8 / 133
第3話 仲直りの報告
第3話・1 もう仲直りしたので
しおりを挟む
龍調査機関の夕刻、柔らかな夕陽のオレンジで廊下が染められている。
西城家から帰ってきたレイラは、休憩ラウンジの隅に目を留めた。
そこにはソファに深く腰掛け、缶コーヒーを片手に気怠そうにしている男──薊野セセラ。
「…………」
(……今なら、声かけやすいかも)
ゆっくりと歩を進めて入室し、レイラは少し遠慮がちに声をかける。
「……薊野さん。お疲れさま」
「んあ~? ……ああ、レイラか……」
頭を起こすでもなく、視線も向けず、指先だけをひらひらさせての返事。
見るからに「今は面倒くさい」と手で語っていた。
「…………」
だが、レイラはそれでも進んで、セセラの真横に立つ。
「……あの、私とリル……」
少し頬を掻きながら、恥ずかしそうに、でもちゃんと前を向いて。
「別に……気を遣わなくて大丈夫、なので……」
ぼそっ。
声が小さすぎた。
「……あ? 何?」
片目だけ開けて聞き返すセセラ。
本当に聞こえなかったらしい。
「……っ」
レイラは軽く息を吸って、今度ははっきりと。
「私とリル、仲直りしたので!」
声はきっぱり、胸を張って。
けれどちょっとだけ、頬が赤い。
「…………は?」
ついにセセラの両目がぱちりと見開いた。
「マジで? ……あのリルと?」
「はい」
「へぇ~~~~……」
興味深そうにセセラは眉を上げる。
「よくあいつとそんな心通わせることできたな。素直に感心するわ」
「……じつはさっき、リルの“友達”……っていう人の家に、お邪魔する機会があって……」
レイラが話し始めたところで──。
「ああ、西城家ね」
コーヒー片手に、あっさりと遮ったセセラ。
レイラは一瞬言葉を止める。
(……話、遮られた……)
だが腹は立たなかった。ただ、不思議そうに首を傾げる。
「知ってるの?」
「まーな。リルのことだし、あの家には世話になってる。俺もちょっとだけ……関わりあるから」
缶コーヒーの残りをひとくち飲み干しながら、セセラは視線を逸らす。
レイラは、静かにその横顔を見つめた。
(……やっぱり、みんな何かを背負ってる)
そして、それでも支え合って生きてる。
そんな実感が、心の中で静かに重なった──そのとき。
「西城家か~~~、へぇ……」
セセラはコーヒーの空き缶を振りながらニヤリと口の端を上げて、隣に座ったレイラに問い始める。
「じゃあお前、あの兄貴とも話したのか? 西城の王子様と」
「……え、うん」
レイラはセセラのその様子に少し表情をひきつらせながら答えた。
「ラショウのお兄さん……アシュラ、さん。すごく、丁寧な人だったけど……」
「だろな」
ふっと鼻で笑うセセラ。
「俺、何回も話したことあるけど……あれは人間辞めてんじゃねえかってレベルで完成されてるぞ。見た目、言葉遣い、背筋、空気。あれで弱点あったら嘘だろって思うもん」
「……いや、ほんと……そう思う……」
レイラは思わず同意してしまった。
「でもまあ、強すぎる兄貴がいても、家族ってのはバランス取れるもんで」
「?」
「たまに機関に来てるだろ、西城の妹が」
「あ、うん。ラショウ……?」
「あれ、リルがウチにいるときは、ああやって度々顔見せに来んだよ。熱心なもんだよな~、俺らにまで菓子折り持ってきたりしてよ」
そう言いながらセセラは空き缶をゴミ箱に捨てると、再び脚を組んで座り直す。
「で、あの可憐っぷりだろ? 男共は裏でデレデレしまくってるしな。『今日も来てたあ~♡』って。まるでアイドルだぜ、ほんと」
「……ふふっ」
レイラはセセラの語り口に思わず笑ってしまった。
(確かに、ラショウは可愛いし、優しいし……)
「……でも、それならラショウだけじゃないと、思う」
「ん?」
「……シエリ先生もそうだし、……“ラルト”さんも、綺麗で。なんていうか、アイドルみたいな……」
「……へぇ……また褒め上手になったな、お前」
セセラが笑ったそのとき、ひとりの足音が近づいてくる。
「お疲れさまです~……あら、偶然だねぇ」
ふわりと現れたのは、長い金髪をやわらかく揺らす美女。
ゆったりとした白衣の下に、上品な青緑色のタートルネックと白いスカートを重ね着したスタイル。
彼女こそ、今レイラが口に出した『葉室ラルト』だ。
「あ、ラルトさん。お疲れさまです」
レイラは立ち上がってぺこりと頭を下げる。
「お疲れさま、レイラちゃん。今日は薊野さんと一緒に休憩してたんだね」
柔らかい声に、微笑みが添えられていた。
(……やっぱりこの人も、綺麗。声まで柔らかくて……アイドルっていうか、妖精みたい)
そんなことを考えながらも、レイラはにこっと笑って頷いた。
ラルトはゆったりと腰を下ろし、ポーチからスリムなケースを取り出す。
(え?)
取り出したのは、煙草とライター。
ラルトの初めて見たその所作は丁寧で、動きに無駄が無かったけれど──。
レイラの脳内にあった“ラルト像”が、ほんの少しだけぐらついた。
(あ……アイドルは……煙草、吸わないか……)
ちょっとだけショック。でも、妙にらしい気もした。
セセラがニヤ~としながら肩を揺らす。
「驚いたろ? おっとりしててヤニ吸いとか、ラルトのギャップ強ぇもんな」
「……いえ、似合ってないわけじゃ……ないです」
レイラがそう言うと、ラルトは少しだけ微笑んだ。
「ありがとう、レイラちゃん。吸わない人の前じゃなるべく控えてるつもりなんだけど……どうしても、休憩中は手が伸びちゃって」
その言葉にも、どこか可憐さがある。
(……不思議な人)
そう思いながら、レイラはじっとラルトを見つめていた。
そんなラルトはゆったりと微笑んだまま煙草に火をつける。
「……ふぅ。休憩、いい時間だね」
紫煙を吐きながらそう言うラルトに、セセラはふん、と鼻を鳴らした。
「ここのところ現場出てたんだっけ。おつかれ、ラルト」
「ありがとう、薊野さん」
その自然すぎるやり取りに、レイラはほんの一瞬だけ首を傾げる。
(このふたり……なんだろう、いつも妙に空気が落ち着いてるんだよね)
セセラは新しい缶コーヒーをテーブルに置き、気怠そうに言葉を続けた。
「それにしても……お前も知ってる? 西城家の妹が、よくこっち来てんの」
「ラショウちゃんのこと? ……うん、もちろんそれは知ってるけど……」
「菓子折りの天使って、裏で呼ばれてんだぜ」
言いながら、わざとらしく感心したように天井を仰ぐセセラ。
「男共が『今日も来たあ!』『受け取った菓子折りのパッケージ取っとけばよかったあ!』って騒いでんの、マジで情けねえよ」
「ふふふ……っ、それは知らなかったな。菓子折りの天使って。なんだかラショウちゃんらしいね」
ラルトの言葉にレイラがくすっと笑うと、ラルトもまた穏やかに微笑んだ。
「でも、そんなふうに可愛がられてるってことは、良いことだよ」
「そうそう。可愛いし優しいし、アイドルって言われても納得──」
レイラが言いかけたそのとき、ふとラショウの話の流れで当初の目的を思い出す。
(あ……そうだ。もともと、これを言いに来たんだった)
「……あの、薊野さん」
「んー」
「さっきの話。リルのこと、伝えたかっただけだったから……。私、そろそろ戻るね」
「おー、おつかれ。報告どーもな」
セセラはあくまでいつも通り、めんどくさそうに見えながらも、ちゃんと礼を返した。
レイラは立ち上がりながら、ラルトにも軽く会釈する。
「じゃあ、またあとで。……お疲れさま、ラルトさん」
「お疲れさま、レイラちゃん。いい午後を過ごしてね」
その穏やかな言葉に送られて、レイラはラウンジを後にした。扉が閉められると、残されたふたりの間にほんの少しだけ間が空く。
「……あいつ、だいぶ変わったな」
「レイラちゃん?」
「ああ。あの頃の全然喋らねぇ冷徹ガキとは別人みてえだ」
「ふふ……成長、だね」
煙草の煙が静かに流れるなか、静かな午後の時間がまたゆっくりと流れていく。
「……ふふふっ……♪」
ラルトがもう一度、小さく、それでいて楽しそうに笑った。
「お前さっきから何がそんなにおかしいんだよ」
脚を組んだままセセラは肩を伸ばしてソファに寄りかかると、ラルトは少しだけ首を傾けて、やわらかく答える。
「ううん。なんかね、懐かしいなと思って」
「懐かしい?」
「レイラちゃんみたいな人見知りだった子が、少しずつ人と話せるようになって、それを薊野さんが、ちゃんと変わったなって言葉にしてあげてるところとか……」
ラルトはそう言って、トンッと灰をゆっくり灰皿に落とした。
「昔も、よくそうやって──あの子……リルくん、ちょっと笑うようになった、とか……。今はあんなこと話すようになった、とか……言ってたよね」
「……俺が?」
「うん。冷たそうに見えて、ちゃんと見てるって。……今も変わらないなって思ったよ」
セセラは鼻で笑った。
「よく見てりゃ、見えてくるだけだろ。誰でもそうだ」
「そういう風に言うのも、変わらないね」
「……あ゙?」
ラルトは微笑んだまま、返事はしなかった。
ほんの数秒、静寂が降りる。
ラルトは少しだけ体勢を変えて、煙を遠くへ流すように吐き出した。
「……レイラちゃんのこと、ちょっと心配だったの。きっと、リルくんと似た痛みを持ってるって……前から思ってたから」
「……ああ」
短く相槌を打つセセラ。
「でも……今のレイラちゃん、あんな風に『仲直りした』なんて言えるようになったんだね」
「強がりかもな。けど、それでも言えたなら大したもんだろ」
「うん、そうだね」
また、煙が静かに揺れた。
まるでふたりの間に横たわるもの──それが見えるような、見えないような。
ラルトはふと、空を見上げるような目をして。
「……ねえ、薊野さん」
「ん?」
「リルくんも、レイラちゃんも、きっとこれからもっと変わっていくよ」
「そうだな」
「……私たちは、ちゃんと見ていられるかな?」
「さあな。……でも、そういう役だろ、俺ら」
「……ふふ。そうだったねえ」
煙の香りと、コーヒーの香り。それらが静かに溶け合う中、ふたりの時間は少しだけ静かに、少しだけ優しく過ぎていった。
煙が切れる音と共に、ラルトは吸い終わった煙草を灰皿に静かに置く。
「……変わっていくの、見ていたいな。でも、少しだけ……私、羨ましいのかもしれない」
そう呟いた言葉は、空気に溶けるように淡い。
セセラは隣で黙っている。けれどその無言が彼なりの傾聴だというのは、ラルトにはわかっていた。
「……今の私は、何を残せてるんだろうって、考える時があるよ」
「残す、ねぇ」
セセラは缶コーヒーを傾けながら呟く。
「大して役にも立たねえ人生だったら、それこそ残す価値なんて無いだろ」
「……そんな言い方するところも、ほんと変わらないんだから」
ラルトは苦笑して、ほんの少しだけ、セセラの方を見た。
「でも……あなたが今も、ちゃんと誰かのこと見てるの、私……嬉しいよ」
「…………」
その一言に、セセラの手が止まる。
ラルトは視線を戻し、まっすぐ前を見つめたまま静かに続けた。
「……昔は、そんなに見てなくてもいいじゃんとか思ってた。あなたが見てるのが、私じゃなかったから」
静かだった。空調の音すら、聞こえないほど。
セセラは何も言わなかった。
ただ、目を伏せて、缶を静かにテーブルに置く。
ラルトはその横顔を見なかった。それが今の“ちょうどいい距離”なのだと、どこかで理解していたから。
「もう少し、ここで休憩していくね」
立ち上がるわけでもなく、ラルトは微笑む。
「……ねえ、薊野さん」
「……なんだよ」
「今も、あのマグカップ……使ってる?」
──数秒の沈黙。
「…………」
セセラは極僅かに、目線を逸らした。
「……割ってねえよ」
それだけの返事。それ以上、何も言わない。
だが──その一言で、ラルトの表情がほんの少しだけ柔らかくなる。
「ふふ。……そっか」
それで、十分だった。
◇
廊下に出たレイラは、ゆっくりと足を運びながら、静かに息を吐いた。
(……伝えた)
ほんの数分のやり取りだったのに、肩の力が抜けて、思わず壁にもたれかかってしまう。
(言えて、よかったのかな)
けれど、自分があのとき「仲直りした」と言い切れたことを、どこかで誇らしくも思っていた。
──「リル」と呼べるようになった。
ただそれだけで、ほんの少し世界の見え方が変わった気がする。
(……仲良く、なれるかな。本当に)
廊下の向こう、白く磨かれた窓ガラスにぼんやりと映る自分の顔。
気の強そうな目元。揺れる水色の髪。
普通の女の子とは少し違う──でもこれが、今の私。
(龍に憑かれてる私が、誰かと関わっていいのかって、ずっと思ってたけど……)
──でも、関われた。
そう思うだけで、ほんの少しだけ胸があたたかくなった。
「……あれ、レイラさん?」
不意に背後から声がかかる。
振り返ると、機関の研究員のひとりが手帳を抱えて立っていた。
「あ、今ちょうど探してたんです。検査データの確認、薊野さんから頼まれてて」
「……うん、わかった。行く」
「ありがとうございます!」
軽く会釈されて、レイラは再び歩き出す。
胸の中に残ったのは、確かな変化の種。
まだ知らないこと、怖いことはたくさんある。
でも、“誰かとわかり合える”という選択肢がある限り、前に進める気がした。
西城家から帰ってきたレイラは、休憩ラウンジの隅に目を留めた。
そこにはソファに深く腰掛け、缶コーヒーを片手に気怠そうにしている男──薊野セセラ。
「…………」
(……今なら、声かけやすいかも)
ゆっくりと歩を進めて入室し、レイラは少し遠慮がちに声をかける。
「……薊野さん。お疲れさま」
「んあ~? ……ああ、レイラか……」
頭を起こすでもなく、視線も向けず、指先だけをひらひらさせての返事。
見るからに「今は面倒くさい」と手で語っていた。
「…………」
だが、レイラはそれでも進んで、セセラの真横に立つ。
「……あの、私とリル……」
少し頬を掻きながら、恥ずかしそうに、でもちゃんと前を向いて。
「別に……気を遣わなくて大丈夫、なので……」
ぼそっ。
声が小さすぎた。
「……あ? 何?」
片目だけ開けて聞き返すセセラ。
本当に聞こえなかったらしい。
「……っ」
レイラは軽く息を吸って、今度ははっきりと。
「私とリル、仲直りしたので!」
声はきっぱり、胸を張って。
けれどちょっとだけ、頬が赤い。
「…………は?」
ついにセセラの両目がぱちりと見開いた。
「マジで? ……あのリルと?」
「はい」
「へぇ~~~~……」
興味深そうにセセラは眉を上げる。
「よくあいつとそんな心通わせることできたな。素直に感心するわ」
「……じつはさっき、リルの“友達”……っていう人の家に、お邪魔する機会があって……」
レイラが話し始めたところで──。
「ああ、西城家ね」
コーヒー片手に、あっさりと遮ったセセラ。
レイラは一瞬言葉を止める。
(……話、遮られた……)
だが腹は立たなかった。ただ、不思議そうに首を傾げる。
「知ってるの?」
「まーな。リルのことだし、あの家には世話になってる。俺もちょっとだけ……関わりあるから」
缶コーヒーの残りをひとくち飲み干しながら、セセラは視線を逸らす。
レイラは、静かにその横顔を見つめた。
(……やっぱり、みんな何かを背負ってる)
そして、それでも支え合って生きてる。
そんな実感が、心の中で静かに重なった──そのとき。
「西城家か~~~、へぇ……」
セセラはコーヒーの空き缶を振りながらニヤリと口の端を上げて、隣に座ったレイラに問い始める。
「じゃあお前、あの兄貴とも話したのか? 西城の王子様と」
「……え、うん」
レイラはセセラのその様子に少し表情をひきつらせながら答えた。
「ラショウのお兄さん……アシュラ、さん。すごく、丁寧な人だったけど……」
「だろな」
ふっと鼻で笑うセセラ。
「俺、何回も話したことあるけど……あれは人間辞めてんじゃねえかってレベルで完成されてるぞ。見た目、言葉遣い、背筋、空気。あれで弱点あったら嘘だろって思うもん」
「……いや、ほんと……そう思う……」
レイラは思わず同意してしまった。
「でもまあ、強すぎる兄貴がいても、家族ってのはバランス取れるもんで」
「?」
「たまに機関に来てるだろ、西城の妹が」
「あ、うん。ラショウ……?」
「あれ、リルがウチにいるときは、ああやって度々顔見せに来んだよ。熱心なもんだよな~、俺らにまで菓子折り持ってきたりしてよ」
そう言いながらセセラは空き缶をゴミ箱に捨てると、再び脚を組んで座り直す。
「で、あの可憐っぷりだろ? 男共は裏でデレデレしまくってるしな。『今日も来てたあ~♡』って。まるでアイドルだぜ、ほんと」
「……ふふっ」
レイラはセセラの語り口に思わず笑ってしまった。
(確かに、ラショウは可愛いし、優しいし……)
「……でも、それならラショウだけじゃないと、思う」
「ん?」
「……シエリ先生もそうだし、……“ラルト”さんも、綺麗で。なんていうか、アイドルみたいな……」
「……へぇ……また褒め上手になったな、お前」
セセラが笑ったそのとき、ひとりの足音が近づいてくる。
「お疲れさまです~……あら、偶然だねぇ」
ふわりと現れたのは、長い金髪をやわらかく揺らす美女。
ゆったりとした白衣の下に、上品な青緑色のタートルネックと白いスカートを重ね着したスタイル。
彼女こそ、今レイラが口に出した『葉室ラルト』だ。
「あ、ラルトさん。お疲れさまです」
レイラは立ち上がってぺこりと頭を下げる。
「お疲れさま、レイラちゃん。今日は薊野さんと一緒に休憩してたんだね」
柔らかい声に、微笑みが添えられていた。
(……やっぱりこの人も、綺麗。声まで柔らかくて……アイドルっていうか、妖精みたい)
そんなことを考えながらも、レイラはにこっと笑って頷いた。
ラルトはゆったりと腰を下ろし、ポーチからスリムなケースを取り出す。
(え?)
取り出したのは、煙草とライター。
ラルトの初めて見たその所作は丁寧で、動きに無駄が無かったけれど──。
レイラの脳内にあった“ラルト像”が、ほんの少しだけぐらついた。
(あ……アイドルは……煙草、吸わないか……)
ちょっとだけショック。でも、妙にらしい気もした。
セセラがニヤ~としながら肩を揺らす。
「驚いたろ? おっとりしててヤニ吸いとか、ラルトのギャップ強ぇもんな」
「……いえ、似合ってないわけじゃ……ないです」
レイラがそう言うと、ラルトは少しだけ微笑んだ。
「ありがとう、レイラちゃん。吸わない人の前じゃなるべく控えてるつもりなんだけど……どうしても、休憩中は手が伸びちゃって」
その言葉にも、どこか可憐さがある。
(……不思議な人)
そう思いながら、レイラはじっとラルトを見つめていた。
そんなラルトはゆったりと微笑んだまま煙草に火をつける。
「……ふぅ。休憩、いい時間だね」
紫煙を吐きながらそう言うラルトに、セセラはふん、と鼻を鳴らした。
「ここのところ現場出てたんだっけ。おつかれ、ラルト」
「ありがとう、薊野さん」
その自然すぎるやり取りに、レイラはほんの一瞬だけ首を傾げる。
(このふたり……なんだろう、いつも妙に空気が落ち着いてるんだよね)
セセラは新しい缶コーヒーをテーブルに置き、気怠そうに言葉を続けた。
「それにしても……お前も知ってる? 西城家の妹が、よくこっち来てんの」
「ラショウちゃんのこと? ……うん、もちろんそれは知ってるけど……」
「菓子折りの天使って、裏で呼ばれてんだぜ」
言いながら、わざとらしく感心したように天井を仰ぐセセラ。
「男共が『今日も来たあ!』『受け取った菓子折りのパッケージ取っとけばよかったあ!』って騒いでんの、マジで情けねえよ」
「ふふふ……っ、それは知らなかったな。菓子折りの天使って。なんだかラショウちゃんらしいね」
ラルトの言葉にレイラがくすっと笑うと、ラルトもまた穏やかに微笑んだ。
「でも、そんなふうに可愛がられてるってことは、良いことだよ」
「そうそう。可愛いし優しいし、アイドルって言われても納得──」
レイラが言いかけたそのとき、ふとラショウの話の流れで当初の目的を思い出す。
(あ……そうだ。もともと、これを言いに来たんだった)
「……あの、薊野さん」
「んー」
「さっきの話。リルのこと、伝えたかっただけだったから……。私、そろそろ戻るね」
「おー、おつかれ。報告どーもな」
セセラはあくまでいつも通り、めんどくさそうに見えながらも、ちゃんと礼を返した。
レイラは立ち上がりながら、ラルトにも軽く会釈する。
「じゃあ、またあとで。……お疲れさま、ラルトさん」
「お疲れさま、レイラちゃん。いい午後を過ごしてね」
その穏やかな言葉に送られて、レイラはラウンジを後にした。扉が閉められると、残されたふたりの間にほんの少しだけ間が空く。
「……あいつ、だいぶ変わったな」
「レイラちゃん?」
「ああ。あの頃の全然喋らねぇ冷徹ガキとは別人みてえだ」
「ふふ……成長、だね」
煙草の煙が静かに流れるなか、静かな午後の時間がまたゆっくりと流れていく。
「……ふふふっ……♪」
ラルトがもう一度、小さく、それでいて楽しそうに笑った。
「お前さっきから何がそんなにおかしいんだよ」
脚を組んだままセセラは肩を伸ばしてソファに寄りかかると、ラルトは少しだけ首を傾けて、やわらかく答える。
「ううん。なんかね、懐かしいなと思って」
「懐かしい?」
「レイラちゃんみたいな人見知りだった子が、少しずつ人と話せるようになって、それを薊野さんが、ちゃんと変わったなって言葉にしてあげてるところとか……」
ラルトはそう言って、トンッと灰をゆっくり灰皿に落とした。
「昔も、よくそうやって──あの子……リルくん、ちょっと笑うようになった、とか……。今はあんなこと話すようになった、とか……言ってたよね」
「……俺が?」
「うん。冷たそうに見えて、ちゃんと見てるって。……今も変わらないなって思ったよ」
セセラは鼻で笑った。
「よく見てりゃ、見えてくるだけだろ。誰でもそうだ」
「そういう風に言うのも、変わらないね」
「……あ゙?」
ラルトは微笑んだまま、返事はしなかった。
ほんの数秒、静寂が降りる。
ラルトは少しだけ体勢を変えて、煙を遠くへ流すように吐き出した。
「……レイラちゃんのこと、ちょっと心配だったの。きっと、リルくんと似た痛みを持ってるって……前から思ってたから」
「……ああ」
短く相槌を打つセセラ。
「でも……今のレイラちゃん、あんな風に『仲直りした』なんて言えるようになったんだね」
「強がりかもな。けど、それでも言えたなら大したもんだろ」
「うん、そうだね」
また、煙が静かに揺れた。
まるでふたりの間に横たわるもの──それが見えるような、見えないような。
ラルトはふと、空を見上げるような目をして。
「……ねえ、薊野さん」
「ん?」
「リルくんも、レイラちゃんも、きっとこれからもっと変わっていくよ」
「そうだな」
「……私たちは、ちゃんと見ていられるかな?」
「さあな。……でも、そういう役だろ、俺ら」
「……ふふ。そうだったねえ」
煙の香りと、コーヒーの香り。それらが静かに溶け合う中、ふたりの時間は少しだけ静かに、少しだけ優しく過ぎていった。
煙が切れる音と共に、ラルトは吸い終わった煙草を灰皿に静かに置く。
「……変わっていくの、見ていたいな。でも、少しだけ……私、羨ましいのかもしれない」
そう呟いた言葉は、空気に溶けるように淡い。
セセラは隣で黙っている。けれどその無言が彼なりの傾聴だというのは、ラルトにはわかっていた。
「……今の私は、何を残せてるんだろうって、考える時があるよ」
「残す、ねぇ」
セセラは缶コーヒーを傾けながら呟く。
「大して役にも立たねえ人生だったら、それこそ残す価値なんて無いだろ」
「……そんな言い方するところも、ほんと変わらないんだから」
ラルトは苦笑して、ほんの少しだけ、セセラの方を見た。
「でも……あなたが今も、ちゃんと誰かのこと見てるの、私……嬉しいよ」
「…………」
その一言に、セセラの手が止まる。
ラルトは視線を戻し、まっすぐ前を見つめたまま静かに続けた。
「……昔は、そんなに見てなくてもいいじゃんとか思ってた。あなたが見てるのが、私じゃなかったから」
静かだった。空調の音すら、聞こえないほど。
セセラは何も言わなかった。
ただ、目を伏せて、缶を静かにテーブルに置く。
ラルトはその横顔を見なかった。それが今の“ちょうどいい距離”なのだと、どこかで理解していたから。
「もう少し、ここで休憩していくね」
立ち上がるわけでもなく、ラルトは微笑む。
「……ねえ、薊野さん」
「……なんだよ」
「今も、あのマグカップ……使ってる?」
──数秒の沈黙。
「…………」
セセラは極僅かに、目線を逸らした。
「……割ってねえよ」
それだけの返事。それ以上、何も言わない。
だが──その一言で、ラルトの表情がほんの少しだけ柔らかくなる。
「ふふ。……そっか」
それで、十分だった。
◇
廊下に出たレイラは、ゆっくりと足を運びながら、静かに息を吐いた。
(……伝えた)
ほんの数分のやり取りだったのに、肩の力が抜けて、思わず壁にもたれかかってしまう。
(言えて、よかったのかな)
けれど、自分があのとき「仲直りした」と言い切れたことを、どこかで誇らしくも思っていた。
──「リル」と呼べるようになった。
ただそれだけで、ほんの少し世界の見え方が変わった気がする。
(……仲良く、なれるかな。本当に)
廊下の向こう、白く磨かれた窓ガラスにぼんやりと映る自分の顔。
気の強そうな目元。揺れる水色の髪。
普通の女の子とは少し違う──でもこれが、今の私。
(龍に憑かれてる私が、誰かと関わっていいのかって、ずっと思ってたけど……)
──でも、関われた。
そう思うだけで、ほんの少しだけ胸があたたかくなった。
「……あれ、レイラさん?」
不意に背後から声がかかる。
振り返ると、機関の研究員のひとりが手帳を抱えて立っていた。
「あ、今ちょうど探してたんです。検査データの確認、薊野さんから頼まれてて」
「……うん、わかった。行く」
「ありがとうございます!」
軽く会釈されて、レイラは再び歩き出す。
胸の中に残ったのは、確かな変化の種。
まだ知らないこと、怖いことはたくさんある。
でも、“誰かとわかり合える”という選択肢がある限り、前に進める気がした。
15
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる