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31.彼女を想う、月明かりの夜
しおりを挟む「エウロペア様っ!? 返事をして下さい! エウロペア様! ――おいっ、何か……何か言えよ……っ! ――くそっ!」
先程の不穏な思考を最後に、肩の上に乗るリーエちゃん人形からは何も感じられなくなったゼベクは、顔を歪ませ大きく舌打ちをした。
徐ろに、リーエちゃん人形がぽふりとゼベクの首に寄り掛かってくる。
エウロペアという支えを無くしたそれは、意識も何も無い、“只の人形”になっていた。
「……っ!」
奥歯をギリッと噛み締め人形を片手に掴むと、ゼベクは部屋を飛び出し玄関に向かって走る。
そこへ丁度リオーシュが玄関に入ってきた。
「リオーシュッ!!」
「ど……どうしたゼベク? そんなに慌てて――」
「悠長な事を言ってられなくなった。今すぐ城に戻り、エウロペア様を元に戻す方法を試すぞ。彼女の時間に制限があったんだ。元に戻すのが遅れると、恐らく一生“人形”のままになっちまう」
「な……何だってっ!? どうしてそんな事が分かるんだ!?」
「今は説明している暇は無い。さっさと城に帰るぞ!!」
言いながら、ゼベクは驚愕しているリオーシュのショルダーバッグにリーエちゃん人形をそっと仕舞うと、玄関を出て自分が乗ってきた馬に向かう。
「俺の方が早く城に着くだろうし、元に戻す方法が書かれた書物を先に読ませて貰う。絶対に寄り道するんじゃねぇぞ。分かったな、リオーシュ」
「わ、分かった」
真面目な表情で頷くリオーシュに頷き返すと、ゼベクは馬にヒラリと跨り、その腹を軽く蹴って駆け出して行った。
あっという間にその姿が見えなくなる。
リオーシュも急いで馬車に乗り込むと馭者に行き先を告げ、大きく息を吐いた。
隣に座る虚ろな表情のエウロペアに目線を移すと、グッと唇を噛み締める。
「………っ」
そのまま何も言わず、彼女の肩を引き寄せ抱きしめたのだった。
********
『王妃が誘拐された』と騒ぎにして城の者達に余計な混乱は招きたくなかったので、リオーシュはアディオの言う通り、「エウロペアはアディオに頼んで、外の空気を吸いに連れて行って貰った」という事にして今回の事態を収めた。
アディオだが、事情聴取をした所、カトレーダを最初から殺そうとした訳では無く、話し合いで解決したかったのだそうだ。
しかし彼女が食って掛かってきて口論となり、カッとなって身体を押してしまったそうで、そこに故意は全く無かったと項垂れながら供述した。
カトレーダが川に落ちた直後、アディオはハッと我に返り、急いで彼女を川から救出し応急手当を施したが、彼女は息はあるけど意識を失ったままだった。
そこでアディオは急に怖くなってしまい、カトレーダを岸辺に横たえたまま、その場から逃げてしまったとの事だった。
この件は関係者以外口外無用とし、アディオは城の別棟にある王族専用の収容部屋で、当分の間謹慎処分となった。彼は深く反省しており、このような事は二度と起こさないと判断された為だ。
ちなみにだが、フォアレゼン公爵とミュールがした事も、関係者以外一切の他言無用となっており、箝口令が敷かれている。
その経緯には、エウロペアが“人形”となっている事が含まれる為だ。国民達には、王妃は『病気で伏せ療養中』と公表しているので、こちらも同じく国民の混乱を招きたくなかったからだ。
事態が色々と落ち着いた翌日、リオーシュとゼベクはエウロペアの部屋で作戦会議を立てていた。
「この書物に書かれていた事をまとめるぞ。神の『呪い』を受けてしまった時、神は一つの“慈悲”として、一輪の『七色の月光花』を地上に咲かせるという。その葉を磨り潰して飲ませると、致命傷や不治の病等、どんな状態でも全て完治する。夜にしか咲かないが、花弁が虹色に光っており、それが目印となって、見ればすぐに分かるらしい。この王国で一番高い崖の途中に咲いていて、その虹色の光は見る者を惑わす力を持っているという。――“惑わす力”、か……。摘む時は必ず見ちまうから、十分注意しろって事だな」
「この国の歴代の王が遺した書物だ。内容に間違いは無いだろう。場所もここから近いし、早速今夜摘みに行くよ」
「一番高い崖の途中にあるんだろ? 危ねぇよ。俺が登って取ってきてやる。俺なら崖くらい簡単に登れるし」
ゼベクの提案に、リオーシュは首を強く横に振った。
「いや、私一人にやらせてくれ。手助けもいらない。これは私のケジメだ。私自身がその花を摘まないと意味が無いんだ。……頼む、ゼベク」
真剣な顔つきのリオーシュを、ゼベクは見返す。やがてゼベクは頭を掻き、盛大な溜め息を吐いた。
「……はぁ……分かったよ。但し、俺も一緒に行くからな。道中の護衛は任せろ」
「ありがとう、ゼベク」
リオーシュは微笑むと、ベッドにいるエウロペアの方を向き、その頬をそっと撫でた。
「ロア……。必ず君を元に戻すから」
ゼベクはチラリと、棚の上に乗っているリーエちゃん人形を見る。
動かない、“本当の人形”に戻ってしまったそれに、ゼベクは一瞬切なそうな表情を浮かべた後、すぐに瞼を閉じ顔を逸らしたのだった。
********
――黄金色の満月が空にぽっかりと浮かぶ、夜。
リオーシュは、岩の出っ張りに足を慎重に掛けながら、崖を少しずつ登っていた。
その下で、ゼベクがリオーシュの様子をジッと見守っている。
何かあれば、何時でも駆けつける準備は出来ていた。
「……見えた……っ!」
リオーシュが上を見上げると、月明かりを受けながら七色に輝く一輪の花が、岩から伸びて咲いていた。
逸る気持ちを抑え、足を踏み外さないように確実に登っていく。
彼の掌は傷だらけ、身体は砂まみれの汗だく状態だったが、彼は決して歩みを止めようとはしなかった。
そして精一杯に手を伸ばし、リオーシュはついに『七色の月光花』を手に取ったのだった。
「よし、摘んだぞっ!」
「リオーシュ、帰りも気を付けろよ! 油断するな! まだ花の“惑わす力”ってのが出てな――」
「ゼベク」
後ろから鈴の転がるような女性の声がし、ゼベクは反射的に振り向いた。
そこにはエウロペアが、彼女に合う美しいドレスを着て、優美な微笑みを浮かべて立っていた。
黄金の月光を背に受け、彼女の薄紫色の長い髪と紫色の瞳がキラキラと輝いている。
「――――」
ゼベクは少しの間、それに見惚れてしまっていた。
「……エウロペア、様……?」
「ゼベク」
エウロペアは、ゼベクの名をもう一度呼びニコリと笑うと、タタッと小走り、ドレスを翻しながら――彼の胸へと飛び込んだ。
ゼベクは思わず、彼女の華奢な身体を抱き留めてしまう。
柔らかく、確かに感じる温もり。花のような良い香り。
ゼベクの胸に、瞼を閉じた彼女が甘えるようにスリ、と頬を寄せて。
ゼベクは、自分の腕の中にいる彼女を抱いたまま、動けなかった。
「……ロア……!?」
リオーシュの方にも、エウロペアは現れていた。ゆらゆらと宙に浮かんだ状態で。
彼女は瞳を閉じて泣いていた。ホロホロと流す涙が、月の光で黄金色に輝いている。
「ろ、ロア……。な……泣いて……?」
「……酷い、酷いわ、リオ……。カトレーダを抱こうとしたのね……。あの子を『練習台』にしようとして……」
「……あ……」
エウロペアの言葉に、リオーシュは瞬時に顔を強張らせ、心を大きく抉られる。
「ねぇ? リオ……。それで……私が喜ぶと思ったの……? 私の妹と練習をして、上手になって、それで私を気持ち良くさせて。私が……嬉しいと思うと……?」
「……う……、あぁ……っ。――す、すまない……。ロア、すまない、すまないすまない……っ! 一瞬でもそんな事を考えた私が愚かだった、とんでもなく馬鹿だったんだ……!!」
啜り泣くエウロペアに、リオーシュも堪らず両目から涙が溢れ出す。
「私……貴方の事、本当に愛しているのに……。貴方は私の妹に口付けをしたのね……。貴方の方から……。私を……私を裏切ったのね……。――う、うぅっ……。赦せない、赦さないわ……」
「ろ、ロアッ! ロア違う……っ! 私も君の事を本当に……本気で愛しているんだ……っ!!」
悲しそうに涙を流し続けるエウロペアに、リオーシュも涙を零しながらはち切れんばかりに叫び、思わず彼女に向かって、月光花を持つ反対側の手を伸ばしてしまった。
――手を、離してしまった。
「……あ――」
リオーシュの身体が、支えを失くしてグラリと傾き――
彼は為す術も無く、崖から地面へと真っ直ぐに落ちていったのだった――
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