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第7話 眠りの中で
第7話・5 アシュラの怒り
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「…………ッ……!?」
アシュラは、しばらく次の言葉を出せなかった。
「アシュラ……お前らが同行を許可されてるのは、リルが正式に引き受けた任務だけだ」
「……っ……!!」
「機関員じゃないお前らは本来……部外者なんだよ……!」
セセラの声は怒っていた。だが、それは守るための怒りだった。
「ここに入ることを認可されてるだけでも、マジで特例なんだ……!」
「……そんな……ッ」
アシュラの唇が、わなわなと震え始める。
悲しみじゃない。
そして。
「……今は……」
アシュラの感情が──。
「……今は、……ッそんなことを言ってる場合じゃないだろッ!!!」
怒りが、爆発した。
──ガッ……!!
鬼気迫る勢いでセセラの胸ぐらを強く掴む。
「許可しろッ!!!」
「ッ、アシュラ──」
「兄様!!」
「……あのふたりがこのまま目覚めなくなったら……、死んだらどうするんだ!!!」
声が、モニター室の壁に響いた。
「『あいつらが動けなくなったら、はい終了』……『用済みだ』って、それで終わりなのかよ……!?」
「そんなの、許されるわけないだろうがッ!!!」
アシュラの豹変に流石のセセラも動揺しながら、両手を挙げる。
「……ぐ……っ、落ち着け、落ち着けって……!」
しかしアシュラの表情は、怒りと焦燥で張り詰めている。
ラショウは、その姿に言葉を失っていた。
「…………兄様……っ……」
──兄がこんなにも感情を剥き出しにする姿、初めてだった。
セセラは絞り出すように声を重ねる。
「ッ、……機関の規則は、厳しいんだ。一般人を守るためでもある……俺だって都合でルールを破るわけにはいかねえ……!」
「……だからって……ッ!!」
その瞬間──。
「……許可、する」
ふたりの言い争いを裂いたのは、シエリの小さな声。
全員の視線が、所長・シエリに向けられた。
シエリは静かに歩み出て、その鮮やかなピンク色の瞳を、アシュラにまっすぐ向けて発言する。
「今はその時だ。──この子に賭ける価値がある」
その声は、決断者のものだった。
「……シエリ先生……」
アシュラは、怒りの炎を少しだけ引き下ろしたように視線を落としながら、深く息を吐いた。
だが──その瞬間、シエリがぴたりと言葉を重ねる。
「ただし」
その一言で、場がまた引き締まる。
「アシュラ、キミだけだ。ラショウは待機させなさい」
小さく息を呑むラショウ。
「キミの戦闘力は、機関も把握している。だが、何度も言うように、キミたちは部外者だ。一般人が龍と対峙するなど、以ての外なのだよ」
アシュラは言葉を詰まらせ、セセラの胸ぐらから手を離すと──そのまま拳を握った。
「……っ……」
悔しさを、静かに呑み込むように。
シエリは表情を変えずに続ける。
「……今回は、許可する。──所長権限で、ね」
「……!」
「ただし何かあっても、責任は取れない。倒れたとしても、回収もしない。……それでもいいな?」
問うように。だがその眼差しは鋭い。
アシュラは、顔を上げて──静かに頷いた。
「……はい」
その声に、何の迷いも無かった。
「仲間の危機、それはわかる。私達も、わかっている」
少しだけ柔らかくなるシエリの声。
「だが……熱くなりすぎるなよ。キミの冷静さは、機関も目を見張っているのだから」
「…………」
アシュラはその言葉に打たれるように──。
少し俯き、そして──深く一礼した。
「……申し訳……ございませんでした。……大変なご無礼を……」
しかしすぐに、ふっと笑うセセラ。
「……いや……お前、マジでカッコイイよ」
ちょっと肩を竦めて、彼なりの賛辞を添える。
「完敗だ。……あの先生まで動かしちまうんだからな」
その言葉にアシュラは、申し訳なさそうに、しかし少しだけ自嘲めいて微笑んだ。
「すみません……本当に……。俺、カッとなると……。いつもは抑えているつもりなんですが」
「先生だって、お前のカッコよさが無ければ、許可しなかったかもしんねえぞ?」
とセセラが軽口を叩けば──。
「ふぅ~ん……さて、それはどうかな……?」
シエリはまっすぐな目で、少しだけ唇を歪めて返した。
それはどこか、冗談めいていて──。
だが確かに、少しは動かされたという本音が滲んでいた。
アシュラは姿勢を正すと、即座に口を開く。
「後ほど、武器をお借りいたします。……できれば、刀を」
それは、西城家の剣士としての覚悟の現れ。
その背を見つめながら、ラショウが不安そうに呟く。
「兄様……。ひとりで……」
心配と信頼の入り混じった声。
それは、妹として、そして仲間としての想いのすべてだった。
◇
龍調査機関・装備室。
アシュラは、薄暗い装備庫の前に立っていた。
扉が機械音と共に開くと、内部には多種多様な武装が陳列されている。
銃火器、打撃兵器、対龍用の特殊武器。
どれも“龍”という存在に対抗するために、数々の研究と犠牲の上で作られた物ばかり。
しかし──アシュラの目は、それらにはほとんど向かない。
「……やっぱり、刃物が一番しっくりくるな」
壁に掛けられた中で、1本の刀を選び取る。
重心と反り具合を確かめながら、軽く手首を返した。
「これで……いい」
その声は、覚悟の重みを帯びていた。
「兄様……」
背後から、そっと声がかかる。
ラショウだった。
手には、タオルと小さな水のボトル。
「これ……持っていって。少しでも、役に立つかもしれないから」
「ありがとう、ラショウ」
アシュラは微笑んで受け取ると、ふと、妹の顔をじっと見つめた。
「……ごめんな、心配かけた」
「ううん……怒ってなんかないよ。でも……」
ラショウの声は震えていた。
「……無事に帰ってきてね、兄様。リルくんもレイラちゃんも……みんな待ってるから」
その一言に、アシュラは静かに頷く。
「……必ず、戻るよ。当主として、仲間としてな」
その背筋は、いつにも増してまっすぐだった。
その頃──。
モニター室の大型スクリーンには、異常な数値が映し出されていた。
「……なにこれ……!? 成長曲線が……ッ!」
解析班のひとりが声を上げる。
セセラがすぐさま背後に駆け寄ると、画面には信じられないデータが展開されていた。
「……さっきまでは、龍因子の共鳴増幅レベル3だったはずだろ」
「はい……。ですが、僅か数分で……レベル5を超えました……!」
「……っ」
セセラの顔に、焦燥が滲む。
「『新生龍』……、成長スピードが異常すぎねえか……!」
別の解析班員が補足する。
「しかも、龍因子濃度の偏りも更に強くなっています……ターゲットは、依然としてレイラさんとリルくん、両名のみ!」
「……つーことは、あいつらが吸収されたら……?」
「……完成体になる可能性があります……!」
──沈黙。
セセラは深く息を吸い、拳を握った。
「……もう時間がねえ」
◇
──治療用ベッドが並ぶ無菌室。
そこに横たわるレイラとリル。ふたりの姿は、まるで生気が抜け落ちていくようだった。
「心拍、低下──再び不安定なリズムに入りました!」
「体温上昇、継続中……発汗量異常! 冷却処置では追いつきません……!」
医療班の叫ぶような報告が響き渡る中、モニターは赤く点滅を繰り返していた。
レイラの体──その左目からは相変わらず、霊体のような蒼白い煙が漏れていた。
しかし今や、それは左目だけではない。
時折、右肩、胸元、指先──まるで体の内側から何かが這い出てくるかのように、淡い発光体が浮かび上がっては霧のように消えていく。
その表情は苦しげに歪み、睫毛が微かに揺れ続けていた。
一方のリル──。
搬送直後にはまだ僅かに反応していた体も、今はもう意識を手放していた。
「……脳波に反応無し。仮死……いや、昏睡状態へ移行──」
だがそれでも、リルの体は確かに変わり続けている。
鋭く黒い爪。
浮き上がる血管。
そして──耳上の髪の隙間から、皮膚を破って角のようなものが現れ始めていた。
「……顔面部、左頬からも鱗状の皮膚……!」
黒い鱗は、滑らかに整った装甲のようで、冷たく硬質。変化というよりは、もはや進化の領域。
「……これ、もう……っ」
「龍化が、自律進行している……!!」
止まらない。
そして──ふたりの心拍数が、シンクロするように再び乱れ始めた。
──ビーッ ビーッ……!!
警告音が鳴り響く。
「レイラさん、リルくん……このままじゃ──!」
◇
そして、モニター室。
その中枢に立つシエリの姿は、普段とはどこか違っていた。
額に手を添え、険しい顔でモニターを見つめている。
「……なぜ……」
冷静な声の裏に、揺れるものがある。
「なぜ、レイラとリルにのみ作用する……?」
目を伏せ、分析結果を睨みつけた。
(偶然、ではない。龍因子の共鳴か?)
「ふたりの龍の成分、龍因子……それを知っている者……?」
汗が一筋、頬を伝う。
それは、彼女にとっても異常なことだった。
常に全てを把握し、全てを制御してきたシエリが──。
今、目の前で起きている事象に追い付けていない。
(……何かが、この世界の外から干渉している……。レイラとリル、同時に……)
シエリは唇を微かに噛みしめた。
「……これは、知っているだけじゃない。関係がある……」
だが──。
その全容は、まだ見えない。
今、目の前で起きている最悪を止める術は、ただひとつ。
──『新生龍』の討伐。
その刃を手にする者が、いま動き出そうとしていた。
◇
──通路を、アシュラは静かに歩いていた。
戦闘用の装いは、最小限の装備のみ。
腰には、龍調査機関から貸し出された1本の刀。
鞘に収まったままでも、その刃には圧があった。
(リル、レイラ……)
(今、あいつらが……喰われかけてる)
──ギィッ……
重いシャッターが開く。
屋上の出撃ポイント。
そこに、龍調査機関所有のヘリが待っていた。
所属パイロットが敬礼する。
「特例任務・西城アシュラ、出撃許可確認。ターゲット、コード不明──“龍種・新生体”。地表にて活動中」
「了解」
アシュラの返答は短く、力強かった。
プロペラの音が高鳴る。
足元の風が巻き上がる中、アシュラはヘリの扉を開け、乗り込む。
視線は既に、前だけを見ていた。
一方、その頃──。
地上、指定された未調査区の一点。
そこに、“それ”はいた。
──異形。
それは所謂、狐のような体躯。
だが、あまりにも異様だった。
6つに裂けた尾。
空間を歪ませるような脚。
そして、仮面のように白く光る顔──その隙間から、黒い煙のような瘴気が垂れている。
目が合えば意識を喰われるような、禍々しい“存在感”。
周囲の空気は重く、植物は枯れ、光さえ滲んでいた。
狐のような“龍”は、ただそこに佇みながら──。
時折、低い唸り声を発していた。
「……ギ……ィ……ィ゙……」
その音は、普通の者には聞こえない音波。
しかし、レイラとリルには届いていた。
それがふたりを蝕み、“喰らう準備”を進めていたのだ。
それはまるで、無意識の領域に送り込まれる──悪夢の侵入者。
◇
ヘリが現場上空に到達した。
「視認──。未確認龍体、存在を確認!!」
「……あれが……」
アシュラは、立ち上がる。
そして、ヘリの扉を開け放つと、風を受けながら──。
「行くぞ……!」
臆すること無く飛び降りた。
落下の衝撃を受け止めるように膝を折り、即座に抜刀。
──シュッ……
刀が鞘から滑り出た瞬間、空気が張り詰める。
「……え!?」
(……狐……!? いや、違う……!)
その“狐”のような姿に、何故か一瞬だけ瞠目するアシュラ。
しかし、すぐに気持ちを切り替える。
「いや……異形だな。だが、喰わせるわけにはいかない」
狐のような禍々しき龍と、人の理と誇りを背負う剣士──アシュラ。
今、静かなる死闘の幕が開く──。
◇
──闇。
ただ、黒く深い闇。
時間も、空間も、すべてが滲んでいた。
音が鳴っていた。
──キィ……ィ……ィ……
耳鳴りのような、虫の羽音のような、どこまでも不快な周波数。
しかしそれは──確かにレイラとリルにしか聞こえない音だった。
「……ッ……う……やめて……ッ」
レイラは、闇の中で膝を抱えていた。
体が震えている。目を見開こうとしても、何も見えない。
けれど──体の中で、“何か”が這い上がってくる。
「……また、来るの……やだ……やめて……っ!」
その体からは、左目だけでなく、両腕、肩、背中……あちこちから白い霊体が煙のように漏れていた。
苦しみ、叫び、“自分”という輪郭が、ゆっくりと“龍”に喰われていく感覚。
──そして、そのすぐ隣。
リルは、黒い空間の底に蹲っていた。
「……あ゙……あ゙あッ……痛ェ……ッ……」
両耳の上には、何か硬い感触。
そこから、突き破るように角が生えかけている。
「誰か……、誰かッ……止めて……くれ……」
歯が軋み、皮膚が軋み、“人間”の形を崩していく音が、自分の耳の内側で反響していた。
顔には、ぽつぽつと鱗が広がっている。
その表面に、ひび割れのような痕が浮かんでいく。
「オレ、こんなの……望んでねえ……ッ……!」
ふたりは──同じ夢を見ていた。
そして闇の奥から“何か”が、ぬるっ……と浮かび上がる。
狐の面を思わせる、仮面のような顔。
尾のような影が、空間を蠢く。
“それ”は、ふたりの意識のすぐ近くで、じっと味が熟すのを待っていた。
そして──。
空が割れるように。
現実で、一振りの刀が抜かれる音が重なった。
その刃は今まさに、この悪夢を断ち切るために、振るわれようとしている。
第7話 完
アシュラは、しばらく次の言葉を出せなかった。
「アシュラ……お前らが同行を許可されてるのは、リルが正式に引き受けた任務だけだ」
「……っ……!!」
「機関員じゃないお前らは本来……部外者なんだよ……!」
セセラの声は怒っていた。だが、それは守るための怒りだった。
「ここに入ることを認可されてるだけでも、マジで特例なんだ……!」
「……そんな……ッ」
アシュラの唇が、わなわなと震え始める。
悲しみじゃない。
そして。
「……今は……」
アシュラの感情が──。
「……今は、……ッそんなことを言ってる場合じゃないだろッ!!!」
怒りが、爆発した。
──ガッ……!!
鬼気迫る勢いでセセラの胸ぐらを強く掴む。
「許可しろッ!!!」
「ッ、アシュラ──」
「兄様!!」
「……あのふたりがこのまま目覚めなくなったら……、死んだらどうするんだ!!!」
声が、モニター室の壁に響いた。
「『あいつらが動けなくなったら、はい終了』……『用済みだ』って、それで終わりなのかよ……!?」
「そんなの、許されるわけないだろうがッ!!!」
アシュラの豹変に流石のセセラも動揺しながら、両手を挙げる。
「……ぐ……っ、落ち着け、落ち着けって……!」
しかしアシュラの表情は、怒りと焦燥で張り詰めている。
ラショウは、その姿に言葉を失っていた。
「…………兄様……っ……」
──兄がこんなにも感情を剥き出しにする姿、初めてだった。
セセラは絞り出すように声を重ねる。
「ッ、……機関の規則は、厳しいんだ。一般人を守るためでもある……俺だって都合でルールを破るわけにはいかねえ……!」
「……だからって……ッ!!」
その瞬間──。
「……許可、する」
ふたりの言い争いを裂いたのは、シエリの小さな声。
全員の視線が、所長・シエリに向けられた。
シエリは静かに歩み出て、その鮮やかなピンク色の瞳を、アシュラにまっすぐ向けて発言する。
「今はその時だ。──この子に賭ける価値がある」
その声は、決断者のものだった。
「……シエリ先生……」
アシュラは、怒りの炎を少しだけ引き下ろしたように視線を落としながら、深く息を吐いた。
だが──その瞬間、シエリがぴたりと言葉を重ねる。
「ただし」
その一言で、場がまた引き締まる。
「アシュラ、キミだけだ。ラショウは待機させなさい」
小さく息を呑むラショウ。
「キミの戦闘力は、機関も把握している。だが、何度も言うように、キミたちは部外者だ。一般人が龍と対峙するなど、以ての外なのだよ」
アシュラは言葉を詰まらせ、セセラの胸ぐらから手を離すと──そのまま拳を握った。
「……っ……」
悔しさを、静かに呑み込むように。
シエリは表情を変えずに続ける。
「……今回は、許可する。──所長権限で、ね」
「……!」
「ただし何かあっても、責任は取れない。倒れたとしても、回収もしない。……それでもいいな?」
問うように。だがその眼差しは鋭い。
アシュラは、顔を上げて──静かに頷いた。
「……はい」
その声に、何の迷いも無かった。
「仲間の危機、それはわかる。私達も、わかっている」
少しだけ柔らかくなるシエリの声。
「だが……熱くなりすぎるなよ。キミの冷静さは、機関も目を見張っているのだから」
「…………」
アシュラはその言葉に打たれるように──。
少し俯き、そして──深く一礼した。
「……申し訳……ございませんでした。……大変なご無礼を……」
しかしすぐに、ふっと笑うセセラ。
「……いや……お前、マジでカッコイイよ」
ちょっと肩を竦めて、彼なりの賛辞を添える。
「完敗だ。……あの先生まで動かしちまうんだからな」
その言葉にアシュラは、申し訳なさそうに、しかし少しだけ自嘲めいて微笑んだ。
「すみません……本当に……。俺、カッとなると……。いつもは抑えているつもりなんですが」
「先生だって、お前のカッコよさが無ければ、許可しなかったかもしんねえぞ?」
とセセラが軽口を叩けば──。
「ふぅ~ん……さて、それはどうかな……?」
シエリはまっすぐな目で、少しだけ唇を歪めて返した。
それはどこか、冗談めいていて──。
だが確かに、少しは動かされたという本音が滲んでいた。
アシュラは姿勢を正すと、即座に口を開く。
「後ほど、武器をお借りいたします。……できれば、刀を」
それは、西城家の剣士としての覚悟の現れ。
その背を見つめながら、ラショウが不安そうに呟く。
「兄様……。ひとりで……」
心配と信頼の入り混じった声。
それは、妹として、そして仲間としての想いのすべてだった。
◇
龍調査機関・装備室。
アシュラは、薄暗い装備庫の前に立っていた。
扉が機械音と共に開くと、内部には多種多様な武装が陳列されている。
銃火器、打撃兵器、対龍用の特殊武器。
どれも“龍”という存在に対抗するために、数々の研究と犠牲の上で作られた物ばかり。
しかし──アシュラの目は、それらにはほとんど向かない。
「……やっぱり、刃物が一番しっくりくるな」
壁に掛けられた中で、1本の刀を選び取る。
重心と反り具合を確かめながら、軽く手首を返した。
「これで……いい」
その声は、覚悟の重みを帯びていた。
「兄様……」
背後から、そっと声がかかる。
ラショウだった。
手には、タオルと小さな水のボトル。
「これ……持っていって。少しでも、役に立つかもしれないから」
「ありがとう、ラショウ」
アシュラは微笑んで受け取ると、ふと、妹の顔をじっと見つめた。
「……ごめんな、心配かけた」
「ううん……怒ってなんかないよ。でも……」
ラショウの声は震えていた。
「……無事に帰ってきてね、兄様。リルくんもレイラちゃんも……みんな待ってるから」
その一言に、アシュラは静かに頷く。
「……必ず、戻るよ。当主として、仲間としてな」
その背筋は、いつにも増してまっすぐだった。
その頃──。
モニター室の大型スクリーンには、異常な数値が映し出されていた。
「……なにこれ……!? 成長曲線が……ッ!」
解析班のひとりが声を上げる。
セセラがすぐさま背後に駆け寄ると、画面には信じられないデータが展開されていた。
「……さっきまでは、龍因子の共鳴増幅レベル3だったはずだろ」
「はい……。ですが、僅か数分で……レベル5を超えました……!」
「……っ」
セセラの顔に、焦燥が滲む。
「『新生龍』……、成長スピードが異常すぎねえか……!」
別の解析班員が補足する。
「しかも、龍因子濃度の偏りも更に強くなっています……ターゲットは、依然としてレイラさんとリルくん、両名のみ!」
「……つーことは、あいつらが吸収されたら……?」
「……完成体になる可能性があります……!」
──沈黙。
セセラは深く息を吸い、拳を握った。
「……もう時間がねえ」
◇
──治療用ベッドが並ぶ無菌室。
そこに横たわるレイラとリル。ふたりの姿は、まるで生気が抜け落ちていくようだった。
「心拍、低下──再び不安定なリズムに入りました!」
「体温上昇、継続中……発汗量異常! 冷却処置では追いつきません……!」
医療班の叫ぶような報告が響き渡る中、モニターは赤く点滅を繰り返していた。
レイラの体──その左目からは相変わらず、霊体のような蒼白い煙が漏れていた。
しかし今や、それは左目だけではない。
時折、右肩、胸元、指先──まるで体の内側から何かが這い出てくるかのように、淡い発光体が浮かび上がっては霧のように消えていく。
その表情は苦しげに歪み、睫毛が微かに揺れ続けていた。
一方のリル──。
搬送直後にはまだ僅かに反応していた体も、今はもう意識を手放していた。
「……脳波に反応無し。仮死……いや、昏睡状態へ移行──」
だがそれでも、リルの体は確かに変わり続けている。
鋭く黒い爪。
浮き上がる血管。
そして──耳上の髪の隙間から、皮膚を破って角のようなものが現れ始めていた。
「……顔面部、左頬からも鱗状の皮膚……!」
黒い鱗は、滑らかに整った装甲のようで、冷たく硬質。変化というよりは、もはや進化の領域。
「……これ、もう……っ」
「龍化が、自律進行している……!!」
止まらない。
そして──ふたりの心拍数が、シンクロするように再び乱れ始めた。
──ビーッ ビーッ……!!
警告音が鳴り響く。
「レイラさん、リルくん……このままじゃ──!」
◇
そして、モニター室。
その中枢に立つシエリの姿は、普段とはどこか違っていた。
額に手を添え、険しい顔でモニターを見つめている。
「……なぜ……」
冷静な声の裏に、揺れるものがある。
「なぜ、レイラとリルにのみ作用する……?」
目を伏せ、分析結果を睨みつけた。
(偶然、ではない。龍因子の共鳴か?)
「ふたりの龍の成分、龍因子……それを知っている者……?」
汗が一筋、頬を伝う。
それは、彼女にとっても異常なことだった。
常に全てを把握し、全てを制御してきたシエリが──。
今、目の前で起きている事象に追い付けていない。
(……何かが、この世界の外から干渉している……。レイラとリル、同時に……)
シエリは唇を微かに噛みしめた。
「……これは、知っているだけじゃない。関係がある……」
だが──。
その全容は、まだ見えない。
今、目の前で起きている最悪を止める術は、ただひとつ。
──『新生龍』の討伐。
その刃を手にする者が、いま動き出そうとしていた。
◇
──通路を、アシュラは静かに歩いていた。
戦闘用の装いは、最小限の装備のみ。
腰には、龍調査機関から貸し出された1本の刀。
鞘に収まったままでも、その刃には圧があった。
(リル、レイラ……)
(今、あいつらが……喰われかけてる)
──ギィッ……
重いシャッターが開く。
屋上の出撃ポイント。
そこに、龍調査機関所有のヘリが待っていた。
所属パイロットが敬礼する。
「特例任務・西城アシュラ、出撃許可確認。ターゲット、コード不明──“龍種・新生体”。地表にて活動中」
「了解」
アシュラの返答は短く、力強かった。
プロペラの音が高鳴る。
足元の風が巻き上がる中、アシュラはヘリの扉を開け、乗り込む。
視線は既に、前だけを見ていた。
一方、その頃──。
地上、指定された未調査区の一点。
そこに、“それ”はいた。
──異形。
それは所謂、狐のような体躯。
だが、あまりにも異様だった。
6つに裂けた尾。
空間を歪ませるような脚。
そして、仮面のように白く光る顔──その隙間から、黒い煙のような瘴気が垂れている。
目が合えば意識を喰われるような、禍々しい“存在感”。
周囲の空気は重く、植物は枯れ、光さえ滲んでいた。
狐のような“龍”は、ただそこに佇みながら──。
時折、低い唸り声を発していた。
「……ギ……ィ……ィ゙……」
その音は、普通の者には聞こえない音波。
しかし、レイラとリルには届いていた。
それがふたりを蝕み、“喰らう準備”を進めていたのだ。
それはまるで、無意識の領域に送り込まれる──悪夢の侵入者。
◇
ヘリが現場上空に到達した。
「視認──。未確認龍体、存在を確認!!」
「……あれが……」
アシュラは、立ち上がる。
そして、ヘリの扉を開け放つと、風を受けながら──。
「行くぞ……!」
臆すること無く飛び降りた。
落下の衝撃を受け止めるように膝を折り、即座に抜刀。
──シュッ……
刀が鞘から滑り出た瞬間、空気が張り詰める。
「……え!?」
(……狐……!? いや、違う……!)
その“狐”のような姿に、何故か一瞬だけ瞠目するアシュラ。
しかし、すぐに気持ちを切り替える。
「いや……異形だな。だが、喰わせるわけにはいかない」
狐のような禍々しき龍と、人の理と誇りを背負う剣士──アシュラ。
今、静かなる死闘の幕が開く──。
◇
──闇。
ただ、黒く深い闇。
時間も、空間も、すべてが滲んでいた。
音が鳴っていた。
──キィ……ィ……ィ……
耳鳴りのような、虫の羽音のような、どこまでも不快な周波数。
しかしそれは──確かにレイラとリルにしか聞こえない音だった。
「……ッ……う……やめて……ッ」
レイラは、闇の中で膝を抱えていた。
体が震えている。目を見開こうとしても、何も見えない。
けれど──体の中で、“何か”が這い上がってくる。
「……また、来るの……やだ……やめて……っ!」
その体からは、左目だけでなく、両腕、肩、背中……あちこちから白い霊体が煙のように漏れていた。
苦しみ、叫び、“自分”という輪郭が、ゆっくりと“龍”に喰われていく感覚。
──そして、そのすぐ隣。
リルは、黒い空間の底に蹲っていた。
「……あ゙……あ゙あッ……痛ェ……ッ……」
両耳の上には、何か硬い感触。
そこから、突き破るように角が生えかけている。
「誰か……、誰かッ……止めて……くれ……」
歯が軋み、皮膚が軋み、“人間”の形を崩していく音が、自分の耳の内側で反響していた。
顔には、ぽつぽつと鱗が広がっている。
その表面に、ひび割れのような痕が浮かんでいく。
「オレ、こんなの……望んでねえ……ッ……!」
ふたりは──同じ夢を見ていた。
そして闇の奥から“何か”が、ぬるっ……と浮かび上がる。
狐の面を思わせる、仮面のような顔。
尾のような影が、空間を蠢く。
“それ”は、ふたりの意識のすぐ近くで、じっと味が熟すのを待っていた。
そして──。
空が割れるように。
現実で、一振りの刀が抜かれる音が重なった。
その刃は今まさに、この悪夢を断ち切るために、振るわれようとしている。
第7話 完
4
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