人形となった王妃に、王の後悔と懺悔は届かない

望月 或

文字の大きさ
36 / 44

35.暖炉の炎は二人を見守る

しおりを挟む



「リオ。中、入ってもいいかしら? 外は結構冷えるのよ」
「――あ、あぁ。す、済まない……。気付けなくて……」


 エウロペアの言葉に、リオーシュは慌てて彼女を中に通す。
 ……そこは、本当に必要な物しか置いていなくて。
 食事をする一つの小さなテーブルに一つの椅子、端に一人用の古びたベッド。テーブルと椅子、シーツと毛布は新しいので新調したのだろう。
 薪を焚べた暖炉からは、小さくパチパチと火花が弾ける音が聞こえてくる。


「失礼するわね」


 座る所が無かったので、エウロペアはベッドの端にちょこんと腰を下ろした。
 そんな彼女とは反対に、リオーシュは突っ立ったままでいた。戸惑いの表情を隠せず、エウロペアをチラチラと見、視線を宙に泳がせている。
 そして、ハッと気付いたように急いで流しの方に足を向けた。


「す、済まない。今お茶を用意して――」
「いいわ、大丈夫よ。お気遣いありがとう。けど、貴方が淹れてくれるお茶のお味には興味あるから、今度機会があれば淹れてくれるかしら? それよりもお話をしましょう? ――隣、どうぞ? この家の者じゃない私が言うのも変だけれど」


 エウロペアが微笑みながら言うと、リオーシュはピタリと足を止め、そろそろと振り返る。
 眉尻を下げ、情けない顔つきのまま、リオーシュはエウロペアの隣にゆっくりと腰かけた。――少し、距離を空けて。

 暫く沈黙が続き、暖炉からの火花が飛び散る心地良い音だけが、部屋の中に鳴り響く。


「……どう、して……」


 その沈黙を最初に破ったのはリオーシュだった。掠れた声音で、エウロペアに問い掛ける。


「それは、何に対しての『どうして』なのかしら? ――いいわ。これかな、と思うものを説明するわね。その前に、私を“人”に戻してくれてありがとうね。貴方があんな危険な崖を登って月光花を摘んでくれたから、私はこうして戻る事が出来たの。本当にありがとう」
「……いや、礼なんて要らない……。私が……君を“人形”にしてしまったのだから……。寧ろ君は怒ってもいいんだ……」


 俯いて首を横に振るリオーシュに、エウロペアはそっと息をついた。


「その話は後にしましょうか。――まず、私は貴方に会いに来た。最初から貴方が生きている事が分かっていたから」
「――っ!?」
「私、“人形”を治す方法が書いてある書物を読んだのよ。そして、『七色の月光花』の絵を見た。その絵には、葉が二枚付いていたわ。貴方は学園で一番運動神経が高かった。崖から落ちた時、貴方は反射的に受け身を取ったと思ったの。だからすぐには死ななかった。それを、貴方に深い忠誠を捧げるゼベクがそのまま見殺しにする筈が無い。二枚の内、一枚を貴方に使った。――そうでしょう?」
「…………」


 沈黙を肯定と受け取ったエウロペアは、話を続ける。


「貴方はきっと、『このまま死なせて欲しい』と願ったんでしょう? 理由は大体予想がつくけれど。それをゼベクは許さなかった。貴方に磨り潰した葉を飲ませて全快させ、私と話をしろと貴方に言った。けれど貴方はそれを拒否した。私に合わせる顔が無い貴方は、もう誰も使っていないこの家を直し、ここに住む事にした。『自分を死んだ事にして欲しい』とゼベクに頼んで。彼も、貴方を強制的に城に連れて行かず、貴方の意思を尊重した」
「…………」
「一週間に一回、ゼベクは行き先も告げずに出掛け、半日したら戻って来ていたわ。それは毎週欠かさず続いていた。――貴方に食料や必要な物を届けていたのよね?」
「……君……は、どこまで――」


 恐る恐る訊いてきたリオーシュに、エウロペアはニコリと極上の笑顔を見せた。


。きっと全部知ってるわ。今話したのは推察だけど、合ってるわよね? ゼベクは本当に何も言わなかったから。彼の貴方に対する忠義は大したものよ」
「……っ!!」


 リオーシュの黄金色の瞳が、大きく揺らぐ。


「二ヶ月経っても貴方の方に変化は無かったし、お城に戻る気配も無かったから、私から会いに来たのよ。――ねぇ。貴方はこのままここで生涯を終えるつもりだったの?」


 今度はエウロペアがリオーシュに問い掛ける。
 彼は暫くの無言の後、小さく唇を動かし、ポツリポツリと話し始めた。


「……君を……裏切ってしまった私は、君の隣にいる資格が無くて……。君が……さっき言った通り、君と合わせる顔が無くて……。ゼベクから君の事を聞きながら、君の事をずっと想いながら、君の幸せを心から願いながら、ここで……一生を終えようと――」
「私の幸せを心から願うなら、どうしてゼベクに『愛している』って伝言を頼んだの? それを言われたら、貴方を忘れる事なんて出来なくなるじゃない。他の人を好きになれないじゃない」
「………っ」


 リオーシュはそれにグッと言葉を詰まらせ、瞼を閉じると、やがて弱々しく震える声で言った。


「……私を……忘れないでいて欲しかった。君に他に好きな男が出来ても、私を心の片隅でも想って欲しかった。君の中で、私を微かでも、永遠に……残して欲しかった……」
「何よそれ? 自分から逃げた癖に、自分を一生忘れないで欲しいだなんて。とんだ自分勝手の強欲魔ね、貴方。ほとほと呆れるわ」
「…………」


 ゼベクと同じ事――いやそれ以上の事を言われ、リオーシュは返す言葉が見つからない。


「ねぇ、リオ。どうして言い返したり言い訳をしないの?」
「……私は、君の妹が言った『練習台になってあげる。もう失敗はしたくないでしょう』の言葉に、一瞬でも揺らいでしまった……。すぐに我に返ったが……。しかし、そんな私を、私は一生赦せない。そんな事をして、君が喜ぶ筈が無いのに――」
「えぇ、そうね。全く喜ばないわ、寧ろカンッカンに怒るわね。確実に別れる案件になっていたわよ。そんなの当たり前でしょ? 何大馬鹿な事言ってるの?」
「……あぁ、本当に……そうだな……」

 畳み掛けて責めるエウロペアに、リオーシュはギュッと唇を噛み締めると項垂れる。


「でも、根本は私を想っての事なのよね? 全く……本当に困った人ね、貴方って」
「……す、済まない……」
「それで? 他に言い訳しない理由は?」
「……私が、君の妹と口付けを交わしたのは事実だから……」
「うーん……。まぁ、三回もしてるからね? それは流石に多いわよねぇ」


 顎に人差し指を当て呟いたエウロペアに、リオーシュはギョッとなり、慌てて訂正の言葉を吐いた。


「さ……三回っ!? 違うっ! 私は彼女と二回しかしていない!!」
「え? 中庭でしてたでしょ? 私、バッチリと見たんだから。結構ショック受けたのよ?」
「あっ、あれは違うっ! 確かに彼女の顔が近かったが、急いで離れた! それだけは絶対に違うっ!!」
「あら、そうなの? でも二回もしたのなら、三回してもそんなに変わらないわね?」
「うぐ……っ」


 エウロペアの冷静な指摘にリオーシュは呻き、泣きそうな顔になって再びガクリと項垂れた。


「あぁ……ごめんなさい、苛め過ぎたかしら。貴方が私との話し合いを放棄して死を選んだから、それが許せなくて意地悪言っちゃったの」


 エウロペアは苦笑し、頭をフルフルと横に振った。


「……す、済まない……。本当に済まない……。私は、君の……傷付いた顔を見たくなかったんだ。泣く姿を見たくなかった。愛する君に……怒りを向けられ、責められるのが怖くて、辛かったんだ……。君の幻に泣きながら責められた時、こんな愚かな自分は生きている価値が無いと思ったんだ――」
「けど、逃げたままでは……話し合いをしなければ、私は貴方をずっと誤解したままだったんじゃない? 今回は私が事実を知っていたから良かったけど、何も知らないままだったら、妹と不貞をした貴方を一生赦さず、死ぬまで憎んで恨んでいたかも。それでも良かったの? まぁある意味、貴方を忘れず永遠に心に残す事には成功してるわね」
「っ!!」


 リオーシュはエウロペアの言葉に勢い良く頭を上げ、黄金の瞳を潤ませながら大きく首を左右に振った。


「だっ、駄目だ、良くない……! それは絶対に嫌だっ! ロアにだけは嫌われたくないっ!!」
「……えぇ、そうよね?」


 エウロペアは、ゼベクが言った、『アイツはホント、そこら辺がてんでダメダメなんですよ。仕事は出来るのにね』の言葉を思い出し、心の中で激しく頷き同意していたのだった……。




しおりを挟む
感想 291

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください

無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――

本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか
恋愛
 私は本日、貴方と離婚します。  愛するのは、終わりだ。    ◇◇◇  アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。  初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。  しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。  それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。  この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。   レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。    全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。  彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……  この物語は、彼女の決意から三年が経ち。  離婚する日から始まっていく  戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。  ◇◇◇  設定は甘めです。  読んでくださると嬉しいです。

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

大人になったオフェーリア。

ぽんぽこ狸
恋愛
 婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。  生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。  けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。  それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。  その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。 その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

【完結】私が貴方の元を去ったわけ

なか
恋愛
「貴方を……愛しておりました」  国の英雄であるレイクス。  彼の妻––リディアは、そんな言葉を残して去っていく。  離婚届けと、別れを告げる書置きを残された中。  妻であった彼女が突然去っていった理由を……   レイクスは、大きな後悔と、恥ずべき自らの行為を知っていく事となる。      ◇◇◇  プロローグ、エピローグを入れて全13話  完結まで執筆済みです。    久しぶりのショートショート。  懺悔をテーマに書いた作品です。  もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

処理中です...