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コヨタ

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第15話 牙を、解き放て

第15話・4 一緒に話していたのに

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「……リルくんを……殺さなきゃ、いけないの……?」

 ラショウの声は、掠れていた。

 空を仰げば、木々に散らばった血痕。
 地面には龍の肉片、そして──その中心でなお暴れ続ける、

「あんな……の、リルくんじゃないよ……」

「……ッ!!!」

 アシュラは唇を噛み、腕を押さえた。
 痛みはある。
 けれど、それ以上に──心が、痛い。

(ほんの、数時間前までは……一緒に笑って、話していたのに)

『……ッ、……止めなきゃ……死ぬぞ。お前らが、じゃねえ』

『……リルがだ』

 セセラの声はそれでも冷静だった。
 ──だが、どこか震えていた。

『今、あれだけの力を使ってるんだ。自分の体を龍に置き換えて戦ってるんだよ』

『……もう、時間の問題だ。壊れるのは……脳だ』

 静寂が走る。

「……ッ……」

 その場で歯を食いしばるレイラ。

「だったら……やめさせる」

「止める……私が……」

 ゆっくりと、ブレードを持つ拳を握る。

 その手から、ふわりと──蒼白い光が立ち昇った。

「……レイラちゃん……?」

 ラショウの目が揺れる。

 アシュラも、一瞬だけ瞳を潤ませた。

(これは……レイラの、龍……?)

(いや、でもあのときと比べて……)

 確かにそれは、“龍化の兆候”に違いなかった。
 だが──その光は、不思議なほどにあたたかく見えた。

 怒り、悲しみ、願い、祈り。
 全てを孕んだような、蒼白く優しい揺らめきが、レイラの全身から吹き上がる。

「……リルが……リルのままでいられるうちに……!」

 震える声に、想いが滲んだ。

「私は……」

「…………っ……」

「……友達だから……ッ……!!」

 足元の地面が微かに震え、空気が脈打つ。

 レイラの瞳には龍と対峙するリルの姿が映っている。

 そのまま、一歩。また一歩と進む。

 ──葛藤の中、の間で揺れながら、光と闇の交差が頂点へと向かっていく。

「………………」

 いつしか、戦場は静かになっていた。

 異常個体・成れの果て──異型の龍はもう、動かない。
 リルの暴走によって、その体は見る影もなく引き裂かれていた。

 だが、その狩りを終えてもリルは止まってはいなかった。

「…………っ……」

(リル…………)

 血に濡れたその人間と竜が融合したような姿が、ゆっくりとレイラの方へ振り向く。

「…………グル゙ル゙ル……ッ……」

 仮面のような黒い甲殻から覗いた赤い瞳が、明らかに獲物レイラを捉えていた。

「──っ……!!」

 レイラは立ち止まる。
 声をかけることも、もうできない。

 ただ、リルが──襲いかかってきた。

「リルッ!!」

「リルくん!!!」

 アシュラとラショウの叫びが重なる。

 だが遅い。

 咆哮と共に、鋭い爪がレイラを切り裂かんと迫る。

 ──その瞬間。

 蒼白い光が、一閃。

 レイラが持つ剣が、霊体のようなオーラで蒼白く包まれる。

 それは、人を守る意志に呼応して、最後の力を宿した。

 そして──レイラは。

「……ッ…………」

 目を閉じたまま。

 剣を勢いよく前に突き出した。

「……ごめん、リル…………」

 ──ズブッ……!!!

 湿った音と、骨の裂ける音。

 蒼白い刃が──リルの胸を貫いた。

「──ア゙、ッ……!゙ ……!? ッ……」

「…………!!!」

 変異した剛腕が止まり、体がガクガクッと痙攣する。

 血に染まったような紅い目が大きく見開かれ、咆哮が、途中で途切れた。

 ──バサッ……

 翼が、崩れ落ちた。

 角が、砕けた。

 鱗が、剥がれ落ちた。

「…………」

 その場に、が倒れ込む。

「リルッッ!!!」

「だめっ、そんなっ……!! だめっ……!!!」

 アシュラとラショウが、叫ぶように駆け寄る。

 レイラは──その場で剣を手放し、呼吸を乱し、ただ立ち尽くしていた。

「っ……は……はっ……う……っ、あ……」

 声にならない。
 過呼吸で、酸素が入らない。

 胸が締め付けられ、視界が暗くなっていく。

(殺、し、……殺しちゃった……私が、リルを……)

 意識が遠のく中、地面が揺れた。

 ──轟音。

 2台の輸送車が到着し、輸送班と救護班が駆け込んでくる。

「隊員の状態確認急げッ!!」

「負傷者3名、搬送優先──!!」

 誰かが叫び、誰かがレイラを支える。

「血圧落ちてます! 過呼吸! 酸素投与を──!」

 ラショウは、崩れ落ちるようにリルの傍に膝をつき、アシュラは唇を噛んで瞳を震わせた。

「ッ、……くそ、こんな……こんな結末……ッ……!!」

 救護班が、血の海に倒れたリルに手を伸ばし──。

「……!?」

 息を呑む。

「……生命反応、微弱……ですが……! あります! まだ……生きてます!」

「自己再生の兆候が……僅かに確認できる!」

 だが、セセラの声は無線の先で低く呟かれた。

『…………それはって言っていいのかよ……』

 ──全員、返す言葉も無かった。

 そして輸送班が、静かにリルの体を収容していく。

 まるで──遺体を回収するように。

「………………」

 開けた森に、風が吹いた。

 誰も、もう──声を出せなかった。


 ◇


 輸送車の中は、異様なまでに静かだった。

 痛み、呻き、怒号、涙──どれも無い。
 あるのは、深すぎる沈黙。

 レイラ、アシュラ、ラショウ。
 全員がストレッチャーに固定され、酸素マスクと点滴が取り付けられている。

 意識は、あったり無かったり。
 誰ひとり、完全に目を開けていられる者はいなかった。

「心拍確認──紫苑レイラ、出血多量、骨折、不整脈あり」

「西城アシュラ、血圧下降中、出血多量」

「西城ラショウ、裂傷、打撲、意識混濁」

「──全員帰還次第、緊急治療室へ!」

 医療班の声が飛ぶ中、ただひとつだけ息をしていない存在が、別の車両に乗せられていた。

 ──リル。

 仰向けに横たわったその胸は、上下していない。

 呼吸停止。心拍もほぼ検出不能。
 だが、生体スキャンに微かに映る

「……ッ、死んでないんだよな、これ」

 研究員のひとりが、端末を覗き込みながら呟いた。

「でも……自己再生が発動してるってことは、エネルギーを使ってる。……限界を超えれば、再生そのものが

「もう既にそこまできてるかもしれない」

「目を覚ます保証は……?」

「無い」

 車内の誰も、顔を上げなかった。

 リルの搬送先は医療棟ではなく、龍因子の構造と脳神経を研究する専門部署──第七特殊解析棟。

 過去に龍化暴走個体を多数解剖・解析してきた場所。

 だが、運ばれるケースは稀中の稀。

「この状態から人間に戻れた例は……あるのか?」

「……確認されていない。あって、戻れたかもしれなかったという例が1件のみ──」

 言葉が、途切れる。

 全員が思っていた。

 ──今回の件も1に含まれるのではないか。

 そうして輸送車は拠点へと帰還していく。

 リルは無言のまま白いシートに包まれ、冷たく無菌化された廊下の奥、普段は封鎖されている扉の向こうへと運ばれた。

 その扉が閉じる音は──まるで、棺の蓋のようだった。


 ◇


 帰還から数時間後、処置室。

 レイラの瞼が微かに震える。
 頬には乾き切っていない涙の跡。

「…………」

 しかし、レイラの目が最初に探した“赤髪の姿”は、もうそこには無かった。

 ──第七特殊解析棟。

 龍因子による肉体変異、それに伴う脳領域の異常活性、器官の再構築現象。
 言わば、“龍化”という現象そのものを人間という素材から切り分ける研究棟。

 リルはその最奥にある封鎖区画に運び込まれていた。

 部屋の中央には、完全無菌の透明なカプセルのようなベッド。
 ガラス製のケースで蓋をされたようなそのベッドは、コードを通す穴以外は内側から密閉され、外界の音も空気も遮断されている。

 その中──リルは、動かない。

 呼吸も脈も限界値を割り込んでおり、機械すら心停止に近い判断を下しかけていた。

 だが、全身の深部で再生因子が微かに蠢いている。

「……なんて異常値だ。龍因子による生命維持反応が出ていなかったら、完全にとして処理していた」

 観察員のひとりが呟いた。背後に数人の研究員、そして上席の医療官。

「脳波は……? 活動してるのか?」

「……していない。限りなくゼロに近い。だが、電位スキャンでは脳全体に異常なエネルギー滞留が確認されている」

「夢でも見てるのか?」

「夢、というより……暴走の後遺症そのものだ。神経系統が今も龍化状態を維持しようとしている可能性がある」

 ひとりの医師が眉をひそめる。

「このまま目を覚ました場合……再度の龍化、あるいはへの進行は?」

「……ありえる。彼が人間として目を覚ます保証は、どこにもない」

 静寂が落ちた。

 ひとりの女性研究員が、そっと端末を閉じる。

「彼の名前……紅崎リルだったよね。……この記録、どこまで公開すべき?」

 誰も答えなかった。

 それが意味するもの──“人間が兵器となる完成例”になる可能性すら孕んでいた。

 その例が認められれば、保護観察・研究対象、それら全てを無視し、となる。

 リルの頬に伝う血の線はまだ乾いていない。
 珠玉のひとつからは、止まりきらないほどの血液が染み出している。

 まるで、それが彼の命を流し続けているかのように。

 外の世界では仲間たちが心を失っている間、この研究室の中では──ひとつの命が、再生するのか壊れきるのか、ただ静かに見守られていた。

 壁一面に張り巡らされた映像。

 心電図、脳波、深部温度、因子濃度、血中成分、再生パターン、龍因子の活性率。
 まるで人間ではなく、“変異体”を記録するための部屋。

「……活性化した龍因子が、まだ動いています。抑制されていないどころか、内側で“反応の自己修復”まで始めてる。通常の龍個体でもありえません」

 主任研究員が背筋を正し、報告を終える。
 だが、その言葉に対して背後から返事をしたのは──。

「『ありえない』は……もう、あの子には通じないだろう」

 小さな、しかし場を支配するような声。

 音も無く立っていたのは、所長シエリだった。

 ピンク色のその瞳が、ガラスの中のリルの姿を見つめている。
 その目は涼しげだが、明らかに動揺が滲んでいた。

「彼の龍因子密度……平均値の、8倍程。生体内で暴走後、自己修復しながら安定させている個体なんて、前例どころか論文すら存在しない」

「……所長……」

「つまり今ここにあるのは──前例を作っている人間、ということだ」

 研究員たちが絶句したまま何も言えない中、部屋の扉がもう一度開く。

「……!」

 そこに立っていたのは、見るからにやつれた姿のセセラ。

「薊野さん……」

 白衣の下のタートルネックは皺だらけ。
 体調不良ゆえの発汗のせいか髪は乱れ、眼の下にはくっきりと隈。
 その体は微かに揺れており、歩みもふらついていた。

「……っ、んなジロジロ見んなよ……。俺が具合悪いのは、あんたらにとっちゃ日常茶飯事だろ……」

 無理矢理口角を上げたセセラだったが、目は明確に充血し、乾いていた。

「……仕事なんて、正直してらんねーよ……」

「でも、行方もわかんねえ弟分が、こんなガラスの箱に突っ込まれてんのを見ねえフリは……できねえだろ……」

 シエリはセセラを一瞥したあと、小さく囁く。

「……キミが来てくれて、よかった。……私も、震えていたから」

「…………」

 無言のまま、セセラはリルへと視線を移した。

 リルの体は、動かない。
 ただ、口元のあたり──珠玉の埋まる箇所にだけ、微かに明滅する赤い点滅。

 それは命の証か、それとも暴走の再燃か。

 セセラの声は、僅かに掠れていた。

「リル……お前、俺らのこと……わかってんのか?」

 返事は無い。
 その沈黙は、あまりにも深く、重かった。

 ガラスの中で、リルは死んだように眠ったまま。

 血にまみれた傷跡が残り、爪痕が浅黒く硬直している。
 顔にはまだ甲殻の痕が、薄く残っていた。

 その姿を前にして、しばらくの沈黙ののち、セセラが口を開く。

「なあ先生……こいつ、レイラが暴走したとき、止めたんだよ」

「ああ、そう聞いている」

「『呑まれるな』って、言ったんだってよ。……バカが、笑えねえだろ……結局、自分が一番……呑まれてんじゃねえか」

 セセラは掠れた笑いを零した。
 しかしそれは、怒りと悔しさと虚しさが混ざった、壊れた音。

「……先生……リルってもう……人間じゃねえのかな」

「…………」

 シエリは、ただ黙っていた。
 その問いが、どれほど重いものかわかっていたから。

「俺さ、こいつのこと……何度も引っ張ってきた。無理に訓練させて、検査受けさせて……。……でも、リルはずっと『どうでもいい』って顔してたんだよな」

「…………」

「本当は……気づいてた。リル、別に無理にでも人間でいたいなんて、もう思ってなかったんじゃねぇかって」

 静かに、しかし鋭く。
 セセラは言葉を吐き捨てるように続けた。

「死ねる理由を探してたんじゃねえかって、思った。……俺たちのこと、仲間だなんて思わねえようにして……こいつ自身が、そういう自分でいようとしてたんじゃねえかな……」

 シエリはしばらくガラスの向こうを見つめたまま──やがて小さな声で答える。

「……それでも、キミが傍にいたから。あの子は誰かの声に反応できる子になった。そうじゃなきゃ、あんなふうに……レイラの手で止まれないだろう」

「…………っ……」

 セセラの目が揺れた。

「……戻れるのか、あいつ」

「生きている、という定義次第だ。だが……」

 シエリはほんの少しだけ笑みを見せた。
 だが、その瞳は確かに哀しみを湛えている。

「この世に戻してあげたいとは、思っている」

 セセラは、それ以上何も言わなかった。
 ただ、ガラスの中の弟分リルを見つめていた。

 その指先が、微かに震えていた。



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