を追って、静かに動き始めた。


 ◇


「……じゃあ、今日はここまでやって終わりな」

「ん……!」

 レイラは右腕を丁寧に動かしながら、リハビリメニューをこなしていた。その隣でセセラは気楽そうに椅子へ腰掛け、タブレットをいじっている。

「……だいぶ善くなったな」

「うん。……もうすぐ剣も握れるかも」

 笑ってみせるレイラに、セセラは小さく頷いた。

「お前が怪我してくたばってた時、リルがどんだけ焦ってたか。あん時こそ検査すりゃよかったわ、脈とか絶対おかしかった」

「……ふふ、そんなに?」

「お前のことになると、あいつ極端だからなァ」

「……っ……」

 レイラは少し照れたように笑いながら、「……皆がいてくれてよかった」と小さく呟く。

 その言葉にセセラは驚いた顔を見せた後、フッと目を細めて「……なんだよ、素直じゃん」とからかうように返した。

「んじゃ、ちょっと……そんなリルちゃんのとこ行ってくるわ」

「あ、……うん。お疲れさま……」


 ◇


 ──同時刻、休憩ラウンジ。

(……ねむ……)

 ソファに沈んでいたのは、リル。

 検査も任務も龍の発生も無い自由時間。
 レイラがリハビリしている間、リルは暫しの休息を取っていた。

 すると──カラン、とグラスの音。

「よぉ、おつかれ……これ俺からのサービスな」

 挨拶と共にセセラが現れ、テーブルにグラスを置いていく。中身は冷えた緑茶。

「……お、薊野さん優しいじゃん」

「俺も反省したんだよ。胃カメラはやりすぎた」

「やりすぎだわ。二度とやりたくねえよ」

「またいつかやるけどな」

「……最悪」

「俺ももうすぐ健康診断あるわ。最悪」

「うわめっちゃ見に行きてえ」

「ダメでーす」

 他愛ない会話でふたりがケラケラと笑い合う、その空間はとても穏やかだった。

 そして、そっとセセラたちの様子を遠巻きに眺めているひとりの女性職員。

 ──真壁。

 ガラス越し。視線を合わせることすら、できない。

(……やっぱり……素敵な人……)

 聡明で、冷静で、厳しくて。
 なのに、時折見せるあの優しい姿。

(……あんな風に笑うんだ……)

 レイラやリルに見せるセセラのその笑顔が、あたたかいものだと知ってしまった。

 その事実が、胸の中をチクリと刺す。

(……私、薊野さんのあんな笑顔……、目の前で見たことない)
  
 指先がギュッとファイルの角を掴んだ。

 その瞬間、背後で──ような感覚が走る。

「……っ……?」

 振り返る。

 ……誰もいない。

 だが、誰かが、確かに共鳴している。

 真壁の中の、もっと近づきたい、振り向いてほしい──そんな想いが静かに……だが確実に膨らんでいた。

 はまだ、小さな渦。

 しかし確かに真壁の想いをいた。

 この女が抱える一方的な感情は、とても甘く、深く、香る。

 ──もっと。

 ──もっと欲しい。

 それは形を持たぬまま、真壁の背後に寄り添っていた。


 ◇


 ゆるやかな風が吹く夕刻の中庭。

 花壇のチューリップが揺れ、木陰のベンチにはレイラとリルの姿。

「……あ、見て。あの猫、また来てる」

 レイラが指で指す先には、中庭のぬし(?)らしい野良猫が。
 リルはちらりと目を向けて、「ああ、昨日もいたな」とぼそり。

「名前つける?」

「やめとけ。情が移る」

「……ふふ。そういうとこ、優しいよね」

「うっせ」

 やり取りはいつも通り。けれど、そこに漂う空気はあたたかい。

 レイラの右腕はもう固定具が外れていた。
 リルも、どこか表情に柔らかさが戻っている。

「……あのさ、リル」

「ん」

「また……一緒に任務、出れるといいね」

 その言葉にリルは数秒沈黙したあと、ふっと目を細めた。

「……そうだな。今なら、ちゃんと戦えそうだ」

(……あの時、ブッ壊れたオレが、こうして今ここに座ってるのは……)

 レイラが隣にいたからだ。
 何も言わず、何も責めず、傍にいてくれたから。

「お前……マジで、ありがとうな」

「え?」

「ん、なんでもない。猫逃げるぞ」

「えっ! あっ、待って!」

 猫を追いながら中庭の奥へと駆けていくレイラを、薄く微笑みながら見つめるリル。

「…………」

 ──カツ、カツ……と小さく響くヒールの音。

 真壁は、レポートを提出するため廊下を歩いていた。

 途中、窓から見えたベンチ。
 そこで肩を並べるふたりの姿。

(……レイラちゃんと、紅崎さん……)

 あの距離感。
 あの自然なやり取り。

(……ああいうの、いいな……)

 に、なりたいわけじゃない。
 でも、誰かのにいられるって──羨ましかった。

 そして、その一瞬。

 不意に耳元で、誰かが囁いたような錯覚。

(──『いいの? そのままで……?』)

「……っ!?」

 目を見開く。
 誰も、いない。

 だが、“感情”の奥底に、小さなヒビが入った。

(──『薊野セセラさんがもし、誰かと特別な関係になったら?』)

「…………!!」

(……その時、私は……どうすれば……)

 一瞬だけ、資料を持つ手が震える。

 静かに蠢く、黒い“輪郭の無いもの”は、真壁の背後にまた一歩近づいた。

(──『もっと、近づきたいんでしょう?』)

「…………!!!」

「……あれ、真壁さん?」

 低めの声に振り返る真壁。
 声の主は、同じ解析班の同僚・八島やしま

「こんな時間まで残ってたんですか?」

「え……あ、うん。ちょっと整理が立て込んでて」

 そう微笑んで返す真壁だが、八島はふと眉を寄せる。
 真壁の頬が、少しやつれて見えたからだ。

「最近……寝てます? なんか、顔色悪いような」

「……ふふ、大丈夫だよ。気にしないで」

(──そう。気にしないで。気にされたら困るの)

 真壁の瞳は笑っているのに、どこか芯が冷たいような、不自然さがあった。

 八島はそれ以上言えず、「お疲れさまです」とだけ告げて去っていく。

 残された真壁はそっと資料の束を抱え──。

「……誰にも、渡さないから……」

 低く、呟いた。

「……ッ、くしっ……」

 その少し奥の廊下で可愛らしいくしゃみをひとつしたのはセセラ。
 ズビ、と鼻をすすりながら腕組みで歩いていると、誰かが中庭を見ているのが見えた。

 白衣、茶髪の後ろ姿──真壁だ。

「…………」

 セセラは、なんとなく違和感を覚えた。
 ただの職員のひとりにしては、どこか雰囲気が張り詰めていたような──。

(……気のせい、か)

 頭を軽く振る。
 今は、リルやレイラの回復の方が優先だ。

 だがその背に、知らぬうちに視線が向けられていたことには、まだ気づいていない。


 ◇


 ──翌日。

 朝のリハビリを終えたレイラ。右腕を軽く振りながら、リルと並んでロビーのベンチに腰掛けていた。

「ふー……もう随分、動かせるようになったよ」

「……無理すんなよ。もうちょいで善くなりそうだからって、調子乗ってやるとまた痛める」

「わかってるってば。……あ、心配してくれた?」

「してる」

「っ、あぇ?」

 素直な言葉に素っ頓狂な声を上げたあと、レイラは頬を染めて「……へへ」と小さく笑う。

 一方のリルは、今日も体調が善さそうだった。
 表情も穏やかで、ほんの少しだけ目元の鋭さが和らいで見える。

「あ、ねえ……そういえば……、最近ラショウは?」

「……家のことが忙しいんだと。あー……でも午後からは空くかもな」

「……そっか……!」

 ふたりの間に流れる風は、柔らかかった。
 まるで、一時の安らぎを象徴するように。

 だが──。

 解析室にて真壁は、端末に表示される数値をじっと見つめていた。

(……また、変動してる。……でも……この反応、どこにも該当データが無い)

 正規の解析網には何も引っかからない。
 だが確かに、付近にがいる。

「…………!」

 指先が震えた。
 しかしその震えに気づかないまま、真壁は壁にかかる時計に目をやる。

(……もうすぐ……お昼休憩……)

 と、そのとき。

「真壁さん、お疲れさまです!」

 同僚の八島が、明るい声で声をかけてきた。

 が──。

「………………ああ」

 一拍ののあと、応じる真壁。その笑みは変わらない。

 ただ、声色がどこか──無機質だった。

 八島は「?」と小さく首を傾げたが、気のせいと思い直して立ち去っていく。

 ……その後ろ姿を、真壁はずっと見つめていた。

(余計なこと言わないで……)

 真壁の背後、誰にも見えない黒い影が小さく蠢いていた。
 まるでその心の奥底に巣食う“想い”を、味わうかのように。


 ◇


 午後の医療棟。

「……っつーわけで、リル……後日また検診の延長分あるからな。逃げんなよ」

「え、また? 薊野さんあんたどんだけ細かいんだよ……」

「俺史上最も緻密に構成された地獄メニューって言ったろ?」

 リルとセセラのやり取りは、今日も通常運転。

 そこへタイミングを見計らったように、レイラがやってきて合流した。

「ふたりとも……いつもそんなやり取りしてるね」

「……まあな。このおっさんだってオレにとっちゃ……西城家の他にできた家族みてえなもんだし」

「えッ……!!」

 やや照れながらのリルの言葉に、セセラは口元を両手で押さえて目をキラキラ。

「……恥ずい……やっぱ、ナシ」

「り、リル……! お前……!! 抱きしめていい!?」

「野郎に抱きつかれたって嬉しくなんかな──うわッ……!!」

 その兄弟のようなやり取りに、「ふふ……っ」とレイラが笑う。

 リルを半ば強引に抱き締めながら(もはや拘束技)、セセラは内心で──。

(……そうだな。こいつらが、ちゃんと笑えてる今のこの時間が……一番、守るべきもんだ)

 そう、思わずにはいられなかった。

 ──その頃、真壁の端末にはひとつの“新しい警告ログ”が表示されていた。

【感情干渉体反応──未分類領域。識別不能】

 警告音は鳴らない。画面の隅に、小さくが記録されたまま、誰にも気づかれない。

「……ふふ…………」

 ひとり微笑む真壁。

(……、今、何してるんだろう……)

 そして、真壁の背後。
 その黒いが、静かに口元だけを吊り上げた。



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